パラリンピックを観ながら改めて思った事。

日本では、例えば、極端に数学ができるけれど、対人関係に難があったり、言葉を発っせない場合は、適応障害などとして、障害児・者として解決を図ろうとする。


アメリカでは極端にができる方に重きを置き伸ばす教育の環境を整えていく。

ギフテッドとよび、

(ギフテッド(Gifted)、知的ギフテッド(Intellectual giftedness)とは、先天的に、平均よりも、顕著に高い知性と共感的理解、倫理観、正義感、博愛精神を持っている人のこと。外部に対する世間的な成功を収める、収めないにかかわらず、内在的な学習の素質、生まれつきの高い学習能力や豊かな精神性を持っているということである(Wikipedia


昭和の教育の標準化、平均化を目標だったが、より優秀な人材をいかにより多く確保するかが、先進国では優先上順位として必要である(日本が今後も先進国の立場を保守すると事を前提とするならば)ならば、「皆んなで仲良く平均点」「一番でなくても良い」ではなく「得意なことを伸ばそう」「出来ない事も認めてあげよう」

と教育をスイッチしなければならないと思う。そのような枠組みも必要であると思います。