2007年09月03日

京都要法寺所蔵『附法漫荼羅』について

京都要法寺所蔵『附法漫荼羅』前回、日興授与本尊は四点あるとしたが、そのうち一点は保田妙本寺所蔵『手継ぎ漫荼羅』であり、これは特に論ずる必要はなく、伝・日興授与漫荼羅については今回で一往は終わりである。

左に掲げる本尊写真は要法寺所蔵『附法漫荼羅』である。典拠は要法寺の機関紙『要法』406号、2面である。

 

まず、『附法漫荼羅』が要法寺においてどのような意義を持つものであるかを示そう。富谷師は『日興上人正伝』において、

 

(三)付法の曼荼羅

建治二年(一二七六)正月元日、本尊を図し重ねて師に賜う。脇書に云く、付法沙門日興授与之 称徳付法の曼荼羅と共に両幅三元の本尊と称し奉る、これ血脈付法の真印として日尊上人相伝し、これまた京都・要法寺に蔵す。p31

 

と記す。上掲の本尊写真はモノクロ印刷ということもあり、不鮮明であり、首題や諸尊、署名・花押については論及することは極めて難しい。しかし、それでも、不動愛染の筆法、首題の「経」字は確認することができる。『附法漫荼羅』が図顕されたと伝わる建治二年一月と直近の日蓮聖人御筆大漫荼羅を下記に示そう。典拠は『御本尊集』第三十番、第三十一番である。

 

日蓮聖人御筆大漫荼羅(安本no.30、31)

安本No.30は建治元年十二月の図顕、安本No.31は建治二年二月の図顕である。『附法漫荼羅』と同時期の御筆大漫荼羅を比較すると、『附法漫荼羅』の愛染の筆法は御筆大漫荼羅と相違し、御筆大漫荼羅では「経」字の最終画が下に伸びないのに対して『附法漫荼羅』は「経」字の最終画が下に伸びる、といった相違点が認められる。このように、『附法漫荼羅』を建治二年の御筆大漫荼羅とすることはできないだろう。私は『附法漫荼羅』は偽筆であると考える。

 

ところで、『附法漫荼羅』を「血脈付法の真印」とする点は看過すべきではない。今日、『百六箇相承』は大石寺において重用されている。そして大石寺は『百六箇相承』後加文の、

 

日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべき也(宗全228

 

との「曼荼羅」を弘安二年十月十二日に造立されたと伝わる大石寺所蔵『本門戒壇の大御本尊』のことであるとする。しかし、上述の文が載る文末には、

 

四大菩薩同心して六万坊を建立せしめよ何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり時を待つべきのみ(宗全229

 

といい、上行院のことや要法寺の立義である六万坊思想が見える。また、該当追加分の後には <日蓮> <日興→日尊> <日尊→日大・日頼>と記されており、後加文は尊門僧によるものであることが分かる。作者が尊門僧であれば、「日興嫡々相承の曼荼羅」が『本門戒壇の大御本尊』をさしているとすることはできない。ここでいう「曼荼羅」とは『附法漫荼羅』をさしてのことであると考える方が至当である。ことからすると『附法漫荼羅』は『百六箇相承』が成立して程遠くない時期に偽作されたものと考える。成立背景については増補改訂の中で論じてみたい。 



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