2007年05月08日

35 花の下にて 春死なん

 高知県の三大祭の一つに数えられる秋葉祭は、毎年2月11日と決まっています。私は、その日、仁淀川町・別枝の旧家・中越家の庭で桜の老木にもたれかかって、子供たちの「練り」を見ていました。時代絵巻に飽きて、ふと見上げると、「しだれ桜」の老木は青空に向かって、小枝を広げていました。写真1がそのときの姿です。私は、春にはこの木はどんなになっているのだろうか、と思いました。


 写真1.仁淀川町・別枝の旧家・中越家の庭にそびえる「しだれ桜」(2月11日)。

 写真2.写真1の「しだれ桜」が開花した姿 西行はこんな桜木の下で自らの生涯を閉じたのではないか。

 写真3.仁淀川町・大崎の樹齢500年といわれる「ひょうたん桜」。


 春になって、もう1度仁淀川町を訪ねたとき、「もう1週間早かったらね」と言われましたが、私は満足していました。写真2がそのときの「しだれ桜」の姿です。

 「願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」という西行の歌を、そのとき、私は思い出してしまいました。かって西行の死体を見下ろしていたのは、こんな1本立ちの老木ではなかったでしょうか。私は、満開の桜花で自らの死を飾った西行のこころを考えてみました。そして、西行は、生きとし生けるものの輪廻転生をこの歌に詠んでいたのではないか、と思い至りました。

 「春死なん」というのは、「春死のう」という意志です。彼は意志の力で望みどおりの死を遂げたのです。たぶん、断食による、緩慢な自殺だったのでしょう。

 西行は、23歳まで佐藤義清という名の文武両道に優れた武士でした。その彼が突然、妻子を捨てて出家したのです。・・・。普通の人はそういうことはしません。そして、その50年後、西行は、自らの最期を桜花で飾ったのです。・・・。普通の人はそういうことはしません。

 同じ仁淀川町・大崎に、樹齢500年の「ひょうたん桜」があります。別枝からの帰りに大崎に立ち寄ったとき、写真3のような光景を見て、思わずシャッターを切りました。



narijun1 at 09:08│Comments(0)TrackBack(0) 人生 

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