Memory of the "Death"March(「惨」月の記憶)仰げば尊し座間市の恩 '07

May 26, 2007

I want to ride my bicycle

昨日っから左の扁桃腺が腫れて痛い。
それでも昨日は昼過ぎに番田の客先に雨の中作業に行き、6時過ぎにはしっかりムサコに戻った私なのである。

...厚木は目と鼻の先だったのになぁ。


本日は一日休養させていただきましたよ。

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10代後半から20代前半にかけて、ちょっとした演劇団体をやっていた。

メンバーは高校演劇の伝で知り合った人間が中心である。既に活動を止めて久しいが、その時の同期メンバーとは今でもメールやり取りしたりマイミクだったり、時々は飲んだりする。

さて活動をするにあたっては当然ながら場所が必要となるわけだが、当時学生や浪人生(笑)を中心としたメンバー構成とあっては
 ・無料で
 ・通いやすく
 ・公演できるホールがある
会場というのが一番ありがたいわけで、当然ながら各地の公共機関をあたることになるわけなのだが、市営施設だったりすると「市内在住・在勤・在学が半数云々」という規約があり、県央各地(主として相模線沿線)からメンバーの集まっていたわれらが団体が落ち着いたのは、結局地区発表会でよく使っていた相模原の県立青少年会館(現・相模原市青少年学習センター)であった。まぁ結構年季の入った施設ながら、アットホームな感じの職員さん達のおかげもあり気持ちよく使わせて頂いた次第である。

しかしながら、ここの最寄駅はJR矢部ということで、本厚木からのルートは

 A:本厚木 -小田急- 町田 -横浜線- 矢部
 B:本厚木 -相模線- 橋本 -横浜線- 矢部

となり、いずれにせよ相応の電車代がかかってしまう。週1、公演前は週2ともなると正直なところなかなかお財布にしんどい話ではある。

しかし、だ。
当時の私は高校時代の延長で自転車小僧だったのである。


さて、自転車で自宅から矢部まで走るとどんなもんだろ。


いや、実際には一度高校の帰りにぶらぶら自転車を走らせてたまたま着いてしまったことはあるのだが、それを毎週やるべ、と考えるあたりがさすが19歳若いねぇ。

というわけで、ある時点から雨の日を除いて自宅からの矢部通いが始まった。中津川を渡り、R129を相模原方面へと進み、途中上溝南高校から相模原市内への裏道を通ると目の前はもう淵野辺、矢部のひと駅手前である。所要時間は1時間強。電車を乗り継ぐのと殆ど変わりがない。
いや、それどころか途中、バスと電車で現地に向かう相方とばったり会って「競争か?(笑)」などと言ってたところ、彼の方が20分近く遅れて来る有様。自転車というのもなかなか馬鹿にならんものですぞ。

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で、話は昨日に戻る。
番田の駅からR129とは反対側に出て歩き出したルートは、その当時まさしく自転車をよくかっ飛ばした川沿いの道であった。当時の自分よ、よくぞそんな気合と根性があったものだ。いや、単純に電車代を惜しんだのと自転車が好きだったのと、それに尽きるのだろうけれど。


さて、今同じルートを自転車で走ったらどうであろうか。
できなくはないだろうけれど、恐らくは倍の時間が...。

nao_at_org at 23:50│Comments(0)TrackBack(0)日々雑記 | Essay/Workpad

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