直立する類人猿 私たちはいかにして二足歩行者となったか書籍紹介:103歳になってわかったこと

2016年04月19日

「食事しだい」

<地球セミナ95-3 ダニエル・E・リーバーマン著「人体600万年史」[1]3章> 
<水明子>



<アフリカ大地溝帯>

ヒトとチンパンジーの分岐はDNAの分析から600700万年前と考えられている。そのころ東アフリカの環境が変わり、その変化に適応するためヒトの祖先が進化を始めた。本書では環境の変化は地球全体の寒冷化のためだと述べて、アフリカ大地溝帯の成長については触れていない。この小文では本書にないこの節を設けることにした。


 図1はアフリカの植生を示している。植生図[2]にチンパンジーの棲息地「3」を書きこみ、さらにヒト科化石の発掘場所を加えたものである。緑が森林、クリーム色がサバンナ、薄茶色が半砂漠である。


 東アフリカのサバンナや半砂漠は大地溝帯の西側山脈の東に広がっていて、人類化石の発掘地
の多くはそのなかにある。チャドや南アフリカの発掘地も乾燥地にある。チンパンジーの生息地は地溝帯の西の森林地帯に分布している。チパンジーの住む環境はあまり変化しなかったので、チンパンジーは昔ながらの生活と姿を保っていると考えられる。


1 アフリカの植生とヒトとチンパンジーの生息地[2][3]
   緑色:森林、黄色:サバンナ、薄茶色:半砂漠アフリカ植生化石チンプ



アフリカ大地溝帯の始まりはアファール洪水玄武岩である。およそ3000万年前、洪水玄武岩が起きてアラビア半島がアフリカから離れ始めた[4]。洪水玄武岩というのは溶岩が洪水のようにあふれ出る巨大噴火のことである。アファール洪水玄武岩の噴出量は50km3と見積もられている。50km3の溶岩を日本列島にならすと高さ1300mにもなる。


 2500
万年前には、紅海とアデン湾、それにアフリカ大地溝帯のY字の分裂が始まった。アフリカ大地溝帯は大地の裂け目で図2のようにジブチ、エチオピア、ケニア、タンザニアへと伸びている。西側にもう1本の地溝帯があり、湖の連鎖として見ることができる。これら2本の地溝帯はタンザニア南部で合流し、モザンビークでインド洋に抜けている。東西2本の地溝帯の間にビクトリア湖、その東にはアフリカの最高峰キリマンジャロ(5895mがある。

 アフリカ大地溝帯の長さは6000辧幅は50劼曚鼻⊃爾気呂よそ1500mである。地溝帯には、火山、湖、サバンナ、半砂漠などが連なっている。この割れ目は年に5mmほど広がっているので1億年もすれば海になる。その前例が紅海である。

 大地溝帯は陸上に現れた海嶺というべきもの。図3のように地下深くからマグマが湧き出し、その両側に山脈を造る。海嶺はインド洋、太平洋、大西洋と6万劼眤海、マグマの上昇により海洋プレートを生み出している。アフリカ大地溝帯はアデン湾の先でインド洋の海嶺とつながっている。

2 アフリカ大地溝帯[6]  図3 大地溝帯[7]
photo_3[1]大地溝


<ルーシーの仲間たち>

 ヒト科化石の発見場所はほとんどが大地溝帯の内側だった。このことからイヴ・コパンはイーストサイド・ストーリーという仮説を提案した[5]。当時はやっていたミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」をもじったものである。地溝帯の西側に山脈が隆起したため、その東側は乾燥し森が消えサバンナになった。ヒトの祖先はサバンナに適応するため直立歩行をするようになった、というものである。

 
 1974年にアフリカ大地溝帯のエチオピア北東部ハダール付近で人骨と思われるものが発見された。この318万年前の化石はチンパンジーとヒトをつなぐミッシングリングだった。そのときベースキャンプでは毎日ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」の曲が流れていた。それで女性の猿人はルーシーと名づけられた。 

 それまでもヒト科の化石は発見されていたが、ほぼ全身の骨が見つかったのは初めてだった。骨40%が発掘され、この猿人の特徴を明らかにすることができたのである。ルーシーは20歳くらいの女性で身長 1.1 m、体重29kg、脳容量400ccだった。脳容量はチンパンジーに近いが、骨格から二足歩行をしていたことが確かめられた。ルーシーは後にアウストラロピテクス・アファレンシスと命名される。手は長く樹上生活の特徴も残していた。


 図4は東京上野の国立科学博物館が復元したルーシー。ちょっと太りすぎではなかろうか。もうひとつの図5は上野科学博物館で売っていたというプラモデル。こちらのほうが本物に近かそうだ。

4 ルーシーの復元模型[8] 図5 ルーシーのプラモデル[9]

rusie[1]2img_0[1]2


 表1は初期人類の一覧表である。アウストラロピテクス属は420130万年前に棲息していた猿人のグループである。華奢型と頑丈型に分けられるが、体重は2550kg、脳の大きさは4005603と推定され、チンパンジーと同じかやや大きい。

表1 初期の人類[1]
人体−初期人類



<史上
初のジャンクフード生活>

アウストラロピテクスはどのようなものを食べていたのだろうか。熱帯林が消滅したためチンパンジーのように果物を主食とする暮らしはできなかった。小さく敏捷でないアウストラロピテクス狩猟で生きることもできなかった。やむなくジャンク(がらくた)フードに切り替えた。考えられるジャンクフード球根、根茎、葉、茎、種子、昆虫、腐肉などである。著者は球根や根茎が主食だったろうと考えている。これら食物は繊維が多く固く、その上栄養価は低かった。アウストラロピテクスはジャンクフードに適応した生き物だった。



<おばあちゃんの歯はなんて大きいの>
 繊維が多く栄養価の低い
食物は噛み続けるしかないチンパンジーは果物を主食にしているといっても今私たちが食べているような柔らかく甘い果物と考えてはいけない。やはり繊維が多く固い食物だった。チンパンジーは昼間の半分ほどを咀嚼を続けるという生活をしている。果物が手に入らないときは茎や葉を食べる。 

 アウストラロピテクスの食べ物はチンパンジーのよりさらに悪い。ジャンクフードに適応して丈夫な顎と歯が進化した。臼歯は、華奢型でもチンパンジーの1.5頑丈型では2倍以上になった。エナメル質厚さは、華奢型でチンパンジー2頑丈型は3にもなった。咬合面ヒトの120mm2と比べると頑丈型のボイセイでは 200mm2もあった。その代わり、門歯(前歯)と犬歯はチパンジーより小さくなった。


 図6はチンパンジーと華奢型、頑丈型アウストラロピテクスの頭蓋骨を比べたものである。華奢型のアファレンシス(右上)でもチンパンジーより頑丈である。特に下あごの厚みはすごい。くるみ割りもできそうである。ボイセイ(右下)の頭蓋骨は戦車の装甲を思わせる。彼らはこれほどまでにジャンクフードに適応したのである。

図6 アウストラロピテクスの頭蓋骨[1]
人体−頭蓋骨


<よろよろ歩いて根茎探し>

サバンナで食べ物探しをするために二足歩行が進化した。関節はまっすぐ伸び足の親指は太く短くなり他の指と並ぶようになった。踏まずができてばねのある二足歩行ができるようになり、踵の骨も大きく平らで踵から降ろす歩行に耐えられるように変わった。


 大腿骨
は内向きに、腰と膝の関節が大きくなり、腰椎が長くなり湾曲して体重を支えられるようになった。横に張り出した骨盤は二足歩行の効率化をもたらした。


 必要
カロリーを集めるために遠くまで行かなければならなかったので、二足歩行が進化したチンパンジーの体重45kgの雄では3kmの歩行に140kcalを要する。アウストラロピテクスの歩行を測定できないので、65ヒトで測定すると、チンパンジーの3の効率だった。アウストラロピテクスはその中間だろう。チンパンジーは1日に23kmしか移動しなかったが、アウストラロピテクスはもっと長距離の移動を行っていたことだろう。


 1976
年、古生物学者のチームがタンザニアのラエトリで、固まった火山灰上にのこる約360万年前の人類の足跡を発見した(図7)。大人2人、子供1人のアウストラロピテクス・アファレンシスが残したものと考えられている。大きな親指と他の指が平行にならび、土踏まずがある。二足歩行をしていた動かぬ証拠である。


図7 アウストラロピテクスの足跡[10]  図8 アウストラロピテクス[11]

clip_image002[1]2人類大移動−直立二足歩行へ2




アウストラロピテクスはチンパンジーとヒトの中間項である。果物が減ったため、代替咀嚼に適応した丈夫な顎と歯を持ち、食物探しの二足歩行をこなしていた。アウストラロピテクスは木登りではでは人よりうまかったと思われる。果物があれば木に登って食べただろう。図8のようにチンパンジーとヒトの中間の骨格を持ち、中間の生活をしていた。アウストラロピテクスはヒトにかなり近い生き物だった。


 そうはいっても異なるところも多い。ヒト脳はアウストラロピテクス3倍脚は長く手は短く歩行はずっと効率的である。顔は平面的顎は小さい。栄養豊富な柔らかいものを料理して食べているので、顎や歯は退化したのだ。


 けれども、あなたのなかにたくさんのアウストラロピテクスがいる。それは間違いないところだ。アウストラロピテクス属のどれかがあなたの直系の祖先なのである。



出典

[1] 「人体600万年史」ダニエル・E・リバーマン(早川書房、2015

[2] http://www.geocities.jp/ugandaboys/AfricaMap/map.html

[3] http://www.city.sapporo.jp/zoo/chimpanzee/bunrui.html

[4] 「アフリカ大地溝帯の謎」諏訪兼位(講談社、1997

[5] 「ルーシーの膝」イヴ・コパン(紀伊国屋書店、2002

[6]  http://oyamahiroshi.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-1688.html

[7] 「地球のしくみと進化の歴史」 Newton別冊(ニュートンムック、2004

[8] http://www.bere.sakura.ne.jp/atamakahaku.htm

[9] http://blogs.yahoo.co.jp/archaeopteryx_sp/GALLERY/show_image.html?id=7044098&no=0

[10] http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery2/encart/encartB/sinka2/sinka-2.html

[11] 「人類大移動」印東道子・編(朝日新聞出版、2012




nara_suimeishi at 12:47│Comments(0)TrackBack(0) 観察と学習 

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