2013年04月

2012年夏・四川大地震の震源地に行ってみた①

2013年4月20日午前8時2分。
中国四川省雅安市蘆山県でマグニチュード(M)7.0の地震が起きた。
この記事を書いている時点で発生から72時間が過ぎた状態だが、
救助活動がままならないのに、
中国政府が各国からの支援を断ったりするのが実に中国らしい。
(こんな政治的なこと、当ブログでは書きたくないのだが)
しかしもっと恐ろしいのが、2008年に発生した四川大地震の教訓が
なんの役にも立っていないことだろう。
今だに耐震構造の弱いレンガで建築しちゃあかんでしょっ!

今回は、2012年の夏に行った四川大地震の震源地・映秀鎮のレポートです。

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2012年、映秀鎮は復興していましたが、
漩口中学校は地震遺跡として当時の姿で保存されています。
しかし、大地震から4年経っても看板は一周年でいいのか?
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この日はどうしても映秀鎮へのツアーを見つけることができず、
四川省の成都からタクシーをチャーターして訪問しました。(さすがに高かった!)
運転手のG氏にガイドしてもらいましたが、この場に立つとあまりのひどさに
涙が出そうになりました・・・
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比較的原型を留めている建物もあります。
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大半は崩壊。自然に還ろうとしているモノも・・・
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鉄骨が足りないもしくは細いから崩壊したのか?
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現在の日本では、耐震強度の弱いレンガで建築することはほとんどないそうです。
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どうやら、学校の渡り廊下のようです。両サイドの校舎はぺしゃんこ。
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あああ、5階建ての校舎が・・・
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潰れた校舎が崩壊しないようにコンクリートの柱で補強。
しかし、内部の柱はレンガで造られていたようで、これが原因なのでしょう。
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戦場になったかのような悲惨さです。
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近くにあった看板。
この中学校の学生1527名のうち、43名が亡くなったとか・・・
ここまでほぼ壊滅的な崩れ方でありながら、死者数が少なすぎると思う。
何しろ、映秀鎮の人口1万人のうち、約8割が亡くなったそうだから。

今回の四川地震でも、学校の耐震強度がしっかりしていれば
被災者の避難も少しはマシになったと思う。(実際、どうなっているんだろ?)

中国も世界第二位の経済大国になっているわけなので、
国内の環境問題や防災にもお金を使ってもらいたい。

第7次五色園修復活動・法然上人像の眉毛を狙えっ!

2009年からフリーライターの大竹敏之さん主催で行われている
ボランティアの五色園修復活動も2013年4月で7回目。

私は1回目のから信行両座の場面の法然上人像の修復を担当させていただいた。
一番神経を使ったのは、眉毛である。
「男の眉毛は太く凛々しくて何ぼ」
と思っているので、一番見慣れている自分の眉毛をモデルにした。↓
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1回目に修復した法然上人の眉毛はこうなった。↓
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第5回目の夜盗耳四郎聞法の場には何と法然上人の像が2体もあると・・・
同一人物なのに、1回目のものと眉毛の形が大幅に違うと困ると考え、
厚かましいが2体の眉毛も描かせていただいた。
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凛々しい、凛々しいよぉぉぉっ・・・

そして2013年4月の7回目は川越の名号、縁結び弁財天女、桜ヶ池大蛇入定の由来の
3場面の修復が行われたが、桜ヶ池にも法然上人像があるので、こちらを担当することにした。

ビフォー↓
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うまくメンテナンスができていなかったようだ。こいつぁ修復のし甲斐があるゼ!
初日の4月20日の天気が心配だったが、
削ってから、いつもどおり下地材のシーラーを塗る。↓
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一気に顔色が悪くなってもうた・・・
写真の枚数の都合で、次はいきなり修復アフターの写真↓
五色園・法然上人









































4月21日。作業も最終段階だったが、時間がなくてじっくり撮影できなかった。

4月22日。再訪。
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お顔の作りからすると、いままで修復した像より、若い時期の法然上人と思われる。
UPしてみた↓
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今回は眉毛だけでなく、まつ毛、瞳、唇なども塗る。

桜ヶ池の場面の全体。
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本当は、他の場面の修復状況とか、
日比野塗装店の職人さんに足場を組んでもらったとか、
県内県外問わずいろんな珍スポット愛好家が集まったとか
いろいろ書かないといけないのだろうが、
そういった事は他の方にまかせて今回は法然上人の眉毛にだけこだわった。
修復のビフォー&アフターの動画はできるだけ早く作ろうと思う。

シンガポールの旅行会社になぜ日の丸が?

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シンガポールにあるインディアンタウンを徘徊していた際、
変な旅行会社を見つけた。

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JAP AIR TOURS!!
ロゴに日の丸!!!

ガラスの広告をざっと見まわしたが、
日本へ行くツアーは扱っていないようだった。
経営者はたぶん・・・日本人ではないような気がした。

世紀末!中国からロシア、北朝鮮、日本海を撮影せよ!!その③

99年11月2日。
中国吉林省の「三角」という場所は、
ロシアと北朝鮮の国境の為、外国人は観光がちとやっかいだった。
(今はどうなんだろうか?)
長期留学始めて2か月くらいのくせに、
「中国の南方からやってきました~!」と言って入ってしまった。
「イカサマもバレなきゃイカサマじゃないんだぜ」
という有名な言葉もあるので、気にせず「三角」の奥まで歩いた。
この時点で一番気になっていたのは、バスの出発時間までに徒歩で戻れるかだった。


土字牌の・・・なんて書いてあったのか読めない建物。
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土字牌。光緒十二年四月と書かれている。
清王朝の時代に、ロシアと国境線について決めた石碑なのだろうか?
鉄条網の後ろはロシアだ。
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土字牌から戻る。眺めがよさげな丘の上の建物を目指す。
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丘の上の建物からの眺め。
日本海の水平線がわずかだが、見えた!
ロシアと北朝鮮は鉄橋で結ばれている。
北朝鮮の先代総書記も列車でロシア訪問の際、ここを通ったのだろうか?

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壁の漢字は「ロシア」と書かれている。
ロシア側も防川とあまり変わらない小さな集落と美しい大自然。
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川の向こう岸は、今一番ホットな国・北朝鮮っ!
こちら側ものどかな風景が広がっている。
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防川までの帰路。豊かな大自然しかない。
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防川まであとちょっと!
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宿の主人に無事に「三角」見学できたことの礼を述べ、バス亭へ向かう。
正面の建物は軍の駐屯地。
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琿春(フンチュン)へ向かう途中の砂丘。ロシア側かな?
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普通の人が行かない場所で観光するのは大変ですが、貴重な体験でした。

後日譚:2002年、蘇州で駐在員として勤務していた頃、1枚のFAXが届いた。
なんと、中国、ロシア、北朝鮮の三角地帯の琿春に日本を加えて
経済地区を作るから投資をしませんか?という趣旨の内容だった。
現地で大自然を眺めたので、
なかなか面白い詐欺話だなぁ~
と感心したものだが、最近こんなHPを発見した。

http://www.searchnavi.com/~hp/hunchun/index.html

とりあえず、「三角」の大自然は健在なようだ。




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世紀末!中国からロシア、北朝鮮、日本海を撮影せよ!!その②

1999年11月02日。
私は中国、ロシア、北朝鮮の三角地帯を目指す為、
防川という小さな集落の金三角餐庁で宿泊していた。
早朝6時前に宿の外をうろつく。
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国境の夜明け。ここから約4㎞先が今回の目的地。
中国側の国境駐屯地の部隊は点呼していた。
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北朝鮮の山に向かって叫んでいる・・・わけではない。
映画プラトーンの有名なポーズのまねをしている。
北朝鮮側では列車が走っていた。
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宿泊していた金三角餐庁の看板。
中国語の「餐庁」は本来、食堂といった意味で、
宿泊施設ではないのだが、細かい事は気にしない。
朝鮮族が多い土地柄なのか、ハングル表記もされている。
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男は背中で語る。絶望しているわけでなく、一言「寒い・・・」
一人旅なので、三脚で撮影。
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朝食調理中。豆腐干という料理とご飯がふるまわれた。好吃(美味い)。
どうやら私は食堂兼客用の部屋で宿泊していたようだ。
バスが出発する時間を確認してから、国境の「三角」という地点まで徒歩で向かう。
往復約8㎞なので、自転車を借りればよかったと後悔した。
「三角」のゲートにて。駐屯部隊の皆様に部屋に呼ばれ、
「私は南方から来ました」と南の地方の方言っぽくしゃべる。
身分証明書は「宿に置き忘れた」の一点張り。
当時の中国語の拙さはこんな感じで解決できた。(いいのか?)
少々手こずったが、入場料を支払い中に入る。
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川の向こうが北朝鮮。手前側はロシア。
北朝鮮とロシアを結ぶ鉄橋も写っている。
鉄条網を境に、写真の日付周辺が中国側。
次回は「三角」の写真をもっと貼ります。
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