拡大モザイクと小人(こびと)のプール振動
(色即是空、空即是色への道)
ワシは仕事柄、漫画の線画原稿をスキャンして、パソコンに取り込み、それを画像処理して、色をつけたり、さらに線を書き加えたりしている。
写真なども、画像処理できる。
そんな時、画像を拡大して、作業することがある。
拡大していくと、だんだん荒くなっていき、正方形のモザイクになっていく。
四角ばかりになってしまったら、もう元の絵がどんな絵だったか、まったくわからなくなってしまう。
見た感じは全くなんの絵だかわからないが、その四角は確実に、絵の一部であり、重要な部分、パーツを成していることは疑いようもなくそのとおりなのだ。
そんな重要なパーツなのだが、こんなに四角に分解されると、なんだかその四角はあやふやで、色だってぼけた感じで、希薄で、役に立っていないようにも見える。
しかし、元の絵はその、あやふやそうな四角のパーツで出来上がっているのだ。
構築されているのだ。
さて、ここから先が、ワシはこんなイメージを頭に思い描いて、またぞろ、ワシのライフワークでもある、「色即是空、空即是色」の考察へと没頭していくのである。
画像や動画は2次元である。
特に動画(2次元+時間)を取り上げてみる。
我々が動画を見るということは、小さな画素の緻密な集まりを絵(ピクチュア)として見ていることになる。
そのまま、拡大してみよう。だんだん、画像が粗くなり、正方形の集まりになっていく。
さらに拡大していくと。
その正方形が大きくなって、ついにはその正方形がひとつしか見えなくなる。
さらに拡大していくと、その正方形の中というか、一部が見えるのだが、それは、ただの単色の広がりしか見えない。
さらに拡大しても、この先はなんの変化もないし、ただの単色の広がりが延々と続くだけ。
動画だから、単色だが、色だけは、刻々と変化している。
言わば、この薄まった、超希薄な、正方形が集まったのが絵(ピクチュア)なのだ。
スカスカの正方形が集まったのが絵なのだ。
動画なら、この希薄な正方形の色が微妙に変化しているだけなのだ。
ここから、さらに、想像を飛躍させる。
これを3次元(立体)に置き換えてみると、正方形が、原子であり、さらに拡大したのがクオークであり、
さらに拡大したのが電磁気なのだ。
拡大したからというよりも電磁気はもともと、どこにも普遍している。
この世は究極的には
“なんだかわからないが電気的なモノで出来上がっている”のだ。
この、3次元(立体)を念頭において、先ほどの画像(2次元)、あるいは動画(2次元+時間)のことを、考えてみよう。
この画像を10年掛けて拡大したとしょう。(100億年掛けてもいいし。137億年掛けてもいい)。
どんなに拡大しても、ただ単色の、時と共に色が変化する、なんの形も影もない、ペッタリとした平面が延々と続くだけである。
モニターには色がパッパッと素早く入れ替わったり、ゆっくりと色変わりしたり、そんな感じがあるだけだ。
この10年をもの凄いスピードで巻き戻ししたとする。
10年分を5分にしてみよう。
すると、たった5分で、最初の画像(絵)が現れ、さらに縮小して行くから、画像が見えた瞬間は、瞬きするほどの、あっという間しか見えない。
このアッと言う間が、この画像の存在している時間、広がりなのだ。
こんな比喩と回りくどいいいかたで、何を言わんとしているかというと、
この画像にとっても、我々の現実世界にとっても、存在している時空間は瞬きするほど狭い瞬間なのだ。
むしろ、その狭い瞬間の時空間より、希薄でスカスカの時空間の方がはるかに膨大な時空間なのだ。
ワシが言わんとすることは、希薄でスカスカの電磁気のような電気的なるものの時空間の方が“普通のこと”で、
画像や現実の世界のほうが“超稀(まれ)なこと”、奇跡的な世界だとワシは言いたいのだ。
今まで述べて来た画像を使った考え方、この画像を3次元として考えると、物質ということになる。
つまりは、この世で“物質”とは全存在から見たら、真砂の砂、いや、あるかないかの、微々たるものなのだ。
そう考えると電磁気、電磁波、光たちが主で、
我々はシミのようなものだとわかってくる。
電磁気達の“おこぼれ”あるいは“幻”が我々物質なのだ。
もうひとつ、こんなアプローチの仕方がある。
例えば、正方形の一辺2メートルくらいの底の浅い箱状の容れもの(小人(コビト)のプール)に水を張り、
縁のところに等間隔、(例えば10センチ置きに)に、振動子を取り付け、
その振動子をコンピュータで水面にあらゆる振動を与えて、微細な波を起こしたとすると、
波形が様々に干渉しあい、干渉したところに瘤のような水の塊ができる。
その瘤をコンピュータで振動数と波形の大きさを上手く調節すれば、瘤の連なりによって、文字やイラストが描ける。
ワシは以前、テレビでこれを見た時、
これは、世界を解くカギになるのではないかと直感した。
これで、できた図形がワシのいう“物質”に当たる。
なんの協調性もなく、ランダムに振動させると、図形はできない。
振動に、ある規則性やアイデア(原理)を与えると、図形(物質)ができる。
この考え方は、奇しくも、現代物理の最先端、超弦理論(ヒモ理論)と呼応している。
ヒモ理論も、超「弦」理論と言って、弦、つまり、この世は弦のように“振動する”ヒモですべて出来上がっているとする理論なのだ。
小人(こびと)のプールの振動する干渉瘤、この瘤で出来た形が「物質」なのだ。
この物質は時間と共に目まぐるしく変化し、消えてはまた生成され永遠に続く。
鴨長明の方丈記
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
「淀みに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて・・・・」
鴨長明はなんとなく直感的にこの世の本質を記している。