成田アキラのオンナは女神さま

オトナ専用のブログです。 刺激的な表現もありますが、制限を加えておりません。 ★18才未満立入禁止(笑)

2014年12月

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その29、日本人の愉快な仲間4人と知り合う。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その29、日本人の愉快な仲間4人と知り合う。

 

アメリカ人、サンフラン在住のFさんの知り合いの日本人4人と会う。

彼らは、アメリカでバイトをしながら、長期滞在している。

男Mさん、その彼女Sさん、男Gさん、その彼女Tさん。
4人は音楽仲間だ。

Mさんはエレキギター、Gさんはベースを弾ける。
Sさんはジャニスジョプリンの信奉者で年から年中ジャニス、ジャニスと言っている女性。

ワシはローリングストーン、ビートルズの世代。

しかし、ワシは何かに洗脳されることを極端に嫌うという性格なので、それらの音楽を聴き、楽しむが、深入りはしなかった。

もともと群れるのが好きじゃないのだ。

ワシの考えは、たとえば、ある音楽、特にロックのような強力な音にしびれて、完全なロック脳になってしまったら、ワシの頭の中で常にその音が流れてきて、

その心情に占拠されて、あらゆる場面にその影響が出てくるのではないかと思ってしまうからだ。

そんな“誰かの作り上げた物”で脳の中の大半を染められ、心を改造されるのは、ワシの人生の損失であると、

ワシは”本能的”に、そのように、その当時考えていた。

案外それは、今になって、当たっていたように思う。

あれほど、全世界の人々をビートルズ脳にしてしまったビートルズだが、過ぎ去ってしまえば、今はそんなに聴く人はいない。

ジョン・レノンの思想「国境をなくせば、人類は幸せになれる」は、今では間違いであることが判明している。その、”理想的”な心情はワシわかるが。直感的に当時ワシ、なんかヘンだぞ?くらいしかわからなかったが。


NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
- John Lennon (ジョン・レノン) -

「ヌートピア」は国土を持たず、国境を持たず、旅券もなく、ただ住民がいる。

とにかく、ワシは熱に浮かされることはしたくないのだ。

反面、ワシはのめり込まないから、不幸なのだ。

でも、ワシはいつもプレーンなこころでいたいと思っている。安住の地はプレーンなこころでいることなのだ。


そういう性格なので、ワシは音楽に疎い。

彼らにいろんなことを教えてもらった。

彼らが信奉するグレイトフルデッドも、ジャニスジョプリンもワシは知らなかった。

ある日、彼らが、ジミヘン、ジミヘンと言っている。

「何その、ジミヘンって?」

「ジミーヘンドリックスですよ。天才的なギタリスト・・・逆さに弾ける・・・・」


明らかに、あんな超有名なジミヘンを知らないんだ・・・とあきれかえった顔。


グレイトフルデッドのコンサートに連れて行ってもらった。
音は楽しんだが、その熱狂ぶりには驚いた。

こういう、フアンがいるんだと妙なところに感心を持った。



とは言うものの、ワシは、学生時代、リズム&ブルースのリズムが好きで、シュ―プリームスに一時期ハマったことがある。

あの黒人レディの声にシビレタのだ。

あの声とリズムと彼女たちの姿は、今でもワシの脳に染みついている
()

You Can’t Hurry Love,


Stop! In The Name of Love,

耳にこびりついている。

ABBAアバも聴いたなぁ。

また、何かにハマってみるかなぁ・・・。

最近ハマったのが何をトチ狂ったのか、クレージ―ケンバンドのタイガー&ドラゴン。

「トンネル抜けると、そのままどんつきの三笠公園で~」

・・・出だしからシビレた。

歌えるように毎日練習。
しかし、これ、見かけより半端なく歌いづらい。

なんとかカラオケで歌えるようにはなったがヘタ
()

ワシ、横山剣さん好きだねぇ。シブいよね。


でも、プレーンなこころもいいんだよなぁ・・・


ハマりたい、プレーンでいたいのせめぎ合いってところかな
()

 
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こんなアメリカ美人と同棲し、自然に英語を
話せるようにしたかったのだが・・・(メキシコに近いメキシコ湾のパドリー・アイランドで
この超美人のセクシー女性をこっそり望遠で撮る、今でも
心に残っている。こんな美人見たことがない(笑))


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しかし、後に、こんなきれいなコと仲良くなった。
日本人なので、英会話の勉強にはならなかったが(笑)


アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その28、早速、サンフランシスコを観光した。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その28、早速、サンフランシスコを観光した。

 

サンフランに住んで、住んでいるところを観光すると言うのも変なもんだが、日本にいた時からこの街を気に入っていたので、心わくわくしながら「観光」に出た。

車を使わず、バスや電車を使って回ることにした。

まずは名物ケーブルカーに乗る。
かなりの急坂を走るこの乗り物は確かに面白い。

ステップに脚を掛け、ポールを握り、体を外に出っ張らせて、鈴なりに客は乗っている。

スピードはさほど出ていないので、例え落ちても怪我することはあっても死ぬことはない。

このケーブルカーがチンチン鐘の音を響かせながら、走る様は、気持ちを和ませる。

田舎の祭りの曳山を思い起こさせた。
曳山に乗る乗客。つまりケーブルカーの乗客はいつもお祭りココロ。

確かに観光客はこれに乗るとはしゃぎ、浮き立つ。

しかし、よく見るとこれで通勤や買い物に出ている住民の姿も見える。

住民たちは静かに生活の脚として、普通の顔をしている。
ワシははしゃいだが。

このケーブルカーの動く仕組みも面白い。

車輪の真ん中の地面に溝があって、その中にシュルシュルと動くケーブルがある。

それを大きなテコを利用したグリップで、噛んで、この車体は登ったり、下りたりしているのだ。

目にはみえないが確かに“ケーブル”カーなのだ。

 

ビクトリア調のレトロな建物の間を走るケーブルカー。そのまま、古き良き時代の風景が残っている。

 


フイッシャマンズワ―フと言って、大きな桟橋の上にカフェやレストラン、お土産店、ショーやパフォーマンスができる広場、などなど、

こういうのは日本で見たこともなかったので、ワシは面白いと思った。

この周りには新鮮な魚のシーフードショップもあって、新鮮な魚が食べられるレストランがある。

観光客向けのかなり高い、高級シーフードレストランもある。

 


このあと、車を使って、サンフラン全体から近郊まで、約1週間で「観光」した。


フンバートストリートと言って、世界一クネクネと曲がりくねった坂道を面白がって登ったり降りたりした。

サンフランはかなり急な坂道があって、この坂道がサンフランの街の魅力を形作っているといっていい。

なんと中心部に山を登らず向うに出るためのトンネルさえあるのだ。

このトンネルの使い方を誤るととんでもない方向に行ってしまう。

ワシはまだ不慣れなとき、大失敗をしてしまった。

これについては、このブログでおいおい書いていくが、

実は、ワシはあの有名な「シクラメンのかおり」の布施明とオリビアハッセーのコマーシャル撮影の時の運転手をしたことがあるのだ。

布施さん、後のワシがこんなスケベ漫画家になっているなんて知らないかもしれない
()

あの時はお世話になりました。

ハッセーさんともすこしサンフランを二人で歩いたこともある。そのあたりも書いていくつもり。

 


あの赤いゴールデンゲイトブリッジ、その先のソーサリートの別荘街、サンフランが一望に見渡せるツインピークス、車があるおかげで隅から隅までワシ一人で「観光」した。


この1週間の観光の後、ワシは、たいへんなことを発見してしまった。まあ、気づいてしまったのだ。

それは、こんなにきれいで魅力に溢れた観光地が観光の目で見ることがなくなったのだ。

言いかえればただの普通の街になってしまった。

ふーん、ここに日本人は大枚をはたいて観光に来るんだ。

なるほど、観光とは一種の個人のわくわくする幻影としてあるんだ。

その幻影が消えれば、サンフランと言えどもただの街なのだ。

あれほど感動した、あのケーブルカーもビクトリア調のレトロな街並みも普通の風景として見ている。

この経験は、人間は「すべてのことが、いかに脳の作用が影響しているか、想い込みが作用しているか」ということをワシに気付かせた。

当然、サンフランシスコ住民は、観光の目では暮らしていない。
ただの住民だ。

よって、ワシはたった1週間で、れっきとしたサンフラン住民になってしまったのだ
()

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ヘイトアシュベリ―のキスマイスイート。
よくここに来て、いろんなことを考えた。




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ここで、ワシの女房へ手紙を書いた。


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日本からの観光客や、長期滞在の人と仲良くなって
一人ぼっちだったワシは、みんなに癒され、
徐々にうつから解放され、明るくなっていった。
みんな、個性的で、面白かったなぁ。



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この頃は、気分爽快になり、
こんな明るいワシになって
いた。



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日本から来た、友人たちと。
こんな、もの凄い今から見ればウソみたいな
デザインの車がかって走っていたんだよね。
ほんとモノスゴイ顔の車!!


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ワシの部屋で。素晴らしき仲間たちと。アホ面のワシ。
この後ろのマットがワシのベッド。

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フイッシャマンズワ―フのシーフードレストランで。
Oさん、彼には、日本で漫画やイラストでお世話になり
ました。今度お会いしましょう。


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 ワシ(笑)。

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。その5、“渡りワニさん”の吉田クン、ついに龍と対戦!

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。

 


週刊アサヒ芸能で7回7週に渡って(毎週火曜日・地方は水曜日発売)、「龍棲みの人妻」を連載して行きます。


このブログでも並行して彼女の摩訶不思議な名器ぶりと彼女の魅力をアップしていきます。

アサヒ芸能では書き切れなかった部分を補完し、さらに、なんと彼女とその旦那様の許可を得て、彼女の写真をもアップしていきます。

 

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その5、“渡りワニさん”の吉田クン、ついに龍と対戦!



映子さんは、アソコに龍が棲む名器の人妻。

夜の露天風呂でワシは吉田クンの耳元でこう言った。

「ここではなんだから、部屋で彼女を抱いてくれ」

吉田クン、驚きながらもその気マンマン。





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「アンタの立派なヤツで、龍を仕留めてくれ」

「龍を・・・・」


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まずは吉田クン、舐め技できた。これが上手い。なかなかのやり手。
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映子さん、クンニでイってしまった。

まずは、出だしは好調だ。


いよいよ、本番。


「その・・龍というのは、何なんですか?」



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「入れてみればわかる」

 

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結果は、秒殺、1分も持たなかった。
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恐るべし名器龍マンコ。

 

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次に、当然、映子さん。ワシに催促。


ワシだって、伸縮自在の名刀アキラ提灯マラ!


絶対に負けたくない。

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が、しかし、いや、もの凄い!絡みぐあい締めつけぐあい。
本当に龍が棲んでいるとは、彼女のセフレ、よくぞ名付けたもんだ。

 

グイグイ締めつけ、ワシの鬼頭を飲みこんでいく・・・・・

うわわわわわ~~~~


で、次回!


龍の正体が明らかになっていく。

こうなるメカニズムが解き明かされていくのだ。

 
週刊アサヒ芸能では1月6日7日発売の号に掲載されます。

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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その27、サンフランの賃貸アパートの部屋が決まって、先ずしたこと。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その27、サンフランの賃貸アパートの部屋が決まって、先ずしたこと。

 

サンフランの賃貸アパートの部屋が決まって、先ずしたことは、寝具を買い、自炊するための、鍋、包丁、皿などをそろえることだった。

布団はでかいスーパーで、炊事用具はフリ―マーケットで買った。

日頃着るシャツやボロい皮ジャンやクツなどもフリマで調達した。

ここで買うとモノスゴク安上がりなのだ。

日本では当時(1980年)、フリーマーケットなるものはなかった。

アメリカでこのようなフリマがあることを知って、最初はアメリカ人って、貧乏な人が多いんだなと思ったが、中古を扱う市場ができていたのだ。

特に服のユーストショップ、古着屋はかなりあった。

日本で、古着屋やフリマが流行ったのはそれから10年遅れくらいじゃなかったかな?

その後、延々とデフレが続き、日本も古着屋や再生中古業界が繁盛することになった(橋龍以降の誤った政策が日本を貧乏にした。いまだに日本は誤ったままだ)。

確かにアメリカは貧富の差が激しくて、貧困層にとっては、中古やフリマはなくてはならないものだ。

しかし、お金のある人も様々なモノが展示されているので、歩いて見て回るとそれなりに楽しめる。

時には掘り出し物も探し出す人もいるのだろう。

アメリカではどんな格好をしていても、それが変には見えない。
ワシも日本ではまず履かないスパニッシュ系の柄の入ったベージュのクツ、皮ジャン、シャツを着ていた。

頭はアフロヘアっぽい長髪だ
()

サンフランに住んでみて、本当にアメリカはあまりにも貧富の差があり過ぎる!半端なくひどい!

それが定住した時のワシの最初の実感だ。

日本って国は素晴らしい国だったんだ!
日本人はアメリカを知らなさすぎる。
同時に日本人は日本の良さを知らなさ過ぎる。



自分で食いもんをちゃんと作ったことがない。

調味料など買ってきて、なんのレシピもなく、自己流で様々な料理を作ってみた。

米は美味しいカリフォルニア米がある。
味噌汁も豆腐も醤油も何でも一応、スーパーに行けば手に入れられる。

卵やき、チャーハン、ステーキ、焼きそば、うどん、野菜炒め、カレーライス、一応、作ろうと思えば何でもできるんだと、この時、生まれて初めて知った
()

特に美味しいものは作れなくても、食べることはなんとかなることがわかって、一安心した。

面倒くさい時は、スープを買って来て、その中に、野菜から肉、豆腐、マメ、何でも放り込んで食べたもんだ。

唯一、大失敗したのは、玄米が体にいいと知って、玄米食に切り替えようと、ある日、玄米を鍋で、できるだけきちんと炊けるように時間をかけて作りあげた。

その夕方、ワシは、玄米ご飯といつものようにオカズと共に、一応、美味しく食べた。

ところがその夜、胃がむかむかし出し、ついには気持ち悪くなって、ゲェ―ゲェ―と食べた物を全部吐き出してしまった。

聞けば、玄米は圧力釜で焚くもんだと後で知った
()


時々、近くの日本料理店にも行ったが、スキヤキと称しているものの、アメリカナイズされたコテコテしたスキヤキだった。

早く食べて、それで一日済ます時は、同じく近くのホットドッグ屋「イエローサブマリーン」で野菜のたっぷり入ったステーキ入りのドッグを買い、

それを半分にして、昼食と夕食にした。なんせ、一個がとんでもなくデカイからだ。



八百屋で野菜を買う時、驚いた。

トマトでもキュウリでもリンゴでもオレンジでも、無造作に仕分けの箱に積んであって、すべて計り売りだ。

これまた茶色の紙袋
(ブラウンペーパー)に乱暴に入れて計って渡す。

アメリカ人は野菜、果物にキズがあろうとみんなまったく気にしていない。

日本のきれいにパックした野菜に慣らされていたワシはこんなことで、ブッタマゲた
()

日本は包装過剰だ。
キュウリが曲がっていても味には変わりがない。
アメリカ人はそんな合理的感覚なんだろう。


そういえば、ワシの知り合いでイタリアから来た、イタリアの家族が日本のス―パーであまりにもきれいな包装なのに驚き、お金を払う時、あまりの高さに、顔色が変わった。


仕方なく、レジで払ったが、我が家に1週間ほど滞在したが、二度とスーパーには行かなかった。

イタリアでもブラウンペーパーでの計り売りなのだ。


次に購入したのがテレビだ。中古ショップのテレビ(白黒のブラウン管小型テレビ)だ。


テレビを見て、マジにひっくり返った
()

どのチャンネルも、
CMだらけ、例のアメリカ的なスカスカの、気持ちがまったく通わないCM

それに、どこを見ても、クーダラネー、クーダラネー、
(赤塚不二夫ふう)低俗番組ばかり。


Fさんになんでこんなくだらない番組ばかりなんだアメリカは?

と聞くと、

「アキラ、アメリカ人は、テレビは見ない。見ているのは暇な人が見てる。アメリカではテレビを見るとバカになると言われているよ。ふははっふははは・・・」


今、現在、日本でそんな時代になっている。
この点ではアメリカがずっと先を行っていたと言える(笑)。

今の日本のテレビのくだらなさ、腐り切ったテレビ界。


「アキラ、ちゃんとした番組を見たいのだったら、ケーブルテレビにお金払い、加入して、自分の好きな、それ専門の番組を見るのがいいね。アメリカ人はそうしている。ニュース専門番組もあるしね」


実は、中古のテレビを買ってみたものの、1週間ほど見て、アホらしくなって、それ以来そのテレビのスイッチを入れたことはない。

 

一応、生活の基盤ができると、
次にワシはこの観光都市としてのサンフランシスコを“観光”することにした。

それについては次回。

ここでも、考えさせられることがいっぱい出てきた。


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ワシの部屋。こんな絵をTシャツに描いていた。


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気持ち良く空を飛んでいる女(笑)


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ワシに捕まった男とハンググライダー



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窓はこれひとつ。



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いたるところで古着屋のゲリラ商売。


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ヒッピーが集まって来た。


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よく行ったカフェ「キスマイスイート」



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こんな感じの男女でにぎわっている。



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サンフランはビクトリア調のレトロな建物が

街を成している。


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この当時のコンビニ。


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入口に鉄格子があるが、見えるかな?
もちろん防犯のため。


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 お金のない人への無料クリニック。特にエイズ検査に訪れる人が多い。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その26、サンフランでアパートを借りたぞ。サンフランの住民になった。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その26、サンフランでアパートを借りたぞ。サンフランの住民になった。

 

サンフランシスコのゴールデンゲイトパークの近く、ア―ビンストリートと5stの角の三階建て住居の半地下風一階にワシは住むことになった。

窓は側面にひとつあるだけの暗い部屋だった。
8畳に3畳ほどのキッチンとシャワールームが付いている。

家賃は当時のお金にして月6万円だ。
かなり高い。

しかし、どこに出るにも便利な位置にあった。
公園も近い。散歩するにも最適なポジション。

ここの大家は、サンフランからかなり南のモンタレーというところで、レストランを経営しているのだとか。

古くなった家屋だとは言っても、金持ち達のエリアである。

ワシの部屋から、大家の洗濯機のあるガレージが、ドアひとつで開けられて行けた。

洗濯機はたまに使わせていただいた。

それよりも驚いたのは、ガレージにあった車だ。
大昔のオールドカー
(箱形のクラシックカー)とこれも古い車だが当時は最新型の車であったろうと思われるマセラッティのスーパーカーだ。

双方とも動けば、何千万、いや億するかも。

ここの大家、今はともかく、相当の財産家だったと推測できる。


大家さんは当時、70歳くらい。若い奥さんか、愛人なのかわからないが、28くらいの肉感的な美人と二人で暮らしていた。

ある日、洗濯をしようと、ガレージへの部屋を開けたら、なんと素っ裸の奥さんが洗濯機の前で操作していた。

ワシ、ビックリして思わずソーリー!と叫んだが、
ノ―プロブレムと言って、

貴方の部屋の住み心地は如何ですか?
とヘア丸出しで話かけてきた。

あとで洗濯しますと言って、ワシはドアを閉めて戻った。


外人は部屋の中で裸になっていることが多いようだ。
しかも、他人に見られてもなんと言うことはないといった平気な顔をしている。

これもある日、家賃を持って、大家さんの玄関から入っていったら、70歳の大家さんが素っ裸でオチンチン丸出しで玄関に出てきた。この時も驚いた。

日本では考えられないことだ。

この家をグーグルマップで見てみると、昔と変わらずそのままにあった。

懐かしい。34年前と変わらずあると言うことは、ワシから見たら奇跡のように思える。

住むところも決まった。
電話も引いた。
(当時はケータイなんてなかったからね、今思えば、ケータイがない世界がウソみたいだ())

ワシは、あの
YMCAで会った彼女に連絡するつもりでいた。

たまたま、Fさんが来て、部屋の様子を見に来た。

ワシは
YMCAのゲイに声掛けられたことと、ロビーで会った女の事を彼に話した。

「ふふふふっ・・、アキラ、サンフランはゲイの街だよ。市中に約7万人が住んでいる。

キャストロストリートに彼らは集中していて、そこの街は、カップルの8割はゲイだよ。

レストランもカフェもゲイだらけ。

なんせ、市長がゲイだからね。
サンフランではゲイたちの票が得られなければ市長にはなれない。

面白いところだろう、サンフランって、あはははは・・・・」

 


いやいやいや、なんちゅうところなんだ。

ワシは単に、あのビクトリア調のレトロな街並みが続き、坂道をケーブルカーが市民の足となって行きかうところに惹かれて、

ここを定住の地として選んだのだったのだ。

「アキラ、その女は怪しいね。そんなところで待ち構えている事自体が変だ。その女、止めておいた方がいい。

とにかく、ここ、アメリカ、特にサンフランでは日本的な考え方は通用しない。

よほど、注意しないと、アキラ、ボロボロになって、日本に帰ることになるかもしれない。

というのは、アメリカで変な病気が流行りつつある。
エイズだ。

性的接触から移っていく。
特に正体不明の女とセックスするのは非常に危険だ。

それと、もう一つ、なぜだかわからないが、そのエイズ、ゲイの間で流行りつつある。

アキラはその気はないと思うが、男に決して犯されないよう気をつけましょう。ふふふふふ・・・」


本当に正体不明のエイズなる病気が流行りつつあった。

ワシの外人女と同棲の英会話上達の計画はとん挫してしまった。

よって
YMCAの女には電話をしなかった。

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その25、いよいよ、憧れのサンフランシスコだ!

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その25、いよいよ、憧れのサンフランシスコだ!

 

人間の記憶っておかしなもんで、しょうもないことをよく覚えている。

国道5号線をサンフランシスコに向かっている途中、サクラメントという都市に夜に入って行った。

山の上から都市に降りて行く地点で、地上200mくらいのところを、UFOがユラユラと旋回しているのを発見した。

七色に光っている。

本当にUFO と思った。

車を停めて、その未確認飛行物体をよくよく見ると、小型飛行機だった。

主翼の下に、ネオンで広告をイルミネーション。それがピカピカと光っていたのだ。

アメリカってこういう広告もアリなんだ。
ワシは妙に感心した。

アメリカらしさを感じたのだ。

この夜は、このサクラメントで車中泊した。

 


翌日、アメリカ人のF氏に初めて会うことになっている。

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氏は、かの手塚治虫のアメリカでの通訳をなさっていて、翻訳が専門だが作家でもある。

彼は日本の漫画を非常によく理解しておられ、日本とアメリカ間の漫画文化のかけ橋として、たいへんな貢献をなさっている方なのだ。

ワシは手塚プロの現社長であるM氏と旧知の仲。

そのM氏の紹介でF氏と会うわけだ。
サンフランシスコでは彼の助けを借りようということなのだ。

 


セントヘレナ山の爆発の灰をかぶったまま、モウモウと灰の煙を排しながら、サンフランシスコの彼のアパートにワシのフォード・ピントは滑り込んで行った。

彼はアパートの前に立っていた。
着くなり、

「うわわわっ!アキラ、信じられないよ。アキラはクレージなヤツだな。はははは・・・・
 

まさか、セントへレンズのアッシュをお土産に持ってきてくれるとは。アキラは面白い。

その灰は小分けにして売れるぜ。」

と冗談を言ってワシを迎えてくれた。

冗談ではなくて、サンフランシスコのヒッピーたちが、面白がって小ビンに入れたセントへレンズの灰を売っていたんだそうだ。

 

Fさんには大いにお世話になった。

まずはアメリカでのワシが住むアパート探しから、アメリカに住むにあたっての注意事項から、なにからなにまで教えていただいた。

感謝しています。

彼とは、頻繁にお付き合いさせていただくほど親しくなった。

 


ワシはサンフランに着くと、とりあえず、安いホテルを自分で探し始めた。
アパートが見つかるまでのつなぎとして。

YMCA
に宿を取ることにして、チェックインした。

車は街の路上駐車だ。この駐車法が普通のことなのだ。
パーキングなんて、あることはあるが、誰もそんなところには置かない()

チェックインして部屋に向かおうとエレベータに乗った。
黒人の30代の男が乗ってきた。

ワシはワシの階で降りた。その黒人も同じ階で降りた。
同じ階だったんだと思いながら、ワシの部屋に向かった。

彼も同じ方向だ。
ワシの後をついてきた。

ワシが自分の部屋の鍵を開けようとすると、
その男、なんとワシの前に立っているではないか!?


んん? 「ホワイ、ア―ユー、ヒア?」 ワシは片言でこう言った。


もう、彼がなんと言ったか忘れたが、

「アンタが気に入った。いいことしないか。部屋に入れてくれ」
こんなことを言った。


うわわわわっ!ワシは男に狙われたのだ!


ワシはそんな気はないと丁寧にお断りした。
すると、ワシの尻を軽く撫でて、にやりとして去って行った。


ワシ、部屋に入るとベッドに座って、

「うむむむ・・、サンフランって、油断も隙もない危険な都市だわい・・・」

改めて、アメリカの状況がわかってきた。



すこし、サンフランを歩いてみようと、エレベータを降りて、ロビーに出た。

ロビーのソファに座っていた30くらいの一般の市民っぽい女が、近づいてきて、日本人なのかと聞いてきた。

そうだと答えると、日本は大好きだ。日本についてお話させてくださいという。

ソファで30分ほど、ヘタな英語でなんとかしゃべる。

しゃべると言っても、その当時のワシの語学力は、ただ単に単語を並べるだけ。

彼女は普通のオフイスレディで、美人ではないがスリムで感じがいい女だ。

打ち解けて話すようになって、彼女は本音を言い始めた。

「私は、実はここに来て、日本の男の方と付き合いたいと思って、時々ここにきて探していたところ、私はあなたを発見して、それで声をかけたのです」

「わかりました。アパートが見つかり、落ち着いたら貴方に電話を差し上げます。」


こうしてワシは彼女の電話番号を知って、別れた。

「必ず電話くださいね!待ってますから。あなたのこと好きだから、忘れないでね」

 


ワシはアパートと女はセットで考えていた。

女と同棲し、その女と日常、英会話することで英語をペラペラになってやろうと考えていたのだ。

 

ちょうどいいタイミングで、良さげな女が現れたのだ。

 

で、次回へ。

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳) その24 ひたすらサンフランシスコへ

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)

その24 ひたすらサンフランシスコへ


イエローストーン国立公園から90号線を、太平洋側、西海岸に向かってひたすら走る。

モンタナ州・ミズ―ラ、アイダホ州、ワシントン州・スポーカン、84号線をリッチランド、

この途中で、例のセント・ヘレナ火山の爆発に遭遇。

灰をかぶったままポートランドに。

しかし、記憶が曖昧なため、しかも、その当時の地図を喪失しているため、

もしかしたら、火山爆発しているセント・ヘレン山の北、12号線を走っていたのかもしれない。
こっちのルートの方がヘレン山に近いからだ。

ワシが35歳の時、もう34年前だ。
日記や記録をまったくしなかったので、本当に思い出せないし、記憶がかすれてしまっている。

大事な経験は、記録を残す必要があるな、後で後悔するが、その時は精神的にもマイッテいて、そんな余裕なぞなかった。

しかも、アメリカ一周したのが3カ月なのか4カ月なのかさえ、あいまいなのだ()。もっと短かかったのかもしれない。

アメリカ一周の後半、ワシはもう、定住地と決めたサンフランシスコに早く着きたくて仕方がなかった。

それで、バンバン飛ばして、西への横断ルートをひたすら走ったのだ。

この間、記憶にあるのは、行け度も行けども、針葉樹の森林地帯を走ったことしか覚えていない。森林も半端なく広大なものだった。

そんな時、セントヘレナ火山の爆発に遭ったのだ。

ウィキによると爆発したのは1980518日とある。

ワシが遭遇したのが、その日だったのか、その後の小爆発だったのかは定かではない。

ともかく518日ごろ、そこを走っていたのに違いない()

 

この記述はすでにこのブログに以前に書いてあるので、ここに、再録しておきます。

 

木曽の御岳山が爆発した。実はワシは、降灰の恐怖を味わったことがあるのだ。

http://ameblo.jp/nice2014/entry-11935353525.html

 

 
テーマ:アメリカ漫遊思い出話


木曽の御岳山が爆発した。実はワシは、降灰の恐怖を味わったことがあるのだ。


『セント・ヘレンズ山またはセントヘレンズ山 (Mount St. Helens) は、アメリカ合衆国ワシントン州スカマニア郡にある活火山で、

シアトルから南へ約154kmオレゴン州ポートランドから北東へ約85kmの地点に位置する。

セント・ヘレンズ山は、
1980518に大噴火を起こしたことで有名である。

200
軒の建物と47本の橋が消失し、57人の命が奪われた。
鉄道は24km、高速道路は300kmにわたって破壊された。

さらにセント・ヘレンズ山の山頂部分は大規模な
山体崩壊によって直径1.5kmにわたる蹄鉄型の火口が出現し、山の標高2,950mから2,550mに減少した。

この噴火は
ハザードマップをうまく活用して立入制限を行い、人的被害を小さなものにとどめることができた例としてよく知られている。』ウィキより。


ワシは1980年、35歳の時、ひどいうつ病から脱出しようと、単身、アメリカに行き,クルマを購入してアメリカ一周の放浪の旅に出た。

子供が二人いたにもかかわらず、切羽詰まったワシはこの病を克服するにはこれしかないとこれを敢行した。


ロスから時計逆周りでアメリカを一周し終わる寸前の1980年、5月、18日ワシは最終地のサンフランシスコに向かって、

国道5号線(もしかしたら12号線か、84号線か?)を南下していた時、セントへレンズ火山が大爆発を起こした。


国道を走っていた時、ラジオで,ボルケーノ、エクスプルジョン、火山が爆発したと盛んに報道していたのは耳にしていたが、

遠い火山だろうと思って、そのまま走行していた。

森の中のきれいな道路。

と、突然、雷の音がし出した。雷が鳴っているんだ。黒い雲が前方に見えた。霧が出て来た。雷と霧か。

と、思ったら、たちまちフロントガラスに細かい砂とモウモウとした灰が見え、たちまち、前方が全く見えなくなってしまった。

フリウエイでストップせざるを得なかった。それでもなんとか道路脇に移動。

真っ暗になった。ほとんど夜と同じだ。

しばらくすると、さっと明るくなって、100メーターほどが見えるようになった。四輪駆動のデカイクルマがいた。

ワシの方に向かってくる。ワシのそばに横づけて、窓をわずかに開けて、なにやら大声で怒鳴っている。

その頃のワシはほとんど英語ができなかった。
辛うじて、デインジヤなんとかと言っている。危ないと言っている。

ハリーアップ、急げとも言っている。その車はそのまま、急いで去って行った。

「火山が爆発して灰が大量に降ってきている。とにかく、その四輪駆動車が去った方向に逃げなくてはならない」

ということは、判断できた。わずかに見えている間が脱出のチャンスだ。
ワシはその方向に走った。

しかし、もう、周りがほとんど見えなくなってきた。

ワシは道路脇に小さなスペースがあることに気がつき、成るべく大きな木に囲まれた場所に止め、そのまま、そこでじっとしていた。

幸いに、灰は室内に入ることはなかった。また、どんどん暗くなっていき、真っ暗闇になった。

灰はどんどん積もっていく。

火山弾が飛んで来たら、もう終わりだと思った。

しかし、人間と言うのはこんな状態に落ちても、意外に、驚き恐怖はあるけど、本当に死ぬとはまったく思わないし、助かると思い、それほどパニックにはならないものだ。

ワシの場合は、ヘンな性分で、これは、面白い、こんな経験は初めてだと、恐怖とワクワク感がない混ぜになった妙な心理状態になっていた。

そんな時間が一時間くらい経ったころ、ワイパーも重さで作動せず、クルマのなかは室内灯で明るいが、外は闇夜になっていた。

と、突然、バーンン、バリバリバリーーー、バシバシ耳をつんざく強力な音が。

雷である。

そのあと、すぐに、ベチベチベチベチ・・・・・・と雨が降ってきた。灰交じりの黒い雨だ。

このあと、ワシはここに何時間閉じこもっていたのか、記憶がない。
酸欠でも起こしていたのか?
気がついたら、灰の隙間から太陽が差し込んでいる。

ワシは重いドアーをこじ開けて外に出た。
クルマには黒いドロドロのセメント状の灰がへばりついている。

周りは泥状の灰が15センチくらいベターッと平らに積もっている。

覚えていないが、何かタオルのようなもので、窓ガラスの灰の泥を拭き取った。

屋根に10センチほどへばりついている灰泥は走行に差し支えがなかったのでそのままつけたままにした。

問題はこんな泥道を走れるかだ。

アスファルトに積もった泥灰なので、意外や、ゆっくりと慎重に浅く積った部分を選んで行けば走れた。

来た道に引き返した。だんだん、灰の厚さが薄くなって行き、最後は通常通り走れた。

途中検問の四輪駆動車がいて、

「あんたは、ラジオ放送を聞かなかったのか?アンタはクレージか?」


「日本人で、英語ができない」と言ったら、

「あははは、運のいいやつだ。行けよ。いい旅を!」


ワシは、クルマを掃除するのが面倒で、屋根に灰をこびりつかせたまま、サンフランシスコに向かって走った。

乾いた灰がすこしずつ剥がれて、もうもうと煙を吐きながら走って行った。

信号待ちでは、他の車から、

「セントへレンズから来たのか、オレにその灰を記念にくれよ」

などと冗談を言う人がいて、ワシは面白くて仕方がなかった。


サンフランシスコのアメリカ人の、そのとき初めて会うF氏は、モウモウとけむりを上げて走ってきた車を見てびっくり。

「まさか、セントへレンズのアッシュをお土産に持ってきてくれるとはアキラは面白い。その灰は小分けにして売れるぜ。」と冗談を言ってワシを迎えてくれた。

冗談ではなくて、サンフランシスコのヒッピーたちが面白がって小ビンに入れたセントへレンズの灰を売っていたんだそうだ。

 

こうして、ワシは無事?最終地サンフランシスコに到達したのだ。

次回からは、定住地サンフランシスコでのアレコレをブログにしたためていこうと思っています。

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。その4、チラチラ作戦とは・・・・

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。

 

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週刊アサヒ芸能で7回7週に渡って(毎週火曜日・地方は水曜日発売)、「龍棲みの人妻」を連載して行きます。


このブログでも並行して彼女の摩訶不思議な名器ぶりと彼女の魅力をアップしていきます。

アサヒ芸能では書き切れなかった部分を補完し、さらに、なんと彼女とその旦那様の許可を得て、彼女の写真をもアップしていきます。

 

その4、チラチラ作戦とは・・・・

 

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センセ、御岳山が噴火したからか、お客さんがいませんねぇ


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チラチラ作戦しょうにも、人がいないと・・・


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まあ、こんな写真を撮って、待ちましょう。



チラチラ作戦とは昼間の明るい時でしかできない。
一応、部屋で予行練習をしてから、露天風呂に来た。

 

50代くらいのオッチャンが来た。


作戦開始だ。

このお遊びは、女がちゃんとタオルで隠しているという設定。

しかし、この体勢だと見えるのだ。

男が

「あれ?あのオンナ、タオルで隠しているつもりだろうが、見えるんだよね。知らないんだな、ヌケてるなぁ。しめしめ」

と思わせるところがミソなのだ
()

 

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まだ、気づかない


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こんな感じに見えてるのに・・・・


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こんな感じに・・・・


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見えているのに―――(笑)


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オッチャン、最初は気付かない。

途中で気付く。

そのあと、どうなったかは漫画でお楽しみを。

 

 



夜、食事処で食べていると、団体客の一人が、こちらをチラチラ見ている。
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気にはなったが、そのままやり過ごす。

これが、後になって、エライことになっているとは、思わなかった。

読み進むうちにわかります
()

 




食事が終わって、夜の混浴露天風呂へ。


あの、柔道、吉田秀彦似の男が、約束通り来ていた。

 

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この吉田クンに龍に会わせてみようとしたのだ。

対戦は
()

おっと、ここで笑っちゃ、いけない・・・・

それは次号に。

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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その23 イエローストーン国立公園

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その23


イエローストーン国立公園



イエローストーン。ここは本当に美しいところだ。
花が咲き乱れ、山岳ドライブが楽しい。天国みたいなところ。

ここは気に入った。

ただ、いつものことで、ワシひとり、感動して景色に見とれるのだが、この悦びを一緒に見て、分かち合う人がいない。

ワシだけが独占して観ている。一人で観るのはもったいない・・・そんな気持ち。


この公園は世界で一番古い国立公園だとか。

そのせいか、できるだけ自然のままに維持されてある

動物たちが多い。アメリカバッファローもいるし、鹿やグリズリーなどがいる。

鹿を見ただけだったが。

オオカミも昔はいた。乱獲で絶滅してしまい、1995年からカナダの方から狼を連れてきて、イエローストーンに再導入された。

ワシが行った時は1980年だから、狼はいなかったことになる。


ここの巨大な間欠泉は有名である。

ワシもここへ来たのはこの間欠泉を見たくて来たのだ。

吹き上げる様は壮観だ。
この間欠泉はオールド・フェイスフル・ガイザーと言って、65~92分間隔で噴き出し、高さが30~50mで1分半~5分間続く。

 


モーニング・グローリー・プール。

円形の温泉のプールをこう呼ぶ。

色鮮やかで、熱湯でも生きていられるバクテリアが円の縁の方にいて、その色が赤っぽくなったり、黄色になったりしている。

中央は高熱でさすがにバクテリアは生きていないので無色のブルーになっている。

 

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お花畑です

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こんなところをドライブ。最高です。

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吹き上げています。

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近くで撮るとこんなかんじ


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モーニング・グローリー・プール


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こんなふうに、助手席をはずして、後ろに積んで、寝袋を敷いて車中泊していました。


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 ワシも若かったなあ、今思うと夢のようだわい(笑)

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。 その3、ついに龍が出た!

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。


その3、ついに龍が出た!


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週刊アサヒ芸能で7回7週に渡って(毎週火曜日・地方は水曜日発売)、「龍棲みの人妻」を連載して行きます。


このブログでも並行して彼女の摩訶不思議な名器ぶりと彼女の魅力をアップしていきます。

アサヒ芸能では書き切れなかった部分を補完し、さらに、なんと彼女とその旦那様の許可を得て、彼女の写真をもアップしていきます。

 

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映子さん、もう我慢できず、上に乗ってきた。


詳しくは漫画の方で観ていただくとして、ついにワシ、龍と出会ってしまった!早くも、龍が出たのだ。

膣壁が動いて、竿にからみついて、もの凄い力で締め上げてくる。


今回は、イメージとして、龍の攻撃を漫画的に描いてあるが、この漫画を読んでいってもらえればわかりますが、

こんなふうにポコチンを締め上げてくるちゃんとした理由とアソコの構造が後に解き明かされるのだ。

間違いなく映子さんのアソコには龍が棲んでいる。

ワシもこんな体験は初めて。

あまりにも気持ち良すぎて、ワシ、暴発しそうになる。

と、その寸前、彼女は抜いてしまった。

彼女曰く、

「ダメ――ッ!いまイッちゃだめっ!夜にとっておいてほしいんです―――ツ」

というわけで、本格的な龍との対戦は、この夜になった。

明るい内に、混浴温泉に入りに行くことになる。


そこで、混浴でワシは「チラチラ作戦」なるエロチックなお遊びを彼女にしてみることにした。

いよいよ、来週から映子さんのヌードがバンバン出てきます。

お楽しみに。

今日はそのサワリのハダカだよ。

 

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ポコチンの感触は本当にこんな感じ。グングン締め上げてくる。




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龍に食いつかれた!!



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映子さん、ご登場。

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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その22 ナイアガラの滝と大規模農地

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その22

 

ニューヨーク州のエリー湖とオンタリオ湖の中間にあるバファロー市のチョイ上に「ナイアガラフォール」がある。


ナイアガラの滝は小学生のころから、南米最大の滝「イグアスの滝」と同様に見てみたかった滝である。

大きな川のあれだけの水量が、かなりの幅で一気に落ちて行く様は、ある種、水の恐ろしさを感じさせ、大きな音と共にしばらくはなにも考えずに、だだ圧倒されているだけだった。

それでも30分くらい経つと、やはりなぜかワシはここを去ったのだ。

あのグランドキャニオンの時と同じで、ここに一日留まろうとは思わなかった。

すこし、がっかりしたことがあった。

この壮大な滝のまわりは、開けたところで、大自然の中にある滝といった感じではなかったこと。

観光化されていて、都市の公園の中に壮大な滝があるといったふうにワシは感じた。

アマゾンの奥地にあるイグアスの滝とは様相がまったく違うのだ。都市の中のデッカイ滝なのである。



ここからは、次の目的地、イエローストーン公園まで、ただ、ひたすらに走る。

オハイオ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、サウスダコタ、モンタナ、そしてイエローストーンのあるワイオミング。

もう淡々と走る。走るだけ。

アメリカの平地、つまり、農地や果樹園を行けども行けども、果てしなく続く農業生産地。

アメリカの農地をグーグルマップで見てもらえればわかるが、農地の中を東西南北にきっちりと碁盤の目のように道路が走っている。

それも、完璧なまっすぐな道路なのだ。

小麦や米、ダイズ、トウモロコシ、ジャガイモ、その他野菜、果物。

本当に規模が違う!!!!、

大規模農園が何百キロも続く。

アンティチョーク畑が見渡す限りあるのも度肝抜かれた。

ワシが行った頃は、作物に散水するのは並行移動式灌漑だったが、最近では円形のセンターピボットと呼ばれる自走式の巨大な円形状散水装置が活躍している。

雨が降らないところは井戸水を使っているのだ。(数年前から井戸が枯れ、地盤沈下による耕地崩壊が問題となっている)。


ワシが通ったコースから外れるが、南の方、カンザス州とかメキシコ州あたり、グーグルマップ航空写真を見てもらえればわかるが、

無数の円形ピボットが果てしなく続いているのがわかる。円形の巨大農地だ。

リンクを貼って起きますので見てくださいね、カンザス州のピボット群。

 

実際に、アメリカで、大規模農業地を見ると、はっきり言って、あの、ナイアガラの滝を見た時より頭が爆発するよ。本当に規模が違う!!!


カリフォルニアの大規模果樹園でもワシ、タマゲタからね。


日本人はこの半端ない規模を知らなさすぎる。

アメリカグローバル資本企業は、儲かるとなるととんでもないデカイことをやりおるのだ。

 

日本の一般の人が、この、戦慄すべきアメリカの大規模農業を知ったら、

あのTPPに賛成するわけがない。

アメリカを舐めたらあかんぜよ!

 


同じように、アメリカの畜産業もとんでもなく規模が大きい。

カリフォルニアのサンフランシスコとロスの間、15号線の草原を走っていると、

その中間地点あたり、はるか遠くに、幅3~5キロほどに渡って、なにか黒々とした塊がモゾモゾとアメーバのように蠢いている。

よくよく見るとそれは、牛だった。

放牧している牛ではない。屠刹される牛が順番待ちをしているのだ。

大規模屠殺施設なのだ。

この時も、ワシは背筋が凍った。

そこに留まっていると、なにやら、かすかだが、その屠殺臭が漂ってくる。

ここで冷凍肉にされ、日本に輸出。

ワシらが牛丼屋、ステーキ店で食するのだ。

心、痛むが・・・人間ってどうしょうもないね。

ワシはトラウマのごとく、今でも、カリフォルニアのあの草原の光景を思い浮かべる。


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なんか元気がない。アメリカ一周もダレてきた。疲れた顔をしている。
 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その21 ③アメリカ走破の足跡をグーグルマップで再確認していると・・・・

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)・その21


③アメリカ走破の足跡をグーグルマップで再確認していると・・・・


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さらにフロリダ半島の桟橋付き集合邸宅地を子細に調べてみると、プール付きの豪邸が並ぶエリアと、

中くらいのエリア、なんとか手に入れたという感じの低価格エリアと、この桟橋付き住宅地でも格差がある。

それと、家は手に入れたものの船までの予算がない桟橋邸が、かなりある。桟橋に船が停泊していないのだ。

それに、気になったのが、この航空写真をいつ何時頃撮影したのか、なん曜日なのか、それがわからないから、判断ができないが、

湾内や川にあまり船が走っていないこと。これが気になる。

つまり、邸宅や船は購入したものの、船はほとんど使っていないということも考えられる。

これだけ邸宅があったら、船が走っている航跡があってもよさそうだが、見てもらえればわかるが、船はほとんど出ていない。

ワシは船を車替わりで船で買い物にいったり、釣りにいったり、船がもっとたくさん洋上を走っているものかとおもっていたが、予想に反して、航跡がほとんどないのだ。

船でマリーンスーパーに食料品など買い物に行く船もあるのかと想像していたんだが。
どうやら、船のほうが、ガソリンがかかるから、そんなことはしないのだろうと思われる。

 

低価格帯の桟橋邸はアメリカ庶民の夢を叶えるための「リーズナブルマリン邸宅」として売り出されたようなかんじがする。

そのエリアは家も小さく、船もあまり停泊していない。

ストリートビューで見ると家もちゃっちい。


そこで、ワシがアメリカに行った時の、アメリカ的な不動産屋の広告やテレビ宣伝などでわかることは、

「フロリダに別荘を!夢のフロリダ定住!」

これが、「どうやらアメリカ人の夢」らしい。

フロリダに家を持つだけで夢なのだから、
「フロリダに桟橋付きの邸宅」ならもっと豪華な夢の実現になるわけだ。

 

アメリカの大手不動産の戦略に、金持ちも、小金持ちの庶民も、シテヤラレタのだろう。

「人生の最大の幸せはフロリダにクルーザー桟橋邸宅、プール付き邸宅」

と広告、テレビ宣伝で洗脳され、そうだと思い込まされて、高額な桟橋プール邸宅を買わされた。

ワシはこれが真相だと思う。


まあ、本当の金持ちは当然、高額だなどとは思わずキャツシュで購入するから、そんな方々は勝手に購入していただくとして、

不動産の戦略に、見事に乗せれた購入者が、かなりいることが、このグーグルマップから読み取れる。

 

アメリカの大手企業の宣伝は半端ではない。

人の脳みそに夢を植え付けて行くところから、始める。
深く狡知でイヤラシイ。
敵対する相手にモロに値段攻勢をかけるのは普通。


「人生の楽園、フロリダでクルーザーを!桟橋付プール付き邸宅を!」

あの、「ぞうりむし桟橋邸宅」は、不動産屋に完全にシテヤラレタ可哀想な方々なのだ。

 

ワシの知り合いで、こ金持ちの夫婦がいる。

彼らは伊豆のとある山の上の別荘を購入した。
海のそば、空気もきれい、釣り三昧、ゴルフ場も近く、海の新鮮な魚が食べられる・・・


こんな夢を与えられて、購入したのだが、ほとんど別荘には行っていない。

住んでいる人にも聞いてみたのだが、不便で東京にいたほうが良かったという人がほとんどだ。

 

例えば、ワシがアメリカのフロリダにクルーザー付きプール付き桟橋邸宅を買って、そこに夫婦で住んだとしよう。

初めはなんとなく、豪邸に住んで虚栄心をくすぐらされ、クルーザーを操船して海に出たり、釣りをしたり、プールで泳いだりして楽しむと思う。

女房は手料理で豪華で美味しいものを作ってくれる。二人で豪邸での食卓を楽しむ。

 

数か月後、クルーザーにはほとんど乗らず、釣りをしても一カ月に数回、プールはまったく使わず、

ゴルフも以前より回数が増えたわけでもなく
(ちなみにワシ、ゴルフはしない)、妻の手料理も手抜きになって、

あれほど夢の邸宅での楽しい会話も普通の夫婦の会話に戻り、妻は、友達のいる東京の生活に戻りたいと言いだし、

以前いた東京の家での生活とまったく同じになっていた。――――なーんてことはこのマイアミ桟橋邸宅を購入しなくてもわかる。

ちなみにワシの親戚が昔、プール付きの家を購入したが、ほとんど使わず、水を抜き、テニスの壁打ち用になっている
()

 

例え、ニューヨークに住んでいたアメリカ人でも似たり寄ったりのことになるだろう。


まあ、死ぬまで毎日でも釣りをしたいとか、ゴルフをしたい、妻の手料理を食べたいとかおっしゃるムキには、それはしあわせなことでしょうけどね
()

 

まあ、言いたいことは、幸せって桟橋付き豪邸がしてくれるもんではないということ。


アメリカのグローバル企業に騙されないこと。

特に宣伝には気をつけること。

アメリカ企業が日本に入ってきて、我が物顔にバンバン日本がヤラレテいるのが生命保険業界ですよ。

テレビの宣伝を見たら、皆さん、お分かりでしょう。
アメリカ国内はすべてあんな感じなんだよ。

あれが、アメリカの企業なんです。なんとなく違いますよね日本とは。

あの感じで、アメリカ人はやられちゃっているわけなのだ。


よって、TPPは大いに曲者であることに気が付きましょう。

プロフィール

  成田アキラのツイッター
スケベ漫画家成田アキラでございます。 もともと子供向けの科学漫画を描いていたワシが、テレクラ(テレフォンクラブ)にハマり込み、会った女性との艶事を漫画に描いたら、これが大ヒット。根がスケベだったせいもありエッチ体験漫画を以来延々と描き続けることになった。 女と車と温泉、この三点セットでのめり込んでいく。女との体験を重ねるにつれ、必然的に性のテクニックも上達し、ハウツーセックスものも手がけていくことになる。 ご存知「V筋攻め」なる必殺技も編み出した。 1945年生まれの現在74歳。まだナニも現役のバリバリ(笑) ワシのことは当ブログで、すべて出ています。末永いお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
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人はエッチ大好き、スケベである。これを共通認識・基盤として、ワシは様々な情報発信、活動をしていきたい。これをもって、世界平和を実現できればとの夢を描いています。
日本スケベ党総裁 成田アキラ





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