人類最大の謎
あらすじ
世界一の大富豪、マラカイ・コンスタントは、ある日突然、自らの運命を告げられる。なんと、宇宙を旅した挙句に、タイタン(土星の衛生のひとつ)へ行くというのだ。しかも一直線に行くのではない。火星から水星を経て、一度地球に戻った後にタイタンへ至ることになるという。しかも、どうやらそこで死ぬらしい。
マラカイ・コンスタントは、そんな運命に抗うべく、みずから財産を捨て去り、大酒を飲み、自暴自棄になる。
しかし運命に逆らうことはできなかった。
マラカイは宇宙船にさらわれた挙句、さまざまな出来事を経た後に、ついにタイタンへ到着してしまう。
なぜマラカイはそんな大冒険に出なくてはならなかったのか。
私がこの作品のことを知ったのは、テレビを見ていた時のことでした。爆笑問題の太田光さんが、この作品について熱く語っていたのを覚えています。その中で、「主人公が大変な思いをして旅をさせられるのに、目的は〝そんなこと〟だったのかよ」といった要旨のことを話していました。私はそれを見ていたので、ぼんやりとですが、結末と過程について想像することができました。私がこの作品を読破できたのは、そのおかげだったと思います。知っていなければ、おそらく途中で投げ出していたでしょう。
というのもなぜかと言いますと、(本書の最後でも太田光さんが語っているのですが)この作品の中で語られていることは、正直いって、なんだかよくわからないことばっかりだからです。なんでわからないかといえば、おそらく、旅の目的がはっきりしていないからなんでしょう。太田光さんの言葉を借りるなら、それらはすべて「ドタバタ」です。戦争だったり殺人だったり事故だったりと、すごいことが起き続けるんですが、目的がないから、始終、だからなんなの、という思いが最後まで拭えませんでした。
ですが、最後の最後、主人公がタイタンに到着した時に、それらがすべて意味のあることだったとわかります。しかし同時に、その「意味」がとてつもなくどうでもいいことなので、これまでの苦労と、やっと見つけ出した「意味」が、一気に崩壊していくかのような脱力感に苛まれました。
考えたこと
自分はなんのために生まれてきたのか。おそらくは誰しもが一度は考える問題ではないでしょうか。
その答えは多くの場合、誰かを幸せにするためだったり、人類全体の進歩のためだったりします。答えの種類は多岐に渡りますが、おそらくどの答えにも共通しているだろうことは、外在的であるということです。つまり、自分以外の「何か」のために、自分は生まれてきたのだ、ということです。おそらくですが、自分が生まれたのは、自分が幸せになるだけのためだ、と考える人は少ないのではないでしょうか。そこに他者が介在しないことはあまりないと思います。
では、その「他者」はなんのために生まれてきたのでしょうか。さらに、その他者から見た別の「他者」は、なんのために生まれてきたのでしょうか。
この問いは永遠に続きます。
もしも運悪く、精神状態が弱っている時に、この終わりのない問いの渦に落ち込んでしまったとしたら大変です。そこから抜け出すことが困難になってしまうことでしょう。私がそうでした(笑)
ですが、落ち着いて考えてみると、「人は何かのために生まれてきたのだ」とか「生きている価値のない人間はいない」などといった前提に不備があるのではないか、という疑問が生まれ得ます。そして、そういった疑問が生まれると、ひょっとしたら、自分は(または人間は)生きる価値なんてないのではないか、という仮説に行き着きます。
この仮説に至った時が、おそらく危険です。自暴自棄になって罪を犯したり、自殺に走ってしまったりといったことが起きるのかもしれません。
そして、おそらくそうした仮説に行き着いている人は、現在多いのではないかと思います。
ですが、そんな価値も意味も理由もなく生きている自分(人類)を愛せるかどうかは別問題です。価値も理由も意味もないものが生きている、それが虚しいか悲しいか、可笑しいか面白いか愛おしいか、その分岐点での考え方によって、生きることに対する態度が変わってくるのかもしれません。
この作者は、そうした意味のない私たち(人間)を、俯瞰して嘲笑しながらも、愛おしさを捨てきれずにいるのではないか、そんなふうに思えました。