August 26, 2007

稽古@0826:たくみくん

たくみくんが、おともだちで1つ下のとしきくんと空手をはじめてから、もうどれくらいになるでしょうね。

どうじょうにきはじめたころは、なかなかけいこにでてこなかったり、じゅんびたいそうだけやってなきながらかえっちゃうこともあったのに、いまはふたりともみどりおびさんになって、よくふざけたりけんかしたりもするけれど、かたやくみてのれんしゅうをがんばっていますね。

れんしゅうのなかで、うごきかたをまちがえたり、おぼえられないこともまだまだあります。せんせいはよくふたりともちゅういしますけど、ふたりががんばっていることもよくわかっているつもりです。だから、やりはじめたばかりのかたをまちがえたからといってじしんをなくすことなんてぜんぜんないのです。

せんせいだってしょうじき、かたをおぼえるのはあまりうまくありません。へただったりまちがえたりしてはずかしい思いをしたこともなんどもあるし、「空手はむいていないのかなぁ」ってなやんだこともありました。

でも、かいちょうせんせいはこんなお話をしてくれました。
「できないことがあるかられんしゅうするんです」
「○○には○○の、△△には△△の空手があるんです」

そう、たくみくんにはたくみくんの、としきくんにはとしきくんの、そしてせんせいにはせんせいの空手があります。

だから、ほかの人よりゆっくりになってもいいんです。
だいじなのは、まちがえたら、れんしゅうして、つぎはまちがえないようにがんばることなんです。

これからももっともっと、けいこをたのしくがんばりましょうね。

nao_at_org at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)稽古・修行 

August 20, 2007

稽古@0818-19:キレテナーイ

えぇと、一部の方はご存知でしょうが遅まきながらご報告を。

2週間前、病院にて手術の予後を見てもらったのですが。

 Dr.D「さっき撮った心電図だけど、(ドン、とレントゲンビューワを叩き)一発も出なくなってるねぇ不整脈」

マジスカマジスカ。

 Dr.D「とりあえず、次涼しい時期にホルターつけて、それで出ないなら-まぁ、完全に消える事はないかも知れないけど-ここで一旦通院を切りますか」

えぇーっ、ずーっと通院かと思ってたですよ。そんな日がくるですか。


ということで、これまでの通院中には怖くて出せなかった質問を恐る恐るしてみる。あのー、スポーツとかはやっても大丈夫でしょうか。

 Dr.D「全然問題ないっ」

おっしゃーっっっ!!!

--

というわけで、土曜は支部稽古2時間の後、居残り稽古2時間にも参加。
高体連某名門校仕込である支部某師範によるその場基本、移動基本、打ち込みや腹筋・拳立てなどをやったのだが、息が

......キレテナーイ!!

いや厳密には切れないわけじゃないけれど、元の呼吸に戻るまでのインターバルがえらく短くなっているのと、同じドキドキでも前に比べて殆ど不快感がなくなっているのだ。

いやいやこの練習って結構ハードなはずだよな、道着絞ったらジャージャー汗が出てきそうだし、結構脚は筋肉痛になりそうだし、とは思うものの、以前に比べると胸は格段に楽になっているのである。

そして夜が明け、今度は朝から本部道場の稽古1時間半に参加したのだが、ふくらはぎが軽ぅく痛かったり、汗をだくだくにかいていたりはするものの、やはり以前とは胸の感覚が違う。

ちっくしょーあの息の切れ方は運動能力のせいじゃなくて病気のせいだったのかぁ、と、確たる根拠はないながらも思った私であるが、いずれにせよこれからの稽古がますます楽しみになりそうな予感を抱えたこの2日間であった。



後はもう少し脚の筋力を鍛えなくてはなぁ。

July 22, 2007

稽古@0722

というわけで3週間ぶりの稽古である。
えぇと、皆さんご心配をおかけしましたがこんな塩梅で戻って参りましたよー。

市大会・小学生団体戦の選手選考の関係上、基本練習を端折った部分があったのは確かだけど、前に比べて息が上がらなくなっているような...。
これがもし気のせいでないなら欣喜雀躍ものだけれど、まぁ様子を見ながらちびちびでもグレードアップを図っていければと。

しかしながら来週は合宿があるものの、その後は
 第一週 → 鮎祭りで東町が使えないので月曜振替→休まざるを得ない
 第二週 → 盆休み
と、またしてもかなりのインターバルが空いてしまうわけで、とりあえず体重のリバウンドと体力低下が起こらないようさぁどうすんべ、というのが目下の課題だなぁと思案している次第である。




......ビリーさんとキャンプ?(笑)

July 17, 2007

EMERGENCY

本日の作業は日本橋の某所へのPCを納品でした、が。



私の目の前で作業をしていた先方の方が突如昏倒しました。



その数分前から「お前顔色悪いぞ」「後は俺引き継ぐから帰って医者に行ったほうがいいって」と他の社員の方に言われつつも、「ここまでキリつけちゃいますから」と作業を続けていた折のことでした。

ある人は「おい、大丈夫か?聞こえるか?」と声をかけ、ある人は119に電話、そして私も作業を中断して先方の責任者の方を呼び出したり毛布をかけたりなどあたりの空気は一気に緊迫。

幸いにしてその方は1分程度で意識を取り戻し、質問にも答えられるようにはなったのだけど、顔色は真っ青。
話によると-何らかの繋がりがあるのかは分からないけれど-、

 ・腰が痛くて、一旦しゃがんだはいいが立ち上がれなくなった
 ・どうも仕事に来てから眩暈がしていた
 ・今までにも1、2回同じ様なことがあったような

という話でした。
丁度自分が心臓いじくったこともあり、「動悸とか不整脈はないですか?」と気になって聞いて見たのだけれど、そういったことはないとのこと。いずれにせよ頭部の強打で脳震盪は起きてしまっているだろう、ということで、駆けつけた救急隊によって病院に搬送されていきました。

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で、話によると、この方は私の一つ下なんですな。

何というか、自分が入院を経験したから思うのかもしれないけれど、自分らの年代ってまだまだ健康そうで、これからが本領発揮、ばりばりやるぞ、と思ったりしているけれど、実は案外裏で突如こういったことが起こるリスクが進んでいるのかも知れない、と、ちょっと怖くなったりしております。

ともあれ、倒れられた方の早期回復をお祈りします。

July 15, 2007

連合会関東大会

というわけで、台風の最中南千住で行われた連合会関東大会に行ってきましたー。

例によって例の如く(といってもまだ2年目だが)ワタクシは賞状筆耕担当として馳せ参じたのだが、今年は後援会長であるところのコンビニ店長氏、ひ弱ではない空手おやぢ先生、そして試合終了後に駆けつけてくれ猫足さん親子という強力な助っ人陣が

 「賞状をプリンタに差し込む係」
 「刷り上った賞状を乾かす為並べる係」
 「名前の印字ミスがないか確認する係」
 「インクよ早く乾けと団扇で扇ぐ係」

などと分担してくださったおかげで、慌しくも結構順調に作業が進んだのではないかと。皆さんには感謝であります。

それにしてもこんな事でも役に立てるなら喜んで動きましょうとは思うものの、一つ残念なのは道場生や注目選手の試合がなかなか思う様には観戦できないところである。だから試合の状況はあちこち回ってきた会長先生より伺う他なかったのだが、ただ詰めていたブースの前のコートで一般男子の形や組手をやっていたので、ぽつぽつとではあるが全日本クラスの技を見ることができたあたりはやはり役得かもしれない。

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さて賞状を印刷しているその隣では、東洋館の先生方が各コートから集まった試合結果の集計を行っていたのだが、こうして組むのも2年目になると作業中にお菓子を頂いたり、こちらからお弁当をお渡ししたり、うちの会長先生に至っては館長のT橋先生に整体までやってもらうなどさながらちょっとしたご近所付き合いの様相を呈している感じである。空手を経験していないみなさーん、この世界って実はこんなほのぼのした一面もあるのですよー(笑)

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今回はりゅう、たかはる、なおきの3人が大阪行きの切符を手にしたのだが、敗れてしまったメンバーを含め、あれこれ課題が多い様である。今年は会派大会に市大会が控えているわけで、さぁてどうやって勉強を深めていくか、でしょうなぁ。

無論、試合が全てではないとは思っちゃいますけど、やはり学んだ成果はどこかで発揮して欲しいですもんね。

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大会終了後は先に帰られた会長先生の代理として会議に出席。内容については性質上ごにょごにょもごもごなのですが......諸先生方、お気持ちは分かりますがもう少し収拾のつく形でお話頂けませんでしょうか。

その後、支部某師範の車で厚木に戻り、某焼き鳥屋にて残念会(・皿・)に合流。既にコンビニ店長親子は一足先に帰宅していたが、今回バックで動いていた5人で、こちらも例によって例の如く空手談義に花を咲かせた次第である。
まぁ、ひとつ言えるのは
 「いろいろありますけど、それも修行の糧ってことで。」
てなところかも知れませんな。勿論、多分に自戒をこめて言っております。

ともあれ、会派や選手・指導者・保護者・係員の別を問わず、大会に参加された皆さん、お疲れ様でした!



追伸:
今大会にはJKFanが取材に来てました。
まぁ私が写ることはないでしょうけれど(笑)、参加された方は次号(次々号?)を楽しみにされてはいかがでしょうか。

July 07, 2007

入院日記:四日目

どうも採血を行った0時以降、ジャスト1時間単位で目が覚めている。
その都度見回りの看護士さんが懐中電灯を持ってカーテンを開け、私の顔を照らし...(笑)

最終的に起床したのは、睡眠時無呼吸検査の終わる06:40だった。

 00:00 採血&血圧測定
 06:40 起床、睡眠時無呼吸検査終了
 08:00 朝食
 09:30 清拭及び退院手続き、身支度
 11:00 迎えに来た家人の車で自宅へ

7時半頃にDr.Sがやってきて傷口をチェック、ガーゼを外して「動いていいですよ」とのコメントを頂戴する。そうなると最初に向かうべきは、下世話ながらトイレ!んまぁ、その辺はなかなかにお察しください的な状況になっておりましたのでねぇ...。

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朝食の後、Dr.Sやら看護士さんやら事務担当の方やらが入れ替わり立ち代りやってきて退院の手続きに入る。手続き自体はかなりあっさりさっくりだったのだが、退院の時間がある人曰く「午前中」だったり「午後」だったりして一体どうなっているやら。

その間、最後の清拭をしてもらい、ぼこぼこついていた電極をはずしてもらい、荷物を片付け、段々と身軽になっていく私。

結局家人に電話し、迎えに来てもらったのは11時。
3日ぶりの自宅に着いて最初にしたことがシャワーを浴びること。
あれ程さっぱりするシャワーを浴びたのは初めてではなかったろうか。

傷口は恐らく大丈夫だろうとは思うのだけど、さすがに明日の稽古はお休みだなぁ。

--

今回Dr.D、Dr.S、Dr.M、そして看護士の方々には非常にお世話になり、また気を遣って頂き感謝の思いで一杯なのだが、その一方でできればこういう経験は今後御免蒙りたいのが正直なところでもある。そりゃ好き好んで病気になる人間なぞそうはおらぬわな(笑)
ただ、今回の件で健康とは何ぞや?ということを前に比べるとかなり意識するようにはなったかも知れない。若干鳥頭の気のある私のこと、喉元過ぎて熱かったっけ、となる可能性がゼロとは言えないけれど、もう少し自分のコントロール、ということを考えていければいいな、と。


次の診察は8/6である。さぁて、どんな塩梅になっているやら。

July 06, 2007

入院日記:三日目

さてメインイベントの朝は意外と手持ち無沙汰である、のだが...

困ったことに朝方から咳がよく出てくる。入院してからは風邪も落ち着いていたかと思ったのになぁ。

 06:00 起床
 06:30 睡眠時無呼吸検査終了
 07:45 朝食
 09:00 点滴開始
 11:30 検査の支度開始
 12:30 ストレッチャーに乗せられ検査室へ
 16:00 検査終了
 16:30 心エコー
 18:00 夕食
 19:30 睡眠時無呼吸検査
 20:30 気がつけば就寝

朝食の後、Dr.Mがブドウ糖液の点滴にやってくる。
ちょろちょろと準備をしながら雑談を。

 Dr.M「いやでもこんな病気になっているなんて普段なかなか考えないですよねー」

問題になる前に見つかったのは確かにラッキーですな。

 Dr.M「カルテ見たら自分と同い年だったのでびっくりしたんですよ、もし自分だったら...ってなかなか想像が(以下略)」

あららそうだったんかい。

で、Dr.Mが去った後に検査準備の看護士さんが何回かやってきたが、最初にきた看護士さん、私の点滴部位を確認するや「あれっ」という顔であれこれテープの張替えを始める。
針の刺し方は問題なかったんだろうけれど若干手順をすっ飛ばしたらしい。改めて言う、...頑張れ若先生。

--

11時半頃より看護士さんに手伝ってもらいながら(点滴の管が寝衣の袖の中を通っちゃってたのだよ)検査衣への着替えだの何だのを済ませ、ストレッチャーにて検査室へ。

検査室は病院の地下にあり、病棟から専用のエレベータで降りていくことになる、のだが...途中通り過ぎた自動ドアの間から、病院利用者向けのコンビニがちらりと見える。
うわ、こういうのって結構表裏一体の場所にあるのだなぁ。でも災害とかの場合を考えるとこの方が都合がいいのか、などと余計なことを考える私を乗せたストレッチャーは3人のドクターの待つ、音楽の流れる室内へ...って、え?これって患者の緊張を和らげるためなのかなぁ、それともDrの誰かの好みなんだろうか。ピーター・セテラの「Stay With Me」とかボビー・コールドウェルの「PARRAMENT」とかAORが多いところから判断するにDr.Sあたりか...

ってやっぱり現場に臨んでも余計な考えの止まらぬ私である。

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さて諸々の準備を終え、局所麻酔をかけた後、いよいよカテーテルを入れることになるわけだ、が...


痛い!
刺されるような感じではなく鈍くて重い感じだけれど、かなり痛い!


本当はもう少し力抜いた方がいいのだろうけれど、どうしても全身が強張って額に汗がにじんでしまう。

 Dr.D「どう?大丈夫?」

えぇと、なんだか鈍い痛みがするのですが。

 Dr.D「あぁ、そりゃ痛いわなぁ、おぅいS先生、代わって」

...というわけで、Dr.SからDr.Dに交替したところ、痛みは消えこそしなかったものの半減。ここで付け加えて言おう、......頑張れ中堅先生。

--

カテーテル検査(アブレーション)というのは、要はこうやって通したカテーテルにて心臓に電気刺激を与えてわざと不整脈を起こして不整脈の元となっている部分を探知、場合によっては高周波で焼いて治療してしまうものである。

というわけで、問題の個所を発見するまでの間、唐突に心臓がバクバクしたり、場合によっては眩暈を起こしかけたりしたのだが、いやしかし運動なり驚いたりすることなしに心臓がバクバクいうのはなんとも言えず嫌な感覚である。実際のところ、胸が痛くなることはぽつぽつあったもの、動悸とか眩暈とかの症状はなかったですけんね。あぁ、同じ病気でもヤヴァイ場合はこうやって倒れてしまうのか...などとつらつら考えたりする。丁度BGMは私も好きなデヴィッド・ベノワの「Linus and Lucy」が流れていたが、これからこの曲を聴くとカテーテルを連想してしまうようになるんだろうか。

--

アブレーションで焼いたのは大体3〜4箇所ではなかったかと。
変な信号を出している部位に、大体60〜70度の高周波を当てるわけなのだが、感覚としては胸の奥がぼわっと暖かくなる、程度のものだろうか。ただ、これをやっている最中にくしゃみとかしてしまうと非常にヤヴァイ事態に陥るby Dr.Dということで、朝から続いていた咳が出ないよう、そしてできるだけおとなしく、浅すぎず深すぎぬ呼吸になるよう気にかけてしまう私。こんなところで苦労するとは思わなんだぞ。
加えて、確かにアブレーションは「熱く」はないのだが、何回かやっているうちに身体の中が「暑く」なってしまい、緊張でかいた分にプラスアルファで脂汗が額に浮かんでしまう。

 Dr.D「おーし、小休止しよう。今身体ん中サウナ状態だろ。おーい看護士さん、氷含ませてやってよ」

気のよさそうなおばちゃん看護士さんが「ちょっと大きめですよー」といいながらロックアイスみたいなものを1個口に入れてくれる。無論それで一気にクールダウンするわけではないのだけれど、結構気持ちの面で落ち着くのには役立った気がする。

 Dr.D「さて、また始めるよ〜、あと少しだから。おぅい、ホリゾン(セルシン)投与して」

ホリゾン(セルシン)というのは抗不安薬の一種である。
ずっと身体が緊張気味の私をリラックスさせる為に用意されたのだろうか...。

--

 Dr.D「はぁいこれで終わり。お疲れさんでした」


どうもホリゾンがかなり効いたのか、途中から眠っていたらしい。

再びストレッチャーに乗せられ、検査室を後にしようとする私に、手術衣を脱いだDr.Dが更に声をかける。

 Dr.D「あのね、まずはいい話しといたげる。ICDが必要になる様な不整脈はなかったです」

不整脈の出方が出方だったので、最悪ICD埋め込みの可能性も想定されていたのだが、どうやらそれは免れたらしい。

まぁ、ARVC自体は治療云々ではないけれど、とりあえず今回一番まずい部分他数箇所を焼いたこと、それ以外にも幾つか問題点は実は見つかっているが、

 Dr.D「5分に1回くらいしか出ないからあんまし影響ないし、不整脈出るの待って焼かなきゃいけないから一日がかりになっちゃう」

ということで、「七割方の成功だと見ています」というのが見解だそうな。

 Dr.D「明日の、うまくいきゃ午前中には退院できるから。あんまし(病院に)いたくないでしょ?」

...まぁ(笑)

--

その後心エコーをやって病室に戻ったのは17:00頃。
後からやってきたDr.Dはラウンジにて待っていた家人を探し出し、私が寝ているベッドを囲んで、先と同じ様な内容を再度説明。去り際に、

 Dr.D「あ、本人昼飯抜いてますから、特にその辺制限とかないのでパンでも何でも好きなもの食わしたってください」

D先生、なかなか粋なこと言ってくれるじゃねえか、とは思ったのだが、...もう晩飯の時間じゃないっすか(笑)

--

術後半日程度は安静ということで、晩飯は寝たままでも食べられるおにぎりが主食であるが、当然ながらおかず類は介助なくては食べられない。
というわけで、介護福祉士であるところの愚妹のお手並み拝見、といきたいところであったが、


.........なんか食いづらいんだが(爆)


まぁさすがに家族、それも4つ上程度で減らず口叩いている自分のアニキの介助なんざしてりゃそりゃ笑えてもくるわなぁ。
それでも完食までしっかり付き合ってくれた家人には感謝である。

--

しかしまぁ入院前はよく冗談であれやこれや恥ずかしい云々の話をしていたが、いざ現場になるとそういう感想はなく、検査の下準備にしろ、着替えにしろ、或いは排泄関係で面倒が生じた場合でも手際よく、それでいてあれこれ気を配りながらこなしてくれる看護士さんたちにはただただ「お手数をおかけします」「こんなことまで面倒見て頂いて申し訳ないです」という思いしか浮かんでこないのが実際だ。


この晩3度目の睡眠時無呼吸の検査ということで、更にあれこれチューブ類が取り付けられるが、さすがに疲れたのか20時半から後の記憶がない。
兎にも角にも大仕事は終わったのである。

July 05, 2007

入院日記:二日目

さて入院二日目のお話。
いつもは朝起きるのに難渋するのだが、普段に比べあまりに早い時間の就寝だった為かあっさりさっくり目が覚める。

 06:00 起床
 06:30 睡眠時無呼吸検査終了
 07:45 朝食
 09:30 清拭
 11:30 転棟
 12:00 昼食
 18:00 夕食
 20:00 睡眠時無呼吸検査
 21:00 就寝

朝食後に看護士さんがやってきて、「やはり昨日不整脈出てましたのでー」と、昨晩つけたのとは別個のホルターを取り付ける。ちょ、ちょっと待て、私はどんだけ心電図とればいいのだ。ま、後で分かったのだが、こちらはまずい脈が出たときにナースセンターに通知する機能がついているものだった、らしい。ならそう言ってくれい。

しっかし、この調子だと本日もシャワーを浴びるのは厳しいのでしょうか。嗚呼。清拭して下さるのは有難いけれど、でもやっぱ風呂はともかくシャワーくらいは...。

その後Dr.D以下担当医の先生方がやってきて、7Fに転棟するようにとの指示が出る。そもそもが9Fは呼吸器系病棟であり、本来は7Fに入るのが筋らしい。
身支度をして、さぁ、7Fに...と行こうとすると、担当の看護士さんが車椅子付でスタンバイしているではないか。いやいや歩けますってば。

--

しっかし入院生活っていうのは結構放っぽっておかれるのではないか、あれこれ今後について考えをめぐらす機会になるのでは、と入院前は考えていたのだが、これが意外とそうもいかない。
検査とかならまぁ分からぬ話ではないが、看護士さんの夜勤・日勤の交代の挨拶や諸々の伝達事項、「ホルターの電極が外れているらしい」etc、結構人が入れ替わり立ち代りやってくるものだから、何となく病室に居続けなくてはいけないような印象を受けてしまう。実際は移動制限はなかったし、病院内の本屋に立ち読みにも行ったのだけれど。

--

この日の晩も睡眠時無呼吸検査を行うが、消灯時間にはあっさりさっくり眠ってしまう。きっとそんなもんなんだろな。

July 04, 2007

入院日記:一日目

というわけで、大ざっくりながら入院を振り返ってみようかと。
当然ながら後付けでの投稿なので、日付はその日の就寝時間に合わせております。


 10:00 病院入り、入院に際しての簡単な問診
 10:30 病棟入り
 11:30 心電図、心エコー、X線、採血
 12:30 昼食
 13:30 不足品の買い物
 15:30 オリエンテーション
 18:00 夕食
 20:00 ホルター取付、睡眠時無呼吸検査
 21:00 就寝

当初差額不要の4人相部屋を希望していたのだが、手配の関係でやむなく個室「的」と銘打った9Fの部屋に入る...と思ったら、30分もしないうちに看護士さんがやってきて「すみませんまだ準備が整っていないのでこちらの部屋に」と別の部屋に移される。この広い病院にしても、なかなか部屋を確保する事は難しいらしい。

夕方より家人を交えて行われたオリエンテーションでは、担当医の紹介と今回の治療体制についての説明が行われる。過日診察を受けたDr.Dの他、細面ヒゲメガネのDr.S、そしてかーなーり若そうな研修医のDr.Mが私の担当だそうな。Dr.Mはまだレクチャーの要領を勉強中らしくDr.Dより「先生、エコー写真は?」「先生、○○のコピーは?」と言われる度に慌ててカンファレンスルームを抜けて書類を取りに行く。頑張れ若先生。

Dr.Dの説明は非常に明朗でポイントを押えたものという印象であったが、一つ言わせて頂くならば、心室細動で薨去されたのはヒゲの(=三笠宮)殿下ではなくて高円宮殿下です。それからサッカー中ではなくてスカッシュ中に亡くなられたのではなかったかと。世が世なら不敬(略

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夕食後少しまったりしながら、まぁシャワーは寝る前に浴びればいいか、なんぞと呑気に考えていると、Dr.Sが「こんばんわー」とカーテンを開ける。手にはホルターが。

 「これはより精密に計測できるホルターですので」

というわけで、たちまち電極をぼこぼこ貼り付けられた私。あーあ、シャワー浴び損ねちゃった、まぁ明日の朝でも浴びりゃいっかー、なぁんて考えていると、10分もしないうちに。

 「こんばんはー、○○ライフテックです」

そんなハーフのDrなんぞ紹介されたっけ?
...と、よくよく見れば名札は日本名。どうも外部の業者さんらしい。

 「これからですね、睡眠時無呼吸の検査を」
 「心電図とですね、鼻のあたりにセンサーを取り付けまして」

あれれ心電図は先程取り付けたはずですが。

 「そちらとは別個の調査になりますので」

かくして私は胸と背中に10個近くの電極を貼り付け、耳に引っ掛ける形で鼻にチューブの先っちょを差込み、起き上がる時には2つの計器を首からぶら下げるという、事情を知らぬ人からすればどんだけ病人だよ、というスタイルになったのである。

なんだか初日からあれこれ厄介だなぁ、と思いつつも、消灯時間である21時にはさくっと眠りについた私なのである。

July 01, 2007

ガラガラボイスアンド選挙

数日前から喉が痛いでーす。

昨日は某所で朝10時から23時半までサーバリプレースやっておりましたが作業の指示だの先方への状況確認だのは全て掠れ声。

本日の稽古は鉄下駄先生と全然ひよわでない空手おやぢ先生に声の必要な指導をお願いしましたー。


こんな状態で今週水曜より入院です。検査大丈夫なのかよ。

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さて本日は数年に一度の選挙イヤー(市長・県議・市議・参院)の中の市議選ということで、夕方投票所であるところのわが母校に。

時々投票を終えた後に校内をぷらっと一回りするのだが、ここ数年でプールの改修があったり、自校給食の調理場が完成したり(それまでは「給食センター」なるところから車で運ばれていた)、校舎から校庭に下りる部分の段差のところにバリアフリーを考えたのかスロープができていたりする一方で、明らかに数年間草むしりされていないであろう花壇(跡?)や、ウサギもニワトリもおらず手入れもされていない動物小屋、毎日のように登って遊んでいた通称「トンネル山」の土がごっそり削げて放置されている姿を見たりしてちょっと複雑にもなる。

そりゃまぁ校舎は確かにぼろくはなりますわな。自分が入った時点で、「本館」と呼んでいたメイン校舎はそれなりに年季入ってはいたけれど、でももう少しこざっぱりした感じだった様な気がする。

今通っている子ども達が、どんな学校生活を送っているのかちょっと気になった次第である。

June 24, 2007

着々と

本日朝の稽古は会長先生不在。
なんだか稽古よりも休憩時間にわらわらとぶら下がってくるおちび達の相手で汗をやったらかいていた気が。えーっとおちびたちよ、それだけの体力があるならもっと稽古頑張りましょう!

入院の件は道場内ではまだ一部の方しか知りまへん。
余計な心配をかけても、ね。

帰宅してシエスタの後、車にて親戚宅へ。入院時には家族の他にも保証人が必要だというのでお願いに行ったのである。伯父伯母はそこそこ会っているが従姉のN姉なぞは数年ぶりじゃなかろか。
仕事のこととも絡めあれこれ話すが、
 「3、4日とはいっても、こうでもしなきゃ休めないでしょ」
 「こういう時はね、うまいこと誰かに引き継いでもらって10日くらい休んじゃいなよ」
と。よろしおすか会社のみなさまー(笑)

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愚妹が最近よくDVDを借りてくる。
只今「日本以外全部沈没」を観覧中。
「日本沈没」を選ばなかったあたりがさすが私と血を分けた間柄である。

June 18, 2007

第5回黒川杯

日曜は海老名で行われた黒川杯空手道選手権なる大会に参加してきた私なのである。勿論審判として。

この大会はK村先生の錬武会神奈川が中心となって開催している組手の交流大会なのだが、

 ・全空連系団体と防具連系団体の交流
 ・一回戦負けでも敗者復活のトーナメントが
 ・豪華商品や多彩な個人賞
 ・審判員はオリジナルTシャツ着用
 ・選手が審判に投票するベスト審判賞

と、事前から面白そうな印象を抱いていた大会ではあった。

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で、審判会議、開会式を経ていざ試合開始となった。
私の担当コートは全空連系と防具系の先生方が半々である。
今回は復活トーナメントの代わりに全空連ルールと防具ルールで同じトーナメントで2回組手ができるという方式に変更。

我らが会派の選手は全空連方式ではそこそこ健闘したものの、さすがに防具付はアウェーということもあり殆どが初戦敗退。まぁこれに関してはいい経験だったじゃろうというコメントが全てだ。ただ防具ってのは動きや視野の面で制約はあるものの、度胸を養うにはいいかも知れない。

ただ一つ難を言えば、んまぁ空手である以上完全不可避にはできないが、怪我をした子どもがぼこぼこといたのは残念だった。ルールの関係上、どうしても防具の子は全空連試合でも当て気味になってしまうし、全空連の子が防具に出ると「当て方」を知らない分自他を怪我させてしまうリスクというのは確かにあるし、主催者側が非常に気を遣っているのは感じ取れたけれど、その辺は選手は勿論、審判団の錬度の向上が大きな課題となってくるのだと思う。

--

それにつけても今大会は

 ・審判会議の席で振舞われるおにぎりやら豚汁やら
 ・トーナメントが一段落する度に運ばれてくるお茶やらおしぼりやら

と、んまぁ審判員に対しても実に至れり尽くせりな大会であり、むしろそこまでお気遣い頂かなくても...と恐縮してしまう次第であったことも書いておこう。

つか、この言い方がいいのかどうかは分からないけれど、要は「空手の"お祭り"」的な感覚もあるのかも知れない。
「勝ちを狙う」という考え方も勿論ありだけど、一方で新しい発見をしたり、普段はなかなかやらないことにチャレンジしたりといった、このようなアプローチももっと増えていってもいいのではないかなぁと考えた帰り道であった。

June 05, 2007

やめろ、やめるんだショッカー

えーっと一週間前なんですが改造人間手術(=カテーテルアブレーション、以下ABL)の日程、決まりました。
事前検査を含めて3泊4日の日程、退院は手術翌日。
とりあえずその辺には仕事入れないようにしないと。


んでだ、先の月曜は件のDr.Tと軽ぅく話した後、ABLを専門とするDr.Dと面談したのだが、

 Dr.D「検査の最中で治療可能と判断した場合はカテーテル入れ替えて治療に入りますから。日を置いて同じ事やるのは負担でしょ?」

ほえ。そんなことできるんだ。
もしそれで済んでしまうのなら今後は臆することなく組手ができるではないか。残業はやはりする気はないけど。


とりあえずは採血とレントゲンを受け、「入退院センター」なるフロアへ。手続きの書類を受け取りあれこれ説明を受ける。相部屋か個室くらいの区別しかないと思っていた病室は、大学病院だけあってかシャワーの有無だのインターネット利用可否などあれこれ細かい。
が、私はそんなリッチメーンでもネットがなければ死んでしまう中毒者でもないので、迷わず4人相部屋差額なしをお願いする。何をもって暇つぶしするかが大きな課題となるのだが、1Fの書店が結構品揃えいいしなぁ。ところでiPodって持ち込んでいいのだろうか...と、この期に及んでも不真面目な私なのである。会社はさんざ脅しているくせにね。

とりあえず今はストレスに負けることなく粛々とお仕事を片してさっぱりさせておくしか。

June 03, 2007

仰げば尊し座間市の恩 '07

というわけで、昨年
http://blog.livedoor.jp/nao_at_org/archives/50656885.html
と同じく座間市の大会に審判としてお邪魔してきた次第。

で、開場とともにエレベータへと向かうとどこかで見かけたような3人の姿が。ナショナルチーム所属であり、またえらく美形であることで知られる某形競技選手とその御両親である。昨年の県青少年大会以来だ。今回某選手はオープニングでの演武披露、そして御両親先生は審判ということでいらしたとのこと。

オープニングで彼女が披露したのはニーパイポとアーナン。形をやるときというのは、これから自分が演武する形の名前をコールするのがお約束であるが、いやはや彼女、無茶苦茶腹の据わったでかい声で

 「ニーパイポーーーッッッ!!!」
 「アーーナンッッッ!!!」

とやるのである。んま、強い選手ってのは確かに気合からして違うのではあるけど、普段のかわいい系の声からあまりにギャップがありすぎて驚いたわけなんさ。

その後形競技から熱戦が繰り広げられていたが、その間、某選手は出場を待つ子どもたちからのサイン攻め握手攻めツーショット写真攻めにあいながらも、実ににこやかに「はぁいいいですよ♪」と何度も何度も応じていた。私も審判服さえ着ていなければ列に並んで...ってコラ三十オヤジに何を言わすねや。

May 26, 2007

I want to ride my bicycle

昨日っから左の扁桃腺が腫れて痛い。
それでも昨日は昼過ぎに番田の客先に雨の中作業に行き、6時過ぎにはしっかりムサコに戻った私なのである。

...厚木は目と鼻の先だったのになぁ。


本日は一日休養させていただきましたよ。

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10代後半から20代前半にかけて、ちょっとした演劇団体をやっていた。

メンバーは高校演劇の伝で知り合った人間が中心である。既に活動を止めて久しいが、その時の同期メンバーとは今でもメールやり取りしたりマイミクだったり、時々は飲んだりする。

さて活動をするにあたっては当然ながら場所が必要となるわけだが、当時学生や浪人生(笑)を中心としたメンバー構成とあっては
 ・無料で
 ・通いやすく
 ・公演できるホールがある
会場というのが一番ありがたいわけで、当然ながら各地の公共機関をあたることになるわけなのだが、市営施設だったりすると「市内在住・在勤・在学が半数云々」という規約があり、県央各地(主として相模線沿線)からメンバーの集まっていたわれらが団体が落ち着いたのは、結局地区発表会でよく使っていた相模原の県立青少年会館(現・相模原市青少年学習センター)であった。まぁ結構年季の入った施設ながら、アットホームな感じの職員さん達のおかげもあり気持ちよく使わせて頂いた次第である。

しかしながら、ここの最寄駅はJR矢部ということで、本厚木からのルートは

 A:本厚木 -小田急- 町田 -横浜線- 矢部
 B:本厚木 -相模線- 橋本 -横浜線- 矢部

となり、いずれにせよ相応の電車代がかかってしまう。週1、公演前は週2ともなると正直なところなかなかお財布にしんどい話ではある。

しかし、だ。
当時の私は高校時代の延長で自転車小僧だったのである。


さて、自転車で自宅から矢部まで走るとどんなもんだろ。


いや、実際には一度高校の帰りにぶらぶら自転車を走らせてたまたま着いてしまったことはあるのだが、それを毎週やるべ、と考えるあたりがさすが19歳若いねぇ。

というわけで、ある時点から雨の日を除いて自宅からの矢部通いが始まった。中津川を渡り、R129を相模原方面へと進み、途中上溝南高校から相模原市内への裏道を通ると目の前はもう淵野辺、矢部のひと駅手前である。所要時間は1時間強。電車を乗り継ぐのと殆ど変わりがない。
いや、それどころか途中、バスと電車で現地に向かう相方とばったり会って「競争か?(笑)」などと言ってたところ、彼の方が20分近く遅れて来る有様。自転車というのもなかなか馬鹿にならんものですぞ。

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で、話は昨日に戻る。
番田の駅からR129とは反対側に出て歩き出したルートは、その当時まさしく自転車をよくかっ飛ばした川沿いの道であった。当時の自分よ、よくぞそんな気合と根性があったものだ。いや、単純に電車代を惜しんだのと自転車が好きだったのと、それに尽きるのだろうけれど。


さて、今同じルートを自転車で走ったらどうであろうか。
できなくはないだろうけれど、恐らくは倍の時間が...。

May 23, 2007

Memory of the "Death"March(「惨」月の記憶)

2007年05月23日
13:32
昨日、某社PCトラブルのリモート対応中「10分でいいから」と引きずられて会議室に向かうと、某プロジェクトの参加メンバーが顔を揃えていた。

早速机に置かれたドキュメントを元に説明が始まる。

...

......

.........ぱぴ?それじゃ3月の悪夢再来じゃないっすか!!!


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んまぁその、3月というのはご存知の通り日記の更新もできぬくらい無茶苦茶な日々であったわけです。
何をやっていたかといいますと、

 1:地下倉庫に山と積まれた(比喩ではありません!本当に"山"です!)サーバだのPCだのプリンタだのを納品先を確認しつつ半泣きになりながらその都度数台原則ひとりで引っ張り出す
 2:引っ張り出した機器類を、他部署にお願いしてようやく確保した地下のスペースにひとりでずらずらずららっと並べる
 3:並べた機器類を右から左へ順にセットアップしていく
 4:時々意味不明のエラーが出てパニくる
 5:途中、客先から対応依頼の電話が入り作業を中断、その都度地下から5階に戻りちまちまと対応
 6:やはり原則ひとりで再度機器を梱包して客先に発送
 7:夜8時とか9時頃よりようやくルーチンの仕事に入れる私
 8:また1からの繰り返し

というのに加え、社内メールの調子がおかしくなりーの、金沢の客先に保守回線つなぎに行き失敗しーの、徹夜明け17時まで仕事した翌日に行田まで軽のバンで首都高ぶっ飛ばし納品に行きーのと、とても「無理しないで」「残業やめなよ」とドクターに言われた人間の仕事っぷりじゃなかったわけですよ。
おかげさまで3月は午後出社等も含めると、1日しか休みはありませんでしたっ。

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で、またそんな日々が音を立てて近づいているのだと!
例によって例の如くこちらに日程調整の権利はナシ。



かくなる上はとっとと検査入院の日程を決めてしまうしかないんでしょかね。

May 17, 2007

自治体広報紙の如く

半月に一度ということで日記を書いております(嘘)

まぁいろいろありますがその辺はmixiでこぼしております。
とりあえずお仕事については現調祭りが続いているとだけ書きましょうか。

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...んで、だ。
今週の頭に某大学病院にてDr.Tと向かい合う私。

 Dr「えぇと、不整脈の回数は前回とあまり変わりはないのだけれど」

...200回くらい増えているんですが。

 Dr「そのうち3連拍で発生したものが4回」

えっ...それって前に問題云々って言ってた...

 Dr「眩暈だとか、意識が遠のくとかはないの?」

......今んとこ、ないですが......。

 Dr「とりあえず今まで経過を見てきたけど、ホルターつけてもその時に出なければ分からないから。住まいはご実家?一度家族の方にお話した方がいいかも知れませんね」

なんだかやばそうな空気が漂ってきたぞ。

 Dr「今度ね、一度、カテーテルを通しての検査を受けた方がいいかも知れない。カテーテルっていうのはね、心臓まで線を通して電気信号を...(以下説明続く)...何もなければ3日間程度の入院で」


遂に検査とはいえ入院を勧められてしまった。


とりあえずは再来週の月曜に結論を出すという話になっているのだが、試しにカテーテル検査がどんなものかGooglってみる。


...

......

.........えっ、カテーテルを通すのはそんなところからなんすか。

うら若きをのことしては思わず顔を赤らめてしまった次第である。いやん(大嘘)

April 22, 2007

大会&打上げを

終えて帰宅してこれを書いてますー。
例によって例の如く、賞状印刷から選手の呼び出しから審判まで一日どたばたしておりました。
来年はもっと人数増やしつつもスムースな運営ができればいいなと。

ともあれ、形部門で優勝された猫足さん、おめでとうございます。

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さぁて、明日は東海村行きだ......。
どうも周囲は私を会社の中に置いておきたくないらしい。

ま、ちょっとしたトリップ気分で行ってきますさ!


April 01, 2007

ひとくぎり

久々の日記です。


......実際にはmixiで2回ほど叫びましたけどね(・皿・)


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昨日の作業をもって人間のものとは思われないスケジュール、終了。のはず。
昨晩(ちうか今朝)3時に帰宅、風呂に入る支度をしたはずなのだがその後の記憶が...。

...さすがに稽古は休ませて頂きましたですよ。

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さて毎年恒例のウソツキ四択。
最近の私の動きとして、ホントのものとウソのものを選びましょう。


 一、この3月に仕事で使った交通費&小口現金の金額が10万円を超えました

 一、30日夕方の期末打ち上げの席で、他部署の幼稚園から大学までフェリスというお嬢様社員・通称「ごきげんよう」をナンパ

 一、ここ最近の激務で体重が一気に減少、思わぬところでのダイエットに成功

 一、今度のゴールデンウィークにムサコに引っ越す算段がつきました。お手伝い募集中



例によって例の如く、真実は私の心の中に。

March 07, 2007

当面の間2007年03月07日

日記を休載させて頂きます。
多分今週と来週一杯くらい。

状況についてはお察しください。
運がよければケータイからメモくらいは書くかも知れんです。

というわけで次回以降の日記タイトル予告。

 「暗い暗い地下室の片隅で」
 「寝言は寝てからどうぞ」
 「和泉元彌もビックリ!トリプルブッキング」

再来週もまた、みてくださいねー!ンガンンッ。