2007年08月24日
テュロスの攻囲 後半戦
いったん引き揚げたアレクサンドロスは、風除けの点で好都合なところに停泊しまし
た。翌日はキュプロス人たちに命じて、艦隊指揮官に港を封鎖させました。一方、こ
のときまでに技術者がたくさんやってきて、攻城兵器が、突堤の上、三段櫂船の船上
に、配備されました。しかしテュロス人も負けじと、突堤の反対側にある城壁の上に
さらに木造の櫓を設置し、高いところから応戦してきました。また、兵器を搭載した
船に火を投げ込むなどして、マケドニア人の戦意喪失を狙いました。更にマケドニア
軍の悩みの種だったのが、多数の岩石が城壁の下の海の中に投げ込まれていて、接近
できないということでした。この解決案として、突堤から投げ込まれた輪索を岩石に
引っ掛けて、海中から曳き出して、次にクレーン見たなもので吊り上げ、海の深いと
ころに放り込むことしました。こうして、船が接近するのが容易になりました。いま
や、四面楚歌状態に立たされたテュロス人たちは、キュプロス艦隊に攻撃をかけまし
た。それを知ったアレクサンドロスは、五段櫂船三隻、四段櫂船三隻、三段櫂船七隻
に選抜された海員と、装備優秀の戦闘員を乗り込ませて、テュロス艦隊を攻撃しまし
た。しかし、テュロス人は最初の攻撃で、五段櫂船二隻の他、いくつかの櫂船を破壊
しました。アレクサンドロスはテュロス艦隊が攻撃したのを確認すると、五段櫂船
と、五隻の櫂船以外の櫂船を監視に残し、テュロス艦隊へと立ち向かいました。城壁
の上にいたテュロス人は、アレクサンドロスが陣頭にいるのを確認すると、引き揚げ
るように指示を送りました。しかし、あまりにも遠かったので聞こえません。なんと
か、合図に気づいたテュロス人たちは、反転して港へと逃げ出しました。その好機を
逃さなかったアレクサンドロスは、敵船に襲い掛かり、拿捕や航行不能にしました。
三日後、船に搭載した射出装置を街に向かって進めました。これにより、かなりの長
さの城壁を打ち崩し、後に続いていた二隻に、渡し板を渡すようにと指示を出しまし
た。他のいくつかの艦船には、港から強行突入できるか探るようにと、また、軍船の
中で弓兵隊が乗船しているものや、矢を打ち出す装置を搭載している櫂船は、城壁の
周囲をぐるりと周って、乗り上げられそうなところに乗り上げ、矢を浴びせるように
命令しました。そうすることで、テュロス人が混乱するようにしむけました。一方、
アレクサンドロスのひきいる軍船が街に接近し、渡り板が城壁に渡されると、近衛兵
たちは城壁に取り付きました。アレクサンドロス自身も戦闘に参加し、最初に城壁を
占拠したのは、彼が戦ったところでした。いくつかの塔と、塁壁を確保すると、テュ
ロス人はいとも簡単に撃破されてしまいました。アレクサンドロスは、王宮のほうへ
突き進みました。艦隊は、港内に強行突入し、テュロス艦隊を撃破し、この方面の市
街地を占拠しました。テュロス人は、城壁が占拠されたのをみると、神殿に集結し、
マケドニア軍に立ち向かいました。アレクサンドロスの率いる軍勢はテュロス人たち
に襲い掛かり、抵抗するものを殺し、逃げる相手にも追い討ちをかけました。この戦
いの結果、テュロス人はおよそ8000人が命を落とし、マケドニア軍の戦死者は、
およそ400人でした。
た。翌日はキュプロス人たちに命じて、艦隊指揮官に港を封鎖させました。一方、こ
のときまでに技術者がたくさんやってきて、攻城兵器が、突堤の上、三段櫂船の船上
に、配備されました。しかしテュロス人も負けじと、突堤の反対側にある城壁の上に
さらに木造の櫓を設置し、高いところから応戦してきました。また、兵器を搭載した
船に火を投げ込むなどして、マケドニア人の戦意喪失を狙いました。更にマケドニア
軍の悩みの種だったのが、多数の岩石が城壁の下の海の中に投げ込まれていて、接近
できないということでした。この解決案として、突堤から投げ込まれた輪索を岩石に
引っ掛けて、海中から曳き出して、次にクレーン見たなもので吊り上げ、海の深いと
ころに放り込むことしました。こうして、船が接近するのが容易になりました。いま
や、四面楚歌状態に立たされたテュロス人たちは、キュプロス艦隊に攻撃をかけまし
た。それを知ったアレクサンドロスは、五段櫂船三隻、四段櫂船三隻、三段櫂船七隻
に選抜された海員と、装備優秀の戦闘員を乗り込ませて、テュロス艦隊を攻撃しまし
た。しかし、テュロス人は最初の攻撃で、五段櫂船二隻の他、いくつかの櫂船を破壊
しました。アレクサンドロスはテュロス艦隊が攻撃したのを確認すると、五段櫂船
と、五隻の櫂船以外の櫂船を監視に残し、テュロス艦隊へと立ち向かいました。城壁
の上にいたテュロス人は、アレクサンドロスが陣頭にいるのを確認すると、引き揚げ
るように指示を送りました。しかし、あまりにも遠かったので聞こえません。なんと
か、合図に気づいたテュロス人たちは、反転して港へと逃げ出しました。その好機を
逃さなかったアレクサンドロスは、敵船に襲い掛かり、拿捕や航行不能にしました。
三日後、船に搭載した射出装置を街に向かって進めました。これにより、かなりの長
さの城壁を打ち崩し、後に続いていた二隻に、渡し板を渡すようにと指示を出しまし
た。他のいくつかの艦船には、港から強行突入できるか探るようにと、また、軍船の
中で弓兵隊が乗船しているものや、矢を打ち出す装置を搭載している櫂船は、城壁の
周囲をぐるりと周って、乗り上げられそうなところに乗り上げ、矢を浴びせるように
命令しました。そうすることで、テュロス人が混乱するようにしむけました。一方、
アレクサンドロスのひきいる軍船が街に接近し、渡り板が城壁に渡されると、近衛兵
たちは城壁に取り付きました。アレクサンドロス自身も戦闘に参加し、最初に城壁を
占拠したのは、彼が戦ったところでした。いくつかの塔と、塁壁を確保すると、テュ
ロス人はいとも簡単に撃破されてしまいました。アレクサンドロスは、王宮のほうへ
突き進みました。艦隊は、港内に強行突入し、テュロス艦隊を撃破し、この方面の市
街地を占拠しました。テュロス人は、城壁が占拠されたのをみると、神殿に集結し、
マケドニア軍に立ち向かいました。アレクサンドロスの率いる軍勢はテュロス人たち
に襲い掛かり、抵抗するものを殺し、逃げる相手にも追い討ちをかけました。この戦
いの結果、テュロス人はおよそ8000人が命を落とし、マケドニア軍の戦死者は、
およそ400人でした。
napoleeeeon at 18:01│Comments(2)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
1. Posted by ロマーヌス 2007年08月26日 17:29
ひさしぶりです!
マケドニア軍の戦死者の少なさには驚きますね。よっぽどアレキサンドロス大王の指揮と軍の統制が優れていたということですね。
攻められた側に立つと気の毒ですが、アレキサンドロス大王の偉業には心動かされるものがあります。
またその後の話を期待していま〜す。
マケドニア軍の戦死者の少なさには驚きますね。よっぽどアレキサンドロス大王の指揮と軍の統制が優れていたということですね。
攻められた側に立つと気の毒ですが、アレキサンドロス大王の偉業には心動かされるものがあります。
またその後の話を期待していま〜す。
2. Posted by napoleeeon 2007年08月26日 19:51
ローマヌスさん
久しぶりのコメントありがとうございます。
戦死者が全体を通してこんなに少ないのは、珍しいですね。
確かにテュロス人は、不幸ですね。アレクサンドロスはローマ人みたいにその土地に植民土地を築いたりする、インフラ整備をしなかったから帝国も長続きしなかったのでしょうね。大王はあまり政治的な偉業は残していないのが、また、おもしろいです。そう考えると、カエサルみたいな政治、軍事を両方こなす人は珍しいですね。
はい! この後は大王の戦闘で一番おもしろいところをやるつもりです!!
久しぶりのコメントありがとうございます。
戦死者が全体を通してこんなに少ないのは、珍しいですね。
確かにテュロス人は、不幸ですね。アレクサンドロスはローマ人みたいにその土地に植民土地を築いたりする、インフラ整備をしなかったから帝国も長続きしなかったのでしょうね。大王はあまり政治的な偉業は残していないのが、また、おもしろいです。そう考えると、カエサルみたいな政治、軍事を両方こなす人は珍しいですね。
はい! この後は大王の戦闘で一番おもしろいところをやるつもりです!!