クリスマスも終わり、練習の日々に戻ったわけですが今日は
音楽のこととも少し離れて違うお話を・・。
前からずっと考えてたこと。だいぶ真面目な話。
それは人種差別や偏見ということについて。
こちらではracismとかracistという言葉で良く耳にします。
海外に身を置いているので自分もそういった差別はもちろん受けるし、
また受けて当然という考えも少し持っています。
道端で時に「へい、そこの日本人」と浴びせられることもありますが、
それもある種当然というか僕はむしろ「ハロー」ととらえています。
これはただ単に傷つかないためではなく僕はただ純粋に彼らがなぜそう言うのか
を考えた結果そう思うだけ。
珍しいし、そうやって声をかけることはそんなに思考として不自然なことじゃない。
マナーとしては違反ですが。
まあそれも置いておいて。というかそういうことも考えつつ・・。
ここヨーロッパに居ると国籍も人種も多種多様なのでよくこんな言葉を耳にします。
「これだから○○人ってのは・・」「○○人だし仕方ない」
○○は各国いろいろ。ネガティブな事に対してそう言う言葉を付け足す場合の話です。
次のことを考えてみた。
人としてこれを言うのはどうなんだろう?
国によって文化も違うし、環境も違うのは当然。
その人が悪い人で自分が受け入れられない何かを持ってることはある。
それは人間皆違うし避けられない。僕も好き嫌いあるし。
しかし、誰かを述べるときに国や人種で当てはめていいのか?
僕も言ってしまいそうになる時も昔あったし、そう言ったこともあって凄く後悔してます。
でも今は絶対にない。それには理由があるし信念がある。
それは
それが差別の始まりだと思うから。
たとえ冗談のつもりでも発した言葉には責任を持て。
と思う。
意識の問題は当然。本気でそう思って言ってる人がいるとは信じがたいのであくまで発言について。
もしこれを本当に思って言ってしまっていたらもうその人は完全な人種差別主義者でしょう。
誤解なんていうのは口をついて出てしまったものが形を変えてそうなってしまう。
とにかく人種差別問題というのはきっと非常にディープで混沌としているのかも
知れませんが、僕の中では偏見をしないということがすごく大事だと思う。
偏見を持っていること自体がその始まり。
ひとりひとりが思っていることをもっと考える。そうやって口に出して誰かに言うことが人として
一体どれほど恥ずかしい事なのかを理解すること。
読んでくれる人もこの文章読んでもし本心ではなくてもそんな時あるなって思ったら
少し考えてみて欲しいです。言う前に少し考えるだけ。
しばらくしたら思わなくもなると思います。
差別問題はとても難しい問題です。
でも世界単位で考えたら、皆がそういった理想に近づく形で考えれば良い未来になると思う。
理想主義者とでも言われるかもしれないけど僕はそういう事をまず発信することから始めたら
何百年後にはもっと良い世界になると信じようと思う。
平和という言葉を軽はずみに使うのは非常に抵抗があるから僕は使いたくないけれども
もっとお互い理解しあえたらいいなと純粋に考える。
世界中がもっとつながる。大きな理想かもしれないけどそれを人として持っていたら素晴らしいなと思う。
僕らが一人の人間であるように世界は僕らと同じようにまたひとりひとりの人間の集合。
もう少しの思いとか、考えとかでこの世界の集合はもっと自然につながりあえると僕は思う。
「おい、日本人!」と言う人もひどいかもしれないけど言ってくるからまだ僕は許せる。
「これだから○○人は」とか影で言う人はもっとひどいこと。
海外に居る3年間で色々な人に出会ったのもあってとても考えさせられる問題。
でもどの人も素敵なのかも。本当にムカつく最低な奴でも僕を成長させてくれたりする。
出会いはすべて何かの縁ですよ、きっと。
だって今まで人生で出会った人、本当に皆ひとりひとり違う。
「国とか人種とかじゃなく、皆違うんだってば。」
僕が本当に言いたいのはきっとそういうこと。
毎度読んでくださってありがとうございます。
いろいろ思うところあって書いてみました。
ただなんとなく今の気持ちをこうやって書きとめておきたかった。
さてもう今年も残すところ3日です。
今年は自分なりに頑張って、また色々な方に助けられつつ貴重な経験ができました。
皆様お世話になりました。来年もよろしくお願いします!
それでは皆様、良いお年を!
音楽のこととも少し離れて違うお話を・・。
前からずっと考えてたこと。だいぶ真面目な話。
それは人種差別や偏見ということについて。
こちらではracismとかracistという言葉で良く耳にします。
海外に身を置いているので自分もそういった差別はもちろん受けるし、
また受けて当然という考えも少し持っています。
道端で時に「へい、そこの日本人」と浴びせられることもありますが、
それもある種当然というか僕はむしろ「ハロー」ととらえています。
これはただ単に傷つかないためではなく僕はただ純粋に彼らがなぜそう言うのか
を考えた結果そう思うだけ。
珍しいし、そうやって声をかけることはそんなに思考として不自然なことじゃない。
マナーとしては違反ですが。
まあそれも置いておいて。というかそういうことも考えつつ・・。
ここヨーロッパに居ると国籍も人種も多種多様なのでよくこんな言葉を耳にします。
「これだから○○人ってのは・・」「○○人だし仕方ない」
○○は各国いろいろ。ネガティブな事に対してそう言う言葉を付け足す場合の話です。
次のことを考えてみた。
人としてこれを言うのはどうなんだろう?
国によって文化も違うし、環境も違うのは当然。
その人が悪い人で自分が受け入れられない何かを持ってることはある。
それは人間皆違うし避けられない。僕も好き嫌いあるし。
しかし、誰かを述べるときに国や人種で当てはめていいのか?
僕も言ってしまいそうになる時も昔あったし、そう言ったこともあって凄く後悔してます。
でも今は絶対にない。それには理由があるし信念がある。
それは
それが差別の始まりだと思うから。
たとえ冗談のつもりでも発した言葉には責任を持て。
と思う。
意識の問題は当然。本気でそう思って言ってる人がいるとは信じがたいのであくまで発言について。
もしこれを本当に思って言ってしまっていたらもうその人は完全な人種差別主義者でしょう。
誤解なんていうのは口をついて出てしまったものが形を変えてそうなってしまう。
とにかく人種差別問題というのはきっと非常にディープで混沌としているのかも
知れませんが、僕の中では偏見をしないということがすごく大事だと思う。
偏見を持っていること自体がその始まり。
ひとりひとりが思っていることをもっと考える。そうやって口に出して誰かに言うことが人として
一体どれほど恥ずかしい事なのかを理解すること。
読んでくれる人もこの文章読んでもし本心ではなくてもそんな時あるなって思ったら
少し考えてみて欲しいです。言う前に少し考えるだけ。
しばらくしたら思わなくもなると思います。
差別問題はとても難しい問題です。
でも世界単位で考えたら、皆がそういった理想に近づく形で考えれば良い未来になると思う。
理想主義者とでも言われるかもしれないけど僕はそういう事をまず発信することから始めたら
何百年後にはもっと良い世界になると信じようと思う。
平和という言葉を軽はずみに使うのは非常に抵抗があるから僕は使いたくないけれども
もっとお互い理解しあえたらいいなと純粋に考える。
世界中がもっとつながる。大きな理想かもしれないけどそれを人として持っていたら素晴らしいなと思う。
僕らが一人の人間であるように世界は僕らと同じようにまたひとりひとりの人間の集合。
もう少しの思いとか、考えとかでこの世界の集合はもっと自然につながりあえると僕は思う。
「おい、日本人!」と言う人もひどいかもしれないけど言ってくるからまだ僕は許せる。
「これだから○○人は」とか影で言う人はもっとひどいこと。
海外に居る3年間で色々な人に出会ったのもあってとても考えさせられる問題。
でもどの人も素敵なのかも。本当にムカつく最低な奴でも僕を成長させてくれたりする。
出会いはすべて何かの縁ですよ、きっと。
だって今まで人生で出会った人、本当に皆ひとりひとり違う。
「国とか人種とかじゃなく、皆違うんだってば。」
僕が本当に言いたいのはきっとそういうこと。
毎度読んでくださってありがとうございます。
いろいろ思うところあって書いてみました。
ただなんとなく今の気持ちをこうやって書きとめておきたかった。
さてもう今年も残すところ3日です。
今年は自分なりに頑張って、また色々な方に助けられつつ貴重な経験ができました。
皆様お世話になりました。来年もよろしくお願いします!
それでは皆様、良いお年を!