2007年01月30日

Ten Years Gone

4f7629f6.jpg「文学史を読みかえる」というシリーズの第8巻にして最終巻、


『〈いま〉を読みかえる
――「この時代」の終わり』

       (2007年1月/インパクト出版会)


がリリースされました。前の第7巻『リブという〈革命〉:近代の闇をひらく』が刊行されてからでさえ約3年(!)が経過しましたが、シリーズ最厚の404ページで3,500円(+悪税)、終わりよければすべて良し。編集もていねいで、どっかのなんとか事典とは泥と通天閣ほどの差があります。

本書の巻末にこれまでの総目次が掲載されているのですが、悪麗之介というこの不景気なペンネームは第2号で初登場、つづく第3号でも使用しました。その第2号では、本名(といっても下平尾直史)と悪麗之介のほかに、もうひとつ筆名を使って計3本の原稿を掲載していただきました。で、第5号には亡くなった寺島珠雄さんの最後の著書『南天堂』についてけっこう長めの書評を寄せたのですが、(こちらがあんまり締め切りを遅れすぎたためか)目次から名前を落とされた……_| ̄|○ ガックシ 今回のここにはちゃんとありますけどね。
(いま確認したら、その書評自体はこのブログのスタート時にアップしてました。よろしければどうぞ→こちら

わたしとこのシリーズの関わりはそんなところでしょうか。第1巻『廃墟の可能性:現代文学の誕生』が刊行されたのは、なんと前世紀の1997年3月なのでこっちも29歳、有為の美青年だったんでした……f(^_^;) ま、生意気ざかりでしたよ、はい。ほんとに「つい昨日の話」みたい。

この本の編集後記で(非)という方も書かれていますが、この10年のあいだに日本はほんとに変わってしまいました。開闢以来それらがなくても侵略戦争さえ可能だった国家・国旗が制定され、教育基本法は翻訳以上に読むに耐えない文言に改悪。自衛隊は名実ともに軍隊として派兵されるし、つぎは憲法を与党に都合のいい法律にするのだという。コンピュータはあたりまえの顔で普及して版下屋さんや写植屋さんを駆逐し、いまや国内でもっとも強力な圧力団体は2ちゃんねるというありさま。美しい国で良かったよかった……。

これまでも――50年代にせよ80年代にせよ――いつも「同時代」は肯定的に語られること少ないのかもしれませんが、これほど生活者にとって社会の先行きが不透明になった時代もめずらしいのではないでしょうか。そういう意味では、わたしの友人で子どもをつくって育ててるひとは偉いなあと思いますけど。

じゃ、はたして、そんな時代に「文学」などというものは、いったい何の意味をもつんでしょうか。かつて昭和天皇ヒロヒトは「わたしにゃあ言葉のアヤみたいな文学方面のことはわかりません」とお述べになった。「じゃ、文学ってなんやねん」。自分の生き方を委ねるなにか? 不要不急なもの? 文学研究者たちが「研究」を再生産するために必要なツール? 単なる娯楽? ぶっちゃけ何の意味もありゃしない? そんな風の中に置き去りにされてきた問いについても、きっと本書の中で(まだすべて読み終えていないので、おそらく)さまざまな角度から具体的に論じられているだろうので、ご関心のある方はぜひぜひ書店で手にとってみてください。黄色い背表紙がめじるしです。

第8号の執筆者は以下の通りです。(目次順)
上野千鶴子×鵜飼哲×川村湊×栗原幸夫×田中綾×池田浩士(以上座談会)、黒田大河、西成彦、新城郁夫、野崎六助、池田浩士、藤井祐介、林淑美、栗原幸夫、田村都、吉川麻里、森山めぐみ、中西昭雄、羽矢みずき、天野恵一、谷口基、相川美恵子、加納実紀代、川村湊、小柳伸顕、人見ジュン子、水田ふう、深田卓、下平尾直史
*装幀は本巻の完成を見ずに亡くなった貝原浩さんと藤原邦久さんとの連名になっています。

naovalis68 at 22:18│この記事をクリップ!文学史を読みかえる 

この記事へのコメント

1. Posted by 光沢 隆   2007年02月02日 01:43
貴兄の貝原さん追悼文もよかったです。
2. Posted by アクレーノスケ   2007年02月02日 01:58
がんばって書きましたが、はずかしいことですよ。