色即是空、空即是色への道 part 1

「世界は人間の想い込みで出来上がっている」

想い込みと言えば、一般的に、悩みとか恋愛だとか心配だとか、生活上のいわゆる煩悩を指す。

当然、これらの想い込みもワシがさきほど掲げた「人間の想い込み」に入っている。

しかし、これから述べることは、その人間臭い想い込みとは違って、もっと、根源的、あるいは、存在論的な「想い込み」についてなのだ。

つまり、色即是空にかかわる、そんな「想い込み」について。


我々が下界、世界を認識するとき、5感を使う。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。である。

聴覚は空気の振動を鼓膜で拾い、電気信号として脳の聴覚に伝え、音にその情感を乗せて我々は受け取る。その他の嗅覚、触覚、味覚も似たり寄ったりである。

しかし、視覚は人間に他の4つに比べてかなり大きな影響を与えているにもかかわらず、
人には見えているのが当たり前なことで、見えること、そして、見える物がそのままのことであると言った感じで、
そこに、何の疑いも見いだせていない状態なのだ。

ワシは他のテーマで述べていることであるが、「スリープ現象」でいろんなことを考察しているときに、
人間の脳は見ることにおいて、いろんな働きをしているんだなと、体験しているうちにわかってきた。
くわしくはそちらのテーマを読んでもらうとして、

どうやら脳はコンピュ-タでいうところの「圧縮」を人間本人の意思にかかわることなく、瞬時に切り替えたりして行っているようなのだ。

今日では、人間の脳は、コンピュータであることはわかっている。ソリッド(固体の)のハードがコンピュータ。有機物のぐにゃぐにゃハードが人間の脳。


人間の視覚の働きは、ビデオカメラのCCD(固体撮像素子)と同じだとワシは思っている。

人間の視覚の構造を見てみると、CCDと全くといってもいいくらい同じ構造なのだ。

電荷転送、電気信号変換、どれをとってもCCDは人間の視覚構造をヒントにして作ったのか、

開発していると偶然、一致したのか、わからないが。

いずれにしても、ものを見るということはこの構造でないと他には考えられないと思う。

ワシが、視覚がCCDであると、気がついてきたのは、ワシの次のような体験からも言える。

まったく、真っ暗の部屋で、目を閉じて、その「黒い」視界を見ると、それは「黒」ではなく暗い「グレイ」だった。
その「グレイ」をよく見ると、極々微小な白い点の集合体であることがわかる。
皆さんも試してください。もし、点が見えなかったとしても、「グレイ」であることはおわかりだろうと思います。そのグレイは微小な点の集合体なのだ。

それと、もうひとつ、白い壁とか、白い紙とかを、凝視していると、なにやらもやもやとした感じに見えることがある、
その時さらに見ていると微小な、いろんな色が見えてくる。

ワシは簡単に見えます。白は本当に光の3原色で成り立っているとわかります。

これとはまた違って、今度は、かなり大きなものですが、真っ暗の中で、目を開けて暗いところを見ようとすると、はっきりと見えるダークグレイの紡錘形の形をした、光るもの。

現れては消えるという、点滅に近い感じでまるで線香花火のようにチカチカと見えるのだ。

それは、紡錘形の花びらの点滅にも見えたりする。
この現象があったときは、ワシはビデオカメラで暗いところを見たときに、ノイズが入って、チカチカするのが見えることを思い出す。

ビデオのチカチカは四角の点が見えるが。目のほうはなぜか紡錘形なのだ。

この紡錘形チカチカはワシが疲れている時に出てくることが多い。

こんな体験からワシは、目はCCDだとわかったのだ。

さて、人間の視覚も脳もコンピュータだとすると、網膜の視細胞が光を電気信号に変換して脳に伝えられる。
ところが、その電気信号として受け取った情報を、脳は、脳の中にある視覚に関する既得情報と照らし合わせて、いわば加工して映像に仕立て上げているのだ。

視覚に関する既得情報とは、DNAに蓄積されてある情報と、生まれてから後天的に得た情報の融合された情報のことをいう。

つまり、脳が「作りあげた映像」なのである。

ワシもワシの体験、「スリープ現象」のとき、脳がワシの意思にかかわらず「スリープなる映像加工をしている」ことを知った。
先でも言ったように、たぶん、コンピュータで言うところの「圧縮」をしているのだろうと思っている。

それから、ワシは、スリープしている時はテレビの平面画像をその手の特殊なメガネをかけずに裸眼で3D映像として見ることもできる。

詳しくはワシの「スリープ現象」を読んでください。

これも、脳が実際に見えることに、ある加工を施していることになる。

それから、みなさんにもわかる実験がある。

壁や床のシミを見ていると、それがなにかの形に見えたり、人の顔に見えたりしたことがあるでしょう。あれは、脳が勝手にその映像を作っているのにほかなりません。このことからもわかるでしょう。


さて、ここまで述べたことで、肝心なことは「加工した」「作り上げた」というところなのである。

つまり、目から入ってきた電気信号を脳が(勝手にと言ってはナンだが)作り上げたものが、個々の人間の見ているということなのだ。

ということは、ワシが見ている風景と、あなたが見ている風景がまったく違うということも考えられるのだ。

ただ、人間のDNAは似ているし、個人の後天的に獲得した情報も地球上の生物である限りそんなに大差はないと思われる。

大差はないが、その見える風景は人間の脳で「作り上げられた」映像であることは確かだ。

では、我々が見ている風景が

「作り上げられた風景」

だとすると、

では、「作り上げられてない風景」とは、どんな風景なんだろう?

真実の風景とはどんなものなんだろう?


ここまで考えが及んでくると、

これから先はとんでもなくシッチャカメッチャカにムツカシイ領域に首を突っ込むことになっていくのだ。

その領域とは、まさしく、色即是空の世界なのだ。

ワシはスケベをヤっとりゃいいものを、なんでこんなもんに首を突っ込もうとしとるんかね。

五尺の小躯を以てこのアホな挑戦に臨んでみようと、ははは。

けど、マジだよ。