アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その26、サンフランでアパートを借りたぞ。サンフランの住民になった。

 

サンフランシスコのゴールデンゲイトパークの近く、ア―ビンストリートと5stの角の三階建て住居の半地下風一階にワシは住むことになった。

窓は側面にひとつあるだけの暗い部屋だった。
8畳に3畳ほどのキッチンとシャワールームが付いている。

家賃は当時のお金にして月6万円だ。
かなり高い。

しかし、どこに出るにも便利な位置にあった。
公園も近い。散歩するにも最適なポジション。

ここの大家は、サンフランからかなり南のモンタレーというところで、レストランを経営しているのだとか。

古くなった家屋だとは言っても、金持ち達のエリアである。

ワシの部屋から、大家の洗濯機のあるガレージが、ドアひとつで開けられて行けた。

洗濯機はたまに使わせていただいた。

それよりも驚いたのは、ガレージにあった車だ。
大昔のオールドカー
(箱形のクラシックカー)とこれも古い車だが当時は最新型の車であったろうと思われるマセラッティのスーパーカーだ。

双方とも動けば、何千万、いや億するかも。

ここの大家、今はともかく、相当の財産家だったと推測できる。


大家さんは当時、70歳くらい。若い奥さんか、愛人なのかわからないが、28くらいの肉感的な美人と二人で暮らしていた。

ある日、洗濯をしようと、ガレージへの部屋を開けたら、なんと素っ裸の奥さんが洗濯機の前で操作していた。

ワシ、ビックリして思わずソーリー!と叫んだが、
ノ―プロブレムと言って、

貴方の部屋の住み心地は如何ですか?
とヘア丸出しで話かけてきた。

あとで洗濯しますと言って、ワシはドアを閉めて戻った。


外人は部屋の中で裸になっていることが多いようだ。
しかも、他人に見られてもなんと言うことはないといった平気な顔をしている。

これもある日、家賃を持って、大家さんの玄関から入っていったら、70歳の大家さんが素っ裸でオチンチン丸出しで玄関に出てきた。この時も驚いた。

日本では考えられないことだ。

この家をグーグルマップで見てみると、昔と変わらずそのままにあった。

懐かしい。34年前と変わらずあると言うことは、ワシから見たら奇跡のように思える。

住むところも決まった。
電話も引いた。
(当時はケータイなんてなかったからね、今思えば、ケータイがない世界がウソみたいだ())

ワシは、あの
YMCAで会った彼女に連絡するつもりでいた。

たまたま、Fさんが来て、部屋の様子を見に来た。

ワシは
YMCAのゲイに声掛けられたことと、ロビーで会った女の事を彼に話した。

「ふふふふっ・・、アキラ、サンフランはゲイの街だよ。市中に約7万人が住んでいる。

キャストロストリートに彼らは集中していて、そこの街は、カップルの8割はゲイだよ。

レストランもカフェもゲイだらけ。

なんせ、市長がゲイだからね。
サンフランではゲイたちの票が得られなければ市長にはなれない。

面白いところだろう、サンフランって、あはははは・・・・」

 


いやいやいや、なんちゅうところなんだ。

ワシは単に、あのビクトリア調のレトロな街並みが続き、坂道をケーブルカーが市民の足となって行きかうところに惹かれて、

ここを定住の地として選んだのだったのだ。

「アキラ、その女は怪しいね。そんなところで待ち構えている事自体が変だ。その女、止めておいた方がいい。

とにかく、ここ、アメリカ、特にサンフランでは日本的な考え方は通用しない。

よほど、注意しないと、アキラ、ボロボロになって、日本に帰ることになるかもしれない。

というのは、アメリカで変な病気が流行りつつある。
エイズだ。

性的接触から移っていく。
特に正体不明の女とセックスするのは非常に危険だ。

それと、もう一つ、なぜだかわからないが、そのエイズ、ゲイの間で流行りつつある。

アキラはその気はないと思うが、男に決して犯されないよう気をつけましょう。ふふふふふ・・・」


本当に正体不明のエイズなる病気が流行りつつあった。

ワシの外人女と同棲の英会話上達の計画はとん挫してしまった。

よって
YMCAの女には電話をしなかった。