2007年01月31日

that is the question.

二項対立で物を考えるのは、人間一般に見られる癖なのでしょうか。

気が付くと、選択肢はいつも2つに集約される気がします。
漫画を買おうか、CDを買おうか。
人を待とうか、待たずに帰ろうか。
家に帰ろうか、もう少し散歩をしようか。
今日を休日にしようか、活動日にしようか。
白か、黒か。是か、非か。

考えるだけで頭が痛い日は、
コインでも投げて決めてしまおう。  続きを読む

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2007年01月29日

先楽後憂

1ヶ月前までは家族以上に時間を共有していたのが嘘のように
今日のゼミでは、みんなに「久しぶり」と挨拶していた。

思えばみんな2週間ぶりとか、あるいは3週間ぶりだったりする。
今日は当たり前のように「また来週」と言って別れて、
その来週のゼミ打ち上げ以降は、いつ会えるかも分からない。
卒業するというのはこういうことなんだな、と
私より二回りは大きいみんなの背中を眺めながら思っていた。

初めて、みんなで集まって飲んだのは、
暑くなり始める予感のするビールの美味しい夜で、
季節が巡る中で、みんなの実験が始まり、
幾度とないトラブルを乗り越えて卒業論文は完成した。

みんなで旅行にも行くし、きっとすごろくもするのだろうけれど、
研究室に行けば誰かがそこにいるのは、もう当たり前ではない。

それはとても嬉しいことのような、
でも少し切ないような、
そんな気がしているのは、
月影があまりに人工的だったせいかもしれない。  
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2007年01月27日

twisting

本日、院試の1次が終わりました。
期待、心配、静観してくださった皆様、
正直、謙遜でもなんでもなく、芳しくない。
申し訳ありませんです。心より。

来年、フリーターっぽいよ、これ。
まぁ、積極的に次の手を打ちたいと思います。

さて、そんなどよーんな院試が終わって研究室に戻ったら、
今、世界で一番会いたくない指導教官がいらっしゃいました。
で「あぁ、お疲れ様。」と。
会話の中で「去年よりはできた?」と聞かれたので、
「いいえ」と答えたら、明らかに表情が曇りました。

なのにね、私と同じ分野で来年卒論を書く3年生に課した
宿題の中身とか、今後の指導とか、そういう話をなさる。
「手始めには、あの本を読んでおけばいいと思って。ね。」って。
3月まで、責任(ぇ、何の?)を持って、様子を見ていきます。
(純粋にその女の子が可愛いからだけど。)

でも、ここで朗報です。

一つ。
死なば諸共の覚悟で、音圧計を壊したと恐る恐る報告したら、
「新しいの買って良いからどれ買うか検討しておいて」って
優しく、むしろ嬉しそうにおっしゃいました!
ま、期限はあと3日だけど、
というか来年自分では使えない可能性高いけど、
でも、選んじゃうもんね♪ウキウキ♪

一つ。
だいぶ以前に、ここで書いたのですが、
以前作成した報告書が、広報委員長から学部長に渡った結果、
学部長が、私の指導教官に対して、酒の席で
「あの編集後記を書いた学生と話したい」とおっしゃっていたそうです。
恋文が届いただけでなく、まさかの向こうからのアプローチ(違)。
で「まぁ、学部長として会いたいようだから3月までに」と指導教官。
ええ、私はいつでも飛んで行きますとも。
人間、頑張ればいいことあるんだな、と思いました。
心理学を頑張れ、という正論は聞こえません。

というわけで、新規購入の音圧計を調べて、
指導してくださった助手さんが次の音響学会で発表してくださる
自分の研究の詳細を報告するために再度データをいじって、
その結果と卒論を助手さんに届ける時に議論してもらって、
、、、切ないほどに心理学ばっかりの日常に戻ります。

でも、やっぱり、こういう日常は好きみたいです。  続きを読む
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2007年01月25日

手段の目的化

正直なところ、実験心理学への期待は薄らいでいるのですが
とりあえず、難しいことは考えずに、勉強しようとしています。

と言うわけで、同じ畑の皆様、特に同じ授業を受けた皆様、
もちろん、同じような授業を1年後に受けた皆様も、
今更とか言わないで、いろいろと教えてください。

○Köhlerの場の理論について
なんで、どこら辺が『同型』なんですか?
「視覚野の場の振る舞いはPrägnanzに向かう知覚の傾向で説明可能」
って、私にとっては何も説明されてないくらい不明です。
特にモデルだと、Neural Actionのところが不明。


あと数時間、この記事が伸びていきます。
教科書と心理学辞典とgoogle先生に聞いて分からなければ、
ここで聞きます。
返答は電話でもOKです。24時間受付中です。  
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2007年01月24日

一期一会

只今、還りました。
18の頃の自分に。日本人の根底に。
有機交流電燈のひとつに。都会で居きる生活に。


JR桜井線の中で、涙が溢れて来ました。
今思い返しても、夢だったのではないかと思うような
不思議な時間が、素敵な時間が、流れていました。
都会に向かう電車に乗り換える頃には、
誰から見ても「泣いて」いたと思います。

雲龍に再会し、
鬼を介して昔の自分を思い出し、
塔の下で人と出会い、
お陰で毘羯羅にも出会い、
現在を共に生きる多くの人に感謝し、
帰ろうと思ったその刹那、
導かれたように、大好きな場所へ向かったら、
過去に出会うため、もう一足旅することになって
故里のような、由々しい神社に参拝し、
そこで、再生を願いました。

もう、都会に戻っても大丈夫だという確信があって、
決して近くはない駅に向かったら、
1時間に2本しか来ない電車は丸の内線よりも早く来て、
名残惜しい程にあっさり、名前も知らない人と別れました。


再びあの里に行くときには、
自分の足が動かなくなるまで歩こうと思います。
晴れ渡った心を幣にして。  
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2007年01月20日

衝動

明日から、旅に出ます。
ゼミは休みます。
気が向いたら、院試には帰ってきます。

元気でやっています。
もしよければ、放っておいてください。
  
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2007年01月19日

Who are you?

初めてではないのです。
自分が絡まるのは。

実際にあった記憶が絡まるのではなく、
まるで夢の中の世界にいるように、
記憶の欠片が自由に浮遊して、
実際に起こったことと、考えていたことが区別できなくて、
夢を見ながら、同時進行的に現実を生きている感覚。

「自己同一性」という言葉が、とても馬鹿馬鹿しく思えてならないのです。
もう一人の自分、それは夢の中の自分と似ているのだけれど、
その「自分2」と「自分1」が入れ替わり立ち代り表出する感じ。
記憶が縺れて、夢の中で起こったことが走馬灯のように想起されては、
現実で起こっていたはずのことが、ほとんど思い出せない。

換言すれば、複数の人生を、同時に生きている感覚。
目は覚めていたはずなのに、夢を見ていた感じ。
妄想が膨らみすぎて、時間が余りに速く流れてしまった感じ。
そして、その妄想の中では、自由意思の相克があった感覚。

誰かと、記憶を取り合っている?
なんていう表現を使うと、心理のみんなには
『こいつ解離だよ』と思われてしまいそうなのだけど、
むしろ、その取り合ったという感触は残っていて、
夢の記憶の比重が、実際に経験した比重よりも大きくなってしまった
と表現するのが正確かな。

『解離になるという白昼夢を見ていた』が一番正確な表現だと思う。
誰かと、自分を取り合う白昼夢。
白昼夢、と言うよりは、自力では抜け出せない妄想。
かつて夢で見た内容を、思い出しているような妄想。

そして、こういうジレンマを、もう何度も重ねていて、
白昼夢の中で、確かに記憶をcut & pasteしていた。
白昼夢の中で、とても自分らしい誰かと相談しながら、
小慣れた様子で、辻褄を合わせていた。

時計の針が、2時間進む間、寝ていたはずのない自分が
一体何を思っていたのか、その面影しか、思い出せない。

とりあえず、勉強しなくちゃいけないのに。  続きを読む
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2007年01月18日

よしなしごと

昨日、友人宅で鍋を囲みながら、お酒をいただきました。

夜も更け、ほとんど明け方という時間帯になってから、
宿主の友人と院試の過去問を眺めました。

私には馴染みある単語の並ぶ心理学の問題も、
彼には異国語のように見えているようで、
いくつかの語句を説明するのを「へー」と言って聞いてくれました。
また私にとっても、他の分野の問題はさっぱり分からず、
友人が、専門分野の問題を解説しながらパズルのように解いていく姿は、
素直に凄いと驚き、感心していました。

たった2年半で学べる「専門」なんていうものは、
「教養」と大して変わらない、専門と呼ぶのも恥ずかしいような
そんなレベルのものだと思っていたけれど、
違う知識・技術を積み上げてきた友人を目の当たりにすると、
2年半という時間の重みを感じずにはいられませんでした。

違う分野で、同じように歩んでいる人が居るということが、
なんだかとても、嬉しいことのような気がしました。  続きを読む
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2007年01月16日

只今、学生を教育中

今日は、久しぶりに心理学の話をしましょう。
"psychology"ではなく『心理学』。

現在ではpsychologyの性質上、当然の流れとして
心理学は『人間学部』などに設置されることが多くなっていますが、
東京大学では文学部の中に設置されています。
此処でも書いたことがあったかもしれませんが、
私は、多くの日本の大学で、心理学が文学部に設置されていることに、
「歴史的な流れ」以上の意義があると信じています。


日本では長らく、心は仏教の中で語られていました。
現在の心理学でも使われている『意識』の語源は
奈良時代、道昭が伝えた唯識論に遡る事ができます。
その後明治維新を経て、欧米の学問が流入する中で、
『心理学』という言葉を最初に使ったのは西周だと言われています。
これは、Joseph Haven, "Mental Philosophy"の訳であり、
psychologyに対しては『性理学』という訳が与えられていました。
1877年、日本初の近代大学、東京大学が創設され
教養科目として外山正一の『心理学』が開講しましたが、
内容はHerbert Spencerなどの近世哲学を教えたものでした。

実は、西周が『心理学』を刊行した1875年、
大学が設立された1877年にも
現代心理学は成立していませんでした。
現代心理学の成立は、1879年のドイツ、leipzig大学
Wundtの研究室が正式に認められるのを待たなければなりません。

日本にWundtの流れを汲む心理学がもたらされるのは、1888年
心理学の初代教授である元良勇次郎が帰国してからのことです。
同年に彼によって帝国大学文科大学で「精神物理学」が開講しました。
いみじくも、時の学長は『心理学』を受け持っていた外山正一でした。

このように、日本における『心理学』は当初哲学であり、
「精神物理学」になってからも、その成果は哲学会雑誌で発表され、
やはり、哲学の一分野でした。
東大に於いて、心理学が哲学から離れるのは1963年のことです。

この背景には、psychology自体が哲学の中で語られ、
LockeやBerkeley、Kantの功績なくして、
実験心理学は生み出されえなかったという歴史があります。
もちろん、心理学のルーツは哲学だけでなく、
生理学、物理学、化学それぞれの分野でなされた感覚研究が
心理学の直接的な布石となったのは言うまでもありません。


とすると、心理学は元来「文理」の壁を越えた分野であるから、
積極的に最先端の技術を利用した方法論を採用している今こそ、
同じ性質の諸分野と、新しい看板の元に集うこともできるでしょう。
しかしそれでも、私は心理学が文学部にあるべきだと信じます。

それは、文学部が、哲史文といった切り口で
あくまでも「人間」を探求する場所であるからです。
生理学や工学の方法論を取り入れ発展してきた心理学が
文学部に在ることで、文学部の深みと広さを維持するだけでなく、
ただの「蛸壺」に陥る可能性を孕んだ学部全体に対しても
本来の在るべき姿を思い起こす警鐘となりうるのではないか。
それこそが『人間学部』という名前に引きづられて、
哲史文から独立してはならないと考える理由です。

更には、心理学自体が、文学部にその身を置くことで、
共に発展する周辺領域とは異なる志向があることを自覚し、
緩やかな連合体の一部として、
学部に対し如何に貢献できるのかを探る道程で
翻って、非直接的で、独自の、社会への還元方法を
見出せるのではないか、と考えるのです。
これは、自分自身の中で、大切にしていきたい種であり、
とても個人的な、信念ともいえる感情です。

とても長くなりましたが、
私は人間が好きです。
文学部が好きで、心理学が好きです。
言いたかったのは、それだけのこと。  続きを読む
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2007年01月14日

我を愛する歌

最近、更新頻度が落ちているのですが、
それは一重に、無理をしているからです。

価値あることを書こうとか、
イイタイコトを書こうとか、
せめて、笑えることを書こうとか、
悲しいことに、日本語しか使えないのだから、
せめて母語くらい綺麗に使おうとか、
そんな下らないことを思って、筆が進まなくなっているのです。

でも、どんなに崇高な理想を持っていても
自分の現在の能力には限界があるし、
何よりも、全く更新されていないのに、
こんな辺鄙な場所に来てしまっている20人の方々には
本当にあわせる顔もないので、
今後暫くは、下らないことを書き付けていこうと思います。


誰が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕
啄木


気まぐれに、長き手紙も書きたいと思っています。  続きを読む
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2007年01月12日

accessible wide web

本来ならば、一番にご報告しないといけなかったのですが、
遅くなってしまってすみません。
先日9日に、無事2回目の卒業論文を提出しました。
タイトルは昨年と変わらず、
『音の順序知覚における空間情報の影響』です。

視聴覚の情報が統合されて、特定の空間位置に
様々な情報の集合体(専門用語でいうオブジェクト)が形成され、
そうすると情報処理が早くなりますよ、というお話です。
(注:同業者の皆様、そこまで画期的な話ではありません。)

さて、ここで何度も触れてきたのですが、
心理学実験を行い、一つの卒業論文としてまとめるには、
被験者として協力していただける方が不可欠なのです。
よって、心理学の卒業論文の謝辞には
「被験者の皆様」に対する感謝の言葉が入るのが一般的なのですが、
その心理学の卒業論文の謝辞が、
被験者になっていただいた方の目に触れることは極めて稀です。

そこで、以下で改めて、被験者として参加していただいた方々へ
お礼を述べたいと思います。  続きを読む
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2007年01月06日

清談

友人の日記が更新されるのはとても楽しみなのに、
どうも筆が進まずに、また時間が空いてしまいました。

一応、遊んでいただけではないのですが、
遊んでいなかったわけではありません。
卒業論文も書いたのですが、
書き終わったわけではありません。

さて、研究室で年越しをして、
思えば、以来一日も休まず研究室に行っていたのですが、
今日は雨が降っていたので、
資料が何もない家で、のんびりしていました。

話し相手のいない家の中で一日を過ごすのは、
思ったよりも贅沢な時間で、
自分は何で心理学なんてやっているのだろう、と
おそらく、両手に納まらないくらいは思いました。

好きなことをしていたい。ずっと、遊んでいたい。
だから、その遊びを、認めてもらわなくてはいけない。
興味を持ってもらって、納得してもらわないといけない。
真剣に遊ばないと、楽しくない。

そう思ったとき、自分にとって、
今ある学業というものが、真剣に遊べる対象なのか、
そんな問いに、答えが出せずにいます。
答えが出ないのは、問いの方に問題があって、
そもそも不良設定問題なんだと、気づいているのに。

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2007年01月01日

丁亥

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

旧年中は、多くの皆様に大変お世話になりました。
実験を続けるにあたって有形無形の援助をしてくださった
心理学研究室の皆様、
学生を続けていく中で、息抜きと刺激を与えてくれたサークルを
陰ながら支えてくださっていた先輩後輩の皆様、
新入生を初めとして、新しく出会い素敵な友人知人となってくださった皆様、
数えられるほどしか会えなかったけれど、
近況を気にしあったり、時に連絡をとってくれた旧友の皆様、
多くの時間を共有し、日々の生活を文字通り支えてくださった
卒論生だった/であるみんな、サークルの同期のみんな、
そして、実験に参加してくださった皆様
参加しようとしてくださった皆様、友人を紹介してくださった皆様、
最後になりましたが、此処をご覧になっている皆様に、
心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


今年は、顔は見えない方や、故人となられている方も含め、
日々の暮らしを支えてくださっている多くの方への感謝を忘れず、
縁あって近づくことのできた方、お一人お一人を大切に、
大きな恩返しのための準備と、小さな恩返しの実行を着実に重ねる
そんな、一年にしていきたいと思います。
  続きを読む
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