2006年04月28日

来春の大卒求人総数、バブル期並み水準に・リクルート調査

リクルートが25日発表した2007年3月卒業予定の大学生の求人総数は前年調査比18.1%増の82万5000人でバブル期の1991年の84万人に次ぐ水準になった。金融機関を中心に全業種で採用意欲が回復。求人倍率は同0.29ポイント増の1.89倍となった。業種別では金融業の求人総数の伸びが同26.7%増と最大。サービス・情報業や流通業、製造業では企業の求人は増えたが、学生の希望者は減少。従業員1000人以上の大手企業の求人総数は同13.4%増の18万7000人。学生の就職志向は大手回帰が強まった。調査は民間企業7469社を対象に2−3月に実施。4068社から回答を得た。【日経新聞 25日

最近、雇用情勢が回復し、買い手市場から売り手市場へ転換したというニュースを頻繁に耳にするが、来春の大卒求人総数が、バブル期に次ぐ水準になったという。その一方で、超就職氷河期世代の苦闘が続いているという記事が毎日新聞に掲載されていた(下記参照)。私自身、大学を卒業したのが2001年3月、大学院を修了したのが2003年3月で、まさに超就職氷河期といわれる年に就職活動を行った経験がある。幸い、大学の学校推薦に恵まれ、石川島播磨重工業株式会社(入社半年後にアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドに分社・転籍、既に退社)に入社することが出来たが、毎日新聞の記事は人事とは思えない。現在の好景気の勢いに乗って、超就職氷河期世代と呼ばれる人々にも、救いの手が差し伸べられることを期待したい。


私たちに未来はないのか 取り残された「超就職氷河期」世代 【毎日新聞 3月20日
 
私たちは、若者の雇用現場を歩き、その現実を取材し続けている。今、景気回復で雇用改善しているといわれるなかで、「格差」の拡大に苦しんでいる世代がいる。就職活動時、「超氷河期」だった30歳前後の若者だ。仕事に就くのもままならない人もいる。雇用改善でむしろ、置き去りにされかねない。彼らの実態と周辺をリポートする。(編集部) ◆「たった数年の卒業の差で、こうも違うものか」 鉄道会社の広告部門で派遣社員として働く今井紘子(28歳、仮名)は肩を落とす。景気回復で企業の正社員採用が増えるなか、意気揚々と就職活動をしている大学3年生の弟を見ると、気持ちも沈む。紘子が卒業した2000年3月の大学卒業生の就職率(卒業者に占める就職決定者の割合)は、統計上初めて60%を下回り、55・8%まで下がった。企業が正社員採用をギュッと絞り込み、非正社員で代替させたためだ。早稲田大学卒の紘子は、その「超就職氷河期」の煽りを受けたひとりなのだ。 ◆無職は脱出したが 茨城県で生まれ、親の転勤で関東各県を転々としていた紘子。高校は埼玉県の進学校を卒業し、現役で早稲田大学に進んだ。大学時代は、自分が将来、どんなことをしたいのか、明確な目標は持てなかった。幼い頃はデザイン関係の仕事に憧れていたが、興味を持った金融ゼミに入り、株式市場や金融機関の仕組みを知ろうと、経済雑誌を読み漁った。就職活動では、度胸試しにとマスコミを受験。そして、銀行、証券業界を中心に回った。もともと好奇心が旺盛な紘子は、金融機関以外にもアパレルや製造業などあらゆる分野の会社の門を叩いてみた。「どんな職業が合っているかなんて、やってみなければ分からない」 その思いとは裏腹に、大手企業が新卒採用を大幅に抑制またはストップするなか、就職競争は厳しくなる。紘子は50〜60社と企業を回るが、全敗。4年生の秋季採用試験まで粘ったが、結果は出なかった。卒業後、新聞の求人広告を見ては履歴書を出し、ハローワークにも通った。決まったのは、大手新聞社の電話交換業務のアルバイト。電話交換業務の仕事をしながら、幼い頃に憧れたデザイン関係に就けるように、パソコンのMacの使い方を独学で身につけた。そして、卒業から4カ月後の00年7月、社員10人程度ではあったが、採用関係の広告会社に正社員として入社した。月給は手取り15万円。相場より低い気はするが、企画やデザインの仕事ができる。なにより、やっと「無職の状態」から脱出できたことが嬉しかった。仕事は、自分が就職活動の時に見たような会社案内や求人案内のパンフレット作り。制作スタッフとして、1カ月かけてクライアントと企画を練り、コンペで競い、仕事を勝ち取る。そして2〜3カ月で企画を仕上げていく。やりがいを感じた。しかし、その気持ちはすぐに打ち砕かれた。 ◆このままでは死んでしまう 強いられる恒常的なサービス残業−−。企画や原稿、デザインの締め切り間際は朝まで残業が続いた。会社に寝泊まりすることもしょっちゅうだったが、残業手当は1円も支払われない。極度の過労とストレスがたまり、紘子は胃潰瘍になった。それでも「石の上にも3年」と、歯を食いしばる。安月給をやりくりして、通勤時間30分のところにアパートを借りたが、体が壊れ始める。免疫力が低下する病気にかかり、一時はまったく動けなくなった。胃潰瘍を何度も繰り返し、体のだるさが抜けずに婦人科にもかかった。高校時代に患っていた喘息も再発。通勤電車で咳き込み、車内でしゃがみこむ。通院しながら、何とか仕事は続けた。3年後、月給が手取り20万円に上がったとはいえ、限界に近づいていた。「このままでは、死んでしまう。なのに私の給料って、たった20万円」。仕事にも慣れてきて、大型案件も任されるようになった紘子は、なおのこと納得いかない。「とにかく、辞めよう」 就職活動もままならないまま、03年7月、広告会社を退職。退職後、再就職活動をスタートした。転職先として、外資と商社が出資するアパレル会社の販売促進部に正社員として採用された。ここでは、残業代もきちんと支払われ、「初めてまともな会社に就職した」と心から思った。仕事は、販促のためのカタログやダイレクトメールなどの制作。月給は、残業代を入れると額面で30万円を超えた。問題は、親会社からの天下り人事。天下りで来た上司は、仕事もしないでパソコンでゲームばかり。アルバイトは定時で帰る。紘子が3人分の仕事をするようなものだった。朝6時過ぎの電車に乗って会社に向かい、終電で帰る。帰宅しても、疲れすぎて眠れない。再び、喘息の発作に襲われる。体調不良や精神不安、仕事の量と責任を軽減してほしいと、上司に訴えても何も対応してもらえなかった。深夜まで働いている証拠を残すため、会社のパソコンから上司にメールを送ってもなしのつぶてだ。「辞めたい」と言っても無視された。安月給でもよく働く若い社員は、使い勝手がいいから、会社はできれば手放したくない。「私に死ねと言っているのか」。病院に駆け込み、診断書をもらい、それを上司に突きつけて、やっと退職した。紘子は今、体調を見ながら、派遣社員として鉄道会社で広告の仕事をしている。月給は手取り16万円。「社会人になってから、必死で仕事をしてきたつもり。なのに、ちょっと就職の時期が違うだけで、年収格差が広がっている」。 ◆時代の波に翻弄される 社会人の「入り口」で失敗した、いや「超氷河期」のために割を食ったことで、その後の仕事人生は”悲惨な職場”の連続に追い込まれる−−。現在の30歳前後の若者の置かれた境遇である。本人の責任もあるだろうが、時代の波に翻弄されていることは間違いない。いま雇用状況は改善している。それを見る統計に、日銀短観で発表される雇用人員判断DI(下記の図)がある。同統計は、企業に雇用人員の過不足感を聞いたもので、「過剰」から「不足」を引いている。全産業ベースで、05年第3四半期に、92年第4四半期から12年ぶりにマイナスに転じた。その頃から、人手不足感が強まり、企業の採用意欲が旺盛になったことを示す。その結果、新卒採用は増加し、大学卒業生の内定率(就職希望者に占める就職決定者の割合)は、06年2月1日時点で前年同期を3・2ポイント上回る85・8%と大幅な改善を見せ、就職率は59・7%(05年3月卒業者)となった。しかし、その陰には、紘子のように、就職率が著しく悪化した時代に卒業した非正社員が数多くいる。


エコノミストの門倉貴史氏の推計では、現在の25〜34歳人口が、大学・短大を卒業した時点で非正社員だった数は、合計82万7000人(学校基本調査、日本労働研究機構のアンケート調査より推計)。05年時点では、正社員989万人に対して、非正社員は318万人。25〜34歳の非正社員人口は卒業時から3・8倍に増加しているのだ。雇用者全体に占める非正社員比率は、24・3%(総務省「労働力調査」)にも達する。 ◆雇用不安で生理が止まった 黒部洋子(29歳、仮名)は、01年3月に大学を卒業した(この時の就職率は57・3%)。以来、ずっとアルバイトや派遣社員として働いている。埼玉県出身の洋子は2浪して、東京都内の私立大学の芸術学部に入学した。大学では、へとへとになるまでひたすら絵を描く毎日。「デザインでトップを目指そう」。夢は膨らんだ。大学3年になると、周囲の友人と同じように就職活動を始め、60社を超える企業を回ったが、内定は出ない。「こうなったら、正社員でなく、(非正社員という)回り道をしてでもプロとして生きていこう」。洋子の結論だった。卒業後、インテリア関係の会社で2年間アルバイトをした。営業アシスタントとして、ホームページ上の広告やセールスのサイト作成の補助をしていた。そのうち、「もっと多くの企業を見てみたい。いろいろな会社の仕事を経験してみたい」との思いから、派遣社員の道を選び、複数の大手派遣会社に登録した。職種はウェブデザイナー。ホームページを作成するプロジェクトごとの仕事が多い。1カ月単位の短期の仕事が紹介されたが、内容は、決まったデータをパソコンに黙々と流し込む作業だ。何社か回るうちに、派遣社員の役割は単なる流れ作業の一つにすぎないと感じる。しかし、持ち前の「負けん気」が仕事への意欲を維持させた。まもなく洋子は、業界ではブランド力の強いインテリア会社への派遣が決まった。04年4月から、時給1400円の3カ月更新で働き始めたが、サービス残業で終電で帰る日々が続き、さらに休日出勤(無給)まで命じられた。そのうち、派遣先は、派遣元(派遣会社)に払うマージンの高さに気づき、洋子を契約社員で雇おうとする。その会社では、派遣社員はもちろん、契約社員も正社員も残業代は支給されない。タイムカードも廃止された。「こき使われる」社内の風景を目の当たりにしてきたため、契約社員の採用話を断った。洋子は思い始めた。正社員として働こうと−−。何社も回ってみるが、短期の派遣の経験は実績として認めてもらえず難航する。その間も生活費を稼ぐため、派遣された大手情報会社。派遣社員のブースには、机それぞれにナンバーがふられていた。派遣社員は、黙って淡々と作業を進める。「まるで囚人みたい」。そう思わずにいられなくなった。しかも、自分たちを指揮監督しているのは、ウェブのことなんて何も知らない、年下の正社員。自分の境遇を情けなく感じた。そんなストレスに加え、決まらない就職のプレッシャー。気がついたら3カ月も生理が止まっていた。婦人科の待合室で診察の順番を待つ洋子。周囲には、幸せそうに大きなお腹を抱える、自分より年下の女性。思わず、自分が惨めになる。「彼女たちには出産の不安があるだろうが、私の不安とはあまりにも違いすぎる」 過労やストレスで流産したり妊娠できなくなる若い女性が増えている、と医師に忠告された。若者の雇用の現状について、個人が加盟できる労働組合の全国ユニオン(本部・東京都新宿区)の鴨桃代会長はこう見ている。「非正社員は最低賃金すれすれの状態なうえに長時間労働を強いられている。一方の正社員も賃金が低下傾向にあるにもかかわらず過労死まっしぐらのような働き方。若者は今、正社員でも非正社員でもつらい状況にある」 ◆「3年ルール」 非正規雇用の不安定さは、年収だけではなく、雇用契約期間にも明確に表れている。定着しつつある、3年が契約の上限となって事実上のクビになる「3年ルール」だ。大手パソコン周辺機器メーカーの研究室で派遣社員として働く新井毅(33歳、仮名)は「3年ルール」に頭を悩ませている。都内の私立大学の大学院理学部を修了後、外資系の化学メーカーに正社員として就職し、法人営業部に配属された。6年が経ち、研究職の夢を諦めきれず、退職。「派遣なら職種も会社も選ぶことができる。派遣で渡り歩いてスキルアップしよう」と、大手パソコン周辺機器メーカーの子会社の派遣会社に登録。希望通り、研究開発部に派遣された。時給1600円で3カ月更新。研究や実験のアシスタントではあるが、夢への第一歩だ。しかし、うかつにも「3年ルール」を知らなかったのだ……。派遣で1年が経ち、周囲の派遣社員がぴったり3年でいなくなることに気づいた。派遣先の人事担当者に聞いても答えはうやむやにされる。少し勉強をして、「3年ルール」はこの会社にもあるのかと問い詰める。すると「Aさんはもうすぐ3年。Aさんを見ていれば分かる」と言われた。Aさんは、いなくなった。あと2年で契約が終わるのか−−。仕事をしながら就職活動をしてみた。すると「技術職として正社員の経験がないから採用は難しい」と複数の企業の面接官が同じことを言う。研究職といっても、派遣はあくまで補助的存在。技能習得なんて見込めない。毅は、将来に大きな不安を感じ始めている。この3年ルール導入の”現象”は、派遣社員以外にも広がっている。個人加盟できる労働組合の東京ユニオン(本部・東京都新宿区)の関根秀一郎書記長は「何年か経って正社員にしてくれと言われることを嫌う企業が、1年契約の2回更新が上限と決めてリスク回避しているのが現状だ」と言う。 ◆均等待遇の必要性 非正社員化の流れが止まらないなか、20代後半からは非正社員から正社員への転身も厳しい。「雇用調整のしわ寄せは女性と若年層にきた」と一橋大学大学院の木本喜美子教授は言う。そうした状況で雇用改善の最後の策となるのは「正社員と非正社員の均等待遇の確立」と慶応義塾大学の樋口美雄教授は指摘。パートと正社員の均等待遇を巡って何年も法制化の議論がなされているが、経済界の強い反対で成立する見通しは立っていない。非正社員の均等待遇について、日本経済団体連合会の矢野弘典専務理事はこう話す。「企業はコアな人材は必ず安定して長く働くことのできる正社員として雇う。処遇について公平性が求められるのは確かだ。それは、必ずしも処遇がイコールというわけではない。有期雇用従業員(非正社員)と長期雇用従業員(正社員)では、過去、現在、将来の役割が違うため、賃金格差があって当然。現在だけを見て格差があるというのは間違っている」 だが、それは、あまりに人を単なる「コマのひとつ」と考えるような議論ではないのか。連合の長谷川裕子総合労働局長は「労働基準法は、最低限のルール。そのギリギリのところで若い人は働かされている。人とモノとは違うということに経済界は気づかなければならない。雇用の現場では、人を守る新たな法整備が必要」と主張する。連合では解雇制限などを強化した「パート・有期契約労働法」を提案している。超氷河期に卒業した若者は、非正社員からも抜け出せず、法で守られもしない。このまま、未来の見えない毎日を過ごさなければならないのだろうか。景気が回復し、就職率が改善したといっても、取り残されたままの、「超就職氷河期」世代の問題を忘れてはいけない。


<追記> 上記の話題とは直接関係ないが、造船関連学科卒業生の就職に関する記事を見つけたので、下記に転載する。

造船業種への就職・・・韓国では人気、日本では忌避 【中央日報 2月16日

世界1位の地位を固めた韓国造船業界と相対的に競争力を失いつつある日本造船業界。その差が優秀人材の確保にも反映されている。現代(ヒョンデ)重工業など国内大型造船業者の推算によると、昨年、ソウル大、釜山(プサン)大、仁荷(インハ)大など全国11大学の造船工学科卒業生600人のうち、およそ半分の300人余が国内造船所に就職した。04年には621人の造船工学科卒業生のうち265人が造船業界に就職しており、一貫して増加傾向にある。現代重工業グループの場合、大卒新入社員250人のうち60人余が、三星重工業は350人のうち90人が造船工学科出身。 大宇(デウ)造船海洋、韓進(ハンジン)重工業、STX造船なども数十人ずつ専攻者を選抜した。一方、日本では昨年、8大学の造船関連学科卒業生490人のうち80人(16.3%)だけが造船所に就職した。 来月卒業予定者の場合も76人(17.6%)にすぎず、造船業忌避現象が目立った。

nao_2006 at 23:55│Comments(0)TrackBack(0) 注目ニュース | ・金融経済

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔