2007年05月28日
40 東洋町日誌(2)
「自由は土佐の山間より」という言葉があります。明治の自由民権運動を、時の高知県人たちが担った、という意味かと思います。今回の反対運動を展開する中「Tシャツを作るので、何かキャッチコピーはないか」ということになり、アイデアが公募されました。いろいろ集まったようですが、最終的に「反核も土佐の山間より」に決まりました。私は、ほんの冗談のつもりだったのですが、かつての自由民権運動の県民性は生きていて、現実はその通りに推移していきました。
東洋町に深入りしすぎていた国家権力の側が、このキャッチコピーの真の意味を理解するには、もう少し時間がかかるだろうと思います。ボディーブローは、後から効いてくるのです。
「3月2日 反核も土佐の山間より」
反原発の「それがたまるか!!」という人気ブログがあります。原発に関して多角的に情報を集めていて、見識もあり、充実しています。管理人は看護職の女性ですが、文末に必ず「高知をなめたらいかんぜよ」と、国に対して啖呵(たんか)を切っています。
先日、朝日新聞・全国版で半ページを使い、東洋町のゴタゴタを特集記事にしていたそうです。「反対している地方の人たちの体温が伝わってこない」との紙面批判がありましたが、当然のことだと思います。朝日新聞は、国家から切り捨てられようとしている「田舎」の仲間ではなく、「都会」の仲間だからです。日本国は、人口4000人にも満たない東洋町など、どうなっても構わないのです。自分たちが政策で貧乏に追い込んでおいて、金をちらつかせ、人の心を金で買おうとしているのです。ホントに「なめたらいかんぜよ」
現在の東洋町の緊迫した現実は、高知県の現実であり、日本国にも、世界にもつながっている現実だと思います。おおげさに言えば、原子力発電の恒久的なゴミ箱が完成するかどうかは、文明の大きなターニング・ポイントです。しかし、多くの人に切実な歴史認識はないようです。予想を上回る地球温暖化の進行で、世界中に原子力発電の順風が吹き始めました。時代の風に逆らうことは、今後困難を極めると思います。人類は今、地球温暖化の問題に直面していますが、それはずっと以前から警告され続けていたことなのです。このままでは、放射能汚染も同じ道をたどっていくことになるのかもしれません。
今、この破滅的な国家戦略と戦うために、いくらかの展望が必要かと思います。反原発の基本姿勢が大切なのであれば、核廃棄物の地上管理や南海地震の可能性のことなどあまり議論すべきではないと、私は思います。それでは核廃棄物を地上で管理すればいいのか、地震が来そうにない土地であればいいのか、ということになってしまいそうです。それは条件によっては認めるという方向を示すことであり、本来の反対運動が後退していくのでは、と心配します。地球を放射能汚染から守るのに、「絶対反対」以外の立場はないと思います。
放射能の危険性は、あまりに軽視されすぎています。これまで、日本の国家権力に「国家100年の大計」があったかというと、そういう過去は思い出せません。国家指導者は、いつも近視眼的で、平気でウソをつくので、条件闘争はいずれ粉砕されていく運命です。原子力発電を「大海の海水で、大気で薄められるので、放射能の害はありません」と平気で言う人たちが相手です。
「再考」
5年ほど前、高知市近郊の農家から、安重根(1909年、中国・ハルピン駅頭で伊藤博文を銃殺し、3ヵ月後に処刑された)の書が出てきました。その時、私は郷土史家の公文豪氏に案内されて、書を見に行きました。私は博識な公文氏に質問し、語られるエピソードの数々に深い感銘を受けました。私が公文氏から聞き出したことの要点は以下のようなことでした。
「この農家の先祖は、安重根が収監されていた刑務所の看守でした。看守だけではありません。安重根裁判の関係者は裁判官から弁護士にいたるまで、高知県人が多かったのです。どうしてか。明治政府が、薩長藩閥だったからです。土佐の出身者は、内地では薩長出身者に頭が上がらなかったので、外地に活躍の舞台を求めていたのです。彼らは、伊藤博文を銃殺した安重根の心を思って、協力して、彼を無罪にしようと奔走しました。一刻も早く処刑したかった本国政府との間に立って、彼らは、安重根を守ろうと動いたのです。その安重根は、処刑されるまでの3ヶ月間に求められるまま300枚の書を残したと言われています。高知県には、まだまだ安重根の書が眠っていると思います。看守の家に、このように保存状態のいい書が残っていることは、彼が、彼を裁いた人たちにいかに尊敬されていたかの証だと思います。紙は最高級の和紙が取り寄せられたと聞いています」
実行犯の小学校教師・安重根は、10人の仲間に支えられて伊藤博文暗殺を決行しました。同志たちは、断指同盟といって、指を切り落とし、互いの連帯感を確認していたと言います。はたして安重根の黒い手形には、たしかに1本指が欠けていました。重ねると、小柄な私の手より小さな手でした。
私は、土佐の自由民権運動も薩長藩閥の裏返しかと思いますが、その反骨精神は、今も高知県人の中に脈々と流れているのだと思います。私が語呂合わせのつもりでつくった「反核も土佐の山間より」のコピーが、実際にそうなって、歴史というものを軽んじていた自分に気づかされました。
4月17日、東洋町の町長選に沢山保太郎氏が立ち上がった日、私はブロック塀の上に立って、選挙戦を見守っていました。反核の気迫に満ちた人波を見下ろしながら、私は、沢山さんの圧勝を確信していました。
安倍晋三首相のルーツは、伊藤博文と同じ長州です。「歴史をなめたらいかんぜよ」
東洋町に深入りしすぎていた国家権力の側が、このキャッチコピーの真の意味を理解するには、もう少し時間がかかるだろうと思います。ボディーブローは、後から効いてくるのです。
「3月2日 反核も土佐の山間より」
反原発の「それがたまるか!!」という人気ブログがあります。原発に関して多角的に情報を集めていて、見識もあり、充実しています。管理人は看護職の女性ですが、文末に必ず「高知をなめたらいかんぜよ」と、国に対して啖呵(たんか)を切っています。
先日、朝日新聞・全国版で半ページを使い、東洋町のゴタゴタを特集記事にしていたそうです。「反対している地方の人たちの体温が伝わってこない」との紙面批判がありましたが、当然のことだと思います。朝日新聞は、国家から切り捨てられようとしている「田舎」の仲間ではなく、「都会」の仲間だからです。日本国は、人口4000人にも満たない東洋町など、どうなっても構わないのです。自分たちが政策で貧乏に追い込んでおいて、金をちらつかせ、人の心を金で買おうとしているのです。ホントに「なめたらいかんぜよ」
現在の東洋町の緊迫した現実は、高知県の現実であり、日本国にも、世界にもつながっている現実だと思います。おおげさに言えば、原子力発電の恒久的なゴミ箱が完成するかどうかは、文明の大きなターニング・ポイントです。しかし、多くの人に切実な歴史認識はないようです。予想を上回る地球温暖化の進行で、世界中に原子力発電の順風が吹き始めました。時代の風に逆らうことは、今後困難を極めると思います。人類は今、地球温暖化の問題に直面していますが、それはずっと以前から警告され続けていたことなのです。このままでは、放射能汚染も同じ道をたどっていくことになるのかもしれません。
今、この破滅的な国家戦略と戦うために、いくらかの展望が必要かと思います。反原発の基本姿勢が大切なのであれば、核廃棄物の地上管理や南海地震の可能性のことなどあまり議論すべきではないと、私は思います。それでは核廃棄物を地上で管理すればいいのか、地震が来そうにない土地であればいいのか、ということになってしまいそうです。それは条件によっては認めるという方向を示すことであり、本来の反対運動が後退していくのでは、と心配します。地球を放射能汚染から守るのに、「絶対反対」以外の立場はないと思います。
放射能の危険性は、あまりに軽視されすぎています。これまで、日本の国家権力に「国家100年の大計」があったかというと、そういう過去は思い出せません。国家指導者は、いつも近視眼的で、平気でウソをつくので、条件闘争はいずれ粉砕されていく運命です。原子力発電を「大海の海水で、大気で薄められるので、放射能の害はありません」と平気で言う人たちが相手です。
「再考」
5年ほど前、高知市近郊の農家から、安重根(1909年、中国・ハルピン駅頭で伊藤博文を銃殺し、3ヵ月後に処刑された)の書が出てきました。その時、私は郷土史家の公文豪氏に案内されて、書を見に行きました。私は博識な公文氏に質問し、語られるエピソードの数々に深い感銘を受けました。私が公文氏から聞き出したことの要点は以下のようなことでした。
「この農家の先祖は、安重根が収監されていた刑務所の看守でした。看守だけではありません。安重根裁判の関係者は裁判官から弁護士にいたるまで、高知県人が多かったのです。どうしてか。明治政府が、薩長藩閥だったからです。土佐の出身者は、内地では薩長出身者に頭が上がらなかったので、外地に活躍の舞台を求めていたのです。彼らは、伊藤博文を銃殺した安重根の心を思って、協力して、彼を無罪にしようと奔走しました。一刻も早く処刑したかった本国政府との間に立って、彼らは、安重根を守ろうと動いたのです。その安重根は、処刑されるまでの3ヶ月間に求められるまま300枚の書を残したと言われています。高知県には、まだまだ安重根の書が眠っていると思います。看守の家に、このように保存状態のいい書が残っていることは、彼が、彼を裁いた人たちにいかに尊敬されていたかの証だと思います。紙は最高級の和紙が取り寄せられたと聞いています」
実行犯の小学校教師・安重根は、10人の仲間に支えられて伊藤博文暗殺を決行しました。同志たちは、断指同盟といって、指を切り落とし、互いの連帯感を確認していたと言います。はたして安重根の黒い手形には、たしかに1本指が欠けていました。重ねると、小柄な私の手より小さな手でした。
私は、土佐の自由民権運動も薩長藩閥の裏返しかと思いますが、その反骨精神は、今も高知県人の中に脈々と流れているのだと思います。私が語呂合わせのつもりでつくった「反核も土佐の山間より」のコピーが、実際にそうなって、歴史というものを軽んじていた自分に気づかされました。
4月17日、東洋町の町長選に沢山保太郎氏が立ち上がった日、私はブロック塀の上に立って、選挙戦を見守っていました。反核の気迫に満ちた人波を見下ろしながら、私は、沢山さんの圧勝を確信していました。
安倍晋三首相のルーツは、伊藤博文と同じ長州です。「歴史をなめたらいかんぜよ」