成田アキラのオンナは女神さま

オトナ専用のブログです。 刺激的な表現もありますが、制限を加えておりません。 ★18才未満立入禁止(笑)

2014年11月

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その16 キ―ウエストはいろんな人の楽園だった

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その16

キ―ウエストはいろんな人の楽園だった

 

マイアミからキ―ウエストへ。

キ―ウエストまで約260キロだ。
キ―ウエストはてっきりKEY・WESTつまり鍵・西という意味だと思っていたら、

さっき調べたら、なんとスペイン語でカヨ・ウェソ(人骨の島)と言うんだそうで、カヨがキ―、ウェソがウエストになったんだとか。

ワシはキ―ウエストというヒビキが好きで、キ―ウエストと聞くとすぐにワシの頭のイメージは、サンゴ礁の無数の島を32の橋を渡って走るオーバーシーズハイウエイを思い出す。

それが、アメリカ大陸南、フロリダから、まるで「キィ」の形をした地形になっていると思い込んでいたから、

勝手にそんなふうに格好良く思っていたのだが、なんだ、そうじゃなかったんだ
()

ここを車で走るのはアメリカでは一番気持ちがいいのではないかと思う。

「ご機嫌だぜぃ!」と口に出てくる。

途中のサンゴ礁で出来たところもきれいで素晴らしいのだが、ワシのように車でアメリカ一周を目指しているものにとって、結局は途中に寄ることはなかった。

いつか、本当に観光目的で来たいと思っている。

最南端のキ―ウエストに一日滞在することにした。

ここは、椰子が生い茂る南国の楽園である。
白い浜辺に透き通った海。

アメリカ人は幸せである。アメリカの国内に、熱帯の楽園があるのだから。

たとえば日本だったら、沖縄があるが、沖縄には船か飛行機で行かねばならない。

日本の鹿児島から陸路で途中何本もの橋を経由して沖縄に行っているようなものなのだ。

アメリカ国内にでも変化に富んだ地方がたくさんあり、ひとたび、陸続きの外国に目を向ければ、アメリカは車さえあれば、ガソリン代を考慮に入れなければ、

それこそ、メキシコにも南米にもブラジルにも、北はカナダにもアラスカにでも行けるのだから、ワシはこの意味ではアメリカ人が羨ましい。

なんせ、日本は島国なんだからねえ。

ワシはサンフランシスコに落ち着いてからは、メキシコにも行ったし、カナダまでスキ―をしにいったことがある。

メキシコは2回いったが、その1回は、誰と行ったと思います?

もの凄いお人と二人で行ったのですよ。

実はワシがアメリカ滞在中にある超有名な大物漫画家がいらっして、なんと、ワシのボロ車で、サンジェゴまで連れていってほしいとオファーがきたのだ。

もったいぶらずに言うと、その方は、なにあろう、

あの手塚治虫大先生なのだ。

手塚先生とのサンジェゴ行きは、別テーマを立てて、このブログで書いていこうとおもっています。

乞うご期待を。



さて、キ―ウエストだ。

どこも南国特有の空気に溢れていて、素晴らしいのだが、アメリカから来ている若いカップルを見るにつけ、なんでワシはひとりぼっちでこんな美しいところにいるんだろう?

要するに、寂しいのだ。

ムチャクチャ寂しさが込み上げてくる。

かといってそれにめげるわけではない。

ワシもいつかは、漫画で財を成して、超美人の彼女を作って、こんな南国の島を訪れてやるっ!!!と妙な(空)元気を抱いたりする
()


カフェでぼんやりとコーヒーを呑んでいたら、40くらいの、なかなかハンサムな男がワシの隣に座る。

「日本人?」

「そうです」

「どうですか、車でキーウエストご案内しますよ」


ワシは気のいい男について行った。

車に乗る。しばらく走ったら、海岸の人がまばらなところに止まった。

すると、ワシの股間にスーッと彼の手が伸びる。

おっとっと、アレか、ゲイだったのか。

サワサワとズボンの上から触られる。
意外と気持ちがいい。

なんせ、寂しい。
ふらりとそんな関係になってもいいかなと頭に過ぎる。
悪い男ではない。

ホテルにこれから行かないかとお誘いが。
ワシのペニスは情けないことに勃起している。

しかし、この時、アメリカ人の友人の声が聞こえてきた。

「アキラ、スケベなきみはアメリカで当然、女遊びをしょうとするだろう。それは、時期が悪い。今、アメリカでは妙な病気が流行りつつある。

エイズといって、セックスで感染していくやつだ。

絶対に不特定多数の女とセックスしないように。

それと、なぜかゲイの間で流行りつつある。」


やはり、ビョーキは怖い。

ワシはお断りをした。

なぜだ? という。

理由を言うと、エイズの事は知っている。コンドームを使うから心配いらないと。

そんなことを言われても、やはり、気持ちが悪い。

そんなことがあってから、再びこのキ―ウエストの街を眺めると、

なんと、ゲイのカップルがうじゃうじゃいるではないか。

カフェでゲイカップルがキスしている。
こんな光景はここでは当たり前なのだ。

調べてみると、新聞広告や、町の広告に、やたらとゲイ専門のホテルが出ている。

なんのことはない、キ―ウエストはゲイ達が集まる世界一のゲイ天国楽園だったのだ。(現在はどうなのか知らないが)

ワシ、ビックリ!

ワシは、女遊びをするわけでもなく、

この夜は、一人で車のなかでビールを飲んで寂しく寝た。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その15 半裸の金髪女がマイアミビーチで死んだように寝ていた。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その15

 半裸の金髪美女が深夜マイアミビーチで死んだように寝ていた。


フロリダ半島南部のマイアミ。

マイアミビーチに車中泊。その日、早朝4時に目が覚めた。まだ暗い。

ワシは海岸の波打ち際へ行った。
暗い早朝、誰もいない。寂しい限りだ。

誰もいないマイアミビーチを歩く35歳の孤独な男。

海岸を歩いていると、波打ち際に女の人のようなのが転がっている

暗くてよくわからない。シャレたサンダルが転がっている。

近づいてみると、薄いキャミソールにノーブラ、尻が半分出たパンティ姿の20代後半のかなりの美人が死んでいた。

膝から下が波に洗われている。


ワシ、心臓が高鳴り、ドキドキする。

肩や胸、尻のあたりを凝視する。
僅かに息をしているのがわかった。ホッとする。

落ち着いてみると、たいへんなスタイルのいい女で、金髪女だった。

尻の形といい、バストのほどよいボリュームといい、間違いなくモデル級のバディ。

酔っぱらってそのまま寝込んでしまったのだろう。

この時ワシは、すぐに声をかけるのを止めた。

ワシはそっと、この光景とこのヤラシイ裸の女の姿をもっと見たかったからだ。

女に気付かれないように、周りを這うように移動して、裸体を隅々まで見た。

女はぐっすりと寝込んでいる。

ワシは座りこんで、ペニスをシゴイた。

彼女、寝がえりを打つ。ワシ、伏せる。彼女の目が薄らと開き、ドヨンとした目で仰向きになってオナニーを始める。

視線がこっちに。ワシを見た。

「しまった。見つかった」

彼女の手の動きが早まり、声を上げ始めた。だんだん、オナニーが激しくなって、大声で

「あう――っ、あう――っ」とヨガリ、イってしまった。

そのあと、

「ヒャハハハハ・・・・、
ヒャハハハハ・・・・、ヒャハハハハ・・・・」

と体をヒクつかせて、いつまでも奇声を上げ笑っている。


「頭の変な女なんだ・・・」

ワシは気味が悪くなって、その場から去った。

車に戻って、30分経っても、あの女のイヤラシさが強烈に頭にこびりついている。


あんなシーン、二度と見れない・・・そうだ、写真を撮っておこう。魔がさして、ワシに邪心が(笑)。

カメラを手にして、彼女のもとへ。

戻ると、その女はいなかった。
彼女は忽然と消えたのだ。

ワシ、狐につままれたようで、一瞬、ワシは夢を見たのだろうかと思ったが、これはそんなことではない、厳然とした現実だ。


夕方、マイアミのビーチ沿いのレストランやカフェに行ってみた。


カフェテラスに見覚えのある女がいて、男と一緒だった。

確かに昨夜のあの女だ。
ほんとにきれいな美女だ。

昨夜、泥酔していた形跡は顔に残っていない。かなり、さわやかな表情。



ビーチでアルバイトをしている、アメリカ滞在の日本人がいたので、話かける。

40くらいの男だ。ワシは昨夜のことを、その彼に話した。

バンダナヘアの真黒に焼けたヒッピー風のその男、ニヤリと笑って、

「それ酒じゃないよ。はははは・・その女、キメてたんだなー」


「キメてた?」


「ヒクヒク笑いを繰り返してたか。スピードじゃないな、エルだな。たまらんな、そりゃ」

なんだか知らんが、アメリカってスゴイところだ・・・・・


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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その14、フロリダ半島西海岸からディズニーワールドに。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その14、フロリダ半島西海岸からディズニーワールドに。

 

ニューオ―リンズでは、フラリと入ったジャズクラブで、1メートルの至近距離で、日野照正さんのトランペットを聴かせてもらい、ラッキーでした。

あと、ここで思い出したのが、確か、ここの名物のカニ料理を食べたなぁ。

カニが脱皮した直後の甲羅が柔らかいカニをフライにしたヤツだった。

丸ごと食べれるので、普段のカニを食う感じではなく、パクパクムシャムシャ食った記憶がある。

 

フロリダ半島の西側を走る。

なるべく海岸線を行ってみようと道に迷い大変だった。

この西側のあたりは海がグーグルアースで見るとわかりますが、やたらと入り組んでいて、しかも、未開地なので人も少なく、この当時は道もほとんどなかった。

それでも出来るだけ海岸に沿って走って見たのだ。

このあたりは、アメリカにいるような感じがしなかった。

どこか東南アジアのジャングル地帯を行くようだった。

事実、スパニッシュ系なのか黒っぽい人の多い町に入り、とても、ここがアメリカだとは思えなかった。

きれいな湧水が噴出している川が流れていて、そこには川藻が透明な流れにゆらゆら揺らめいている。

大木が川に突き出るようにいたるところに生えていて、水着の子供や若い女達が8人ほど飛び込んだり泳いだりしている。

まるでここだけが別世界。
ディズニー映画に出てくるような妖精が住む、夢のような森の中のオアシスだった。

こんなところで水と戯れる住民は幸せである。

ワシのお友の亀さん、ここでお別れとした。

亀さんと道中するのは楽しいが、ひとつだけ難点があった。
それは、車の中でオシッコすること。

するたんびにきれいに掃除するのだが、やはり、車の中がオシッコ臭くなっていったのだ。

逃がしてやるにも、まさか、砂漠の中で解放するわけにもいかない。

なので、適当な湿地帯を探していたのだ。
まあ、この天国のような湧水豊かなここなら、カメさんも生活していけるだろう。

・・・・・などと勝手にそう思って、ここで、自然に還すことにしたのだ。

 

フロリダ半島西海岸を南下して行く。

どのあたりか忘れたが、桟橋付きの豪華な家が点在しているところがあった

。桟橋にはクルーザーが停泊している。
ああ、本当の金持ちは、こんな原生林を背後に控えた、海岸の桟橋付きの豪邸を別荘として住んでいるのか。

ここから、車ではなく、クルーザーで都市に買い物に行ったり、遊びに行ったりしているのだろう。


19号線を南下。フロリダ半島西側のちょうど中間にある都市、タンパに着き、そこから4号線を東に向かってオーランドへ。

目的はディズニーワールドなのだ。

昼間のここは人でいっぱい。
まあ、一応いろんな乗り物やアトラクションがあったけど、なんせ、ワシはひとりぼっち、つまるところ孤独の男にとって、こんなところはなんの癒しにもならない。

ただ、疲れただけ。

夜になり駐車場の車の中で寝てしまった。
深夜、パトカーが来て、こんなところで寝ていると殺されるゾと脅されて、近くのモ―テルに泊まることになった。


日本のディズニーランドもそうだが、よくぞこんなもんを作ったな、というのがワシの感想だ。

まあ、簡単に言うと、子供たちはそりゃ、ここに来れば嬉しいだろう。いや、オトナでも楽しくてたまらないだろう。

よくぞ、なにもないゼロからこんな“作りもの”を構築して、金を子供や大人から吸い上げる装置を作ったもんだ。

ワシはこんなことを考える人間なのだ。

ワシはもし、子供を預かり、子供の成長にいいことをしてほしいと頼まれたなら、絶対にディズニーランドには連れていかない。

山岳に囲まれたキャンプに連れていくだろう。

ワシの目は、ミッキーマウスも白雪姫も目ん玉の中にドル紙幣が見える。

ワシはミッキーマウスを見ていると気持ちが悪い顔にマジに見えるのだ。

あんなにキミが悪い顔はない。

ワシは変わっているのだろうか?
 正直そう見える。

あなたも機会があればよーく見てごらん、気味悪く見えてくるから。

たとえば、深夜、暗い公園の片隅にミッキーがいたとしょう。

わーい、ミッキーだー!と 駆け寄るかな?  それとも怖くなるかな?

ワシは昼間でも怖い
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ニューオーリンズとワガ愛車フォードピント

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ここもニューオーリンズ

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古い植民地時代の建物




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ジャズクラブ

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一応、ポルノショップも偵察(笑)

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カニ料理を食べる

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丸ごと食べれるカニ料理

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透き通った淡水で泳ぐ住民

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ディズニーワールド、一人ぼっちじゃ つまらない 

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 写真はディズニーでの写真はタッタの6枚しか撮っていない。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その13、メキシコ湾、東西400キロにも及ぶ超・細長い島 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その13、メキシコ湾、東西400キロにも及ぶ超・細長い島 

 

テキサス、サンアントニオ市から国道37号線を南下。海に近いコーパスクリスティから海岸線に出る。

パドリー・アイランド、ナショナル・シ-ショアというグーグルマップで見れば海岸線から糸のように剥がれた東西400キロにも及ぶ細長い島がある。

島と言うより元はたぶんサンゴ環礁か、砂の堆積か、だったのだろう。

この細長い島、全距離は東京から名古屋ほどにもなる。

この海岸線の波打ち際を車で走れるのだ。
白いサンゴの砂でできており、眩いほど真っ白のサンドロードだ。

歩くと砂鳴きする。

4輪駆動でなくとも砂が固まっているので、どこまでも走れる。

ここに入り込み、最初はサンドドライブを楽しむ車がいて、ビキニのネーチャンの甲羅干し(写真の通り)が散見されるが、メキシコ方向に1時間も走るとさすがに誰もいない。

きれいな白い海岸が延々と続く。こんなところがあるんだねー。400キロもあるんだよ。

このまま、走り続ければメキシコのサンドロードに繋がっていくんだから、なんというか規模が違う。

それでも、ワシのようなヘンな男がたまにいるもんで、途中すれ違った一台があった。

向うもビックリしたようで、親しげに寄ってきて、話かけてくる。30くらいの男だ。

ワシが日本から来たと言ったら、

「ワオ―!!!信じられん!」

と驚かれた。

「この先、行くのか?」

「行くつもりだ」

「ガスはあるか?」

「ガソリン・・・、あ!そうか、ガソリンスタンドは全くないのだ。気がつかなかった。サンキュー」


幸い、半分ほどあったのだが、この先に行くのは断念した。

東京から名古屋までの距離、ガソリンスタンドはないのだ。ワシは無謀なことをしょうとしていたのだ。

コーパスクリスティに引き返し、ガソリンを補給して、再び361号線を南下。

マスタング・アイランドから海岸線を東へ。
ヒューストン、ニューオーリンズ方面へ。

途中日が暮れたので、水道の蛇口がひとつある小さな公園内で車中泊になった。

頭がぼさぼさでシャンプ―で洗うことにした。

上半身裸になって、蛇口に直接、頭をつけ、シャンプ―をぶっかけて、洗う。

ところがシャンプーが泡立たない。

「なんなんだよ?!この水は?」

なんと、塩からい。塩水だったのだ。

あわててシャンプーを洗い落とし、塩水ですすいだものの、なんせ塩水、髪の毛に塩が絡みつき、べたべたで気持ちが悪いことこの上ない。

タオルで拭き取るが、完全に乾燥しない。
生渇きで、カピカピして、ついには猛烈なカユミが出てきた。

塩水の水道?? これはなんのための水道なんだ? さっぱりわからない。なんなんだアメリカってところは・・・・・。

その夜は、気持ち悪い頭髪とカユミで、朝まで一睡もできなかった。

早朝、海岸線を東に走り、ポートアテンサスのフェリー発着所のトイレで裸になって髪を洗った
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不思議なもんで今、思い出してこのブログを書いているのだが、まわりの景色よりも塩でカピカピになったかゆい頭の洗浄の事が一番記憶に残っているとは
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デカイアメ車のボンネットの上で甲羅干し。このスタイルが多かった。なんでボンネットの上で???

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車もアピールしているってことかな?

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ほれ、ここでも。

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ピックアップトラックのギャルたち。女はいいなぁ~

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一人女と思いきゃ、男が頭こっちで寝ていた(笑)。

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こちらは女一人。ワシ、盗撮魔か(笑)

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こういうカップル羨ましかったなぁ・・


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延々と続く、真っ白なビーチ

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サンドドライブを楽しむ車、車。砂の性質か、固く引き締まっているサンドロード。


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ビーチを走るフォードピント。


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だんだん車が少なくなっていく。

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ついには、砂鳴きする白砂の海岸がメキシコまで続いている。




 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その12 アメリカ南部をひたすら走る、走る。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その12

アメリカ南部をひたすら走る、走る。

 

アリゾナ州、17号線、フェニックス市、10号線、ニューメキシコ州、テキサス州、サンアントニオ市・・・

車で大陸をひたすら走る。

走ることが生きてるってことだ!みたいな。

毎日毎日走っていた。

ワシの旅は、途中の都市で、シャレたレストランで食事をするような、そんな心を持ち合せていない。

砂漠や田舎町の裏寂れたドライブインでハンバーガーや、トーストとエッグ、ベーコン、ハム、ポテト、サラダ、アメリカンコーヒー、ミルク。

いかにもアメリカンフードみたいなものを、食べていた。

この当時、食べ物が体に重大な影響を及ぼしているなんて考えても見なかった。

今、思えばひどい食生活だった。
食について考え方が変わったのはサンフランシスコに住んで落ち着いてからなのだ。


砂漠には、
回転草(タンブル・ウィード)が風に吹かれて道路を転がり横切っていく。

灼熱の太陽のもとで、天に助けを求めるように無数の手を上げ悲鳴をあげているかのような、ボロボロのジョシュア・ツリー(サボテンのようだがリュウゼツラン科)。

湿地帯を横切るフリ―ウエイで、スイカを半分に割ったような石が道路端にごろごろ転がっている。

その石が動いた!

急ブレーキ。

止まってよく見るとデカイ亀だった。

その中の一匹を車の中に入れ、ワシの旅の友にした。

どこの砂漠だか忘れたが、車が何時間経ってもすれ違わない、まっすぐな一本道をたぶん160キロくらいのスピードで走っていると、

砂漠なのに拡声器音でワシに

「おい、そこの車、スピードオバーだ。スローダウンしなさい!」

と大きな声がする。

前にも、後ろにも、道路横の岩やブッシュのなかにもパトカーがいない。

声は上からだ。

まさかと思って天を仰ぐと、
なんとセスナ機のパトヒコーキだった。

スピードを法定スピードに落とすとパトヒコーキは急に旋回、

低空飛行して、ワシのすぐ斜め上を並走して飛んでいる。

ポリスの顔が見える。

親指を立てグッドの仕草をして、引き返して行った。

アメリカ国民は意外にも、スピードはしっかりと守って走っている。

ワシみたいにバンバン飛ばす男は、めったにいない。

アメリカらしい体験だった。

 

 

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デスバレー

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コロラド川


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デスバレーには3回行った。60歳でも1回行った。ワシのお気に入りのところ。

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バッドウオーターの塩の平原

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岩塩を食べるバカ男

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塩だるま

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デスバレー。ここでワシなりの悟りを得る。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その11、 グランドキャニオンには感動したが、ワシの存在が消え入るようで・・

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その11、

グランドキャニオンには感動したが、ワシの存在が消え入るようで・・

ラスベガスから15号線を西へ。

セントジョージ、バーミリオンクリフ、そこから67号線を南下。

グランドキャニオンの北に位置するノ―ス・リムへ。

観光客はほとんどが、ここの対岸の南のグランドキャニオン・ビレッジに行くが、ワシはあえて誰も行かないノ―ス・リムへ行った。

67号線は針葉樹の森林が平らな台地として、延々とまっすぐな道が続く。

わずかに徐々に登っているのだが、あまりにも広いので、登っている感覚はまるでない。

まっ平らの森林地帯だ。

突如として、行き止まりが。
もう忘れたが、小さな駐車場と建物があった。

(グーグルアースで見ると、いまは立派なホテルがあり、かなり開けている)。

なにがスゴイって、平らだと思っていたところが、突如目も眩む崖になっていて、自分がこんな高さにいるとは、この崖に立って、対岸が数十キロ先の崖まで望んでみて初めて知ることになるのだ。

そのあと、引き返して、89A号線を通り、コロラド川のデカイ橋を渡り、南に回り込んで、グランドキャニオン観光客の誰もが行くグランドキャニオン・ビレッジに行った。

と、簡単に言うが、

東京から房総半島を一周するほどの距離を走ることになる。

キャニオン・ビレッジはさすがに観光客が多い。

多いとは言っても、パラパラといるといった感じで、日本の観光地の混雑さとは比べ物にならない。

日本の名所の観光に慣れている日本人からみたら、寂しいといってもいいくらいだった。

60過ぎて、三女と二人で行った時でもさほど観光客はいなかった。


グランドキャニオンはあまりにも雄大広大で、確かに何十億年もかけて水の力で浸食されてこんなふうになったんだなと、しばらくは感動いっぱいで観ているが、

そんなに感動するのならここに一日いてもよさそうだが、なぜか「もう、いいや」となって、ここに車中泊することなく、ものの一時間ほどで、ワシは去ってしまった。

まだまだ、この時は、自分なりの悟りを得ていないので、こんな、殺伐とした広大な景色を見ていると、自分がますます小さな存在に思えてきて、それが嫌だったのかなと思う。

とにかく落ち着かないのだ。

観光のための馬が用意されていて、この垂直に近い崖を底の方まで馬に乗って降りていく、見るからに危険なルートがある。

ワシなら歩きでも怖くて降りれそうにない道だ。

そんなところを馬にすべてを託して降りていく神経がワシにはわからない。

馬も崖から落ちたくないのでしっかりと踏ん張って歩くのだろうが、アメリカにはなにを考えているのか、わからない人がいる
()

ワシはハンググライダーはやるくせに、崖の縁を歩くのは苦手なのだ。

ちなみに、89A号線のどこかで、ヒッチハイクの30代の男を車に乗せた。

ナイフをちらつかせた危険な男で、ワシが窮余の策で、空手の黒帯だと言ったら、ナイフを収めた。

コロラド川を渡り、グランドキャニオンに入る前に降ろした。

降り際10ドルくれという。ここでトラブルと怖いので、10ドルあげて、ワシはさっさとその場を去った。

サンフランシスコの友人に話したところ、たぶんその男は刑務所を出て女のところか、家族のところに帰る所だったんだろうという。

「空手黒帯か。アメリカ人は日本人より空手に詳しいからな。たぶん、運が悪ければ、アキラは殺されて、山の中に転がされ、ピューマのエサになって、アメリカ一周の大金と車を盗られただろう。

この件はアメリカでは日常茶飯事にある事だからね。

その男が銃を持っていたら、黒帯といえどもアウトだった。

アメリカ人は絶対にヒッチハイカ―は乗せないよ。例え、男女でもね。」


たいへんな勉強をいたしました(苦笑)。

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ワシのアメ車 フォードピント

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 デスバレーにて。ワシ35歳


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 この写真はアメリカ一周を終えて、サンフランシスコに住んでいる時のもの。デスバレーで自分なりに悟りを得て、あれほど苦しめられた”うつ”から解放されて、こんなに明るいワシになってしまった。


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関係ないけど、ホッピ―のこの方ワシの若い時にソックリ(笑) 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その10、カリフォルニアのヒッピー原始コミューン村

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その10、カリフォルニアのヒッピー原始コミューン村

 

この話は、アメリカを一周して、サンフランシスコにアパートを借りて、落ち着いた後の事ですが、ワシが気に入ったカリフォルニアの場所がある。

そこは車でサンフランシスコからロスに向かって、海岸線の国道1号線を走っている時に、偶然、出っくわしたところだ。

場所は「ビッグサ―」の近くだったと思うが、

走っていると、左手の山にもの凄い数の蝶が舞っているではないか。

ワシは蝶マニアなので、それがオオカバマダラだとすぐにわかったが、まさか、そこが、オオカバマダラの越冬地だとは知らずにここに来たのだ。

大半の蝶が飛び立った後だったので、残念ながら、木に数珠つなぎになって、まるで木の葉っぱではないかと思うくらいの大量の数万の蝶はいなかったが、それでも、数千匹の蝶が乱舞している。

ワシは感動した。

車を止めて、見入っていた。

そこらを歩き回った。

1号線は海岸から150メートルほど上を走っていて、蝶の一群は海岸線の方に向かって下降して行く。

蝶を追って下を見ると、小さな集落が見え、畑が見える。

ブドウ畑のようだ。農夫が4~5人見える。

「な、な、なに~ぃ~?」

よくよく見ると、働いている男も女も素っ裸だ。

なにも着ていない。

若い女や年配の男女が黙々と畑仕事をしている。

そこに、蝶が舞っている。

ワシは夢の世界にいるかのような気持ちになった。

あまり、その様をじっと見ているとノゾキではないかと思われると思い、その場を去った。

望遠鏡か望遠カメラで見ればはっきり見える距離だ。

1.    
サンフランシスコで知りあいのアメリカ人にそのことを尋ねると、ヒッピ―のコミューン()だという。

ネットで調べると

ヒッピー: Hippie)とは、伝統制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称。

1960
年代後半に、おもにアメリカ(発祥地はサンフランシスコヘイト・アシュベリー地区との説がある。ロス郊外のローレル・キャニオン(英語版)とする説もある)の若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった。

彼らの多くは、自然と
平和セックス自由を愛していると主張した。」

と出ている。


その時代のヒッピーの一派が文明を避け原始人生活を実践しているのだという。

そういう自給自足のコミューンがあちこちにあるのだという。

いやいやいや、こういうところは、アメリカは面白い。

国がこういう自治体を認めているということになる。

それにしても、あのオオカバマダラの乱舞と裸のコミューン村。

ワシの頭に強烈に残っている。

ここでもワシは、例えば、日本でこんな原始コミューン村を作ろうとしたら、どういうことになるのか。

様々な反発が起こるだろう。

アメリカはすんなりと裸の自給自足村が成り立っているのだ。

実はワシの次期長編漫画 「原始人ZARU」はここからヒントを貰って、今描いている。

残念ながら執筆時間がなく4話までしか出来ていない。

いずれ完成させるつもりだ。

まあ、ワシはアメリカに文句をよく言うが、

アメリカはいろんな側面を持っていて、飛びぬけて突出した人間がいる。

しかも、それが受け入れられ、できるということが、アメリカの素晴らしいところでもある。

今でも、その村が続いているのかどうか、それは分からない。

 

ちなみにワシがアメリカ一周して、住みついた場所が、サンフランシスコのヒッピーの発祥の地、ヘイト・アシュベリ―のすぐ近くなのだ。

 

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その9、カリフォルニアの“夏”は枯れ山、枯れ草原。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その9、カリフォルニアの“夏”は枯れ山、枯れ草原。

 

アメリカ、カリフォルニアはもともと砂漠みたいなところで、サンフランでもロスでも、夏、雨が全く降らない、いわゆる乾季なのだ。

日本人の感覚だと、草原でも、山でも、夏は青々と草木が茂っていて、昆虫や蝶が飛来し、入道雲が湧き、ああ、夏だなぁと肌と心で感じ入る。

ところが、カリフォルニアは、夏は、草原は枯れ果て、山は茶色に枯れた色をしている。

日本の夏は緑一色だが、ここでは茶色一色なのだ。

ワシは、一瞬、季節の感覚が変になった。

夏なのに、冬の肌の感覚が襲って来たのだ。

「うわっ、こんなところに住んでいたら、感覚的な繊細さがモロ無くなっていく!日本人だったら住むところではない」

と、ここに初めて来た時の直感がそんな感慨を持った。

カリフォルニアの山の中に入っていくと、水がなくても生きて行ける木がほとんどだ。

名前は忘れたが、樫の仲間だと思うが、丈夫な木ばかりで、それらが夏は葉が枯れて立っているのだ。

日本人なら、想像してごらんよ。

暑い夏だよ。
山でも草原でもどこも乾燥した枯れ木と枯れた草原が見渡す限り続いているのだ。

乾季、そんな山の奥まで車で行って、ワシはメチャクチャ寂しく思ったね。

日本だったら、夏、山奥に行ったら、緑があふれていて、それだけでも心が和み、元気の気をもらえる。

森林浴の効果は確実にあるし、鳥や昆虫やそれらの鳴き声や、湿った空気の心地良さがある。

そういうのが、ここカリフォルニアには黙殺されるほど皆無なのだ。

第一、そんなところだから、かなり山奥まであちこちと走ったが、だれ一人いない。

日本から来たワシが一人、この乾燥したカリフォルニアの山の中にいる。

よほど、もの好きな変人であることよ、と、自分自身を呆れてましたね
()

ここに住んでいるアメリカ人は、日本の花鳥風月の心なんて絶対にわからんだろう、枯れた山を見てわかったね。

カリフォルニアだけではなく、アメリカ一周しても、日本的情緒はアメリカ人には理解できないと確信を持ったよ。


アメリカでは松尾芭蕉のような人は“ゼッタイ”に生まれない。

「閑(しずか)さや 岩にしみいる 蝉の声」

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

こんな俳句ができようがないのだ。

やはり、四季のある日本が最高だ。

日本は四季と、あの南北に弓状に伸びた、冬は雪の積もる高い山脈の国土が日本人の心を創りあげたんだ。アメリカに来て、日本を振り返って、初めて理解した。


カリフォルニアの公園は、しかし、青々とした樹木が生い茂っている。

よくよく見ると、いたるところにスプリンクラーがあって、公園の地中は水を導くパイプだらけだ。

もともと、カリフォルニアの水ははるかかなたのロッキー山脈から水路を経て引いてあるのだ。

果樹園もすべてそこから引いてある。


ところが、カリフォルニアに、ワシが猛烈に気に入ったところが一か所だけある。

それについては次回、お話しましょう。

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その7、漫遊の旅はロスアンゼルスから。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その8、漫遊の旅はロスアンゼルスから。

 

今、アメリカ漫遊の事思い出しながら、書いていますので、話が前後しますが、よろしくお願いします。


さて、車での漫遊出発点、ロスアンゼルスについて。

ロスアンゼルスと言えば

椰子並木のサンセットストリート、
チャイニーズシアター、
ハリウッドのあの山の上の看板、
ハリウッドスタジオ、
金持ちの高級住宅地ビバリーヒルズ、
サンタモニカビーチ。

例のごとく、ワシの期待値が大きかったがために、はっきりってガッカリした。

まずは、サンセット通り、ここのどこがいい?

チャイニーズシアターと俳優の手形ロード。
ちゃちななんということもない映画館、手形そのものは面白いが、周りは何にもない通り。

人もちらほら。寂しったらありゃしない。

ハリウッドのあの看板、なんであれがハリウッドを象徴している?

ただの巨大な看板じゃないか。

ビバリーヒルズ、金持ちの邸宅がズラリとあるが、それがどうした? 
勝手に豪邸建ててお住みになってくださいな。
なんの感慨も浮かばない。


アメリカは哀れ、なんせ歴史が浅い、なので、どれもこれも重みがない深みがない。

どこを見ても、あのハリウッドの看板のような張りぼて文化に見える。

いくら、やれ、プレスリーだ、シナトラだと俳優や歌手を並べて、エンターテインメントを強調してみても、ロスの実際の街はとてもつまらない。

確かに、ハリウッド映画は成功しているし、面白い映画もたくさんあるが、

ロスの街を散策したり、車で走ったり、カフェでお茶したり、そんな楽しみができるところがない。

あるにはあるが、とにかく寂しいところである。


唯一、ロスでワシが満足したところは、南にあるロングビーチ、サンタモニカビーチだ。

ビーチに沿ってロードがある。

そこに、あらゆる人種のアメリカ人が、思い思いの恰好で歩いたり、自転車やローラースケート
(最近はローラーブレードか)で走ったり、

特に、超ビキニの若い女性が体をくねらせながら歩く姿は、スケベ男のワシには,ここに半日以上滞在させる“引き”がある
()

要するに、ワシは人間を鑑賞するのが大好きなんだね。
特にエロっぽい女がいれば、それでシアワセだという、至極単純な心持の男なのだ。


ここなら、ビーチカフェのコーヒーもうまい。

あと、子供の頃からジェットコースタ―が好きなので
シックス・フラッグス・マジックマウンテンの絶叫マシーンに乗ったくらいかな。

この漫遊中、ワシは一人で行動。

たとえば、サンタモニカビーチでカップルたちが楽しそうにしていると、やはり、寂しい。

孤独である。

なんでワシは一人でこんなところに来たんだろう、いるんだろうと、心は浮遊している状態。

夢遊病者に近い感覚。

生活感はもちろんなく、この地に脚が付いているわけでもなく、周りにいる人々となんの接点も関わりもない。

子供も女房もある35の男が、仕事もせず、なんの目的もなく、ただ、ここにいる。

唯一、目的があるとしたらワシの心にある“暗い閉塞感が無くなればいいな”という、一縷の望みだけ。

(この暗い閉塞感がれっきとした“うつ病”だとはこの時点では知らなかった)。

こんな状況のもと、ワシはロスを基点にして、

時計反対周りで最終地サンフランシスコまで4万キロの車中泊の旅に出たのだ。

(車の助手席を取っ払って、運転席の後ろに置き、助手席の下は、発砲スチロールで平らにして、寝袋を敷いてある)

 

 

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その7、邪悪なラスベガスにちょっとだけ立ち寄った。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その7、邪悪なラスベガスにちょっとだけ立ち寄った。

 

夜、ネバダ州の砂漠をラスベガスに向かって走る。

はるか遠く、水平線にキラキラとまるで星が落ちて散らばっているかのような、光景が見えてくる。

行けども行けどもその星のもとにたどり着かない。
それほど広大なのだ。

2時間ほどして、やっと巨大なラスベガスの都市がグングン近づいてくる。
この光景は圧巻である。

ベガスに入るには、夜の砂漠から入ることをお奨めする。

周りには何にもない真っ暗な途轍もなく広大な砂漠にあの、気違いじみた、人間の欲望の塊のギンギラギンの異次元都市が忽然と現れるのだから、ベガスは砂漠の夜から侵入すべし。

これが、飛行機で入るのではなんの感慨も起こらない。

夜のラスベガスにワシの車は進入して行く。
これでもかというくらい、ド派手なネオンの装飾。

ワシも初めは驚いた。車を駐車して、好奇心の旺盛なワシは、巨大ホテルのカジノの中を歩き回った。

ルーレット、ブラックジャック、バカラ、スロットルマシン、大勢の男女がそれらに興じている。

ワシはスロットルマシンだけやってみた。案の定、負けた。

それよりも、そこにいる人々を観察する方がはるかに面白かった。

少々小銭のある男が、あるいは金に余裕がある男が、プレイをしているのだろうが、まず、ここにいるだけで、ある種の邪悪な空気に染まってしまう。

飲み込まれてしまう。

ワシにはそれが良くわかる。

勝った負けたで一喜一憂、どよめきが起こり、カジノ独特の場が形成されていく。
ハイレグの美人が飲み物を持ってくる。

カジノ側はいかに、巻き上げるか。

それこそ、空気作りから、実際の
(巻き上げ)テクニックまで、信じられないほど緻密なスキル通りに実行しているはずだ。

金のある巻き上げられそうな男を、カジノに来た途端、チェックして行く。

そして、悟られないように、ぴったりと張り付き、ディーラーや関係者に逐一連絡。

あらゆる手を打つ。カモ男に、ワザと近づき、客を装った2人の男と使って、

「あそこで1万ドル勝った。あそこのディーラーはちょろい。今日はあのコ―ナ―が狙い目だ」

などと誘導するのは朝飯前だ。

そんな、こととは知らずに、初めは勝っていたカモ男が、最後には額に汗しながら、有り金すべてを巻き上げられ、哀れな表情を残して去っていく。

見ていると、ほとんどの男が負けて、プレイを終える。

おそらく、例え勝って1万ドル手に入れても、次の日には1万ドルはおろか、10万ドルを損して、帰って行くのだろうと思う。

人間の心理ってそんなもんなのだ。
勝っても負ける。

だから、カジノは超儲かる。

だって、人間の弱点を商売にしているんだから、こんな利益率の高い企業形態は他にないだろう。


想像だけど、カジノ側は、世界中の金持ちに、なんらかの手を打って、接近、誘いをかけているだろう。

誘いをかけた男には、かなりなマージンが支払われる。


日本でも、いましたね、大カモが
()
政治家にも、大企業社長にも
()

知られているのは氷山の一角。


ワシは、こんな賭けごとの世界とは無縁の男。

ちょろっとスロットルマシンをして、3000円ほど、カジノ観察料として納めさせていただいた
()


ここは、半日いただけで、さっさと出て行ったよ。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その6、ディスバレーでワシなりの悟りを得た。

今回は以前アップしたものを、一部、再アップします。詳しくはこちらの方に出ています。


"うつ”からの脱出、part 4 ハンググライダーで鳥になってみたものの。



ワシはアメリカのデスバレーにこの1年間で3回行っている。(60歳過ぎて三女と二人でここを再び訪れている、なので4回行ったことになる)この広大な殺伐とした、天と地しかないところがワシは好きなのだ。


そこにいると、ワシひとりがそこにいて、すべての雑念も下界の諸々も消え失せて、ほんとに空っぽなワシひとりがいる。

色即是空、空即是色。

こんな仏教の言葉がワシの頭に過ぎる。

この世のすべての事象、森羅万象は、無なのだ。

しかし、その無から、この世の事象が生まれているのだ。

人も心も、あると想い込んでいるが本当はないのである。

しかし、全くないところから人も心も生じたのである。

この意味をワシはズ―ッと考えてきていた。

このことに関しては、このブログ「色即是空への道」でしっかりとお話していきますが。

ワシが、アメリカのデスバレーで考えたことは、

ワシのこころがこの世、この世界を見ているということだった。

つまり、生まれてこのかた、ワシがとり込んできた様々な情報とDNAからワシの心は成り立っている。
その、いわば


“ワシしかない”モノの見方で世界を見ているということなのだ。


世界を認識しているのはワシのこころ、脳なのだ。

そういう見地から見れば、世界は自分そのもなのだ。

自分が見ている、自分が想っている、自分が感じている。それが世界なのだ。

そのようにワシらはいつも想い込んで生活し、生きているのだ。

極端な言い方をすれば、

世界は自分自身が、ワシ自身が創っているのだ。

(明らかに真実と思われる景色やそこに存在するもの、テーブルも人間もすべて自分がそう想い込んでいるのだ)。

そこまで考えが及んでくると、人間の悩みも苦悩も、こころ(脳)の産物だということが分かってくる。

苦悩や悩みのみならず、幸せも快楽も、こころのなせるワザなのである。

簡単に言うと、我々は「想い込み」で生活し生きているのだ。


天上天下唯我独尊という言葉はこの意味を言っているとワシは解釈している。

個人一人ひとりが世界を捕える目を、心を持っている。
そして、その捕らえる心がなければ世界はない。

だから個人の存在は、世界の存在と同等である。

ゆえに個人の存在はこの上もなく尊いのである。
(これについてはいろんな解釈があるが、ワシはこう思う)

あの広大なデスバレーでワシはこのような自分なりの悟りを得た。

すると、“うつ”で悩んでいることも「死の恐怖に捉われて虚無に心がなっていること」も  

なんだ自分が自分にそう想っているだけのことなんだ。

“うつ”を引き起こした諸々の悩みも、ワシがワシの心の中でそう想っただけのことなんだ。

だいたい「死の恐怖」ってどこに存在している?

死神でもいるのか?

なんのことはない、ワシのこころがそう想っているだけのことなんだ。

こう思うと、いままで、ワシの心に鉄錆びのようにしつっこくへばりついていた“うつ”のヤロウがあっという間に消え失せて行った。

同時に、耳の奥深く重たい“うつの脳”が消滅していた。

なんということだ。長年悩ましていたものが

「人は想い込みで生きている」

というこんな理解で解決したのだから、ある意味拍子抜けしてしまった。


しかし、この「人は想いこみで生きている」を心底、理解するのは半端なく難しい。

思えば、「暗い穴・明るい穴」


”うつ”からの脱出には「暗い穴・明るい穴」のイメージが効力を発揮する part 2


でいえば、ワシは自分の穴を暗くしていたのはほかならぬ自分自身だったのだ。

決して他人の影響でそうなったのではないのだ。

とかく人は自分が落ち込んだり悩んだりするのは他人のせいだとしたがるが、

「悩みそのもの」は、他人は全く関係がないこと。

例えば、お金を500万ほど盗まれたとする、

ある人は

「こんなひどいことをするやつがいるんだ、俺が何年も何年も苦労してためてきたお金だ、畜生、ストレスになる、ひどいトラウマを残す、くやしいな、くやしいな、くそおおおお・・・・」

といつまでもその怨念がおさまらない。

他方、

「くやしい!!けどお金が返ってくるわけじゃない。まあ、誰かが使ってまわり回って、俺のところにくるかもしれない、金は天下のまわりもの。くよくよしても仕方がない、あきらめよう」

人は、想い込み次第でどんなにでもなる。

こうして、ワシはアメリカから帰って来た時には、“うつ”のうの字もなく、実にさっぱりして帰国したのである。

このアメリカ行きでもう一つ大きな収穫があった。

それは、お袋から借りたお金ではあるが、ほぼ1年間、全く仕事をしなくて、ただ、遊び呆けていた。

そうなると、アメリカにいた後半は、仕事をしないことが

虚しくて、虚しくて、

無性に仕事をしたくなったのだ。

仕事をしない生活がこれほど虚しいとは・・・


それで、帰ってからしたことは、子供向けの「タイムマシーン相対性理論講座」の漫画本なのだ。

これを4カ月かけて仕上げた。

幸い講談社からワシの生まれて初めての単行本として上梓された。

お袋から借りた金も数年後返しましたよ。

もし、よろしかったらイーブックスジャパンから電子出版されているので、読んでくださいな。

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その5、ニューオリンズで最高の奏者に会う

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その5、ニューオリンズで最高の奏者に会う

 

ニューオリンズ、ルイジアナ州南部に位置するアメリカでも有数な音楽の街。

特に、ジャズの発祥の地
だ。

ワシは、フランス、スペインの植民地時代の街並みを残すフレンチ・クオーターを歩き、ジャズの音楽が流れるバーボンストリートへ。

ふらりとジャズクラブというかジャズパブというか、そこに入る。

客は30人ほど、そんなに広いパブではない。

ワシは最前列の横っちょでビールを呑みながら、本場のジャズを聴いていた。

なるほど、こういう場所で、この空気のもとで聴くジャズは耳からだけで聴くものではなくて、目でも聴くものだとわかった。

年配の黒人たちの演奏する動き、スイング、時々、発するジョーク、この熱っぽい空気。一体感。音楽を心底楽しんでいる。音そのものを楽しんでいる。


黒人たちに交じって、東洋人のトランペッターがワシから1メートルと離れていないフロアでトランペットを吹いている。

どこかで見たことがある人だ。

「ああああっ!!!、日野照正じゃないか!」


あの、日本でトランペットの第一人者、あの有名な日野照正ではないか。

ワシ、ブッタマゲたね。

例のほっぺたを膨らませて素晴らしい高音の伸びを聴かせてくれる。

ワシ、感動!。目の前におらっしゃるのだ。

こんなことが在り得るのだろうか。
夢のようで舞いあがってしまった。

演奏中に彼から声が、

「日本の方ですか?」

「ひ、ひ、日野照正さんですよね」

「どうです、ジャズの本場で聴かれて」

「いや、す、素晴らしいです。日本だったら日本武道館で聴くしかない方なのに、いや、本当にありがとうございます」

 


パブを出てからも、頭はジャズでいっぱい。

車中泊の車の中で、ラジオのジャズを聴きながら、この夜はハッピーな気分で寝入らせていただきました。

日野さん、ありがとう。

 

彼のことを、ネットで調べたら、歳は72歳、ワシは69歳。

ワシが彼とニューオリンズで会ったのが35歳の時だ。彼は38歳だったのだ。


彼は全く覚えてるわけないけど、いやぁ~、会いたいなぁ~。

プロフィール

  成田アキラのツイッター
スケベ漫画家成田アキラでございます。 もともと子供向けの科学漫画を描いていたワシが、テレクラ(テレフォンクラブ)にハマり込み、会った女性との艶事を漫画に描いたら、これが大ヒット。根がスケベだったせいもありエッチ体験漫画を以来延々と描き続けることになった。 女と車と温泉、この三点セットでのめり込んでいく。女との体験を重ねるにつれ、必然的に性のテクニックも上達し、ハウツーセックスものも手がけていくことになる。 ご存知「V筋攻め」なる必殺技も編み出した。 1945年生まれの現在74歳。まだナニも現役のバリバリ(笑) ワシのことは当ブログで、すべて出ています。末永いお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
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人はエッチ大好き、スケベである。これを共通認識・基盤として、ワシは様々な情報発信、活動をしていきたい。これをもって、世界平和を実現できればとの夢を描いています。
日本スケベ党総裁 成田アキラ





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