December 18, 2004

第12日 塩津浜〜湖北町 (約13km)

○いよいよ湖周の最終回
3月に長浜で湖畔に立ってから早や9ヶ月、琵琶湖一周230kmにあと13kmを残すのみとなった。
今回は以前にも一緒に歩いたお二人、MさんとTさんと一緒に歩く。特に3回連続同行のTさんとはすっかり息のあったコンビになっている気がするほどだ。
biwako_041218_01biwako_041218_02biwako_041218_03河毛駅9:53発の湖北町タウンバスに乗ると、野鳥観察と思しき人たちで小さなバスはすぐにほとんどの座席が埋まってしまう。普段からこれくらい乗っていれば赤字などとは無縁の路線だと思うほどだが、実際は民間会社では採算が取れず、町が湖国バスに委託して走らせているという。
野鳥観察の人たちと一緒に「野鳥センター」のバス停で下車、そこから今回は歩き始める。前回のゴール、道の駅・湖北水鳥ステーションには隣接しており、その建物を眺めながらの出発だ。
biwako_041218_04biwako_041218_05越冬のためにやってくる野鳥でにぎわうヨシ原の向こうには竹生島が間近に見える。この竹生島は行政区画上はびわ町に属していて、隣町の湖北町の湖岸からは恐らく一番近いのではないかと思われる大きさだ。
湖周道路の歩道を我々はひたすら歩いていく。今日は距離も短いため、それほど急ぐ必要もなく、いつになくのんびりとしたペースで、道端の風景に心が留まればシャッターを押したりしながら進んでいく。恐らく時速4km弱といったところだろうか。
湖北町内には2ヶ所、野鳥の観察小屋が設けてあったが、誰もそこを利用する人はいなかった。もうだいぶ鴨や白鳥は飛来しているようだが、眺める方もそれほど大勢いるわけではないようだ。
biwako_041218_06biwako_041218_07biwako_041218_09biwako_041218_10湖岸近くは浅瀬になっているようで、鳥たちの格好の餌場となっている。眺めていると鷺が餌を捕まえようと顔を水面下に潜らせる姿も見えたりしてなかなか楽しい。
また、小さな岩礁も水面に浮かんでいて、その上に木の生いしげる姿はまるで湖面から木が生えているかのように見える。逆光線にそんな姿が浮かぶとなかなか幻想的だ。

biwako_041218_11biwako_041218_12とにかく今日は天気がよく、冬の低い光線が木々の間を抜けてきらきらと眩しい。きっとこの調子なら夕日がとてもきれいに見えるに違いないと期待しながらどんどん歩いていく。長浜の太閤井戸のあたりから眺める夕日の素晴らしさは、3月に感じて以来もう一度味わってみたいと思い続けてきた。それが今日、湖岸歩きの最後の日に眺められるかもしれないと思うと心が躍った。
biwako_041218_13biwako_041218_14biwako_041218_15びわ町に入ってからも同じような景色が続く。冬に差し掛かったとは思えないほど穏やかな琵琶湖の姿に見守られながら僕らは歩く。
やがてヤンマーの工場がその巨大な姿を現してくる。ヤンマーといえば「ヤン坊マー坊天気予報」、あるいはトラクターという連想をして、天気やトラクターについて語り合いながら歩いたりもした。
そして湖北町から歩き始めて2時間半ほど経っただろうか、正面に長浜の町が見えてきた。だんだんと長浜城の姿が近づいてきて、道路も車線が増え、田園から美しい小都市に差し掛かるのがよくわかる。
そこから30分も歩かないうちに長浜太閤温泉の旅館「浜湖月」の建物が見え、今回の終点の豊公園に到着する。
biwako_041218_16biwako_041218_17湖周道路沿いのコンビニで缶ビールを買い、太閤井戸を眺められる広場でゴールの乾杯をする。9ヶ月ぶりに湖周の出発点に戻ってきた割には意外にも感動は盛り上がらず、淡々と僕はゴールをかみ締める。それもそのはず、湖岸歩きはこれで終わりかもしれないが、まだこれから大垣まで帰るという2回の道のりが待っているのだ。それに番外編もやりかけのままの疏水歩きや、日本海へ抜ける深坂越えのコースなど、まだまだ琵琶湖が絡む歩き旅は続くのだ。
だからゴールとは言ってもひとつの通過点でしかないという思いが僕をそれほど感激させなかったに違いない。これからもライフワークのひとつとして琵琶湖との付き合いがきっと続いていくのだから。
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その後、東京から駆けつけてくれたSさんと合流し、長浜浪漫麦酒でゴールインをみんなから祝福してもらった。さらに豊公荘で入浴後、大垣に戻ってTさん、 Sさんと飲み直し、結局3次会まで思う存分飲んでしまった。こうやって仲間たちと同じ目的を果たして飲む酒のうまさも、去年の伊勢参宮の旅以来癖になってしまったかもしれない。



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November 21, 2004

第11日 塩津浜〜湖北町 (約17km)

○快適な道のち、過酷な山道に敗退(塩津浜〜飯浦〜山梨子)
今日は湖北地方は冬型の気圧配置の影響で時々雨が降るという予報の中、先週に引き続き辛口温泉評論家Tさんとの二人旅となった。やはり熊出没注意地帯の山中を行くので、単独行が憚られたのは言うまでもない。もちろんデイパックには熊よけの鈴を先週からつけたままだ。
米原で一度乗り換えて近江塩津に9:52着。トンネルのような通路を抜けて外に出ると、雨の予報が嘘のような陽射しがあった。前回の終点であった塩津浜に向け、途中旧街道・塩津海道を抜けていく。塩津海道の古く落ち着いた町並みを見れば、国道経由ではなく、この道を通って正解だったと改めて思うほどだ。塩津浜まで結局50分ほどかかってしまったが、バスが電車と接続していないので使えないのは仕方がない。
biwako041121_01biwako041121_02biwako041121_03biwako041121_04今回の正式な出発点である塩津浜からは干拓地のへりを歩いていく。いつの時代に干拓されたのか、今では琵琶湖の水面よりほんの少し高い田んぼが続き、そのまま湖につながっているような大らかな田園風景が広がっている。
飯浦に向かう道に出ると、名古屋方面のナンバーの車が結構止まっている。やはりバス釣りなのだろうか。沖合いにはボートが浮かび、ボートでのルアーフィッシングを楽しむ人の姿が見える。
biwako041121_05飯浦までの県道は、車も少なく快適な歩きが楽しめる道だ。湖の対岸には、先週歩いた葛籠尾崎からの道が見える。最後に山道から湖畔沿いに下りてきた月出の集落も見渡すことができる。
竹生島は葛籠尾崎の半島とこれから行く道の間に見える。菅浦や今津あたりから見ると二つのピークが見える島だが、飯浦から見れば一つのピークがあるだけのピラミッド型の島に見える。
biwako041121_06biwako041121_07飯浦の手前で急にお腹が痛くなってきた僕は、飯浦港のほとりにある、近江鉄道が経営する奥琵琶湖ドライブインのトイレに駆け込むというハプニングがあったが、それ以外はいたって快適で順調な道のりだった。

biwako041121_08biwako041121_09飯浦からは国道8号線を行き、賤ヶ岳トンネルの手前、「近江山梨子」(やまなし)のバス停のところから湖畔の小さな集落、山梨子に向かう。山梨子を過ぎ、そのまま道なき道を湖岸線のゴツゴツした石の浜を歩いていくと、道標こそないものの途中で山に登っていく道を発見する。僕はここが登り口だと認識し登りだしていくが、200メートルほど進んだところで踏み跡はとても心細くなる。
「しまった!道を間違えた」と思ったときには既に時遅し、戻る道をも失いかけていた。Tさんは登山の経験も少なく、このまま突き進んでなんとか稜線に出ようというのも難しそうだったので、やむなく下へ下へとときどき滑落しては木や草につかまって制動するような形になりながら、なんとかまたゴツゴツした石の浜に戻った。途中、何か動物の糞らしきものをいくつも見かけた。中にはツキノワグマのものかもしれないものもあった。(十数年前に北海道でヒグマの糞を見た経験からしてたぶん間違いないだろう。)そのとき僕の脳裏には「敗退」の2文字が横切ったのは至極当然の結果だったろう。
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湖岸を見れば、船でも通り過ぎていったのか、水位が先ほどよりも高くなっている気がした。ヤマケイのガイドだと、この先に「有漏神社」という神社があるという。そこまで湖岸に沿ってたどり着ければもしかしたら登る道を見つけることができるかもしれないが、この水位を見るとちょっと自信がなくなってきた。Tさんとはここで「勇気ある撤退」を目で確認し合い、湖岸の石の浜を歩いて山梨子に戻った。
やはり前日に調べた「水位=マイナス5cm」ぐらいではこの道はやはり危険ということだ。真夏の渇水期でなければおそらく通り抜けることは難しいのではないか。
biwako041121_12biwako041121_13ということで、今回はサブルートとして考えていた、賤ヶ岳トンネル〜西野水道〜片山トンネルと車道を通っていくルートを通ることに軌道修正した。山道をレイクビューを楽しみながら歩くのは、来年にでも賤ヶ岳に登ってそこから湖の辺の道の正規ルートで湖北町片山まで下るということでリベンジを果たすことにしよう。

○気を取り直し、二つの長いトンネル経由のルートで(山梨子〜湖北町野鳥センター)
biwako041121_14再び国道8号線に戻り、賤ヶ岳トンネルをくぐる。850メートルの長さのこのトンネルは車の通行量もかなり多く、歩道も広くはないので非常に気を遣う。ナトリウム灯のオレンジ色の光に少々不安感を感じながら、約10分かけてトンネルを抜け、国道から逸れて西山集落に入る。すっかり空腹を感じていた僕らはこのあたりで昼食をとろうと思いあたりを見回すと、児童公園とゲートボール用のグラウンドを見つける。
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誰もいないゲートボール場のベンチに腰を下ろしサンドウィッチを食べ、本来なら稜線上で琵琶湖を見下ろしながら飲むつもりだったビールで乾杯をするしばしの大休止だ。
道に戻ると、犬の鳴き声と何か動物が上げる声とがして山の方がざわざわとするのを見る。里山に下りてきた猿を犬が追いかけていた。犬の飼い主の女性が犬に戻ってくるよう声を上げると、利口なその犬は駆け戻ってきた挙句、僕に飛びついてきてびっくりした。どうも猟犬の血が入っているようで、本能がそうさせるのだろう。
西山から小さな峠を越えて次の北布施集落に入る。このあたりはまさに里山風景が広がり歩いていても気分がいい。やがて水田の真ん中を突っ切る未舗装の道に入り、この道はそのまま余呉川の堤防上を行く。余呉川はこの先で西野水道となって琵琶湖に流れ込むので、できればこのまま進んでいきたかったが、道は途中で途切れてしまった。この日二度目の敗退だった。
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橋まで500メートルほど戻り、湖岸道路に続く県道に入ると、急に空が暗くなってきた。
そして先ほどまでよく晴れていたのが嘘のように風が強くなり、冷たい雨が降り出してきた。山道でこの雨に遭わなかっただけでもまだ良かったかもしれないと納得しながら、Tさんはレインスーツを着込み、僕も傘をさして歩いた。
biwako041121_21biwako041121_22biwako041121_23雨は30分ほど降り続いただろうか、その間、ひたすらと言葉もなく歩きつづけた。天気がよければ見ておきたかった西野水道も結局素通りし、片山トンネルを通り抜けると久々に湖岸に出る。先ほど山梨子で湖岸を後にしてからわずか2時間弱しか時間がたっていないにもかかわらず、ずいぶんと遠回りしたような気分だ。トンネルを抜けた途端に雨も止み、雨上がりのアスファルトにきらきらと光がまぶしい。
biwako041121_24biwako041121_25biwako041121_26野田沼、尾上温泉と過ぎ、湖北町野鳥センターの前まで来ると、大きな三脚をかついだ人に出会う。バードウォッチャーだ。もう渡り鳥が琵琶湖にやってくる季節なのだ。そして今回のゴール地点、道の駅「湖北みずどりステーション」に到着したのは15:10。道の駅ながら缶ビールが売っていたのでゴールの乾杯をして、今日で秋の運転最終日となる北びわこ巡回バスに乗り込んだ。
biwako041121_27今日の温泉は新築オープンしたばかりの須賀谷温泉。小ぎれいになりすぎた感があり今ひとつ落ち着かなかったし、お湯も以前に比べると薄くなっていたような気がしてちょっと残念だった。
さあ、いよいよ琵琶湖一周まであと1区間。なんとか年内にこの旅の区切りを迎えることができそうだ。
この先も琵琶湖とはいろいろな形で触れ合っていくに違いないが、まずはあと13kmほどの道だ。その後は家に戻るという旅も待っているし、琵琶湖から派生して大阪湾や日本海に抜けるという歩き旅もしてみたいと思う。
旅が終わりに近づくと、次の旅への思いが生まれてくるのは旅人としてはきっとごく自然なことなのだろう。b

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November 14, 2004

第10日 大浦〜菅浦〜塩津浜 (約22km)

○久しぶりに二人旅(大浦〜菅浦)
湖北地方の奥琵琶湖周辺は、公共交通機関で最も旅のしづらい場所だ。特に湖西線の永原〜近江塩津間は一番のネックとなっていて、朝出発して永原に向かおうとすると、安い経路の長浜経由だと6時台の次は10時台まで列車がない。今回は山道を歩くうえにトータルの距離も20kmほどあるため、やむなく車で大浦まで行って、帰りにはちょうどいい時間にあるバスと電車で車を拾いに行くというタイプの歩き方を余儀なくされた。
そのうえ、今回のコースは熊出没注意地帯を行く。一人歩きは相当勇気がいるものなので、FONSENの仲間で辛口温泉評論でおなじみのTさんを誘ってみた。
大垣駅で朝8時にTさんをピックアップし、国道365号〜広域農道〜再び国道365号〜国道303号〜国道8号〜国道303号経由で大浦園地の駐車スペースに1時間20分ほどで到着、そこから歩き始めることにした。
biwako_041114_01biwako_041114_02biwako_041114_03大浦園地では、突然茶縞の猫がこちらに向かってやってきて、我々の目の前でひっくり返って体をかき始めた。飼い猫にしても妙に人を怖がらない猫だ。カメラを向けても欲望のままに体の毛づくろいを丸まって続けているのにはちょっとびっくりした。
今日のコースの前半、菅浦までは、奥琵琶湖パークウェイをそのままたどる道だ。10kmほどの道は湖岸線に沿っていてアップダウンも少なく、快適に歩くことができる。前回Tさんと歩いたときと同様にいろいろな話で盛り上がりながら歩く。
この近辺は「丸子船の郷」と称され、かつて舟運華やかなりし頃の琵琶湖を行き来した丸子船にちなむモニュメントや、実際に使われていた丸子船が道端で屋根をかけられて保存されていたり、湖上交通で栄えた頃を思い起こさせるところだ。
biwako_041114_04biwako_041114_05biwako_041114_06実際、菅浦の集落は、この奥琵琶湖パークウェイが開通する昭和40年ごろまでは、船でしか行き来することのできない集落だったという。
フィヨルドのように入り組んだ湖岸に沿って道は行く。その分距離もどんどん稼いでいく。竹生島がどんどん近づいてきて、振り返ると今通ってきた道のある半島が続いている。
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約10km の道を2時間半かけて菅浦集落へ入る。その入り口には門扉のようにとても立派なイチョウの木が黄色に染まっている。この地に天平の時代に幽閉されたとのいわれのある淳仁天皇を祀った須賀神社の入り口にも当たる。今回はこの先の山道に備えて、須賀神社は参拝せずに先を急ぐ。
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biwako_041114_14biwako_041114_15biwako_041114_16菅浦の集落の中心部の湖岸沿いを行くと、道端に腰をかけたおじいさんから声をかけられ、もぎたてのみかんをいただく。かつてこの地で民宿を営みながら、柑橘類の栽培に勤しんできたという85歳のおじいさんは、今は民宿をたたみ、細々とみかんを作っておられるそうだ。
みかん栽培という生きがいを持っておられるだけあって、非常にしっかりとしたお元気なお年寄りであった。我々が歩いて大浦から塩津浜まで行くと話すと、お土産にその場でまだ緑色のはっさくをもいでくれた。熟して甘みが出てくるまでは食べられないが、子供たちへのいいお土産になった。

○アップダウンの激しい山道とパークウェイを行く(菅浦〜つづら尾崎展望台〜塩津浜)
おじいさんに別れを告げ、我々は葛籠尾崎の先端に向けて歩いていく。ただし岬の突端にはたどりつく道がないので、もしそこまで行くならば水位の低い時期にしか行けないようだ。
ということで我々は湖の辺の道が整備されている休憩所まで行き、引き返してくることになる。ところどころにみかんが実り、竹生島を見渡す波打ち際を行く。
biwako_041114_17biwako_041114_18このあたりの湖底は、縄文時代からの遺跡になっているというが、さすがに僕らはそのことを知る由もない。
休憩所で引き返し、葛籠尾崎に落ち込む稜線を登ってレストラン樹木園に向かう道は非常に厳しい登りが15分ほど続いた。我々は無口になり、熊よけの鈴の音が鳴り響くだけだ。
biwako_041114_19biwako_041114_20biwako_041114_21意外と立派な建物のレストラン樹木園を横目に、パークウェイをほんの少し進むと、つづら尾崎の展望台に到着した。ここからは伊吹山も眺められる素晴らしい景色が広がる。そんな景色を見ながら、行きがけの道端のコンビニで仕入れてきたビールで乾杯し、簡単な昼食をとる。
ここにはうどんなどを食べることができるスタンドもあったので、別にコンビニでおにぎりを買ってくる必要はなかったのだが・・・
ここからしばらくはパークウェイを歩いていく。湖の辺の道の歩道と合流するところがこの先何ヶ所かあるので、そこで車道を離れればいいのだ。
パークウェイからの眺めは主に東側の湖岸とその対岸が美しく眺められるが、ところどころリアス式海岸やフィヨルドを思わせる風景が広がっている。この道は冬季通行止めとなるようだが、雪が積もったときの姿を思うとまるで北欧のような風景だ。
紅葉はもう終わりかけているようだが、それでも湖の青、常緑樹の緑とのコントラストが印象的だ。
やがて、自然歩道と最初の合流点を迎えるが、その周辺のアップダウンの激しさに、腰痛持ちのTさんに配慮してそのままパークウェイを進むことにした。そして次の合流点から湖の辺の道の自然歩道に入っていった。
自然歩道は急登と急降下を繰り返し、結構体力が要ったが、排気ガスや狭い車道で車を気にして歩くよりははるかに気持ちよく汗をかくことができる。
biwako_041114_22biwako_041114_23biwako_041114_24biwako_041114_25月出峠の展望台で再度パークウェイと離合し、今度は眼下の月出集落に向けて一気に山道を下っていく。膝に結構負担のかかる急坂を10分ほど下ると月出の集落へ到達した。湖へとつながる家並みのスカイラインが印象に残る。釣竿を抱えた子供たちが猫と遊びながら佇む風景は、遠い昔の日の僕らを見ているかのような懐かしさがあった。
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ここから塩津浜までは湖岸沿いの道を歩いて30分弱、途中どこから現れたのか、我々と同じように歩く旅をしているのか大きなバックパックを背負った若いカップルを追い抜く。彼らはこれからどこまで行くのだろう。
biwako_041114_30biwako_041114_31塩津浜バス停着15:00。バス停の先に、水の駅の農産物販売所があった。
そこで安いキャベツを買ったり湖魚の佃煮を試食したりして時間をつぶしていると、北びわ湖巡回バスという1日300円で乗り放題のイベントバスがやってきた。このバスで今まで歩いてきた道を戻って、大浦に置いた車まで戻ることにした。
車内でもらったパンフレットによると、次回のコースにも便利な路線があるという。それも11/21までの土日のみ運行ということなので、次回の日程を 11/21(日)にすることに決定した。中一週間でまたアップダウンの激しい山道を行くのも少々厳しいものがありそうだが、学生時代、毎週のように山に登っていた頃を思えばそれよりははるかに楽だと思う。
温泉は今日もマキノ白谷温泉へ。前回に比べたらなぜか消毒臭が気になったが、歩き疲れた筋肉をしっかりほぐして帰り道の運転も楽勝だった。
さあ、あと2回でついに琵琶湖一周達成だ。しかし、次回は最難関の道なき道を行く。水位が高いと歩けない道なので、代替ルートも考えておかなければならない。本来の湖の辺の道は、賤ヶ岳に登って稜線をたどる道だそうだが、そこまで登るとなると倍の体力が必要になってくる。
何はともあれ、1週間後が楽しみだ。

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October 24, 2004

第9日 近江今津〜マキノ〜大浦 (約21km)

○勢いで寝不足のまま出発(近江今津〜マキノ)
前夜の仕事で大失態を演じ、思いっきり落ち込んだ状態で昨夜は少ししか眠れなかった。それでもなんとか年内に長浜に着くためには、少しでも歩いておきたい。それに落ち込んだ心も歩くことで少しは解放してやることができるだろう。そう思って寝不足のまま家を出た。
そんなわけでこの日の歩き旅はあまり印象に残っていないところが多い。それだけぼんやり歩いていたというわけだ
biwako_041024_01biwako_041024_02自宅を9時前に出て、米原で近江今津行きに乗り換え、終点まで。ぼんやりしながらも寝ることはできず、眠い目をこすりながら曇り空の湖北路を行く。今津に着いた11時には雲はだいぶ高くなり、太陽が結構照っていた。
前回立ち寄った琵琶湖周航の歌資料館の向かいには、おばあさんが一人で切り盛りする餅屋「きねや」がある。ここの大福は昼ごろには売り切れてしまうほどの人気だというので、子どもたちへのお土産も兼ねて5個買ってディパックにしまう。今津は小さな町だが、和菓子屋も何軒か通りかかったし、湖魚の佃煮を作る店もあった。落ち着いた町並みはとてもいい雰囲気で、目を覚ますにはちょうどよかった。
biwako_041024_03biwako_041024_04サンブリッジホテルというリゾートホテルのあたりが、湖の辺の道の「今津周遊基地」という広場になっていた。駐車場には車が並んでいて、バス釣りやバーベキューを楽しむ人たちの姿が目立つのは琵琶湖のほかの場所とまったく同じだ。
道端にはセイタカアワダチソウの黄色い花が鮮やかだ。もともと日本にはなかったはずの帰化植物だがその繁殖力の旺盛さには、自宅や畑でも悩まされる。しかしその花の鮮やかさは目にとても眩しい。
石田川にかかる浜分橋を渡り松並木の美しい今津浜の水泳場を通ると、竹生島がずいぶん近くに見える。
biwako_041024_05biwako_041024_06竹生島は対岸の湖北町に属すが、今津港やマキノ、海津大崎など西岸の桟橋からも20分ほどで到着する近さだ。
biwako_041024_07biwako_041024_08biwako_041024_09biwako_041024_10湖とは反対側には浜分沼という内湖が広がり、何を釣っているのか、釣り糸を垂れる人たちの姿が見える。そのすぐ先には貫川内湖が広がる。僕は湖岸側の歩道を歩いていたので貫川内湖は遠くから望むだけだったが、こちらも散策する人や釣り糸を垂れる人の姿が見受けられる。
ちょうどこのあたりで、20人ほどの中高年のウォーキングの団体を追い抜いた。反時計回りに回っている歩きの旅人とすれ違ったことは今までもあったが、これだけ大人数の団体を同じ方向に追い抜いたのは、近江八幡の休暇村から長命寺にかけて以来だ。
ウォーキングは手軽でかつそれなりに有意義な有酸素運動なのは確かだが、大勢で歩くのは僕はどうもなじめない。一人で歩き、自分の五感をフルに生かしていろいろなものを感じ、自分自身と対話する、そんなスタイルが僕の歩き旅なのだ。仲間と歩いてもせいぜい3,4人が限界か。その日の体調や精神状態によっては少人数なら誰かと連れ合って歩くのも楽しいが、今日は一人でないと歩きたくない、そんな気分なのだ。
biwako_041024_11biwako_041024_12マキノ町に入ってもまだ松林が続く。このあたりは「日本の白砂青松百選」に「湖西の松林」の名で選ばれている景勝地でもある。松林の向こうの湖岸にはバス釣り人、それも女性の姿が目立つ。アウトドア好きの彼氏や男友達に連れられて始めたバス釣りに意外とはまる女性が多いというが、これほどまで女性の方が目立つ釣りのスタイルも珍しい気がする。僕の好んだ渓流のフライフィッシングなどはほとんど山登りの世界ということもあって、彼女や妻には内緒の男の趣味という感じがあるのだが・・・同じスポーツフィッシングと呼ばれる分野でこうも違うのも面白い。
biwako_041024_13知内川を白鷺橋という歩行者専用の橋で渡るとマキノ・サニービーチという湖西地方ではもっとも開放的な水泳場に入る。知内浜、高木浜と続く遠浅の砂浜は、シーズンオフは水鳥たちの楽園になっていた。サギが魚を捕まえる姿を何度も見たほどだ。
この一角はオートキャンプ場にもなっている。また、道路沿いには会社の福利厚生施設が並んでいたり、別荘があったりと、一大リゾート地帯となっている。夏はさぞかしにぎわうことだろうが、この時期はもうほとんど誰もいない。たまに散策をする人に出会うぐらいだ。
biwako_041024_14サニービーチのシンボルとして「湖のテラス」という建物があった。これは展望台になっているようだが、僕はそうだとは気づかず、単なるモニュメントだと思って写真を撮っただけで通りすぎた。ここから浜と反対側に5分ほど歩けばマキノ駅だ。


○フィヨルドのような湖岸線に差し掛かる(マキノ〜海津大崎〜近江大浦)
高木浜から湖岸沿いを海津浜へ歩く。海津浜には風と波から海津の町並みを守るための立派な「海津の石積み」が残されている。この海津も今津と同様に湖上交通の要衝として栄えた町だということを示す遺構のひとつだ。biwako_041024_15biwako_041024_16

その海津の町は、やはり歴史を感じさせる建物の立ち並ぶいい雰囲気の町並みだ。鮒寿しの店や造り酒屋(吉田酒造)はかなり雰囲気のある建物だ。造り酒屋は日曜ながら店を開けていたのでいつもの調子でふらりと入ってしまった。
biwako_041024_18biwako_041024_17残念ながら蔵の見学や試飲はできないが、いい雰囲気の店先でお酒を買うことができる。「竹生嶋」という、この地からも綺麗に望むことができる湖上の島の名をとった銘柄で、僕は本醸造の1合瓶と、純米吟醸生酒の300ml瓶を買った。
本当は時期的にひやおろしを買って帰るのがよいのだが、まだこの先10kmほどの道を残しては4合瓶で荷物を重くするのが躊躇われてしまったのだ。
僕の後からも次から次へとこの酒屋を訪れる人が絶えず、海津は観光地だということを改めて認識する。
biwako_041024_19海津の町を抜けると、道は2車線とるのがやっとの狭い車道と、すぐ横を通る湖の辺の道が湖岸に沿って走る。「ようこそ海津大崎へ」の看板に、桜の名所、海津大崎まで間もなく辿り着くことを認識する。思えば桜の時期、長浜港に止まっていた船の行き先は海津大崎行きだった。
biwako_041024_20湖北の桜の名所2ヶ所を直接結ぶ航路の贅沢さを思うとずいぶん遠くのような気がするが、実はもう終点の長浜までは今まで歩いてきた距離を思えばそう遠くはない。あと3回の歩き旅で長浜に戻ることができるのだ。
海津大崎の桜は、昭和初期に湖岸道路の開通を記念して植樹されたものだそうで、現在では4km近くにわたって桜並木が続いている。僕は気分に応じてあるときは車道の路側帯を歩き、あるときは波打ち際に近い湖の辺の道を歩いていく。
biwako_041024_21biwako_041024_22biwako_041024_23biwako_041024_24
大崎の手前には「義経隠れ岩」という大きな岩があった。大津から北陸へ都落ちする際に義経とその家来たちがここに隠れたという。義経伝説はこんなところにも残っていたとは、あまり真面目に日本史を勉強しなかった僕にはちょっとした驚きでもある。
biwako_041024_25biwako_041024_26そのまま歩くと海津大崎の船着場があった。さすがにこの時期は誰の姿もそこにはなく、小さな桟橋だけが佇んでいた。ここから僕は大崎寺の境内に入る。大崎寺は元は奈良の興福寺の末寺だった古刹で、鎌倉時代以降は真言宗の寺になったという、近江西国十九番札所の名刹だ。朱色の本堂には立派な観音像があり、その近辺から見下ろす青い琵琶湖の穏やかさとのコントラストが印象的だ。
biwako_041024_27biwako_041024_28境内から再び車道に下り、トンネルを3つくぐると、西浅井町に入る。ちょうどこの町境あたり、二本松水泳場のあたりでもう一組の20人ほどの歩き旅集団を一気に抜き去った。同じ日に同じ方向に向かって2組の団体が至近距離で歩いていたとは、今までほとんどこのような追い抜きがなかっただけにちょっとびっくりした。
biwako_041024_29だいぶ雲が増えてきて、陰になりがちなこの入り組んだ湖岸線はかなり暗く感じた。サングラスのせいで余計にそう感じたのかもしれないが。この光の少なさは、なぜか北欧のフィヨルドと僕の中でリンクしてしまう。地図で見ると海津から海津大崎、大浦、菅浦、塩津浜と結ぶ湖岸の入り組み方はまるでフィヨルドのようなのは間違いない。JR湖西線は直線的に内湾の最奥の町を結ぶため、マキノから近江塩津まではほんの7,8分で通り抜けてしまうのだが、湖岸に忠実に歩くと僕の歩き旅では2日分弱の距離になってしまう。
biwako_041024_30大浦の集落へは15時ごろ到着した。ここでちょうどデジカメが電池切れとなってしまったが、あとは湖岸を離れてJR永原駅まで歩くのみなので割り切ることができた。途中、美智子皇后への腹帯を献上したことでも知られる腹帯観音堂があったり、丸子船の館という資料館があったりしたが、残念ながらこれらの写真はない。
JR永原駅着15:20。16:09発の電車まで時間があったが、ログハウスの駅舎の中で木の香りを感じながら待った。その後はマキノまで戻り、バスに乗ってメタセコイヤの林を眺めながらマキノ高原へ登り、マキノ白谷温泉で汗を流した。かつてNHKの「ふだん着の温泉」にも紹介された知る人ぞ知るラジウム泉の名湯で、結構な混雑だった。ラジウム泉といえばあまり浴感がなく白湯に入っているのと同じ感触であることが多いが、ここは珍しく浴感を感じることができてとても気持ちよかった。
おかげでマキノ駅に下りてもぽかぽかと暖かく、汗も出るほどだったので、「湖のテラス」のベンチに寝転がって、星を眺めたり波の音を感じたりしながら帰りの電車の待ち時間を過ごしてしまったほどだった。

nanook0707 at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅 

October 03, 2004

第8日 近江高島〜新旭〜近江今津 (約17km)

○古い町並みを抜けて風車村へ(高島町内〜近江白浜〜新旭風車村)
前夜、仕事のトラブル問い合わせ電話が入り、寝る時間が遅くなってしまった。それでもやはり月に2回ペースで琵琶湖を歩きたいという気持ちが強く、なんとか自宅を7時15分に出て、東海道線(琵琶湖線)、湖西線を乗り継いで近江高島に着いたのが9時52分。前回の8時半歩行開始に比べると1時間半も遅いスタートとなってしまったが、幸い今日は曇り空、風が強く気温もあまり上がらないという予報だ。
半袖のTシャツ1枚で歩くにはちょっと肌寒いが、下手に長袖を着ると大汗をかきそうな微妙な気温。一日こんな温度のようだ。
biwako041003_01biwako041003_02biwako041003_03biwako041003_04前回のラストで高島の古い町並みに繰り出したものの一枚も写真を撮っておらず、まずは町並みとアイルランドにちなんだ建物などを見て歩くところから始めることにした。古い建物をそのまま観光案内施設やカフェ、工房などとして使っている「びれっじ」は1号館から4号館まである。びれっじ1号館のすぐ先が前回お疲れ様のビールとカップ酒を買った酒屋でこれもまたいい佇まいの古い建物だ。そして今日初めて知ったのが、この酒屋の隣が「萩の露」醸造元の造り酒屋、福井弥平商店だった。これは、「このあたりの地酒をください」と言って出てくるのが「萩の露」なのは至極当然だと納得した。
1本西側の路地に入り、水路が道の真ん中を流れる古い町並みへ。ここにも「鮒寿司」の看板を掲げた古い店があった。琵琶湖名物の鮒寿司。寿司とはいいながらも、米麹をまぶして酢で鮒をしめた昔からの保存食だ。この歩き旅の間にぜひ一度食べたい発酵食品、いわばスローフードだが、値段が高くて今のところまだ手が出ていないのが残念だ。
biwako041003_05biwako041003_06町役場のところにもガリバーの図案があったり、この町はアイルランドとの交流とガリバーをテーマにした洋風の部分と、古くからの近江らしい町並みとが共存したとても興味深い町だ。小さな町なのであっという間に回りきれてしまうが。生涯学習センターはアイリッシュ・パークという名前で、アイルランド風の建物だ。ここのホールもガリバーホールという名前だ。
高島町とアイルランドの交流は、町の郊外の山間にガリバー旅行記をモチーフにした「ガリバー青少年旅行村」ができてからのことだという。まだほんの十数年のことだというが、すっかりガリバーは町のシンボルとなっている。
biwako041003_07町のはずれから湖岸に抜ける道を行くと、「四高桜の碑」があった。大津のなぎさ公園にも四高桜があったが、ここが旧制四高(現、金沢大学)の漕艇部の遭難事故の現場に近い浜だったのだ。昭和15年(1940年)4月、旧制四高のボート部員11名が琵琶湖の縦断を試み、大津市から今津町まで漕ぎ、2泊した後、大津へ帰る途中に比良八荒の季節風にあい、萩の浜の沖1.5kmの地点で波涛のために湖底に沈んだのがその遭難事故だった。
その遭難死を悼んで、四高の関係者と地元の人が協力して湖岸に1,000本の桜の苗木を植え、この萩の浜の地に「四高桜」の碑を建立したそうだ。琵琶湖に挑んだアスリートの先輩たちの冥福を、僕もこの碑に手を合わせて祈ることにした。
biwako041003_08biwako041003_09萩の浜も水泳場とキャンプ場になっている美しい松原の浜で、「日本の渚百選」にも選ばれているという。浜への入り口にはキャンプ場の利用料金が書いてあったが、さすがに京都大阪近郊ということもあって結構いい値段がしていた。一人で車で来て泊まるなら、ビジネスホテルのほうが安く済みそうな値段だ。
しばらく萩の浜を歩き、ゴルフの練習に励む人を見ながら、安曇川町に入って近江白浜にさしかかるところで僕は浜から道路に戻った。そこには一軒宿の「宝船温泉旅館ことぶき」がある。まだ2kmほどしか歩いていないにもかかわらず、半袖ではちょっと肌寒い日だ。
いい湯だという評判もあるので早々と温泉で大休止と相成った。
biwako041003_10宝船温泉は泉質はヒドロ炭酸鉄泉の冷鉱泉で、シンプルな浴槽が一つあるだけの内湯と露天風呂がそれぞれ男女別に設けてあった。特に良かったのは内湯で、加熱・保温のために循環しているがその循環されたお湯の出口からは炭酸が思い切り噴き出していて肌に当たると本当に気持ちよかった。おかげでよく温まり、それまで寒さにちょっとぎこちなかった体の動きは俄然よくなった。
biwako041003_11biwako041003_12biwako041003_13鴨川を渡り、しばらく行くと松ノ木内湖に差し掛かる。コスモスの花盛りを迎えた内湖の風景はとても静かなものだった。
湖西最大の河川、安曇川の南流を渡ると、東側に琵琶湖こどもの国の建物が見えてくる。ここは宿泊やキャンプ、各種体験学習のできる県の施設で、小学生ぐらいの子供たちには楽しい場所だ。先を急ぐ僕はここは素通りだ。
biwako041003_14biwako041003_15biwako041003_16安曇川の北流を渡ると新旭町に入る。
ここから内陸へ2kmほど行ったところに、僕の好きな日本酒「不老泉」を醸造する蔵、上原酒造があるが、せっかく訪ねても今日は日曜日、蔵を外から見るのがやっとであろうからそのまま分岐の交差点を通り過ぎる。
今日はなかなか快調なペースで進み、宝船温泉での大休止を差し引けば時速5kmほどのスピードで歩いている。気温は20度にも満たず、これだけハイペースで歩いても半袖姿ではほとんど汗をかくこともない。歩くことにひたすら集中し、見た風景が心に響けばデジカメのシャッターを押す、そんな感じでどんどんと進んでいく。あまり余計なことを考えないで済んでもいるので、頭の中をリセットするにはとてもいい感じの歩き旅になった気がする。
biwako041003_17biwako041003_18biwako041003_19biwako041003_20歩きながらおにぎりを食べて腹ごしらえをし、途中小休止を取ることもなく順調に進むと、12時半に新旭風車村に到着した。オランダ風の風車が3基、ほとんど回転はしていなかったが、実際に風力発電を行っているそうだ。風車のまわりは内湖をうまく利用して公園として整備されており、道の駅になっていることもあって、常に周囲に人の姿があり、特に小さな子供を連れた家族連れが目立つ。
鴨や水鳥にえさをやることができたり、ソルト・アンド・ペッパー・シェイカー・ミュージアムという塩や胡椒の容器の博物館があったり、なかなか興味深い施設だ。時間に余裕があればここで今日二度目の大休止をしてもよかったが、体が疲れを覚えないうちに先に進もうと思う。

○竹生島を眺めながら今津の町へ(新旭〜近江今津駅)
あと1時間半で今津まで歩ければ、当初考えていたのより1本早い新快速に乗れることもあって、ここからの残り7kmはハイペースを貫くことにした。しかし、途中には木道を歩ける湿地帯や気持ちのいい遊歩道などもあるので、そのまま舗道を歩くよりはちょっと時間がかかるかもしれない。
biwako041003_21biwako041003_22風車村を出て間もなく、瀬田川の治水に親子3代で尽力した、藤本太郎兵衛の銅像が湖を背にして立っていた。太郎兵衛はこの地・深溝村の庄屋として、唯一の琵琶湖からの排水路である瀬田川を浚渫し、琵琶湖の水害を少しでも少なくしようと努力したが、実現までは結局3代50年の年月を必要としたという。昔も今も地方の切迫した状況を中央の許認可制度のおかげで無視され続けるというのはどうも変わりがない、日本の悪しき伝統かもしれない。
だからこそ地方分権が必要なのだが、工事のための工事などやめて本当に有益な公共事業だけをやってもらいたいものだ・・・などと常々思っていることが、太郎兵衛の像の説明書きを読んで頭に浮かんできたりした。
biwako041003_23外が浜といわれるこのあたりの浜は、ところどころ湿地帯を木道で通り抜けることができる。湖のほとりの鬱蒼とした森の中を、小鳥のさえずりを聞きながら歩くのは本当に気持ちがいい。さらに行くと湖底から土器などとともに古墳時代の琴などが出土したという森浜遺跡があった。今は琵琶湖に流れ込む小さな川の河口にある小さな舟溜まりの底が遺跡になっているとはちょっと意外であるが、もしかしたら川を流れてきたりして琵琶湖に流れ込んだものが湖底に沈んだものなのかもしれない。
biwako041003_24biwako041003_26biwako041003_27そこから10分ほどで水鳥観察センターがあったが、渡り鳥の飛来する冬場だけオープンする施設のようだ。そのすぐ先には木津(こうつ)港の常夜灯や桟橋跡があった。今はここが港だったという面影は常夜灯の姿ぐらいにしか見出すことはできないが、若狭からの米をここから積み出したり、西国三十番札所である竹生島宝巌寺への渡船が出た港だったのだろう。すぐ近くには竹生島の遥拝所の跡も残されている。船で渡れない人のためにここから島を拝み、参拝の代わりにしたのだろう。なるほど竹生島がすぐ近くによく見える。biwako041003_28biwako041003_29

biwako041003_30そのすぐ近くには「二ツ石」と呼ばれる、渇水のときにしか現われないという岩の代わりに、二つの石を並べてご神体にした二ツ石大明神が祀られている。雨乞いの神様として崇められたそうだ。
風車村を出て1時間15分、今津町に入った。今津港まであと1km、余裕で1本前の新快速に間に合いそうだ。
biwako041003_32今津港からは今は竹生島行きの高速船が出ている、巡礼の港となっている。今津の町の中心部へはまだここから2km程度先になる。今津浜のサンブリッジホテルが、結構遠くから見てもランドマークになっていて、最初僕はあのホテルまで歩かなければ今津駅にたどり着けないと誤解していて、かなりペースを上げたものだったが、実際には近江今津駅は町のはずれ、港の近くということだった。
biwako041003_33biwako041003_34biwako041003_35
港から駅に向かう途中に「琵琶湖周航の歌資料館」が町の観光協会の建物と一緒にあったので、ちょっと覗いてみる。「琵琶湖周航の歌」はもとは大正時代の歌で、僕が子供だった頃に加藤登紀子が歌って再認識された歌だという。「われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと・・・」で始まるこの歌はよく父が風呂で歌っていたのを思い出す。そして今、自分が一人琵琶湖を旅する中で、ボートと徒歩という手段は異なれど、とても心に響く歌詞だとしみじみ思う。
近江今津駅前に14時に到着、14時13分発の新快速に乗る前に、駅前のコンビニでお疲れ様のビールと「不老泉」の特別純米酒の4合瓶を買う。本当はカップ酒でも車内で飲んで行きたかったが、残念ながら飲みきりサイズはカップではなく300ml瓶しかなかったので諦めた。
この日は鉄道の日記念で毎年10月前半にJR西日本が出している「西日本乗り放題きっぷ」を使ったので、このまままっすぐ帰るのではなく、神戸・灘の温泉銭湯へ大きく寄り道して帰ることにした。久しぶりの灘の重曹泉は肌にやさしくとても気持ちがよかった。車内で2本飲み干したビールの酔いもすっかり醒め、筋肉痛も気配のうちに摘み取ることができた。

nanook0707 at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅 

September 20, 2004

第7日 堅田〜志賀〜近江高島 (約30km)

○彼岸花を眺めながら、小野の里へ(堅田〜小野〜和邇)
「暑さ寒さも彼岸まで」とは今年の場合はどうも当てはまらなさそうな陽気の中、2週間ぶりの歩き旅だ。
biwako040920_01朝6時半に電車に乗り、堅田に着いて歩き出したのが8時半、いよいよ2時間もかかる距離までやってきてしまい、遠くに来たものだと改めて思う。
2週間前にも目にした湖族の像ともう一度向き合い、まずは前回通った堅田内湖をもう一度渡る。何を釣っているのだろうか、何人かの初老の男性が竿を湖にたれている。見回すとコスモスとひまわりが同時に咲き誇っていて、今が季節の変わり目なのだと感じるもののやはり今日も暑くなりそうだ。
biwako040920_02biwako040920_03biwako040920_04
琵琶湖を手前に道が突き当たり、右へ曲がってもう一度浮御堂に行ってみようかとも思うものの、今日は出来る限り遠くへ歩こうという気持ちが急ぎ、前回と重ならないコースをたどって出島灯台へ行く。
この出島灯台は、琵琶湖の最狭部である今堅田の岬の先端に位置し、他にあまり類を見ない木造の灯台だ。現在は琵琶湖大橋がかかるこの地は、昔から交通の要衝だった。ここの水先案内などをしていたのが堅田湖族だ。この灯台が建てられたのは明治になってからだということだが(現存の灯台は1961年の第二室戸台風で倒壊したものを1973年に再建)、なんとも風情のある灯台だ。
biwako040920_05biwako040920_06町外れの神社には真っ赤な彼岸花が咲き誇っていた。花の咲いていない季節にはそこにあるのかどうかすら気づかないような草が、ここぞとばかりに存在をその真っ赤な花でアピールする、そんな季節だ。
今はもう営業していないびわ湖タワーの観覧車を間近に見つつ進み、琵琶湖大橋をくぐりぬけると、道の駅「びわ湖大橋米プラザ」に着く。まだ真新しい道の駅は、ちょうど琵琶湖大橋から直接入ってこれるようになっていた。
biwako040920_07biwako040920_08僕はここでトイレに寄ろうと中に入っていこうとすると、僕と同じように人力移動で琵琶湖一周を楽しんでいるサイクリストのグループがやってきた。10人ほどの団体のうち、女性が大半を占めていた。
それもマウンテンバイクが多く、乗っている女性も自転車で旅をする強者というよりもごく普通のOL風の若い女性ばかりだったのが妙に印象的だ。
自転車で回る道だとだいたい一周193km、ロードバイクの練習には早朝から夕方まで丸一日かけて走る人も多いが、彼女たちは僕の歩き旅と同様に何度かに分けて琵琶湖を回るのだろうか。仲間たちとの会話に夢中になる彼女たちにはさすがに声をかけられなかったので、どういう旅をしているのかは想像の領域を出ることはなかった。
biwako040920_09biwako040920_10湖岸沿いを歩き、国道161号に合流すると程なくJR小野駅の下に着いた。この付近は、遣隋使で知られる小野妹子や、万葉の歌人・小野小町や平安時代の書家・小野道風らを生んだ小野一族の本拠地だ。歴史や古典の教科書でしか知らない人物だが、琵琶湖を見下ろす地に根付いた豪族としては僕の興味をひかないはずはなく、これから先の道中の長さも考えずに寄り道しようと思うのは当然だった。
biwako040920_11biwako040920_12まずは新興住宅街の広がる坂道を登り、小野妹子の墓と言われる唐臼山古墳に登ってみた。鬱蒼と木々の生い茂る古墳からはさすがに琵琶湖の展望はなかったし、その間誰にも出会うことはなかった。次に小野道風神社へ。ここは平安時代、「三蹟」と言われるほどの書の達人だった道風にふさわしい切妻造りの立派な本殿があった。
biwako040920_13biwako040920_14biwako040920_15そして小野妹子が先祖を祀って創建したといわれる小野神社へ。祭神に祀られている米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)は、我が国で初めて餅つきをした人物と伝えられ、菓子づくりの神様として崇められているだけあって、小さいながらも神社付属の田んぼがあったのが印象的だった。
琵琶湖のほとりからはちょっと離れてしまったが、元の小野駅には戻らずそのまま次の和邇駅へ出て、ここから再び湖畔の旅に戻った。

○こんな暑い日に水泳場を通り抜けながら(和邇〜志賀〜近江舞子)
biwako040920_16biwako040920_17和邇からはずっと湖畔をゆく。和邇の中浜には明治の水害のときに築かれた石垣があり、普段は穏やかな琵琶湖も増水したときにはここまで水が上がってくるのかとびっくりさせられる。
そろそろ11時、朝が早かった分空腹感を覚え始める。とりあえず161号線沿いのコンビニに入りおにぎりを買い、どこか景色のいいところで食べようと思って歩くと、すぐに「讃岐うどん1杯200円から」の看板を揚げた店が現われた。麺類好きの僕は思わずおにぎりをほっぽってこの店に入ってしまった。
biwako040920_18本場讃岐そのままの形式で先におかずや天ぷら、おにぎりなどをとってから注文する形式の店だった。僕はぶっかけきつねをオーダーし、温泉玉子とげそ天をとって締めて550円ほどという値段になった。この手のセルフ形式の店はいろいろなサイドオーダーを取ってしまって、結局高くつくことがある。さすがに歩き旅の空腹にはかけうどん1杯というわけにはいかないのだが。とはいえ麺もつゆもなかなかの味で満足だった。
biwako040920_19biwako040920_20biwako040920_21JR蓬莱駅の手前からほうらい浜の水泳場に出て、湖岸の小道を歩く。シーズン中はかなりの賑わいになるのだろうが、さすがにこの時期は湖畔のレストハウスなどはもう店を閉めていて、せいぜいデイキャンプを楽しむ人たちや、ごくたまに甲羅干しをする人がいるぐらいだ。この暑さでは店を開けても結構儲かるだろうが、さすがに9月ともなると水温も下がるのか、水泳場はどこも閉鎖の扱いとなっていた。

biwako040920_22biwako040920_23八屋戸浜を過ぎ、JR志賀駅の横を通り抜け、松の浦、青柳浜と続く水泳場を見ながら進む。まだ結構水着姿の若者や子供たちの姿がある。僕も思わず歩くのをやめて琵琶湖に飛び込みたくなる気持ちを抑えながらの旅となる。
近江舞子の浜を前にどうした気まぐれか湖岸の道から近江舞子駅に直接向かう道に入ってしまった。まったく手付かずの湿地帯は青々とした草木が生い茂り、これはこれでなかなか見ものだったが。
近江舞子駅に着いたのは13時ちょっと前。ちょうど京都からの電車が着いたときで、着物姿の芸者さんたちが何人も降りてきたのにはびっくりした。彼女たちはタクシーに乗ってどこかへすぐに去って行ってしまった。

○神や仏の幻想的な風景からガリバーの里へ(近江舞子〜北小松〜近江高島)
近江舞子や北小松の水泳場には水遊びをする人が結構出ていた。バナナボートに乗って歓声を上げる人たちやビキニ姿でバーベキューを楽しむ女の子たち、みんなまだ終わらない夏を楽しんでいるようだ。
そんな中酔狂にも歩いている僕はいったい彼女たちの目にはどんな風に映るのだろう?
そんな疑問は人はなぜ旅をするのかという旅人の永遠の命題に帰結してしまうのかもしれない。
どうやら暑さの所為で思考回路がおかしくなってきたようなので、あわててスポーツドリンクをたっぷりと飲んだ。
湖西線の駅はこの北小松から次の近江高島までは7kmほどある。電車は高架橋とトンネルで最短距離を走っているので、実際に道路をたどると8kmぐらいあるのだろう。時計を見ると13時半、僕が乗ろうとしている近江塩津経由の長浜行きの電車まであと2時間ある。いつものペースを維持すれば間違いなく近江高島まで歩いても間に合う距離だ。
しかし、今日はここまでに既に24kmほど歩き、万歩計も4万歩近くを指していた。
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水泳場のベンチにでも腰をかけ、波や遊ぶ人々や鳥たちを見ているだけでたぶん2時間ぐらいすぐに経ってしまいそうだが、ウォーカーズ・ハイともいうべき脳内麻薬がたっぷり出ている状況ではやはりあと8km歩きたいという気持ちが勝ってしまった。この旅の間はできるだけ時間に追われることを避けてきたが、ここはいい気分のうちに一度挑戦してみるのもいいかと思った。この賭けに負けたならば、歩いた後の長浜太閤温泉入浴がなくなって、自宅近くの銭湯になるだけなのだから。
biwako040920_26biwako040920_27北小松の水泳場を抜け、再び国道161号線に戻る。この先の区間は道が狭いうえに交通量も多いので、歩道のある山側を通らなければいけない。おかげで湖畔に沿って走る道ながら、湖面は行きかう車の合間にしか眺めることができない。そのうえかなり気合の入った歩き方になってきているので景色はよほどインパクトのあるものでなければ目に入らなくなっていた。たとえば今はなき「新党さきがけ」の看板とか、由美かおるの「アース渦巻」の看板とか、そういったものにばかり反応し、道端の名もなき草花には目もくれなくなってしまっていた。
これは相当疲れているかもしれない。そう思ってももうあとの祭り、引き返すに引き返せないところにやってきてしまったのだ。
志賀町から高島町に入ると、町営バスのバス停があった。時刻表を見ると僕が乗ろうとしている電車に間に合うように1本バスが通ることになっていた。これは大きな安心感を僕にもたらした。いざとなったらバスに追いつかれそうなところで今日の旅を中断してもいいのだ。そう思うと足取りは少し軽くなっていく。
biwako040920_28biwako040920_30biwako040920_31やがて湖上に浮かぶ鳥居が印象的な白髭神社にさしかかる。鳥居を見渡す反対側の路側帯には、どんなシャッターチャンスを待っているのか三脚を立てた初老のカメラマンがいた。ただ、往来の激しい道路を挟んでいるので、残念ながら話しをすることはできなかった。

biwako040920_32biwako040920_33biwako040920_34
さらに進んで国道から小道に登っていくと鵜川四十八体石仏があった。この石仏群は、高島の大溝城主が亡母の供養のために弥陀四十八体にちなんで造ったと伝えられているそうだ。背後がお墓になっているので、アングルを考えないとこの彼岸の時期にはうまくシャッターを押すことができない。なんとかお墓を隠しながら3枚ほど写真を撮るが、ゆっくり見てみると四十八体それぞれに違う表情をしていて、これは時間があればすべての仏像とにらめっこをしてしまう気がした。
このとき時間はまだ14時半、6km近い道のりを1時間で来てしまった計算になる。この旅の中では一番歩く速度が速かった一時間ということだ。
ここから電車まで約50分、あと2kmをペースダウンして、息を整えながら歩く。途中、琵琶湖の内湖でもある乙女が池を通る。かつて平安の昔はここが戦場になったと伝えられるが、今の姿は野鳥が飛び交うなかなかいい景観の内湖だ。biwako040920_35biwako040920_36

近江高島駅に14時55分着。電車まで30分あるので、古い城下町の一部をそぞろ歩いてみる。酒屋までは最低でも歩いて、お疲れ様のビールを買おうというのがその魂胆なのだが。
biwako040920_37biwako040920_38懐かしい造りの酒屋で、ヱビスのロング缶と高島の地酒「萩の露」を買った際に店番のおかあさんから「山に行って見えたの?」と訪ねられたので、「堅田から歩いてきた」と答えると「へぇ〜、これはご苦労でしたなぁ」とものすごく感心されてしまった。
この高島の町は、アイルランドとの交流があったり、ガリバーの小人の国をイメージした旅行村があったりと、古い城下町でありながらどことなくメルヘンチックな感じのある町だ。次回の旅ではもう一度この城下町を歩くところからスタートするので、そのあたりも楽しみだ。
帰りは15時25分発の近江今津行き新快速に乗り、今津から近江塩津経由長浜行きに乗り換え、長浜で一風呂浴びて帰った。この旅の最初で、長浜に着いたとき以来の美しい夕陽を見て、もう半分以上が経過した琵琶湖の旅がいろいろとフラッシュバックしてきた。
さあ、まだこれから難所も待っているのだ。年内に長浜に再び到達することができるだろうか、これから先も怪我のないよう旅を続けていきたいと改めて思った。

nanook0707 at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅 

September 04, 2004

第6日 第一疏水〜唐崎〜堅田 (約17km)

○長く暑い夏がようやく終わりかけて(第一疏水〜唐崎)
前回の疏水歩きは気温35度の中での山歩きにすっかりバテてしまったが、やはり真夏は僕にとって苦手な季節。ただでさえ汗かきなのに、体調を崩して以来自律神経系に異常をきたしてしまったのか、人の何倍も汗をかくようになってしまった。おまけに食欲が激減したこともあって、この夏は何も運動しなくても体重が増えることがなかった。
9月を迎え、ようやく食欲も戻ってくる季節、このままではまた肥えはじめてしまうという危機感もあって(笑)、久々に歩こうという気になった。
今回は青春18きっぷを使っての旅だ。単純に大津を往復しても十分1日分のもとはとれるが、我が家からはなかなか行きづらい湖西方面なので気分的にはかなり得した気になる。
朝、自宅近くで用事を済ませてからの出発で、天気もときどき雨の降りそうな予報であり、さらには久々の長距離歩行ということもあって、今回は距離を短めに、京阪三井寺駅をスタートして唐崎、雄琴を抜け、堅田までの15kmほどのコースを歩くことにした。
JR石山駅で京阪石山坂本線に乗り換え、三井寺に着いたのが12時半過ぎ。約50日ぶりに琵琶湖のほとりに戻ってきた。天気は薄曇で、ときどき陽が射して暑く感じる。
biwako040904_01biwako040904_02biwako040904_03疏水の風景は前回と同じ夏の風情のままだった。ここから今回は国道161号線と、一部で旧道を歩いていく。レースのない静かな琵琶湖競艇場を過ぎ、しばらく行くとスーパー銭湯「やまとの湯」と老舗温泉旅館の「旅亭紅葉」が並ぶ。「旅亭紅葉」はある世代以上の人には懐かしい、フォーク調のCMソングが突然こぶしを回して演歌調になるCMで有名な「びわ湖温泉ホテル紅葉」が名前を変えて営業しているものだ。
隣の「やまとの湯」も天然温泉を売りにしていて、知らない人が見ると同じ源泉を使っているのかと誤解してしまうが、紅葉は自家源泉を外販することなく独占し、やまとの湯は三重県亀山から源泉を運んでいるローリー温泉なのだ。ここまで来てローリー温泉に入るのも癪にさわるので、当然ここは素通りだ。
biwako040904_04biwako040904_05biwako040904_06さらに進むとびわ湖競輪場がある。ほんの2kmほどの距離に競艇・競輪があるとはすごいギャンブル密集地だと思ってしまう。開催が重なることはあるのだろうか?もっともファン層は重ならないだろうがその分周辺の混雑は相当なものになると思えてならない。
ここから唐崎の手前までの間は、自衛隊の駐屯地などがあるため、湖岸沿いを歩くことができない。よって車の多い国道を、排気ガスで鼻毛の成長を促しながら歩くしかない。
約2km進んだびわ湖マリーナのところでようやく再び湖面を望むことができるが、なかなか単調なコースであまり印象に残らない。
biwako040904_07時間はもう13時半、いい加減お腹がすいてきたので、唐崎の天下一品でラーメンを食べることにする。新商品の「味がさね」を食べる。途中でスープの味を好みに応じて変えながら食べられるのは新しい試みだが、基本的な味はやはり天下一品そのもので、久々に食べると大満足の味だった。

biwako040904_08biwako040904_09biwako040904_10食事の後、近江八景の一つの景勝地、「唐崎の夜雨」をしのんで、唐崎神社を参詣する。唐崎神社は「下の病気」にご利益のある神様で、昔お尻のひどいできものに苦しんだ僕は参拝しないわけにはいかなかった。
唐崎の風景は、松林と湖と比叡の山を見渡す広重の絵の頃とはだいぶ様子が違っていたが、それでもなかなか絵になる風景だった。
神社の向かいには、みたらし団子の店があった。天下一品のこってりラーメンを食べた直後だけにさすがに団子までは手が伸びなかったが、由緒ありそうな店の構えに今度訪ねたらぜひ食べてみようと思うに十分だった。

○歓楽温泉を横目に、湖族の郷へ(唐崎〜堅田)
biwako040904_11biwako040904_12biwako040904_13唐崎から坂本の先までは国道から外れて旧道を行く。湖岸からはちょっと離れてしまうが、旧家が立ち並ぶ町並みの雰囲気のよさにいい気分になる。しかし雲行きはだいぶ怪しくなってきて、今にも雨が降り出しそうな感じになってきた。
国道に戻り、「ようこそ雄琴温泉へ」の看板が現われる頃になるとぽつりぽつりと降り出した雨がどうやら本降りになってきた。約1年ぶりに歩き旅の最中に傘をさすことになってしまった。
傘をさしながら歓楽街の入り口を歩いていると、当然のように客引きが寄ってくる。貧乏な徒歩旅行者をつかまえたところで店には入ることはまずないというのに。
ただ、世の中には絶倫な精力と体力を誇る人がいるもので、僕の昔の山仲間から聞いた話では、彼の山友の中には急行八甲田から青函連絡船、函館線の急行列車を乗り継いで札幌に着き、その日の夜行で知床の山に向かう合間の数時間に突然夜の街に消え、ボディソープの匂いを漂わせてすっきりした顔で急行まりもに乗り込んできた男がいたそうだ。彼は夜行2泊と合間のかりそめの情事をものともせず、知床の山を謳歌したという。まったくオットセイのような男だ。
biwako040904_14biwako040904_15さすがに僕にはそこまでの体力も精力も金もないので、無視して通り過ぎた。雄琴温泉の旅館でもらい湯をするにも最低1500円かかるそうなので、体はだいぶ汗と雨でベタベタになっていたが今日は歩行後の温泉も期待薄だ。
雨もだいぶ強くなってきたことだし、先を急ごう。
biwako040904_16biwako040904_17biwako040904_18biwako040904_19雄琴を抜け、地名が堅田となった。この地には僕の愛する「浪の音」という日本酒を造る蔵があり、その蔵を訪ねるのも今回の旅の目的の一つであった。隣県の酒として、滋賀の酒はいろいろと飲んできたが、前杜氏の教えを守り、まだ若い3兄弟で醸す酒は年々酒質が向上しているようだ。そういえば今年はまだ浪の音を飲んでいなかったっけ。蔵で直接3兄弟の自信作を買うのが楽しみだった。
堅田は近年京都だけでなく大阪のベッドタウンとしても発展してきている町で、湖族の歴史に培われた伝統のある町並みと新しい町が融合した面白いところという印象があるが、周辺部は完全なニュータウンで、比較的新しい家が立ち並んでいた。それが本堅田の中心部に入ると、見事なまでに町並みの雰囲気ががらりと変わる。昔から琵琶湖の湖上交通の要として、今も琵琶湖大橋の西詰にあたるこの地は、「湖族の郷」とも呼ばれている。
近年はこの湖族の末裔であることに誇りをもった地域の人たちが、もともとこの地にあった歴史と文化を掘り起こしながら街づくりをしている。
そんな街の拠点が湖族の郷資料館だ。今回は時間が限られていたので地図とパンフレットをいただくだけで中を見学はしなかったが、琵琶湖には今後もいろいろな形で関わっていくであろう僕には次の機会にはゆっくりと見学させていただくことにした。
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biwako040904_22さて、お目当ての浪の音酒造だが、いただいた地図で場所を確認するとすぐ近くだということがわかり、早速向かってみるが、今は土曜日の夕方4時。残念ながら玄関の引き戸は鍵がかかっており蔵の人と接することはできなかった。そりゃそうだ、造りの時期でもないのに週末の夕方も店を開けているのは、観光客相手の蔵だけだと、当たり前のことを改めて実感した。
いつかぜひ、造りの時期に出直すことにしよう。
biwako040904_23biwako040904_24biwako040904_25湖族の郷資料館のすぐ湖側には、近江八景の一つ「堅田の落雁」としても知られる浮御堂(満月寺)があった。雨に濡れて湖上に浮かぶ浮御堂の姿は、清楚な美女を思い起こさせてくれた。
晴れ渡る空の下で見るとまた違った印象になるのだろう。次回の旅はこの浮御堂を通ってから出かけようか。
biwako040904_26biwako040904_27堅田内湖を橋で渡り、堅田駅へ。駅のすぐ前には湖族の郷にちなむモニュメント(銅像)や、昭和初期に活躍した当地出身の喜劇俳優・志賀廼家淡海の顕彰碑があった。
淡海顕彰碑には、「松竹新喜劇」、「藤山寛美」の名があり、いわば三代目渋谷天外率いる現在の松竹新喜劇は、淡海の芸の流れも汲んでいるようだとわかる。
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堅田発16:44の新快速で京都へ向かう。今回は温泉で汗を流す機会がなかったので、京都の銭湯で汗を流して、伊勢丹でひやおろしの酒とたまには家族への土産を買おうと思ったのだが、京都駅に着く頃、友人から「これから岐阜で飲む」のお誘いメールをもらい、銭湯は諦め、伊勢丹に寄っただけで帰ることになってしまった。
そして汗も雨水も僕の体にしみついたまま、岐阜の夜はふけていった。


nanook0707 at 22:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅 

July 03, 2004

番外編 疏水を行く 三井寺〜小関越〜山科〜蹴上(約13km)

○小関越を行く(三井寺〜小関越〜藤尾奥町)
琵琶湖から出る二つの疏水のうち、第二疏水はほとんどがトンネルとなっている。よって京都に出るまでは第一疏水に沿って歩くのがこの番外編の趣旨となってくる。
sosui040703_01sosui040703_02sosui040703_03浜大津からすぐの距離に二つの疏水の入り口はあった。ほぼ隣り合って100mも離れていないような場所から琵琶湖の水は疏水に流れ込み、京都の水がめとしての第一歩を記して流れていく。どちらも明治時代に当時の土木技術の粋を集めて築造されたものだけに、取水口がレンガ組みであったりというレトロな雰囲気もあるが、目に見えるところを流れる第一疏水はやはり中小河川のような趣がある。
僕は第一疏水にほぼ沿う形で、トンネル部分はかつての逢坂の関の裏街道としても知られた小関越を通ってまずは山科に下り、京都を潤す源となる蹴上の浄水場まで歩くことにした。
sosui040703_04sosui040703_05まずは第一疏水に沿う遊歩道を行き、すぐに車道に入る。三井寺駅の横で京阪石山坂本線が疏水を渡る。その先は三井寺に向かって道は少しずつ登っていくのだが、水は高いところから低いところへ流れるわけで水面はかなり深い谷のようになっていく。
sosui040703_06sosui040703_07ほんの1kmほど歩いたところで、疏水は大きく向きを変えてトンネルへと入っていく。ここから小関越を通り抜け、山の向こうに下りて疏水が再びトンネルから出てくるまでの間はひたすら僕も峠越えとなる。
西国三十三ヶ所の十四番霊場にもあたる三井寺は、天台寺門宗の総本山として非常に由緒ある寺で、園城寺観音堂を中心に多数の小寺や神仏混交時代を思わせるように小さな神社までもをその山域にいただく、広大な山を背景にした寺だ。
sosui040703_08sosui040703_09sosui040703_10拝観料は300円、本来は小関越の道も三井寺の境内を通っていくので、300円払って中を通らせていただく形になるが、信仰心のない僕などは300円払ってまで古来のルートを通るよりも安易にアスファルトの市道で遠回りしながら上っていくことにした。それでも小関越に向かう道は鬱蒼と木々が生い茂る道で、車もほとんど通らない。
そんな中郵便配達のバイクが通っていった。そういえばこの峠が大津と京都の境界ではなく、峠を越えて下界に下りてしばらく、四ノ宮の手前までが大津市の範囲になる。ということは、大津郵便局の配達スタッフが毎日この峠を越えて郵便配達をしているわけだ。勾配はそれほど急ではないが、毎日峠越え、ともするとスズメバチやマムシでも出てきそうな道を配達するのはご苦労なことだ。
郵政民営化の論議の中で、よく郵便事業は全国ユニバーサル・サービスを維持するという考え方が喧伝されているが、こういう末端のところの配達風景を見るにつけ、効率優先主義の営利企業では切り捨てられるのではないかと改めて危惧の念を抱いてしまう。
また、道端のところどころにゴミの不法投棄が見受けられる。かつては裏街道としてそれなりの往来のあった由緒ある道が、今やゴミの道になってしまっているのはとても悲しかった。
sosui040703_11sosui040703_12小関越の最高地点を過ぎ、車道と分かれて小道に入っていく。この道は一応簡易舗装はされているものの、野の道そのままでなかなか気持ちがいい。まだ新緑の面影の強い鮮やかな木々や草の緑色が目にまぶしくてやさしい。
決して深い山ではないが、京都の市街地から直線距離でほんの10kmほどのところとは思えない静けさだ。
この静けさがもったいなくて、僕はあえてゆっくり歩いてみる。足元のしっかりした下り坂で放っておくと結構なスピードが出てしまう下り坂だからこそ、ゆっくり歩くことを何よりも贅沢だと思う。
sosui040703_13やがて西大津バイパスの高架橋が見えてくるとすぐ、普門寺という小さな寺が見えてくる。紫陽花の花がこじんまりと咲いている、山麓の小寺は、なんとなく童謡「夕焼け小焼け」に出てきそうな、そんな雰囲気に見えてしまう。
疏水はまだこのあたりはトンネル内だ。その代わり、疏水に流れ込む沢の水を見つけて源流に向かって歩いてみる。清冽な山の水という感じで、周囲に民家がなければ飲んでみたくなるほどだ。こういう山の水を少し交えて疏水は京都に向かって流れていく。
このあたりは、大津市藤尾奥町という地名だ。大津市の中でも一番京都寄りの場所で、山を越えて大津市街地に出るよりも、京都市山科区の四ノ宮や山科駅に出るほうが近いようなところだ。峠越えですっかり喉がかわき、また昼食もまだ食べていなかった僕は、この30年ぐらいの間に開発されたと思われる住宅地の中のスーパーマーケットで菓子パンとコロッケ、そして缶ビールを買う。歩きながら食べようという魂胆だ。もうここからは平地を歩くことになるので、少々のアルコールを入れても大丈夫だし、どうせすぐに汗になって抜けてしまうのだ。
缶ビールで喉を潤し、軽めの行動食をとって、一路第一疏水のトンネル出口を目指して歩みを進めた。暑い陽射しになんとなくビールの炭酸が喉にしみた気がした。

○藤尾奥町〜四ノ宮〜山科〜〜御陵〜蹴上
藤尾奥町から四ノ宮にかけては左側にJR東海道線・湖西線の高架橋、右側に第一疏水が通っている。疏水沿いには桜の並木が延々と続いている。花の時期や紅葉の時期はさぞかし壮観だろうが、その分春はかなりの人出があるそうだ。
sosui040703_15sosui040703_16sosui040703_17疏水を大津方面に遡り、小関越をくぐり抜けてきたトンネルの出口を探しに行く。やはりここも三井寺のトンネルの入り口と同様に、周囲より10数メートル低くなった土手の下にあった。
やがて疏水の両側の並木と水面のレベルの差はほんの2mほどになり、のどかな流れとなってくる。このあたりがちょうど府県境にあたると思われる。ここからはいよいよ京都市。都に飲料水と工業用水、発電用水を届けるためにつくられた疏水が、目的地の端っこに届いた。
sosui040703_18sosui040703_19sosui040703_20ここまで届くのに、水はどれくらいの時間でたどり着くことができるのか、川の流速をしっかり計測したわけではないので何ともいえないが、少なくとも僕が小関越の峠越えをして歩いてきたよりも半分ぐらいの時間しかかかっていないのだろう。トンネルの中はどんな風になっているのだろうかという好奇心も頭をもたげてくるが、これは蹴上の疏水記念館を訪ねるときの楽しみにしておこう。
そんなことを思いながら何気なく歩いていると、いつの間にか疏水の土手をはずれ、どういうわけか道を急ぐ人の後をついていってしまった。左手のJRの高架橋も、右手の疏水の土手もどんどん僕のいるアイレベルのはるか上方に見えるほどにまで下りて、どうやら僕は道を間違えたことに気がついた。
疏水を追う旅だからここは元の場所に戻って、もう一度土手沿いを歩きなおしたくなるところだったが、
sosui040703_21「幸せな家庭」と題された高架橋の壁の落書きのほのぼのとした姿に肩の力がすっかり抜けた僕は、このまま京阪京津線の四ノ宮駅周辺まで下りて、古い町並みを歩いてみようという気分になった。
四ノ宮の町は京都郊外の私鉄の駅前の古くからの商店街という雰囲気だった。僕の記憶にあるところだと左京区の叡電の駅周辺ともなんとなく似ている気がした。
sosui040703_22sosui040703_23商店街には地物の野菜が無造作に段ボール箱に入って並ぶ八百屋があったり、暑い日ながらそれなりに人通りのある街だった。ふととある店の軒下を見ると、ツバメの巣があった。巣からひなが4羽口を開けて、親鳥がえさを運んでくるのを待っていた。親鳥は忙しそうにあたりを飛び回っていた。京都のはずれにこんなのどかな風景に出会えたことがなんだかとても嬉しくなった。
商店街を抜け、再び疏水の方へ方向転換し、急な階段を登ってようやく疏水が地下を流れる公園にたどり着いた。京都の周縁部はどうしても起伏の激しいところが多いので、そのたびに疏水はトンネルとなって抜けていくのだ。
sosui040703_24sosui040703_25やがて現われた疏水の流れに沿っては、桜をはじめとしていろいろな樹木が植えられている素晴らしい散策路になっている。山科四ノ宮から御陵付近まで、およそ5kmほどにわたってそんな散策路「東山自然緑道」は続いている。
この日はとても暑くなったので、少しでも涼を求めてこの木陰の道を散歩する人に何人も出会った。中にはまだ木陰の向こうは炎天下だというのにジョギングをする人もいた。
sosui040703_26sosui040703_27sosui040703_28sosui040703_29人工の構造物でありながら、今ではすっかり貴重な都会の自然となった感のある疏水だが、水面に映る木々の葉の美しさ、セミの声やトンボの姿、そして鳥の鳴き声も聞こえてきて、まさに京の都のはずれにある素晴らしい自然のオアシスと言っても過言ではなかろう。僕も風の音に耳を澄ますと、本当にいろいろな音が聞こえてくる。自然の音はもちろん、洛東高校のブラスバンドの練習の音、子供たちの遊ぶ声、散歩するお年寄りの会話・・・自分の心の声にそんな音が共鳴してなかなかいい気持ちになる。
左手に天智天皇陵を巻き込むように疏水は左に曲がり、蹴上に向けて北西の方向に流れていく。やがて緑道は終点となり、疏水もトンネルにまた吸い込まれていく。
sosui040703_30sosui040703_31手作りの小さな道標が「けあげ 二度急登あり」としめしていたので、僕は迷わず山道のほうに入っていく。
しかし、その山道が半端でない急登で、恐らく35度近くまで上がっている気温の下では非常に苦しい登りとなってしまった。途中何度も休み休み、上がりすぎた体温と苦しい呼吸をだましながらなんとか二度の急登をこなしてみると、そこにあった道標には「京都一周トレイル東山コース」と書いてあった。いつの日か完歩してみたい京都一周トレイルへのファーストコンタクトで、見事なまでに一蹴されてしまったような気がするという駄洒落で、何とか気を紛らした。
仕方ないさ、この暑さでは、まともに体が動かなくて当然だ。
sosui040703_32sosui040703_33山道を歩くこと40分ほどで、ようやく蹴上のすぐ東側の山の上にある日向大神宮に着く頃には、僕はすっかりバテバテになっていた。
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日向大神宮の境内には湧き水を使ったと思しき清めの水が出ていた。僕は周囲に誰もいないことをいいことに、その水を頭にかぶり、何杯も飲んだ。そして体温が少しずつ下がっていくのを感じて、ようやく苦しいバテから解放されたのだ。
蹴上の駅前に下りたのが15:45頃。三井寺を出てから3時間半のバラエティに富んだ歩き旅がやっと終わった。せっかく蹴上までやってきたのだ。青春の思い出がまだ息づいている京都大学近くの疏水まで足を伸ばしてみたいという気持ちになるが、残念ながらこの日はタイムアップだ。翌日も気温は相当高くなりそうなので、京都盆地を歩くのはいくら疏水の緑を辿ったとしてもかなり厳しそうだ。
受験生時代、京大に憧れたものの結局入学できるだけの学力のなかった僕は、そのときにも似た挫折感をなんとなく思い出してしまっていた。
まあええわ、疏水が京都の町を流れてはる限り、僕は青春のほろ苦さをいつでも懐かしみにくることができるんや。その様子は「琵琶湖周遊番外編2」にいずれ紹介することになるでしょう。(笑)


nanook0707 at 23:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅 

第5日 瀬田唐橋〜浜大津〜第一疏水 (約8km)

○突然寄り道がしたくなったので・・・(瀬田唐橋〜浜大津)
いよいよ夏の暑さがやってきた。京都の最高気温の予想は34度。当然地理的に近い大津の最高気温も跳ね上がる。真夏の歩き旅は、日光を遮る物がないと辛い。琵琶湖畔はほとんどが日当たりのよい平地なので、長距離を行くのは辛い。
よって真夏はしばらく琵琶湖を歩くのを中断しようと思うのだが、中断するならどこか涼しげな山林を抜けて疏水の桜並木を歩いて京都に行ってみようかと思った。
琵琶湖の出口は自然のものは瀬田川(〜宇治川〜淀川)だが、2本の疏水も出ている。疏水と宇治川・瀬田川をつなげば、琵琶湖と京都をめぐる一周トレイルができるわけで、その取っ掛かりとして今回は疏水を蹴上まで歩くことにした。
つまり、突然京都に寄り道がしたくなっただけである。だから今回は久々の単独行だ。
biwako040703_01biwako040703_02biwako040703_03JR石山駅を下りるともわっとした熱気を感じた。一駅京阪石山坂本線に乗って唐橋前で下車、ここから今日の旅が始まる。琵琶湖一周としては二つの出口を結ぶ旅となるが、距離としてはたったの7km。むしろその後の番外編「疏水を行く」の方が長い道のりとなる。
3週間ぶりに戻ってきた、古い町並みが続く瀬田唐橋の周辺は、前回の爽やかさが幻だったかのような蒸し暑さだ。今回は橋を東に渡ってはいけない。これから琵琶湖西岸の旅が始まるのだから。

biwako040703_04biwako040703_05瀬田唐橋から屋形船が係留されている湖岸を通ってJRの鉄橋をくぐると、小さな川を渡る。その先の湖の西岸は大津市が「なぎさ公園」の名で整備している。夏を迎えたこの公園では、犬の散歩に来た人や、若いカップルが護岸に腰掛けてしばしの休息を楽しんでいた。
biwako040703_06このあたりは昔は近江八景の一つ、「粟津の晴嵐」と言われる景勝地だったが、今ではその面影は松並木に残るだけだ。
その松もしっかり刈り込まれたのか、それとも最近になってから植えられたのか、安藤広重の絵に見られるような立派さは感じられなかった。湖岸を行く道は完全舗装の自転車・歩行者専用道路になり、湖岸もしっかり護岸工事がされてしまったので、当然と言えば当然だが。
biwako040703_07しばらく行くと旧制四高(現・金沢大)のボートの遭難事故の慰霊のために植えられた「四高桜」が並木を作っていた。このあたりは今も艇庫が並び、練習用の桟橋が設けられていたり、ボート競技のメッカだ。ハードな練習をしている仲間たちへの声援が響きあう。かつてこの地で若い命を絶たなければならなかった大先輩たちが、後輩たちを見守っているのではないかと思えるようなエコーのかかり方をして。
biwako040703_08近江大橋のすぐ南には膳所城址公園の鬱蒼とした林が広がっていた。かつてはここは琵琶湖の中だったという。そこに東海道の要衝であった瀬田唐橋を守るという役目を担って、徳川家康が築城したそうだ。一時は大垣城を治めた戸田家がこの城を守っていたということで、僕の地元と意外な縁がこの膳所の地にあったことに驚く。大垣弁が名古屋弁よりも関西弁に近いとよく言われるのはこんな縁のせいだろうか。
今は城を思わせる建物はこの地にはほとんどない。城門は近くの膳所神社に移築されているという。
今の膳所城址は小さな子供たちが遊び、それを見守る大人がのんびりとしている平和な風景が見られる。一番湖岸沿いの場所では、釣った外来魚と商品券を交換する場所が設けられていた。こういう地道なキャンペーンのおかげで、今年は既に去年の数倍の外来魚がリリースされずに回収されたそうだ。
biwako040703_09近江大橋はその取り付け道路をトンネルでくぐっていき、プリンスホテルの前まで約2km続くサンシャインビーチに入っていく。ここは波打ち際を歩ける砂浜だ。かつては水泳場として整備されたのかもしれないが、今は大津市民の憩いの場となっている。振り返れば近江大橋の全景を眺めることができる。南ドイツの民家を模して作られたレストランなどもあり、なかなか気持ちのいい湖畔の公園だ。
biwako040703_10波打ち際には水着に着替えて遊ぶ小さな子供たちの姿があった。汚水処理場が敷地内にあることもあってか、水泳場とするにはちょっと汚れてしまっているが、穏やかな琵琶湖の波と戯れるにはいい場所だ。僕も靴を脱いでズボンを膝まで捲り上げて足をつけてみたいと思ったが、さすがに今日はまだ先が長いので、指を咥えて眺めるだけにして、先を急ぐことにした。
プリンスホテルの前からは、あまりの陽射しの強さに思わず車道沿いの並木の下に逃げ込んで歩く。どうやらプリンスホテルのプールはこの日からの営業のようで、プールサイドのビアガーデンでは用意をする人たちの姿が見受けられた。まだ梅雨の只中だが、もうビアガーデンとプールの季節に入ったのだと改めて認識する。
biwako040703_11biwako040703_12県立体育館、武道館を見ながら進み、大津の中心部に入っていく。左側は官庁街や大きな百貨店が立ち並ぶ風景を見る一方、右手にはのどかな湖畔の公園が広がる。今までは通り道でしかなかった大津という街が、実は結構風光明媚な県都なのだと思えてきた。とどめは琵琶湖に浮かぶ竜宮城のような、琵琶湖文化館の姿。その向こうにはびわ湖花噴水と言われる湖上の大きな噴水に太陽光が乱反射してその美しさに目を奪われる。人工物と自然の湖の計算された調和の中に、マーラーの交響曲が聞こえたような気がした。
びわ湖ホテルのチャペルではちょうど結婚式が行われていたようで、鐘をつく新郎新婦とそれを見守る参列者の姿が遠目にも良く見えた。美しき琵琶湖を背景に人生の新しい旅立ちを迎えたふたりに幸あれ!
ちょうどいいタイミングで汽笛がこだまする。大津港から観光船「ミシガン」がちょうど沖へ出て行くところだった。biwako040703_13

大津港のターミナルを過ぎてほんの10分ほどで琵琶湖疏水の二つの隣接した取水口に到着した。
今日の旅はここからは「疏水を行く旅」に変わり、一旦琵琶湖の歩き旅はここで中断となる。今日は蹴上まで歩き、明日可能なら伏見・中書島まで行き、今度は宇治川を遡って再び瀬田唐橋に戻って歩き旅を再開できれば・・・と目論んでいたが、実際はどうなることだろうか、これからどんどん暑くなっていく季節にはまだ予想すらできなかった。



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June 13, 2004

第4日 琵琶湖大橋東詰〜烏丸半島〜瀬田唐橋 (約20km)

○賑やかにいこう!4人旅(琵琶湖大橋〜烏丸半島)
僕のホームページの掲示板で「一緒に歩きませんか?」と声をかけてみたところ、3人の友人(全員男性)が集まってくれた。米原駅で名古屋方面から来たNさん、Tさん(第5日も参加)と合流し、守山駅でMさん(第4日も参加)と落ち合って、賑やかに湖東〜湖南の旅を締めくくる旅の一日が始まった。
biwako_040613_01守山駅前から「わんわん王国」行きのバスに乗り、琵琶湖大橋東詰交差点手前の「美崎ニッサンタウン前」でバスを降りると、琵琶湖に向かって梅雨時とは思えないカラリと爽やかな青空が広がっていた。かなり強い北東の風が吹いていることもあって、気持ちのいい追い風を受けて軽やかに歩くことができそうだ。
biwako_040613_02前回の終点・琵琶湖大橋東詰交差点を左に曲がり、ヤンマーマリーナの横を抜けたところから道は湖畔に出る。陽射しは熱く、気温も上がりそうな半面、背後から吹き付ける風のおかげで発汗が抑えられる分、ずいぶん楽に歩けそうだ。
温泉や旅を愛する仲間たちと一緒なので、いろいろな話をしながら、退屈せずに歩くことができる。しかし会話だけではなく、出会う風景にも常にアンテナを張っているのは変わりなく、むしろ会話がある分神経は結構研ぎ澄まされている気がするほどだ。それに違う視点がある分、一人で歩いていたら気づかなかったものに気づくこともある。
一人旅を愛し、基本的に群れることを好まない僕だが、ときどきは気心の知れた人と歩くのも悪くはない。
biwako_040613_03biwako_040613_04biwako_040613_05琵琶湖大橋から近江大橋にかけての東岸は、埋め立ててできた新しい土地の上を湖岸道路(さざなみ街道)が通っているところが結構ある。佐川美術館を左手に見て進むと、左側に琵琶湖大橋ゴルフコースが見えてくる。このあたりは埋立地だ。もとの湖岸に沿って歩くのも面白そうだが、今回は素直に今の湖岸を琵琶湖のさざなみを見ながら進む。
しかし今日は風が強く、そのうえ瀬田川の流れ出し口に近づいてきて対岸との幅が狭くなっているあたりなので、下流に向かう流れが強く感じられる。この流れの速さでは、カヌーのような人力での湖水上の移動では上流に向かって進むのが困難だ。歩いて琵琶湖を一周したら、カヌーで一周というのも考えていた僕だが、この流れを見たら素直に諦めるしかなかった。(もっとも上流から下流に向けて東岸沿い、西岸沿いそれぞれに分けて漕ぎ下るという手は残っているが。)  やはり穏やかに見える琵琶湖も、実際には近江の山々から流れてくるたくさんの清流の水を集めた、淀川水系の川の一部なのだ。
biwako_040613_06biwako_040613_07背後の琵琶湖大橋はどんどんと遠くなっていく一方、正面には烏丸半島の風車が近づいてきている。かなりの強風が吹いているにもかかわらず、ほとんど回っていない。どうも風向きとの関係が悪いようだ。
帰ってから調べてみたところによると、この「草津夢風車」は発電用の風車であり、発電量が多いときは関西電力に売電しているそうだが、内陸湖である琵琶湖は、冬場の季節風こそほぼ同じ方向に吹くものの、普段は風向きが変わりやすいということを考慮に入れておらず、風車が回転しないのは残念ながら設計ミスという評価をせざるを得ないようだ。
環境先進県としてのモニュメントという意義しか持たない大きなお荷物にどれだけの税金が投下されたのだろう・・・ちなみに総工費は3億円だそうだが、果たして単独の事業としては黒字を出すことはまず無理だろうと思う。
biwako_040613_08biwako_040613_09biwako_040613_10とは言うものの、この風車はなかなかいい被写体になってくれている。湖岸に咲く季節の花々と琵琶湖の青、そして無機質なこの巨大風車の組み合わせは、面白い絵になる。Mさんも僕もこの風車を入れて何回もシャッターを切っていた。
風車がどんどん大きくなり、羽根の向きを変えていくと、烏丸半島のつけ根だ。このあたりはハスの群生地になっている。あと1ヶ月もするとたくさんの花が咲く姿はきっと壮観だろう。
この烏丸半島はかつては野洲川の河口にあたり、広大なヨシ原だったという。川からの堆積物が溜まり独特の形状の半島になったそうだ。つけ根から湖岸に沿って一周するのに約30分、結構広い半島には水生植物園「みずの森」と「滋賀県立琵琶湖博物館」があり、琵琶湖の自然環境と歴史を知るには格好のスポットとなっている。時間があれば立ち寄ってみたいところだが、今日はまだ先があるのでパスする。
琵琶湖をめぐる冒険をしているうちにはきっと寄ることになるのだろうから。
ちなみに琵琶湖博物館のレストランでは、肉食性の外来魚として悪名高いブラックバスやブルーギルの料理を食べることができるそうだ。さすがにスズキの仲間だけあって淡白で意外においしいとか。
琵琶湖の外来魚の問題は非常に根が深く、僕にとっても難しい問題だ。キャッチ&リリースを否定することは、渓流のフライフィッシングを楽しんできた僕自身をも否定することになる。一方で、在来魚を食い荒らすバスを無秩序に放置しておくのは生態系を壊すことなのであまり好ましく思っていなかった。
しかし、こういう形で食用としてもうまく使えることが実証されるのなら、一つの合理的な解決策となるのではないだろうか。リリース禁止の「琵琶湖ルール」がこのままうまく確立し、バス釣りと漁業資源両方が共存していける形がやはり望ましいと思う。
biwako_040613_11そんなことを考えているとルアーの竿をかついだ少年が自転車でポイントを探してうろうろしているのを見た。バス釣りが地元の子供たちの遊びの一つとして定着しているのは否めない。しかし、彼の知るいいポイントは既に京阪神や名古屋方面から来ている外来のバス・フィッシャーたちに占拠されていたようだ。
なんとも皮肉な光景だと思った。
烏丸半島を一周するとそろそろお昼近くなった。半島のつけ根の道の駅のレストランに寄ろうか、それともすぐ西側のセブンイレブンでおにぎりを買おうか・・・
結局おにぎりにした。その分は歩き終わった後の「宴会」に楽しみをとっておこう。

○琵琶湖の一番下流へ(烏丸半島〜瀬田唐橋)
biwako_040613_12biwako_040613_13烏丸半島を出てからは湖岸緑地がずっと続いている。梅雨の合間にこんなに爽やかに晴れた日だけあって、バーベキューをする人で賑わっている。炭火で肉や野菜を焼くいい匂いが風に乗って漂ってくると、僕らもすっかりお腹がすいた。適当な緑地の適当なベンチに腰を下ろし、湖面を眺めながらおにぎりをかじる4人。
満腹にはならない程度に炭水化物を補給し、午後の歩きへのエネルギーとした。
biwako_040613_14biwako_040613_15湖岸緑地が続いているとは言っても、琵琶湖に流れ込む川を渡る橋はさざなみ街道にしかついていないのでそのたびに一段高い道へ戻る。でも次の緑地がくればまた緑地の中に僕たちは吸い込まれていく。
もちろん排気ガスを浴びたくないという理由もあるが、一方で別の面白さを僕らは感じていた。
biwako_040613_16biwako_040613_17休日の昼食時から昼下がりにかけて、琵琶湖に臨む緑地にさまざまな人間模様を見ることができたのだ。
小さな子供のいる家族、犬を連れた夫婦、学生風のグループ・・・もちろん一人で寝そべって日焼けをしている人もいたし、そこだけなんとなく空気の色が違って見えるほどラブラブなカップルもいた。
誰もが自分たちのペースで同じ時間を同じ湖を前景にして過ごしているのだ。もちろんそこを風のように通り過ぎていく旅人である僕らもそんな人たちと同じ風景を共有している。
biwako_040613_18biwako_040613_19biwako_040613_20そんな緑地をいくつも通り過ぎていき、矢橋帰帆島へ渡る帰帆北橋と、その奥に近江大橋が見えてきた。
今日の目的地まではそれほど遠くない。熱い陽射しに肌は焼けるが、相変わらず続く強い追い風に押されて体の調子は上々だ。

biwako_040613_21biwako_040613_22biwako_040613_23矢橋帰帆島は昔は近江八景の一つ「矢橋の帰帆」で知られる景勝地だった。
この港と大津の石場港を結ぶ渡し舟が白い帆を揚げて行き来する姿は、多くの絵や歌に表現されてきた。
今はこの矢橋港の跡地に下水処理施設として人工島が作られ、さざなみ街道もこの島を突き抜ける形に通っている。
広々とした都市公園としての機能も持っていて、多くの人の憩いの場となっている。
ここでもやはりマンウォッチングを楽しみながら歩く。中でも大津プリンスホテルのタワーを背景にコンガの練習をしていた人が一番絵になっていた。彼の奏でるラテンの複雑なリズムも風景の一部として機能しているようだった。
biwako_040613_24近江大橋の下をくぐると大津市に入る。このあたりから急に都会の様相になってくる。大きなショッピングセンターがあったり、ちょっと小綺麗なカフェが湖に向かって窓を開いていたり。今まで長浜、彦根という古い城下町を通った以外はずっとのどかな田園風景を見ながら歩いてきただけに、都市を背景とした琵琶湖の姿は新鮮だった。もっともこの歩き旅以前に僕が知っていた琵琶湖は、浜大津のあたりの都市の風景の印象が強かったのだが。
biwako_040613_25biwako_040613_26biwako_040613_27biwako_040613_27京都の大学の艇庫が並び、湖面ではカヌーの練習が盛んに行われている琵琶湖漕艇場を過ぎると、「瀬田川」の標識が立っていた。国土交通省の管轄ではこのあたりで琵琶湖と瀬田川の境界が引かれているようだ。
でも僕らは瀬田唐橋を琵琶湖の最下流として扱う。歴史的にもここがやはり琵琶湖のどん詰まりだったのだ。
JR琵琶湖線の鉄橋をくぐり、国道1号線の瀬田川大橋をくぐるといよいよ瀬田唐橋が見えてきた。長浜を発って4 日目、約80kmの道をたどって湖東を歩きとおしたことになる。まだまだ琵琶湖一周としては3分の1ほどでこれからが夏の暑さと相まって長丁場になってくるはずだ。
biwako_040613_29biwako_040613_30biwako_040613_31しかし、大阪湾まで75kmの表示を見ると、このまま大阪、もしくは途中京都・伏見まで寄り道してみようかという気にすらなってきたほどだ。
そんなことを考えているとあっという間に瀬田唐橋に到着してしまい、あっけない旅のゴールとなってしまった。
瀬田唐橋を渡り、石山温泉に向かう。日帰り入浴可能な旅館は「松乃荘」、「月乃家山荘」の2軒だが、あいにく「松乃荘」は山帰りの団体さんが先客としており、1時間以上待ちそうだったので「月乃家」へ。
ところが「月乃家」の前に行ってみるとどうも人気がまったくない。Mさんが電話をかけるも出ず、どうもこの日は入浴できないようだ。
biwako_040613_32やむなく京阪石山寺駅から石山坂本線の電車に乗って石山駅へ、そこからJRで瀬田駅まで行き、古琵琶湖温泉のニュー琵琶湖健康ランドで汗を流した。食塩成分が結構入ったお湯なので、日焼けした肌にしみてちょっと痛いが、残念ながら温泉としてはあまり印象に残るものではなかった。
その後、瀬田駅前の居酒屋でゴールの祝杯を挙げたのは言うまでもない。うまいビールにうまい肴。歩きとおした疲れも心地よく、とてもいい気持ちで酔うことができた。これだから、歩くことはやめられないのかもしれない。

nanook0707 at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)琵琶湖周遊歩き旅