2006年10月30日

10月22日百箇日法要と納骨


この日はなおすけの百箇日法要と納骨を一緒にやった。
参加してくれた人は家族を入れて6人。

さすがに四十九日も過ぎると参加人数もめっきり減る。
和尚さんのお経を上げて貰ってから納骨。

そんなに広くない骨入れ場(?名前が分からないので)に、ぽつんと一つだけ入れると、とても寂しそうに見えお墓る。

 

 

 

 

 

 

次は誰が入るのかな??と、つい思ってしまう。
私かも。お母さんは長生きしそうだ。
水色の部分にのり付け(?)のようなことをして水が入らないようにするらしい。

下の写真はうち用に和尚さんに書いてもらった戒名。
実家にはきちんとした漆塗りの戒名があるのだけれど、私のうちには無いので、改めて書いてもらった。戒名

短冊形の色紙に貼って、飾り額に入れて写真の隣に飾ってみた。

なんだか立派そうに見える…。

 

 

 

 

 

4月28日のなおすけの雑記を記しておく。
2月からこの間、脳転移発覚で放射線全脳照射&抗癌剤治療で精神も体力もかなり弱ってきている。
経緯を書かねばと思いつつ、沢山の事があってなかなか整理して書けない。
近日中に何とかしたい。
取り合えず今日の所は雑記を。


2006/04/28
2月21日に再入院をして4月11日退院するまでの間、微熱と食欲不振が続きいささか身体的にダメージは大きかった。
今回は脳外科治療として放射線による「定位的放射線治療」と抗癌剤「カルセド」の投与、さらに脳内再発予防の為の放射線照射を行った。
(りぶき注:なおすけには内緒であったが、最初の脳検査の時よりも転移の部位が増えていたのでなおすけには「予防的照射」と説明して全脳照射を行った)
結果的には放射線の成果は見られたものの抗癌剤の成果はなく、副作用に悩まされてしまったようだ。特に微熱と食欲不振に対する対処治療は無く我慢の連続だった。体重の減少はそれほどでもないが精神的に参った。
しかし昼食には外食用の食べ物を持参してくれたので助かった。病院の食事はほとんど口にしなかった。

更に白血球や血小板の低下が著しく2回の輸血をした。このとき初めてジンマシンが出て驚いた。退院後は少しずつ散歩や気分転換をしているが食欲が少しずつ増してきた。しかし、味覚の変化があり旨みを感じることが少ない。

5月1日は大腸内視鏡検査の日だ。結果によっては入院しての治療を決める事になる。又又の入院となると些か落ち込んでしまう。この様なことの繰り返しで身体が衰弱して行くのかなと思うとやり切れない。今の期間を利用して身辺整理をした。背広や下着類、本や文房具類、住所録などの整理だが結構時間が掛かった。しかし少しホッとした。
まだやる事があるが少しずつ解決していこう。
お母さんが自動車の運転練習に通う。N氏の計らいで都合が付いたので助かった。せっかくの車だ利用しなければ。此方も少しは楽になり車での旅行も可能になれば楽しい。
午後は「風と共に去りぬ」の録画を見る。約4時間の大作途中寝てしまったがやっと成就した。

胸の痛みがある。左鳩尾付近がキリキリ痛むのが気になる。左肺に転移したのか来月相談したいと思う。散歩は大分歩けるようになった。


2006年10月07日

叙勲の勲章 従六位と雑記

今日、なおすけに従六位の勲章が贈られた。
もっと歳を取るともらえるそうなんだけど、繰り上げ当選ならぬ、特別に繰り上げ授与にしてくれたらしい。

従六位???どんなものだかネットで調べたたが、わからずじまいだった。
日本国天皇陛下から贈られた賞状を見ても、携帯で写した写真だからなんて書いてあるのかわからない。

死んでしまってからこんなものもらってもね…。

某漫画のように、これを七個集めたらなおすけが生き返ると言うのだったらがんばって集めるけれどね。

従六位その一従六位その二

 

 

 

 

そして今日、なおすけが最後の三日間過ごした緩和ケア病棟(ホスピス)の担当看護師さん一同から直筆の手紙が届いた。

本当に短かった入院生活を振り返ってくれたり。何かあったら家族もカウンセリングを受ける事が出来るので、足を運んで下さい云々と書いてあった。
のんの短い一文だったけれど、こちらの方がよほど心に響いた。

今日はなおすけの2月18日の雑記を記しておく。


2006/02/18

龍谷大学主催の「大谷探検隊とトルファン」小田義久名誉教授による講演会に行く。前回雪の為欠席した。焼く300人の聴講者で会場は満員、関心の深さに脱帽だ。特に男性の年配者が多くその気持ちよく分かる。私もその一人なので。講演内容は関心のある人には堪らない、勿論そのような人達の集まりなのだから。
さらに講師のの枯れた話し方もよく参考になった。やはり長年の講義経験だけあり、つぼを心得ている。私には若干専門的な所もあったが、8年前になるかと思うがシルクロードを観光した時に訪れた高昌城や交河城、墳墓などの話があり興味があった。

会場の行き帰りは神田から歩いた。この所は久しぶりであり街中の変化に驚きながら楽しんだ。これからも身体の許す限り散策したい。


この後の脳MRI検査で脳転移が発覚する。
それはまた後日の記述で。


2006年10月01日

2月16日の雑記

なおすけの2月16日の雑記より


2006/02/16

13日から16日までドライブした。再入院の気晴らしをかねて。
初日は以前から行こうと思っていた身延山久遠寺に直行した。天気よし渋滞なしで10時30分出発から2時30分に到着。寺院草庵等散策したが階段や坂道を歩き運動になった。少しは自信になったかな。
参拝者も少なく静かに参拝出来てよかった。またの機会を期待したい。コースを河口湖方面に取る。

途中本栖湖からの富士山の眺めはすばらしかった。素人写真家沢山いたが年配者多い当然だ。S園(懇意にしている旅館。りぶき注釈)に泊まる。翌日羽村で郷土館と中里介山の記念碑を見る。15日はO夫妻と女将の4人で笠間稲荷と結城市方面ドライブする。
この方面は始めてで私の希望だ。天気良く春日和だ。茨城県立陶芸美術館は素晴らしかった、特に67歳以上は無料は気に入った。しかしちかじか70歳以上になるとか残念。結城市に向かう。結城織り見学したがだんだん衰退しそうで残念だが何とかしたい。
今回のドライブは有意義だった。



この旅行はかなり楽しく、また調子が良かったらしく、2泊3日の間何の連絡もなかった。
なおすけは元気な頃は、一度家を出たら最後糸の切れた凧で、ふらふらと気の向くままあちこちに足を向けた。

「便りがないのは元気な証拠だね」と、良くお母さんと話していた。

今まで書いていなかったけれど、この雑記はなおすけの備忘録なので、文字変換がおかしい??部分や、人様にお見せ出来る文体ではない。
でも、なおすけが生きてやってきた事や、感じた事を忘れないように私が記録に残しておきたいので勝手に書き写しているだけです。

早いものでなおすけが亡くなってから丸ヵ月が過ぎた。
声や姿は覚えていると思うんだけど、特に声やしゃべり方は「こんな感じだっただろうか??」と、自分の記憶に自信がなくなってきている。

私の名を呼ぶ時は鈍な顔で、どんな声を出していただろう…???


2006年09月30日

2月11の雑記

なおすけの2月11日雑記より


2月11日

昨日ドライブした。天気がよくしばらく運転していないので気晴らしにと思い出発した。
だが何処に行く当てもなかったので、横浜方面に車を走らせて行った。車の流れに沿って進むに従い、江ノ島方面にでも行くかとなり一号線を進んだ。暫くぶりだがそれほど渋滞もせず早めに着いた。

江ノ島へ車を乗り入れたのは初めてだ。駐車して散策すれば良かったが山を登るのは一寸控えた。海ではサフィンをしていた。風が少し強く冷たかったが気持ちよかった。
鎌倉を回って帰宅したが、思ったよりキロ数少なく80キロくらいか。また行こうと思う。

今日は一日家の中。テレビと録画の映画鑑賞さらにiPodの操作で時間が過ぎた。この様なことが何日続くやら。


この頃は、まだ一人で車を運転し、歩いてまわる体力があった。

これ以降は私の個人的な体験・意見なので、不快に思う方もいるかもしれません。
改行を入れますので、ダメそうな人は読まないで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

肺癌リスクを測るのにブリンクマン指数と言うのがある。リンクから飛ぶと、実際計算できるので、試してみるのも一興。
なおすけは30年間1日20本吸っていた。
時代的には決してヘビースモーカーではなかったし、この程度吸っている人はごまんといた。
で、この指数で言うと丁度600。肺癌危険指数にギリギリ入る。

入院のカウンセリングで、これを聞かれ看護士さんが「ちょっとリスクが高かったですね」と言われた事を、なおすけは非常に不愉快に思っていた。
一緒にいた私も不愉快だった。

その看護士さんがイヤな人ではなかったし、普段はとても良くしてくれるいい看護士さんだった。
だから、その人に対して何か恨み言があるわけではない。
ただ、人間を数字に当てはめて測られるのはイヤな気分だった。

なおすけは18年前からタバコはやめている。
確かに指数はギリギリ高指数なのかもしれないけれど、なおすけのお父さん(まあじいちゃんだ)は、寝たきりになるまではずーっとタバコを吸い続けていた。
そのじいちゃんは肺癌にならなかった。
確かにタバコは百害あって一利なしの代表選手であることは認めるけれど、今の嫌煙運動にはなにか心の底から共感できないものがある。

広告を出さない、出世が出来ないetc...。まるで一神教を信じるカルトのようだ。
タバコは確かに病気の原因を作っているだろうが、それよりも大気汚染、食品添加物色々な原因が相まって病気を生んでいるのではないか?

今日のニュースTVで、どこぞの大学教授が「将来、二人に一人がガンでなくなる時代が来てもおかしくないい」と言っていた。
実際、病棟には喫煙していた人もいたが、随分前にタバコをやめたという人や、タバコは吸った事がないと言う人までいた。
ヒステリックな嫌煙・禁煙運動にうんざり気味なのは私がひねくれているせい??

それから、健康食品販売店も信用できないと思った。
とにかくなおすけを助けたい一心で近所の健康食品販売店に足を運んだ事がある。アガリクス・プロポリス・ハナビラダケなどおきまりのアレだ。
そこで店長らしきおばちゃんが言った一言。
「これで何人ガンの方達を助けて差し上げた事か」
アナタは神か?この一言で買うのをやめた。

それからもう、これは実名を入れる。
野島クリニックの医学博士 野島尚武。
何やら「超ミネラル水」でガンでもアトピーでも治るのだそうだ。
私はせめて抗癌剤の副作用が抑えられればと思い、ウワサを聞きつけわざわざセカンドオピニオンの診断書まで用意して貰ってクリニックを訪れた。
そこでこの医学博士が言った言葉。

「このまま入院していたら抗癌剤で死んでしまう。何かしら理由をつけて退院してミネラル水を飲めば治る。すぐに理由をつけて退院させなさい。このままでは6月までに必ず死ぬ。」

…この日だけで「死ぬ」と5〜6回言われたのでは??
まがりなりにも医学博士の資格を持つものが、患者を診もしないでしかも「死ぬ」だなんて脅しのような言葉を口にするなんて。
心の底から怒りが湧いてきた。
お陰様でなおすけは去年は元気でしたよ。

まあ、私は営業妨害をするつもりはないので、信じる人は行けばいいし、信じられない人はやめればいい。
全ては行く人間の自由だと思う。

 

…と、今回は悪い事ばかり書いてしまったが、いつも心の底で思っている事なので、吐き出してすっきりした。
もしも読んでしまって不愉快な気分になってしまった人がいたらゴメンナサイ。
一部同感だという人がいればお慰み。
次回からはもっと冷静に日常を綴っていきたい


2006年09月28日

血液データ更新しました

現在右側にある、血液一般データを更新しました。
今見直すと、徐々に悪くなっていくのが分かる気がします。

苦しかっただろうか?

コメントや、メールありがとうございます。
一つ一つには返していませんが、このブログを更新する事で返事を返しているつもりです。
身勝手な返し方で申し訳ありません。


2006年09月26日

2月4日〜7日 北海道旅行

2月北海道旅行スケジュール。
体調はまあまあ??(今思うと、無理をしているだけだったかもしれない)

1日目
羽田空港=旭川空港=旭川=層雲峡温泉

2日目
ホテル=キタキツネ&トナカイ牧場=端野=網走流氷船・おーろら号=摩周湖=阿寒湖湖畔温泉

3日目
ホテル=阿寒湖(あいすらんど阿寒)=足寄=十勝川白鳥祭り=十勝平野=さっぽろ雪祭り=定山峡温泉

4日目
ホテル=さっぽろ雪まつり=支笏湖氷涛まつり=新千歳空港=羽田空港

バス旅行とは言え、かなりの強行軍。
お母さんは、お父さんの体調が悪くなればすぐに休ませようとしていたらしいけど、時々バスの中で咳をする程度で、さほど酷い疲れは見せなかったようだった。
ただ、咳をすると、近くに座っていた人に心配されたとか。

以下なおすけの雑記から引用


2006/02/09

今回の北海道旅行でおよその北海道を見た事になる。冬の旅行は初めてであり、期待はしていたが8割程度かな。寒さは予定どおり雪祭りは残念だった。
自衛隊の支援不足か、予想より雪像規模が小ぶりだった。かえってすすき野の氷像が良かった。夏のソーラン祭りより人では少ない感じだった。祭りの様式が違うからかな。層雲峡や阿寒湖・支笏湖の氷瀑祭は観光客相手だ。
また砕氷船も同様、これらは北海道の宿命か。

さっぽろは年間を当して何らかのイベントをしており賑やかだ。北海道の20パーセント185万人の人口があり他の地域との格差がありすぎる。
だが、定年後の北海道移住者を取り組む運動もしており、将来は何らかの変化も見られるだろう。

今日は腹部のCT検査の日だ。21日の入院まであと頭部の検査がある。放射線治療の結果がどのようになったか今日の採血で解る。



2006年09月17日

お墓が出来ました

なおすけが亡くなって、作り始めたお墓が完成したというので、昨日確認に行きました。
今はお墓も色々自分流にデザインが出来るそうで、洋型のお墓にしました。
蓮のイラストは私が描きました。

石屋さんがセンスあるらしく、線ではなく面に色を入れてくれたので、思った以上の出来になりました。
文字は「魂」を崩した書体で入れています。

結構よく出来ていて「私も早く入りたくなったな」と言ったら、母親に「まだ早い!!」と怒られてしまいました。

納骨は百ヶ日の10月22日の予定です。
納骨しちゃうと本当になおすけが遠くに行ってしまいそうだなぁ。

お墓

 


なおすけの雑記(2月分から)

おすけの雑記的なものが見つかったので、、2月以降のブログと共に追々載せていこうと持っています。
やはり患者本人は色々考えているのですね(当たり前か)。

雑記は2月3日から6月11日まで時々つけられていました。


2006/02/03


早いもので2月になった。今月は21日再入院となった、どの位病院にいるのか分からないが、はじめての抗癌剤なので副作用の結果による。この様に入退院を続けていると知らない人は重病人と思うだろう。結果的には同じだが、何時まで続きハイこれまで、と成るか、またはまだですよと成るか誰にも分からない。
今日は節分だ。たまたま散歩していたら駅裏の神社で豆まきをしていた。豆は拾えなかったがお菓子を3個拾った。豆まく人は楽しそうそれを拾う人は必死だ。
それらを眺めている人もいる。でも興奮すると人混みに入っていく。人は興奮するものだ付近はマンション建設や道路工事で大変だ。
退院してきたら大きく変わっているだろう。
明日は北海道旅行だ。網走の流氷と札幌の雪祭りを見る予定だが参加者はどの程度かな。乗車車両が3両目だから大変な数だろう。冬の北海道は初めてだがこれが最初で最後かな。



2006年09月03日

早いもので

早いもので、夜が明けたらなおすけの四十九日法要が行われます。
まだまだなおすけがいなくなった事が信じられません。

私は心療内科に通って、睡眠剤と精神安定剤を処方して貰っています。

なおすけは長男だけど、お墓は新しく作りました。
兄弟が多いが故に色々口だけ出してくる人間が多く、あのままじゃ母親だって嫌だろうという事で新しく作る事にしました。

四十九日が過ぎたら、少しづつ二月以降のなおすけを書き記していこうかと思っています。
来週から仕事も入れてしまって、なかなかままなりませんが、出来る限り記録は残しておこうと思います。

現在病気で戦っている方には冷たい言い方かもしれませんが、人間は必ず死にます。
この世に生まれ落ちた瞬間から、死に向かって一直線に進んでいきます。
小細胞癌で死ぬか、病気になっていても、他の理由で亡くなるか。
そればかりは分かりません。
病気になった事は辛い事ですが、残された自分の時間を大切にされるのがいいと思います。


2006年07月23日

20日と21日のなおすけ

20日は眠ってばかりで話しかけてもほとんど反応が無かった。
酸素吸入量も若干増えて、悪化はしているようだがまあ、徐々に…という風に思えた。

3時頃病院に着き、お母さんと交代。
私は仕事(半分趣味のような)の〆切が近いので、朝は早めに起きてそれをやってから病院へ。9時頃なおすけの顔を見て帰宅…というパターンを繰り返す予定だった。

しかし、ここ数日の悪化の速度は富士急ハイランドの絶叫マシーンもびっくりなほどの速度なので、気は焦るばかり。
とにかく仕事を仕上げて、それからはいつでも病室にいるからね、と、帰りがけなおすけに話しかけ帰宅。

帰りの電車の中でも「早く仕上げなきゃ、早く早く」と譫言のように繰り返していた。

家に帰るなりPCの前に座り込み作業開始。突貫工事で夜3時過ぎ頃ようやく形になってきたので、ここで一旦眠って起きたら再度チェックして納品してしまおう…と思っていたら、突然電話が。

こんな時間に来る電話なんてろくな電話ではない。

取ってみると、お母さんが「病院から呼吸が弱くなってきている、来られるようであれば是非来て欲しい」と連絡があったらしい。

慌てて寝ていたふるちんを起こして車で直行。
ホスピス入所のころ、「ここでは家族が間に合うように無理な延命・蘇生は行いません。自然に任せるだけです。ご家族も最後の時間にこだわるより、生前の思い出を大切にして下さい」と言われていた。

やばい、もう間に合わないのか??と思って病室に飛び込んだが、まだ息をしていた。

「お父さん、お父さん」と呼びかけても反応はない。呼吸は「はっ、はっ」と浅い。

それでも4時から6時半くらいまで呼吸を続けてくれた。
途中、つむっていた目をぱっちり開けて何かを見ようとする。

「みんなここにいるよ」と話しかけても、分かっているのかいないのか??
逆に瞬き一つしなくなってしまった。
目が乾くので、持っていった、目薬を差してあげる。

そうこうしているうちに、時々呼吸が不安定になり、止まってしまう時も出てきた。
お母さんが必死に「お父さん、息を吸って!」と声をかけると、また思い出したように息をする。
私はこれ以上お父さんに無理をして欲しくなかったから、なにも言えなかった。
ただ、「今の熱が下がって(熱が出ていたのだ)、呼吸が安定したら、外泊できるかもしれないよ、お父さんが緊急入院したままの部屋になっているよ」というのが精一杯だった。

お母さんの呼びかけに3〜4回ほど反応して呼吸をしてくれたが、それも止まってしまった。唇はみるみる肌色になってきた。

身体のあちこちはまだ暖かさが残っているんだけど。

当直の先生が来て、「7月21日6時41分、ご臨終です」と告げられた。

お母さんはわあわあ泣いていた。
私は呼吸が出来なくなって看護婦さんに抱きかかえられていた。

おかあさんは、お父さんは私の仕事が終わるのを待っていてくれたのよ、と言うけれど、どうかなぁ?

確かに何とか形になってやれやれ、と思って原稿をまとめた時に連絡が来た。
凄いタイミングかも。

1ヵ月前までは携帯でメールのやりとりをしていたのに。
もう、私の事を怒ったり怒鳴りつけたりする声を聞く事が出来なくなってしまいました。
いつかなおすけの声や、表情を忘れてしまう時が来るんだろうか?

2ea22447.jpg

 

 

 

 

写真は全脳照射前のなおすけ。入院が決まっていたので、良い感じに髪の毛が生えそろった今写真を撮ってしまおうと、家で撮した。3月だった。

とてもご機嫌で、この頃は治療もうまくいってまだまだがんばれるのではないかと思っていたくらい。


2006年07月21日

なおすけ亡くなりました

7月21日午前6時41分、なおすけは息を引き取りました。

ホスピスに入って丸3日も経ってなかったです。

最後に私と交わした会話は、13日の日食事やら介助で少々疲れて「ふぅ…」と漏らした私に、「疲れたろう」と声をかけてくれました。

ホスピスに転院して良かったです。
大学病院でも痛み止めのモルヒネなどはありますが、症状が出てから医師の許可を仰ぎ薬局に注文し…云々と、対応が後手後手です。
しかも週末になってしまっては医師の数も激減して、この連休は本当に苦しみました。

ホスピスは入るなり、痛みや精神面での薬がすぐに処方され、みるみる表情が和らいでいきました。
ただ、この頃には既に会話も成立しないほど状態が悪かったです。
緩和ケアは本当に大切です。
ホスピスは人生の乳母捨て山・終焉の地(?)というような考え方を、この世から払拭せねば。

7月21日は奇しくも昨年、家族揃って北海道旅行をした日でした。

コメントやら、メールも頂いています。まったく返信していなくて申し訳ありません。
元来の筆無精者です。
2月からの病状の経緯は思い出せる限りこちらにアップしていこうと思います。

 

お父さんがこの世からいなくなるなんて今でも信じられません。
私が産まれた時からずっと側にいてくれたのに。


2006年07月15日

ホスピス入所手続き

すっとこちらのブログに書いていませんでした。
スイマセン。

いろいろな事があって、家族も浮き沈みを繰り返し、週明け18日にとうとうホスピスに転院する事になりました。

なおすけ本人はモルヒネと脳髄膜転移(と思われる)の症状で、既に普通に会話をする事も出来ません。

目を覚ますと、「腰が痛い」と苦しそうに呻きます。

ホスピスの医師に、今までの治療経過報告書を持っていったら「こう言っては何ですが、よくぞここまで治療をがんばってこられましたね」と言われた。

2月北海道旅行の後、脳転移発覚。はじめ4カ所だったのだが、直前の検査で6カ所に増えてしまった事からガンマナイフ+全脳照射の施術。

並行して抗癌剤カルセド単剤を行ったが血液毒性が強く断念。

 

それからは一気に体力・気力が落ちてきてしまい、5月の入院の時も、イリノテカン単剤を試みるも血液毒性の為、1/3の量しかできなかった。

6月中旬に一時退院したが、その後は食欲もなく嘔吐も始まり、予定入院7/3を待たず、7/1に緊急入院になった。

それでも最初の1週間は座って食事なども取れたが、先週から腰の激痛が始まりモルヒネで眠って貰わなければそれだけで体力が消耗してしまう常態。

たまに目を覚ましても、言葉にならない会話と、痛みを訴えるのみ。

帰って緩和ケア専門の病院へ行った方がいいだろうという事で急遽ホスピス転院になった。

ただ、連休なので18日に移動。

 

今までの詳しい経緯は追々書いていきたいと思いますが、今のなおすけの余命は週単位と思って下さい。との主治医の言葉。
いろんな闘病記を読ませて貰っていたが、予想通りの展開だね。

時々目を覚ますなおすけは、「ちくしょう〜〜、ちくしょう〜〜」と、言葉を発する。

動けない自分が悔しいのか、病に倒れた自分が悔しいのか…。


2006年02月04日

明日から北海道

いよいよ明日から北海道旅行。(投稿が遅くて日付が変わってしまった(^_^;))

しかしここに来て、何やら心配事が…。
1月中副作用らしきものも出ていたが、順調に過ごしていたなおすけ。
だがお母さんが一昨日不安なことを言いだした。

「昨日(2月1日)お父さんの様子がおかしかった。何か喋りはじめても最後まで喋らないうちにだるそうにやめてしまうし、夕飯になって呼んでも出てこないので、様子を見に行くとぼーっと椅子に座ってTVを見ていた。夕飯もろくに食べずにすぐに寝てしまった。このまま北海道に行くのが不安だ。」

うまく喋れない?身体が動かない??何、それ。まさか脳転移??
だって2週間前までの数値は凄く良いのに…。すぐにどうにかなるものなの??

さすがのお母さんも不安になって、よほど病院に行こうかと思ったらしい。

転移以外にも、意識がおかしくなると言うことは色々ある。
こんな状態で極寒の北海道旅行なんて大丈夫だろうか??
とりあえずお母さんには、何かあったらすぐにメールして、と伝えておく。

そして、今日は私もなおすけの様子を見に実家に立ち寄る。
なおすけはまあ、普通に旅支度を調えていた。
お母さんも、一昨日は本当に様子がおかしかったが、昨日今日はそこそこ食事も取るし、散歩にも出かけていると言っていた。

なおすけも、立ち上がる時に立ちくらみがあるけれど、体調はまあまあだと言っていた。
う〜〜ん、あの体調不良がたまたまだったら良いんだけど…。

そして夜が明けたら北海道へ。
何事も起きませんように…。

 


2006年02月01日

1月のなおすけ

通院で放射線治療を続けるなおすけ。
年始はなおすけの家で新年会。
昨年の癌告知の頃は、果たして新年をまた迎えることが出来るのか不安でいっぱいだったが、こうしてまたみんなで宴会をすることが出来た。
この調子で、来年も過ごしたいけど…。

最近ではめっきり飲酒量も減っていたなおすけだが、この日は飲酒も。
だけど翌日頭痛が出たとか。人間一生に飲めるお酒の量は決まっているのかな??

通院のない時は、色々と出かけていた。一人で外泊することもあった。
比較的元気と言えば元気。
放射線治療が始まる前の医師の説明では、副作用として燕下障害・肺臓炎などが現れやすいとのこと。
肺臓炎が悪化して命を落とした、なんて話も聞くのでちょっと不安。

しばらくたいした副作用もなく過ごしていたが、1月中旬を過ぎた頃から、食べ物の飲み込みにくさ、喉の痛みを訴えはじめる。それに伴い、咳も出始め、放射線の医師に相談した所、アルサルミンを処方される。癌治療の副作用の薬のはずなのに、たいした薬出ないなぁ…。これって、私が逆流性食道炎になった時に出されたくすりと同じじゃん。

1月10日に胸部CTと、マーカーのための血液採取。
中旬頃結果を聞きに行くと、なんと12月に256あったPro-GRPが47.8にまで下がっている!!
基準値は46以下なので、まだ高いけれどそれにしても1ヵ月でこんなに下がるものなのか?
放射線は局所治療なので、他に転移していたらイヤだなぁ…と思っていたが、これならまだ転移していないかも。
胸の病巣も縮小が期待される。

そしてなおすけとお母さんは、2月第一週の週末に北海道旅行を計画。
網走に出て流氷、札幌雪祭りを見てくるとか。
今年は特に寒いからなぁ…。ちょっと心配だが、色々出かける気になるだけ良いことなのだと思う。

28日はなおすけの末と、その上の弟夫婦がやってきてちょっと遅い新年会を開く。
心配していた親戚も、元気そうななおすけの様子を見て安心して帰ったよう。


2006年01月29日

長らく放置でスイマセンでした

ずいぶんと長い間放置していて、スイマセンでした。
前に書いたブログの日付を見ると、なんと11月29日!!
うひー。

年始年末+日々の雑用で、すっかりネットから離れていました。

なおすけは元気です!!
国立ガンセンター発表の生存期間中央値14ヵ月は軽くクリアできるのではないかと希望を抱いています。

まずは11月下旬から今日までの流れを大まかに。

12月から再入院が決まったなおすけ。
入院前にお母さんとタイ旅行に行ってきた。
お母さんは久々の旅行なので、ちゃんと日程をこなせるか心配していたが、特に問題なく全ての日程をこなせた。
ただ、戻ったら入院が決まっているのでそれが憂鬱そうだったとか。

そして12日から入院。全身検査と、治療方針の検討。
検査の結果、9月に再発した肺上部の病巣が大きくなっていた。気管に絡むように7センチほどの長さに広がっているという。
腫瘍マーカーも12月にはPro-GRPが256と、初診時にもありえなかったような高値が!!
11月は132だったので、たった1ヵ月で倍の数値に。恐ろしい病気だ。
ただ、幸いなことに他への転移なし。
数日後、担当医から今回の治療方針の説明があった。
今回は抗癌剤治療ではなく、放射線での治療とする。
12月26日から1月26日までの1ヵ月、1日2.5Gy、合計50Gyの予定。

2〜3日入院治療したが、29日に退院。以降通院治療となる。
ただし、30日から1月4日までは病院が休みのため、治療もお休み。

抗癌剤と違い、すぐには顕著な副作用は起きない。

以下続く。
 

 


2005年11月29日

再々入院

今日は8日の採血と25日のCTの結果を聞きに行く日。
なおすけとお母さんは病院へ。
最近のなおすけを見ると、そんなに悪化していないのでは??と、淡い期待を抱いていたが現実はそう甘くなかった。

腫瘍マーカー
NSE(10/17)4.6→16.2(11/8)
Pro-GRP(10/17)73.5→132(11/8)
と上昇。25日に撮影したCTも、再発の頃のように大きくなっていたと、同行したお母さんの話。
前回再発した所が大きくなっているようだと。
丁度マーカーの上がり具合も8月再発が認められた頃と同じような状態。

腫瘍の増大が止められない。
結果、12月12日から再々入院決定。
担当医師は予想通りの進行だっと思っているかも。
先回の退院時、緩解ではなかったから。私も心の中で「そんなものか」と思ってみたり。
諦めというわけじゃないけれど、妙に冷静な自分がいてびっくり。

再入院後の治療は抗癌剤になるか、放射線になるか不明。再入院後、また全身検査があると思う。

担当医は、「海外旅行は楽しんできて下さい」と言って、入院は12日からにしてくれた。
ただ、今タイを含めアジアは鳥インフルエンザが怖いんだよね〜〜〜。
タミフル仕入れて下さいよ、先生…。

夕方私だけ海外旅行中の漢方薬をもらいに、漢方クリニックへ。
今までの経緯を話し、漢方薬を処方して貰う。

その後お母さんと会ったが、「お父さんは本当にがっかりしている」と。
なおすけをはじめ、みんな本当にがっかりだ。


2005年11月28日

11月22日から28日まで

22日
ようやくなおすけ帰宅。
会っていないので、様子は分からず。

23日
夜、なおすけの家へ。一緒に夕食を食べる。
相変わらずiPodを片時も離さない。
結構お酒も飲んで調子いいのかな??
ただ、咳と痰は出る模様。

24日
来月の旅行の日程が決まった。
12月5〜10日までタイ四大王朝を巡る旅。
高温多湿の東南アジアだけど、12月はどうなんだろう??

25日
今日は造影剤を入れてのCT撮影の日。
病院へはなおすけ一人で行った。
結果が悪くなっていなければいいのに。
最近のなおすけを見ると、結構調子いいんじゃないかと淡い期待を抱いてしまう。

26日
家族揃って羽田第2ターミナル空港へ遊びに行く。
昨年新しくなってから、いってみたいと思っていたのになかなか幾機会がなかった。
11時頃集合。だけど、この日のなおすけは機嫌が悪いとお母さんの話。
なんでも、「俺は先が長くない」気分なのだそうだ。
日によって体調が優れなかったり、気分が落ち込むことがあるのかな??
「食欲がない」と言いつつ、昼食は私の残りご飯も平らげる。
食欲がないと言うより、「食べたい」と思うものがないと言うことかな??
帰りがけ、お台場の方にドライブに行ったが、ふるちんが道に迷ってなおすけ大怒り。
後部座席から「その道をまっすぐいけ」だの「こっちの道だ」だの大声出すもんだから、すっかり声が枯れてしまった。
お台場付近はちょっと来ないうちに道路の流れが変わっちゃうんだってば…。あんまり苛々しないで下さい。なおすけ。
お台場には新しくなった癌研がある。お母さんが、「ここに入院したら大変だね」と言う。「なんで??」と聞いたら、「こんな所まで通えない」との返事。
ああ、なんだ、そういうことか。

27日
なおすけは夕方から同期生会で出かける。
夜、帰ってきたなおすけにMSNメッセンジャーで「どうでしたか?」と訊ねると、「年齢のせいか、あちこち調子の悪い人が多かった」と。
だけど、「癌の人は自分だけだった」。
との返事。
そうね、仲の良かった人はもう癌で亡なっている人が多いそうだし…。
同期生会に来られるということが、「体調に不具合があるけれど、そこそこ健康な人」達だろうから。

28日
夕方お母さんがぼやく。
最近なおすけの機嫌が悪くなることが多いらしい。昔から怒りっぽかったが、このところそれが本当に酷くなってきたと。
先日もちょっとしたことで怒り出し、夕飯のおかずをひっくり返さんばかりだったとか。
「お前は俺に隠れてこそこそしている。なにかごまかそうとしている」云々と。
二人きりで暮らしているお母さんの方が大変そう。


2005年11月21日

帰ってきません(^_^;)

週末から出かけているなおすけ。
今日は帰ってくるかと思ったら、夕方になっても帰ってこない。
さすがにお母さんも心配して「どうしてるんだろう?」と言っていたが、その後、「明日帰る」とメールがあったらしい。
漢方薬は2日分しか持っていないそうだけど…。

体調いいのかな???


2005年11月19日

iPod健康法じゃないけれど

iPod健康法じゃないけれど、なんだかここしばらくのなおすけは元気です。
11日以降、iPodをいじりたおしているなおすけ。
チエミにコードを囓られるからと、本当に1日中iPodを手放さない。
兎に角1日中iPodと格闘しているようだ。

お母さんの話でも、咳や痰は出るものの晩酌は再開したし、退院時ちょっと悪化した時とさほど変化がない…、というか逆に色々意欲的になっているようだ、とのこと。
そして今日はとうとう、病気発覚から通っていなかった友人の旅館の手伝いに行くと言って電車で出かけたらしい。
歩きはきついからと言って、車での移動しかしていなかったのに、今日は電車で出かけるつもりになったようだ。
その旅館には先月も出かけたが、お手伝いまではなかなか出来そうになくてやらなかったのに…。
帰りは多分20日か21日。

なんだか11日以降元気になってきている気がする。
気のせいだったり、一時的なものかもしれないが、しんどくてなにも出来ないよりは今の状態が1日でも長く続けばいいなと思ってみたり。
おかあさんも、なおすけが出かけてくれりと色々楽が出来る。

病気になって自分の余命を目の前に突きつけられても、元気に日々を過ごすことが大切なんだと思ってみたり。
自分が同じような状況に置かれた時、やはり病気のことにだけ囚われるのではなく、通常の日々を1日でも長く過ごせたらいいなと思う。


2005年11月17日

なんだか元気です(^_^;)

なおすけは、誕生日にあげたiPodを翌日からずーっといじりたおしているようだ。
12日になおすけの家に寄ってみたが、音楽CDとかを一生懸命iPodに入れていた。

その後、しばし私は仕事へ。
先日会った時は咳も結構出ていたので、仕事場からお母さんに「お父さんの具合は悪いですか?」とメールしたところ、「元気です。タイ旅行は12月5日からのに申し込みました」との返事が。

…元気なんだ??大丈夫なの??
と、心配しつつ仕事が終わって17日に実家に寄ってみた。

…想像していたより元気でした。
誕生日にあげたiPodを片時も離さず(放置するとチエミ←猫にイヤホンを食いちぎられると言っている)、持っているCDを片っ端からiPodに入れ、色々と使い方を試しているらしい。

昨日はお台場まで一人でドライブし、今日はこれから映画「ALWAYS」を見るんだと言っていた。

咳は時々出るものの、11月上旬に会った頃よりも元気がある気がするのは私の気のせい???

お母さんお話でも、再発の頃から「呑む気がしない」と言ってやめていた晩酌を2〜3日前から再開したのだそう。

一時的なモノであれ、「元気で酒が飲める」という状況はすっごく良いのでは??
特に飲酒は人生の最大の楽しみと思っている我が家としては、お酒を飲むという行為は手放しで歓迎だ。