鎌倉市川喜多映画記念館で開催中の企画展「映画で巡る世界一周」と連携した「旅と映画と音楽と~映画音楽で巡る世界一周」ライブ・イベント(2019年9月14日開催)に因んだ映画作品を紹介していく。第3回目は『キャバレー(72)』(アメリカ映画/ボブ・フォッシー監督/主演ライザ・ミネリ、マイケル・ヨーク)を取り上げる。

(C)1972 ABC Pictures
時は1931年。ナチス・ドイツの暗雲が次第に漂うドイツ、ベルリンの歓楽街にあるキャバレーが舞台。そのキャバレー専属歌手のサリー・ボウルズ(ライザ・ミネリ)が、下宿先の隣室に引っ越してきたイギリス人学生ロバーツ(マイケル・ヨーク)に次第に心惹かれていく…というストーリー。
ライザ・ミネリの絶品といえる歌と踊り(アカデミー主演女優種受賞)、そして振付師出身のボブ・フォッシー監督の本領が発揮されたミュージカル(音楽)映画としても評価が高い。
ライザ・ミネリは、母親がアメリカの国民的歌手&女優であるジュディー・ガーランド(『オズの魔法使い(39)』)。父親が幾多の名作ミュージカル映画(『巴里のアメリカ人(51)』『バンド・ワゴン(53)』『恋のてほどき(58)』など)の監督を務めた巨匠ヴィンセント・ミネリ。というまさにサラブレッドといえる血筋で、赤ん坊の時から母親の映画に出演するなど映画界の申し子ともいえる。
ボブ・フォッシー監督は、ブロードウェイの舞台監督、振り付けで名を馳せ『スイート・チャリティ(68)』で映画監督デビュー。本作『キャバレー』で、見事にアカデミー賞監督賞を受賞した。
何度観ても、ライザ・ミネリのラストの『キャバレー』の歌唱には圧倒される。
♬部屋に引きこもってないでキャバレーにおいでよ。人生はキャバレーだからさ♬と誘うサリー・ボウルズの歌が終わり、奇怪なメイクのMC(舞台進行役)が引き上げた後に、舞台袖のゆがんだ鏡の中に、客席に座るナチス・ドイツの兵士たちの姿が映し出される。
ここに、この作品のテーマが見えてくる。享楽に溺れるなか、知らず知らずのうちに暴力に支配される世の中がやってくる。退廃(デカダンス)の先には恐怖による支配が待ち受ける、ということが暗示されているのだ。
実は、この作品のイメージの元となったと思われるのは『嘆きの天使(30)』で、このなかで退廃的な踊りと歌を披露するのがマレーネ・ディートリヒ。

脚を大胆に覗かせて歌うディートリヒの姿が、サリー・ボウルズに重なる。『嘆きの天使』は、ドイツの政情が怪しくなっていく中で作られた作品である。そして、ドイツは暗黒時代へ突入していく。
歌と踊りにうつつを抜かして楽しく生きたい、という思い。主人公サリーも、堅実な人生より「破滅的かもしれないが享楽に満ちた虚構(芸能)の世界の道」を選んでいく。しかし、その道の果てには・・・。
そんなことも考えさせられるヴィンテージ・シネマでもある。
©2019NAOYA KAWASAKI
*本ブログは鎌倉FM「 」(毎週土曜日22時30分~23時)内のコーナー「旅と映画と音楽と」と連携しています。
*本稿は2019年9月7日放送内容との連携です。
文

(C)1972 ABC Pictures
時は1931年。ナチス・ドイツの暗雲が次第に漂うドイツ、ベルリンの歓楽街にあるキャバレーが舞台。そのキャバレー専属歌手のサリー・ボウルズ(ライザ・ミネリ)が、下宿先の隣室に引っ越してきたイギリス人学生ロバーツ(マイケル・ヨーク)に次第に心惹かれていく…というストーリー。
ライザ・ミネリの絶品といえる歌と踊り(アカデミー主演女優種受賞)、そして振付師出身のボブ・フォッシー監督の本領が発揮されたミュージカル(音楽)映画としても評価が高い。
ライザ・ミネリは、母親がアメリカの国民的歌手&女優であるジュディー・ガーランド(『オズの魔法使い(39)』)。父親が幾多の名作ミュージカル映画(『巴里のアメリカ人(51)』『バンド・ワゴン(53)』『恋のてほどき(58)』など)の監督を務めた巨匠ヴィンセント・ミネリ。というまさにサラブレッドといえる血筋で、赤ん坊の時から母親の映画に出演するなど映画界の申し子ともいえる。
ボブ・フォッシー監督は、ブロードウェイの舞台監督、振り付けで名を馳せ『スイート・チャリティ(68)』で映画監督デビュー。本作『キャバレー』で、見事にアカデミー賞監督賞を受賞した。
何度観ても、ライザ・ミネリのラストの『キャバレー』の歌唱には圧倒される。
♬部屋に引きこもってないでキャバレーにおいでよ。人生はキャバレーだからさ♬と誘うサリー・ボウルズの歌が終わり、奇怪なメイクのMC(舞台進行役)が引き上げた後に、舞台袖のゆがんだ鏡の中に、客席に座るナチス・ドイツの兵士たちの姿が映し出される。
ここに、この作品のテーマが見えてくる。享楽に溺れるなか、知らず知らずのうちに暴力に支配される世の中がやってくる。退廃(デカダンス)の先には恐怖による支配が待ち受ける、ということが暗示されているのだ。
実は、この作品のイメージの元となったと思われるのは『嘆きの天使(30)』で、このなかで退廃的な踊りと歌を披露するのがマレーネ・ディートリヒ。

脚を大胆に覗かせて歌うディートリヒの姿が、サリー・ボウルズに重なる。『嘆きの天使』は、ドイツの政情が怪しくなっていく中で作られた作品である。そして、ドイツは暗黒時代へ突入していく。
歌と踊りにうつつを抜かして楽しく生きたい、という思い。主人公サリーも、堅実な人生より「破滅的かもしれないが享楽に満ちた虚構(芸能)の世界の道」を選んでいく。しかし、その道の果てには・・・。
そんなことも考えさせられるヴィンテージ・シネマでもある。
©2019NAOYA KAWASAKI
*本ブログは鎌倉FM「 」(毎週土曜日22時30分~23時)内のコーナー「旅と映画と音楽と」と連携しています。
*本稿は2019年9月7日放送内容との連携です。
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