2006年06月16日
モンゴル公演 2日目
6月8日 2日目
当初3泊4日の旅公演が2泊4日になったしまった。
ようやくチンギスハーン空港に到着。皆疲れた様子だが、気持ちはこれでようやくモンゴル公演が出来ると強い日差しにもかかわらず冷たい風で気持ちが引き締まる。
T氏は慣れぬ面箱持たされ緊張!
ようやくバヤンゴルホテルについた一行
石原理事長と櫻間右陣さんらは、休憩する間も無く直ちに日本大使館へ表敬訪問
居残り組は部屋に入って東京組と合流。彼らに慰められるが東京組も出発が5時間遅れとのこと。早速またもや「石橋」で使う花作り!。疲れたと言ってる暇なし!
午前10時半に花制作完了。日本大使館から帰ってきた石原理事長・櫻間右陣さん他一部の者がガンダン寺挨拶と会場下見に向かい、残りは国立文化宮殿へ下見と「石橋」で使う一畳台とボタン花の、作り物製作に分かれる。
モンゴル現地情報がほとんど日本には入ってこず、ガンダン寺管長挨拶前に奉納会場を下見した結果、高さ26mにも及ぶ観音様の真ん前で奉納したいと希望したが、ガンダン寺では観音様に対する法要はいつも外で行ってるとのことで、それに従うことになった。
また、訪問団に対して特別な配慮をしてくれたようで、先に面会約束していた遊牧民に割り込みさせてもらい、なおかつそのあとのモンゴル大統領!面会時間をあとに延ばしてもらったようです。
奉納に来ていた遊牧民と記念撮影。お互いの民族衣装の対比が!。
訪問団挨拶あと、管長挨拶に行った遊牧民が待合室に残した帽子
国立文化宮殿に向かった一行は、制作を頼んでいた一畳台の確認とボタンの花制作。
一畳台は穴の部分が少し違っていたが、日本から持ち込んだ角材で何とかOK。
しかし舞台が大変な状況でした。床は日本では考えられない痛みようで、舞台部分のみにリノリュームが貼ってある。これではダメと現地スタッフに言うとそれではと絨毯を出そうとするが、大きさが合わず、困った状況に陥った。
日本から持ち込んだパンチマットの見本を見せると、現地通訳のニンジンさんとそのご主人がそれに近い物が「ザハ(何でもある市場)」にあると。ただそこは非常にスリが多く危険だと。
行くしかないので、石原理事長と舞台担当Yだけが財布他狙われそうな物を預け、少しだけのお金をポケットに入れ「ザハ」に向かう。
ニンジンさんとご主人に前後を挟まれ早足で探すと、何とか使えそうな紺色のフェルトを見つけ購入した。しかし日本では店にも並ばない品質の悪さ!。ここでの写真はあまりにも危険とのことで写真撮影は出来なかったが、靴底だけを売っていたり、バスの天井に山ほど荷物を積んでいたりと現地の生活感が感じられおもしろく感じた。
合流するため一度ホテルに戻り、観光組バス待ちの間、手をつなぎあった民族衣装の老夫婦をパチリ。
その後ザイハントルゴイの丘に向かい、他のメンバーと合流する
ザイハントルゴイの丘はソ連軍の功績を称えた記念碑で、非常に風が強く、階段登る時は、風に対して体を傾けないと吹き飛ばされそうになった。
夕食会場向かうバス中から、設置中?修理中?のゲルを見る。設置撤収が簡単に出来るので、日本で建築現場にあるコンテナハウス感覚のようだ。
また町の中を太いパイプが縦横に走っているが、これは通訳さんによると発電所から各家庭に5月初めまでは温水を供給するための物とのこと。
現地民族料理の夕食会。一行明日の本番に向け結束を固め乾杯する。
民族料理はそんなに臭くなく食べやすかったので、通訳さんに聞くと外国人用には味を変えてないとのこと。すぐ現地食になじむYでした。
夕食後楽しみにしていた民族舞踊観劇に向かう。
日本の仮面劇「能」とモンゴルの仮面劇の共通点は!?
民族唄「ホーミー」は喉歌と言われ声帯を震わせ気管・胸郭・口腔を共鳴させ音を出し歌う。オルテンドー(長唄)は日本の馬追唄「追分」に良く似通ってると石原理事長に教えてもらう。
途中、朝青龍ではなく白鳳の大きい看板!
路上の本屋さん
民族舞踊が終わったのが午後9時半。しかし緯度が高いので日本の感覚では今の午後6時頃の明るさでした。
文責 舞台担当Y
当初3泊4日の旅公演が2泊4日になったしまった。
ようやくチンギスハーン空港に到着。皆疲れた様子だが、気持ちはこれでようやくモンゴル公演が出来ると強い日差しにもかかわらず冷たい風で気持ちが引き締まる。
T氏は慣れぬ面箱持たされ緊張!
ようやくバヤンゴルホテルについた一行
石原理事長と櫻間右陣さんらは、休憩する間も無く直ちに日本大使館へ表敬訪問
居残り組は部屋に入って東京組と合流。彼らに慰められるが東京組も出発が5時間遅れとのこと。早速またもや「石橋」で使う花作り!。疲れたと言ってる暇なし!
午前10時半に花制作完了。日本大使館から帰ってきた石原理事長・櫻間右陣さん他一部の者がガンダン寺挨拶と会場下見に向かい、残りは国立文化宮殿へ下見と「石橋」で使う一畳台とボタン花の、作り物製作に分かれる。
モンゴル現地情報がほとんど日本には入ってこず、ガンダン寺管長挨拶前に奉納会場を下見した結果、高さ26mにも及ぶ観音様の真ん前で奉納したいと希望したが、ガンダン寺では観音様に対する法要はいつも外で行ってるとのことで、それに従うことになった。
また、訪問団に対して特別な配慮をしてくれたようで、先に面会約束していた遊牧民に割り込みさせてもらい、なおかつそのあとのモンゴル大統領!面会時間をあとに延ばしてもらったようです。
奉納に来ていた遊牧民と記念撮影。お互いの民族衣装の対比が!。
訪問団挨拶あと、管長挨拶に行った遊牧民が待合室に残した帽子
国立文化宮殿に向かった一行は、制作を頼んでいた一畳台の確認とボタンの花制作。
一畳台は穴の部分が少し違っていたが、日本から持ち込んだ角材で何とかOK。
しかし舞台が大変な状況でした。床は日本では考えられない痛みようで、舞台部分のみにリノリュームが貼ってある。これではダメと現地スタッフに言うとそれではと絨毯を出そうとするが、大きさが合わず、困った状況に陥った。
日本から持ち込んだパンチマットの見本を見せると、現地通訳のニンジンさんとそのご主人がそれに近い物が「ザハ(何でもある市場)」にあると。ただそこは非常にスリが多く危険だと。
行くしかないので、石原理事長と舞台担当Yだけが財布他狙われそうな物を預け、少しだけのお金をポケットに入れ「ザハ」に向かう。
ニンジンさんとご主人に前後を挟まれ早足で探すと、何とか使えそうな紺色のフェルトを見つけ購入した。しかし日本では店にも並ばない品質の悪さ!。ここでの写真はあまりにも危険とのことで写真撮影は出来なかったが、靴底だけを売っていたり、バスの天井に山ほど荷物を積んでいたりと現地の生活感が感じられおもしろく感じた。
合流するため一度ホテルに戻り、観光組バス待ちの間、手をつなぎあった民族衣装の老夫婦をパチリ。
その後ザイハントルゴイの丘に向かい、他のメンバーと合流する
ザイハントルゴイの丘はソ連軍の功績を称えた記念碑で、非常に風が強く、階段登る時は、風に対して体を傾けないと吹き飛ばされそうになった。
夕食会場向かうバス中から、設置中?修理中?のゲルを見る。設置撤収が簡単に出来るので、日本で建築現場にあるコンテナハウス感覚のようだ。
また町の中を太いパイプが縦横に走っているが、これは通訳さんによると発電所から各家庭に5月初めまでは温水を供給するための物とのこと。
現地民族料理の夕食会。一行明日の本番に向け結束を固め乾杯する。
民族料理はそんなに臭くなく食べやすかったので、通訳さんに聞くと外国人用には味を変えてないとのこと。すぐ現地食になじむYでした。
夕食後楽しみにしていた民族舞踊観劇に向かう。
日本の仮面劇「能」とモンゴルの仮面劇の共通点は!?
民族唄「ホーミー」は喉歌と言われ声帯を震わせ気管・胸郭・口腔を共鳴させ音を出し歌う。オルテンドー(長唄)は日本の馬追唄「追分」に良く似通ってると石原理事長に教えてもらう。
途中、朝青龍ではなく白鳳の大きい看板!
路上の本屋さん
民族舞踊が終わったのが午後9時半。しかし緯度が高いので日本の感覚では今の午後6時頃の明るさでした。
文責 舞台担当Y
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この記事へのコメント
1. Posted by kin3_2006 2006年06月22日 18:02
お疲れさまでした。新聞報道もされていましたが、多くの写真を見せていただきみなさんのご苦労と、大きな草原のもと視野が広がって帰ってこられたことと思います。私も内モンゴルを旅したことがありますが、歓迎のスカーフのような物を首にまき、天と地の神様に感謝して乾杯をしたことを思い出しました。今度の例会で是非話を聞かせてくださいね。お疲れさまでした。