今日は、久しぶりに心理学の話をしましょう。
"psychology"ではなく『心理学』。
現在ではpsychologyの性質上、当然の流れとして
心理学は『人間学部』などに設置されることが多くなっていますが、
東京大学では文学部の中に設置されています。
此処でも書いたことがあったかもしれませんが、
私は、多くの日本の大学で、心理学が文学部に設置されていることに、
「歴史的な流れ」以上の意義があると信じています。
日本では長らく、心は仏教の中で語られていました。
現在の心理学でも使われている『意識』の語源は
奈良時代、道昭が伝えた唯識論に遡る事ができます。
その後明治維新を経て、欧米の学問が流入する中で、
『心理学』という言葉を最初に使ったのは西周だと言われています。
これは、Joseph Haven, "Mental Philosophy"の訳であり、
psychologyに対しては『性理学』という訳が与えられていました。
1877年、日本初の近代大学、東京大学が創設され
教養科目として
外山正一の『心理学』が開講しましたが、
内容は
Herbert Spencerなどの近世哲学を教えたものでした。
実は、西周が『心理学』を刊行した1875年、
大学が設立された1877年にも
現代心理学は成立していませんでした。
現代心理学の成立は、1879年のドイツ、
leipzig大学で
Wundtの研究室が正式に認められるのを待たなければなりません。
日本にWundtの流れを汲む心理学がもたらされるのは、1888年
心理学の初代教授である
元良勇次郎が帰国してからのことです。
同年に彼によって帝国大学文科大学で「精神物理学」が開講しました。
いみじくも、時の学長は『心理学』を受け持っていた外山正一でした。
このように、日本における『心理学』は当初哲学であり、
「精神物理学」になってからも、その成果は哲学会雑誌で発表され、
やはり、哲学の一分野でした。
東大に於いて、心理学が哲学から離れるのは1963年のことです。
この背景には、psychology自体が哲学の中で語られ、
LockeやBerkeley、Kantの功績なくして、
実験心理学は生み出されえなかったという歴史があります。
もちろん、心理学のルーツは哲学だけでなく、
生理学、物理学、化学それぞれの分野でなされた感覚研究が
心理学の直接的な布石となったのは言うまでもありません。
とすると、心理学は元来「文理」の壁を越えた分野であるから、
積極的に最先端の技術を利用した方法論を採用している今こそ、
同じ性質の諸分野と、新しい看板の元に集うこともできるでしょう。
しかしそれでも、私は心理学が文学部にあるべきだと信じます。
それは、文学部が、哲史文といった切り口で
あくまでも「人間」を探求する場所であるからです。
生理学や工学の方法論を取り入れ発展してきた心理学が
文学部に在ることで、文学部の深みと広さを維持するだけでなく、
ただの「蛸壺」に陥る可能性を孕んだ学部全体に対しても
本来の在るべき姿を思い起こす警鐘となりうるのではないか。
それこそが『人間学部』という名前に引きづられて、
哲史文から独立してはならないと考える理由です。
更には、心理学自体が、文学部にその身を置くことで、
共に発展する周辺領域とは異なる志向があることを自覚し、
緩やかな連合体の一部として、
学部に対し如何に貢献できるのかを探る道程で
翻って、非直接的で、独自の、社会への還元方法を
見出せるのではないか、と考えるのです。
これは、自分自身の中で、大切にしていきたい種であり、
とても個人的な、信念ともいえる感情です。
とても長くなりましたが、
私は人間が好きです。
文学部が好きで、心理学が好きです。
言いたかったのは、それだけのこと。
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