2007年05月30日
41 東洋町日誌(3)
最近、東洋町の沢山町長に会いに行きました。「ヤスタロウの東洋町長日誌」というブログを町長室で完成させるためでした。それは、西村健一さんの発案で、オンブズマン町長としての言動を全国に発信するための道具立てでした。
1時間ほどでブログは完成し、町長室を出ると、沢山さんの表情はパッと明るくなりました。町長室は、沢山さんにとって、緊張する場所のようです。私は、砂浜の見えるログハウスで、ハンバーグをかじりながら、「日本史専攻ということですが、卒論は何でしたか」と質問しました。「確か、『近代日本と部落差別』という題だったと思います。近代日本に部落差別が残ってしまった理由を明らかにしました。雑誌に掲載され、その雑誌はよく売れました」と彼はうれしそうでした。彼は、立命館大学で日本史を学んだことを誇りに思っているようでした。当時、権力におもねることなく、日本史を研究する学者が、立命館大学に集まっていたからです。
「3月7日『入口で追い返せ!』」
昨日、文旦や作文のお礼で、『六ヶ所村ラプソディー』の監督・鎌仲ひとみさんから礼状が来ていました。「東洋町はこれから大変です。どうか、これからも支援してください」と結んでありました。しかし、それは、話があべこべです。それは、高知県人の私の方のセリフです。
鎌仲さんの『ヒバクシャ』(影書房)を読むと、一見アバウトに見える彼女がいかに繊細な精神の持ち主かということがよくわかります。彼女は、あらゆる放射能の害に、我がこととして心を痛めています。彼女の暗い予想が外れ、「何でもなかったね」といえる日が早く来るといいのですが、……。来月には、東洋町で『六ヶ所村ラプソディー』を上映するため、彼女は再び来高するそうです。ごくろうさま。
今朝の高知新聞に、「東洋町・地層処分は安全か」という討論記事が大きく出ています。昨日、東洋町で開かれたのです。専門的な説明はいまひとつ実感が湧かないのですが、反対派の京都大学原子炉実験所助手の小出裕章さんの意見を要約すると、最後のところかと思います。「1度受け入れてしまえば、後は調査としてステップを踏まれてしまうだろう。入口で追い返すしかない」 国家戦略を敵にまわし、真に科学者の名に値する人だと思いました。そんな具体的なことまで口走ったら、国立大の研究者としてはまずいことになっていくでしょうに、……。
今がその入口付近です。国は、いろんな意味で高知県をなめきっています。わずか10億で、東洋町が食いついてきたので、今後他には「応募」は出てきそうもないので、土足でずかずかと踏み込んできそうです。圧倒的な反対の世論で、「なめたらいかんぜよ」と言うところを見せつけておかないと、「国の専決事項」として押し切られそうです。国家権力をなめたらいかんぜよ。
「再考」
『六ヶ所村ラプソディー』の上映は、直前に中止になりました。
私は、この討論集会には行きませんでしたが、後でそのビデオを見ました。司会は、県外で農業をやっている人が良心的に務めていました。双方に平等に発言の機会と時間を与えることに意を注いでいました。
討論会は、社会的な地位以外の点で、反対派が推進派を圧倒していました。推進派は北大の教授、反対派は京大の助手でした。論争は、助手が教授をあらゆる場面で論破しているように見受けました。会場の大きな拍手からもそのことが感じられました。一般の人が、ことの本質をよく見抜いていることに驚かされました。
こういう討論会には、推進派の学者は出たがらないのだそうです。あらゆる点で、自分が劣っていることを自覚しているからでしょうか。
私は、これまでいくつかの土木工事の反対運動をやってきました。そして、いつもいまいましく思っているのは、御用学者たちの存在です。やたら専門家ぶって、真実を曲げ、自己保身に汲汲としている連中です。
16年前の春、水俣病裁判で有名な宇井純さんの話を聞く機会がありました。そのときは、公害関係の話は出なくて、雑談ばかりでした。「私は、東大で万年講師をしていました。しかし、後輩たちが教授や助教授になっていたので、学内では、大きな顔をさせてもらってましたよ」
私は、京大助手の小出裕章さんにも、大きな顔をしていて欲しいな、と思いました。
1時間ほどでブログは完成し、町長室を出ると、沢山さんの表情はパッと明るくなりました。町長室は、沢山さんにとって、緊張する場所のようです。私は、砂浜の見えるログハウスで、ハンバーグをかじりながら、「日本史専攻ということですが、卒論は何でしたか」と質問しました。「確か、『近代日本と部落差別』という題だったと思います。近代日本に部落差別が残ってしまった理由を明らかにしました。雑誌に掲載され、その雑誌はよく売れました」と彼はうれしそうでした。彼は、立命館大学で日本史を学んだことを誇りに思っているようでした。当時、権力におもねることなく、日本史を研究する学者が、立命館大学に集まっていたからです。
「3月7日『入口で追い返せ!』」
昨日、文旦や作文のお礼で、『六ヶ所村ラプソディー』の監督・鎌仲ひとみさんから礼状が来ていました。「東洋町はこれから大変です。どうか、これからも支援してください」と結んでありました。しかし、それは、話があべこべです。それは、高知県人の私の方のセリフです。
鎌仲さんの『ヒバクシャ』(影書房)を読むと、一見アバウトに見える彼女がいかに繊細な精神の持ち主かということがよくわかります。彼女は、あらゆる放射能の害に、我がこととして心を痛めています。彼女の暗い予想が外れ、「何でもなかったね」といえる日が早く来るといいのですが、……。来月には、東洋町で『六ヶ所村ラプソディー』を上映するため、彼女は再び来高するそうです。ごくろうさま。
今朝の高知新聞に、「東洋町・地層処分は安全か」という討論記事が大きく出ています。昨日、東洋町で開かれたのです。専門的な説明はいまひとつ実感が湧かないのですが、反対派の京都大学原子炉実験所助手の小出裕章さんの意見を要約すると、最後のところかと思います。「1度受け入れてしまえば、後は調査としてステップを踏まれてしまうだろう。入口で追い返すしかない」 国家戦略を敵にまわし、真に科学者の名に値する人だと思いました。そんな具体的なことまで口走ったら、国立大の研究者としてはまずいことになっていくでしょうに、……。
今がその入口付近です。国は、いろんな意味で高知県をなめきっています。わずか10億で、東洋町が食いついてきたので、今後他には「応募」は出てきそうもないので、土足でずかずかと踏み込んできそうです。圧倒的な反対の世論で、「なめたらいかんぜよ」と言うところを見せつけておかないと、「国の専決事項」として押し切られそうです。国家権力をなめたらいかんぜよ。
「再考」
『六ヶ所村ラプソディー』の上映は、直前に中止になりました。
私は、この討論集会には行きませんでしたが、後でそのビデオを見ました。司会は、県外で農業をやっている人が良心的に務めていました。双方に平等に発言の機会と時間を与えることに意を注いでいました。
討論会は、社会的な地位以外の点で、反対派が推進派を圧倒していました。推進派は北大の教授、反対派は京大の助手でした。論争は、助手が教授をあらゆる場面で論破しているように見受けました。会場の大きな拍手からもそのことが感じられました。一般の人が、ことの本質をよく見抜いていることに驚かされました。
こういう討論会には、推進派の学者は出たがらないのだそうです。あらゆる点で、自分が劣っていることを自覚しているからでしょうか。
私は、これまでいくつかの土木工事の反対運動をやってきました。そして、いつもいまいましく思っているのは、御用学者たちの存在です。やたら専門家ぶって、真実を曲げ、自己保身に汲汲としている連中です。
16年前の春、水俣病裁判で有名な宇井純さんの話を聞く機会がありました。そのときは、公害関係の話は出なくて、雑談ばかりでした。「私は、東大で万年講師をしていました。しかし、後輩たちが教授や助教授になっていたので、学内では、大きな顔をさせてもらってましたよ」
私は、京大助手の小出裕章さんにも、大きな顔をしていて欲しいな、と思いました。
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この記事へのコメント
1. Posted by リバー 2007年05月31日 00:06
小出先生は、この4月に助教に昇任されました。
2月の公開討論会には注目していたのですが、討論の様子を知ることができませんでした。
>論争は、助手が教授をあらゆる場面で論破しているように見受けました。
これについて、具体的な内容を教えていただけませんか?
「大きな顔をしていて欲しいな」は、余計ではないでしょうか。
学術的な討論の場で「社会的な地位」が関係ないことは、研究者なら誰もが弁えていると思います。
著名な先生と学生の議論でも、学生の方が正しいということは日常的に有ります。
公開討論会で、「社会的な地位」が、何か問題にされたのでしょうか?
また、成川様は、この討論会に来られた佐藤教授についても「御用学者」というご判断なのでしょうか?
2月の公開討論会には注目していたのですが、討論の様子を知ることができませんでした。
>論争は、助手が教授をあらゆる場面で論破しているように見受けました。
これについて、具体的な内容を教えていただけませんか?
「大きな顔をしていて欲しいな」は、余計ではないでしょうか。
学術的な討論の場で「社会的な地位」が関係ないことは、研究者なら誰もが弁えていると思います。
著名な先生と学生の議論でも、学生の方が正しいということは日常的に有ります。
公開討論会で、「社会的な地位」が、何か問題にされたのでしょうか?
また、成川様は、この討論会に来られた佐藤教授についても「御用学者」というご判断なのでしょうか?