2007年04月20日
30 「東洋町の戦い」
4/17(火)は、各界のVIPの中に紛れ込んで、東洋町を見てきました。VIPとは、先日の県議選でトップ当選を果たしたファーマー土居さん、原発さよならネットワーク高知の外京ゆりさん、市民オンブズマンの窪則光さん、ラジオ・インタビュアーの西村健一さんでした。かなり支離滅裂な顔ぶれですが、東洋町を核のゴミ捨て場にしてはなるまい、という思いを共有して、早朝5時に集まった面々でした。
東洋町は、今や残り少なくなった「美しい日本」でありました。東洋町に近づくにつれ、つづらおりの海岸道路の前方を走る車はなくなり、対向車とすれ違うこともほとんどなく、お遍路さん以外の人とすれ違うこともなくなりました。過疎が護った「美しい日本」でありました。青い空の下、碧の海がどこまでも広がり、侵食された大小の奇岩が目を楽しませてくれました。どこの海岸にもあるものと思っていた波打ち際のゴミは見当たらず、浦島太郎と出会えそうな砂浜が残っていました。こんなに美しい海岸線を放射能で汚してはなるまい、と強く思いました。これだけの海岸があるなら、地に足の着いた観光産業が可能であろうと思いました。
TVでお馴染みなので、しばしば女性に取り囲まれたファーマー土居さんは、沢山さんの応援弁士として大活躍でした。土佐弁で、生真面目な沢山さんの硬さを和らげる役割を果たしました。「県議会はスーツ着用で慣れちょかないかんき」ということで、スーツ姿でした。辻ごとに切り口を変えて、明確に反対を訴えていきました。話題は豊富で、的確なエピソードが泉のように湧いてきました。
日本史専攻だったという沢山さんは、ある街角での演説で、この選挙戦を「関が原の戦い」と位置づけていました。後の世では、「東洋町の戦い」という歴史用語が残っているのかもしれません。ヘーゲルを愛読している沢山さんの選挙演説には、隠しきれぬ教養がほとばしり、毎回なかなか味わい深いものがありました。
いわく、「私は、高レベルも中レベルも低レベルも、反対です」「補助金は、補助ではなく、買収といったほうがいい」沢山陣営は、本人はもちろん、応援の方々の言動も確信に満ちていて、明るく、とても気力が充実しているように思いました。おまけに、「でこぽん」のお土産までいただいたので、沢山支持の思いをさらに強くしました。
4/17(火)午後7時52分、長崎では、反核の立候補者が「暗殺」されました。アメリカ政府や日本政府を鋭く批判していた前市長です。1度も会ってない人を殺せるのは、「暗殺者」です。警察は、個人プレイとして扱おうとしていますが、動機が軽すぎて、状況証拠に不自然さが感じられます。背後関係があるように思います。反核は命がけということなのかな、と思いました。
東洋町は、今や残り少なくなった「美しい日本」でありました。東洋町に近づくにつれ、つづらおりの海岸道路の前方を走る車はなくなり、対向車とすれ違うこともほとんどなく、お遍路さん以外の人とすれ違うこともなくなりました。過疎が護った「美しい日本」でありました。青い空の下、碧の海がどこまでも広がり、侵食された大小の奇岩が目を楽しませてくれました。どこの海岸にもあるものと思っていた波打ち際のゴミは見当たらず、浦島太郎と出会えそうな砂浜が残っていました。こんなに美しい海岸線を放射能で汚してはなるまい、と強く思いました。これだけの海岸があるなら、地に足の着いた観光産業が可能であろうと思いました。
TVでお馴染みなので、しばしば女性に取り囲まれたファーマー土居さんは、沢山さんの応援弁士として大活躍でした。土佐弁で、生真面目な沢山さんの硬さを和らげる役割を果たしました。「県議会はスーツ着用で慣れちょかないかんき」ということで、スーツ姿でした。辻ごとに切り口を変えて、明確に反対を訴えていきました。話題は豊富で、的確なエピソードが泉のように湧いてきました。
日本史専攻だったという沢山さんは、ある街角での演説で、この選挙戦を「関が原の戦い」と位置づけていました。後の世では、「東洋町の戦い」という歴史用語が残っているのかもしれません。ヘーゲルを愛読している沢山さんの選挙演説には、隠しきれぬ教養がほとばしり、毎回なかなか味わい深いものがありました。
いわく、「私は、高レベルも中レベルも低レベルも、反対です」「補助金は、補助ではなく、買収といったほうがいい」沢山陣営は、本人はもちろん、応援の方々の言動も確信に満ちていて、明るく、とても気力が充実しているように思いました。おまけに、「でこぽん」のお土産までいただいたので、沢山支持の思いをさらに強くしました。
4/17(火)午後7時52分、長崎では、反核の立候補者が「暗殺」されました。アメリカ政府や日本政府を鋭く批判していた前市長です。1度も会ってない人を殺せるのは、「暗殺者」です。警察は、個人プレイとして扱おうとしていますが、動機が軽すぎて、状況証拠に不自然さが感じられます。背後関係があるように思います。反核は命がけということなのかな、と思いました。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by けんちゃん 2007年04月26日 16:10
私は単なる運転手でした。長時間の弾丸ツアーお疲れ様でした。いろんな分野の人が小さな車に乗り合いでしたので退屈はしなかったとは思います。