2007年05月31日
テュロスの攻囲 前半戦 (アレクサンドロス東征初めての失敗)
イッソスで勝利を収めたアレクサンドロスは海岸地方(シリア等の地中海の東海岸)
を支配下に置くことを決定して、東に軍を進めます。地中海に駐屯しているペルシア
艦隊と陸上の部隊の連絡を絶とうとしたのです。
こうして、アレクサンドロスがフェニキア地方に進軍すると、古都ビブロスとシドン
はたちまち降伏しましたが、海岸から800メートル沖合の島に建てられたテュロス
市は、アレクサンドロスの軍隊の通行を拒否します。この島の住民はすでに多くの経
験をつんでいました。彼らは13年間にわたり、アッシリア人(メソポタミヤ北部の
人々)による攻囲戦を耐え抜いていたのです。テュロス人の考えでは、アレクサンド
ロスは海上に堅固な足場を築かなければ、この町を攻略する手段がありませんでし
た。ところが、アレクサンドロスは島に向かって、幅60メートルもある堤道を建設
しはじめたのです。この堤道がテュロス兵の飛び道具(カタパルト等)の射程距離内
にまで近づくようになると、彼は堤道の先端に投石機を備え付けた攻城塔を二機設置
しました。この攻城塔からテュロスの城壁に向けてたえまなく射撃を行いました。
これに対してテュロスの住民は一隻の船を用意して火をつけました。舳先をできるだ
け軽くして、舳先が水面上に出るようにした船を堤道の先端に突っ込ませて、攻城塔
を焼き払ったのです。テュロス艦船からたえまなく打ち込まれる投石物に悩まされ、
アレクサンドロスはせっかく建てた攻城塔が炎上するのをただ眺めながら退却しまし
た。アレクサンドロスは彼らを見くびり過ぎたのと、彼自身の自信が「自分は確実に
勝てる」という域にまで達していることがよくわかる出来事だと自分は思いました。
(つづく・・・)
を支配下に置くことを決定して、東に軍を進めます。地中海に駐屯しているペルシア
艦隊と陸上の部隊の連絡を絶とうとしたのです。
こうして、アレクサンドロスがフェニキア地方に進軍すると、古都ビブロスとシドン
はたちまち降伏しましたが、海岸から800メートル沖合の島に建てられたテュロス
市は、アレクサンドロスの軍隊の通行を拒否します。この島の住民はすでに多くの経
験をつんでいました。彼らは13年間にわたり、アッシリア人(メソポタミヤ北部の
人々)による攻囲戦を耐え抜いていたのです。テュロス人の考えでは、アレクサンド
ロスは海上に堅固な足場を築かなければ、この町を攻略する手段がありませんでし
た。ところが、アレクサンドロスは島に向かって、幅60メートルもある堤道を建設
しはじめたのです。この堤道がテュロス兵の飛び道具(カタパルト等)の射程距離内
にまで近づくようになると、彼は堤道の先端に投石機を備え付けた攻城塔を二機設置
しました。この攻城塔からテュロスの城壁に向けてたえまなく射撃を行いました。
これに対してテュロスの住民は一隻の船を用意して火をつけました。舳先をできるだ
け軽くして、舳先が水面上に出るようにした船を堤道の先端に突っ込ませて、攻城塔
を焼き払ったのです。テュロス艦船からたえまなく打ち込まれる投石物に悩まされ、
アレクサンドロスはせっかく建てた攻城塔が炎上するのをただ眺めながら退却しまし
た。アレクサンドロスは彼らを見くびり過ぎたのと、彼自身の自信が「自分は確実に
勝てる」という域にまで達していることがよくわかる出来事だと自分は思いました。
(つづく・・・)
napoleeeeon at 16:02│Comments(1)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
1. Posted by ロマーヌス 2007年06月04日 19:24
古代の攻城戦は大掛かりな作戦を立てて相手を攻めていくだけに、作戦指揮者の手腕が問われるところですね。攻城戦は長期でなければ、基本的には城側の方が有利ですから、早期に落とすには攻める側の戦略が重要ですね。
テュロス側もなかなかやるなという感じですね。
テュロス側もなかなかやるなという感じですね。