「ウルビーノのヴィーナス」について来年の自由研究について

2008年07月19日

古代ローマ帝国における属州ブリタニア統治問題についての疑問点

ローマ帝国時代のグレートブリテン島



  ローマ帝国時代のグレートブリテン島の地図
     (クリックをすればズームします)






やっと今日一学期が終了しました。

自分の学校では高校二年生で世界史を習います。しかし、普通の学校の世界史の教え

方とは異なっていて、自分の学校では、ペルシア帝国から始めて、アテナイ海上帝

国、アレクサンドロス帝国、後継者(ディアドコイ)帝国、古代ローマ帝国、キリス

ト教帝国をやり、このやった範囲を見れば分かると思いますが、どれにも共通の「帝

国」というキーワードが入っています。なぜかというと、例として、アテナイ海上帝

国は、アテナイが周りのポリスを、強力なアテナイ海軍をバックに周りのポリスに、

強引にデーロス同盟を結ばせ、表面上は寄金という感じであったが、実質的には一種

の納税義務を負わせていた。要するに、中核(支配者)と周縁(被支配者)の関係が

成り立っていれば、「帝国」の概念に当てはまるんだと世界史の先生はおっしゃって

いました。だから、上述したような国は、帝国の概念に当てはまるということになり

ます。当然、期末試験もあり、それぞれの帝国の中で起きた、事件・戦争などの出来

事をふまえながら、それぞれの帝国論を論述するというものでした。


さて、本日の本題ですが、そのなかの問題の一つにブリタンニアの統治問題について

の問題がありました。著作権の問題上、そのまま問題をここに載せることはしません

が、多少自身で改訂を加えて、載せることにします。

「第4代ローマ皇帝のクラウディウス帝が、グレートブリテン島征服を開始する。後

にローマ帝国の属州になり、属州ブリタンニアとされる。ブリタンニアにはカムロド

ゥヌム、ロンディニウムなどの都市が築かれる。しかし、属州民が積極的に公共施設

の充実に参加したということがあまり起こらなかった。」

これについて、帝国の特徴・あり方を中核-周縁の関係を絡めながら論じるのです。

自分がこれについて答えられたかというと△です。正直な話をしますと、いろいろな

偏見が入ってきてしまって、どの答えで答えたらいいのか自信がなくなってしまった

のです。だから、先生に後で聞いた答えだけ紹介します。つまりは、簡単に考えてい

いことで、本国ローマからは、帝国の辺境地にあたるブリタンニアは、あまりにも遠

かった。なので、ローマ市民になりたいという意識が全体的に薄く、ローマ市民にな

る人々が少なく、属州民に留まりたい人が多かったので、万民法を帝国を安定させる

ために制定する必要があったということなのだそうです。しかし、果たしてブリタン

ニアの民が公共施設の充実にいまいち関わろうとしなかったのはそれだけの理由でし

ょうか? 先生には申し訳ありませんが、今日はこの理由について考察したと思いま

す。上述したように。ブリタンニア征服を始めたのは、クラウディウス帝です。征服

の目的は、軍事的な目的、経済的な利益を見込んでの征服行為ではなかったようで

す。その根拠を考えてみると、初代ローマ皇帝アウグストゥスがライン川を防衛線と

決め、これ以上の領土拡大は無用だという慣例があったので、軍事的には征服する意

味がないという理由が考えられます。経済的にも特にめぼしい物もなかったので、経

済的にも期待していなかったのではないでしょうか? じゃあ、何故で征服をしたの

でしょうか? その答えは前皇帝のカリグラに原因があると思われます。カリグラは

民衆の気を引くために、好き勝手やってしまっので、暗殺されてしまいます。その後

に、即位したクラウディウス帝ですから、政治的には物凄く不安定な時期に即位した

ので、なんとしても何かしら成功をおさめて自分の威信を保持しなければならないと

いう政治的な目的に基づいての征服だったのではないでしょうか。したがって、ブリ

タンニアの人々は、皇帝のよく分からない理由で征服されてしまったことになりま

す。こうして、ローマによる属州化がなされる。しかし、よく分からない理由で征服

されてしまっただけなのに、ローマ人は必要以上に支配者ぶり、ローマ人の金融業者

がやってきて、高利貸しをする。それらに、当然人々は不満を持ち始める。その不安

が爆発して、反乱につながることがしばしばあった。このような結果から、ブリタン

ニアの人々はローマ人に敵愾心を持つようになり、当然ローマ人に協力する気も失せ

てしまったと考えるのも、いささか間違った考えではないと思ったりしますが、どう

でしょうか?

napoleeeeon at 22:52│Comments(7)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by ミネルヴァ   2008年07月20日 21:22
こんばんはnapoleeeeeeonさん。
ミネルヴァといいます。世界史についてちょっと考えてみました。暇なら読んで下さい。
http://ameblo.jp/minerva-tt/entry-10118277687.html
2. Posted by トリマルキオ   2008年07月21日 15:08
5 どうも、トリマルキオです。

古代ローマ史や世界史のことについて、随分と勉強されているようで、napoleeeonさんは、とても高校生とは思えないほどの成熟振りですね。
本当に感心しました!!!
(*僕が高校生の頃は、もっと適当だったから。)

ブリタニアの属州化の問題については、「ハドリアヌスの長城」についても考えてみると良いかもしれませんね。
実際、「長城」以南の地域では、「ローマ化」が進展していたのも事実で、多くの属州民が補助軍団兵として登録され、後に「ローマ市民」となってゆきました。
特に「ヴィンドランダ」遺跡については、暇があれば、ネットなどで調べてみてると良いかも知れません...


追伸

新たに記事の更新もされたようですし、当然、僕のブログの「お気に入り」にも登録させて頂きました。
これからも投稿を心より楽しみにしております。

良い夏休みを!!!
3. Posted by napoleeeon   2008年07月21日 18:56
ミネルヴァさんコメントありがとございます!!

これからもブログ参照させていただきます。

コメントもたくさんしてくださると幸いです。
4. Posted by napoleeeon   2008年07月21日 21:27
トリマルキオさん

コメントありがとうございます。

いやいや、まだまだ若輩者です。でも、やっぱり世界史にかける情熱を皆さんに理解してもらえるように頑張っている次第です。大学では、こっちの方面の勉強ができるように、日々精進しています。そうですね。ブリタニアを語る上では、やっぱり「ハドリアヌスの長城」は欠かせないですよね。ここがローマ世界と外界を隔てるものであるのは、有名な事実であるし、当時の辺境防衛の生活をよく理解できる遺跡だと思います。とりあえず、この遺跡を理解したうえで、もう一回統治問題を考察してみるのがよさそうですね。「ヴィンドランダ」の遺跡についても、早速調べてみたいと思います。ありがとうございます。トリマルキオさんのブログをリンクさせてもらいます。
5. Posted by 紗瑠々   2008年07月22日 20:00
お久しぶりです。

自分は〜実は目下受験勉強中なのであります!(爆)あんまり明言していなかったんですが、私は現在高三の学生なわけです。ちょっと気分転換にネットに繋いだら、いくらかコメントできそうなネタだったので…つい。

高校の世界史はアレ?って思うこともありますが、それは中身をかなり簡略化しているのと、あと世界史的視点というのが地域別に論じるのとは違うからなんでしょうかね。

まぁ、私はブリタニアについてはほぼ空白なわけなんですが…。ホノリウスが一番先に頭に浮かんでしまうのは中世視点でしょうかね。

なんだか脈絡なくてすみません。では…私はこれから中国史をやらねばなりませんので、ブリタニアはまかせました!なんて。
6. Posted by napoleeeon   2008年07月23日 23:06
紗瑠々さん

お久しぶりです!! そして、忙しい中コメントありがとうございます。大変でしょうが、受験勉強頑張ってください・・・ 

やっぱり長年、様々な歴史学に関係しているといろいろと偏見が入ってしまうのでしょうね(苦笑)

ホノリウスも、大変かわいそうな人物ですね・・・
なんか時代の潮流といった感じがします。中世視点でもいいのではないでしょうか。自分だって、両シチリア王国などは、ノルマン人が南下してきて、定住したということくらいしか知らないです・・・

中国史も自分は全くといっていいほど無知なので、ブリタニアに没頭してみます(笑)
7. Posted by ローマ好き   2017年07月17日 19:44
5 クラウディウス帝がブリタンニアを征服したのは、確かに先帝カリグラを超える力量の持ち主であることを示そうとした理由もあると思います。しかし、主な理由が他にも二つほど考えられます。一つ目は、先帝カリグラがドーバー海峡を目の前に軍事的な示威行動を行った(記事に書いてある通り、部下に諭されて侵攻は中止した)せいで、ブリタンニアの部族が決定的に反ローマになってしまったこと。二つ目はローマのガリア征服により従来の影響力を失った司祭階級(ドルイデ)が亡命してブリタンニアに逃げていたことです。以上の理由から、ローマにとってのブリタンニアは放置できない存在となってしまい、クラウディウス帝はブリタンニア侵攻に踏み切ったのだと思います

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