成田アキラのオンナは女神さま

オトナ専用のブログです。 刺激的な表現もありますが、制限を加えておりません。 ★18才未満立入禁止(笑)

2015年01月

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その43 漫画の神様、手塚治虫のカバン持ちをした。 その1、サンフランシスコでの手塚さん。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その43


アメリカで漫画の神様、手塚治虫のカバン持ちをした。


①サンフランシスコでの手塚さん。


ワシが1980年、サンフランシスコにアパートを借り住んでいた時、手塚治虫さんが、

先生の大作アニメ「火の鳥」の売り込みにアメリカに1週間ほど滞在した。


ワシはその当時も今も手塚プロの社長である松谷
孝征と知り合いだ。

ワシが漫画サンデーに「フリフリダムダム」を連載中、彼は実業の日本社の社員で、一番きつい手塚担当だった。

後に手塚さんに引き抜かれて、社長となる。

松谷氏とは、その当時、ワシの担当の中村氏と漫画家の草原タカオ氏と4人で山梨の甲府のすぐ北の、湯村温泉と南アルプスの夜叉神の桃の木温泉に二泊の旅に出たことがある。

 

そんな松谷氏と、手塚さんのアメリカでの通訳のF氏のツテでワシは何かと手塚さんと接近させていただいた。


サンフランでは、手塚さん、それに仕事関係や取り巻きと食事をするだけでワシは光栄で嬉しかった。


手塚さんを訪ねて来た、有名アニメーターのフルカワタクさんや漫画家さんお二人をワシの車でサンフラン観光にお連れしたこともある。もちろん手塚さんの持ち出しで。


滞在後半はロスに行かれ、たぶん、ハリウッドの映画スタジオなどに手塚さんは行かれたのだと思う。
アニメ制作に情熱を抱いていらしたから。


日本の松谷氏から電話が来た。

「成田くん、暇だったら、手塚をロスからサンディェゴまでキミの車で乗せて行ってくれないか?」


「はぁ?あの手塚先生を?」


「手塚が車で行きたいと言っている。サンディゴで国際漫画フェッシバル
(コミコン)が開催される。

“火の鳥”の売り込みだ。

キミの車があれば、なにかと動き易い。3日ほど、カバン持ちやってくれないか」


「わかりました。その日にちに僕、ロスに行きます」


というわけで、一足先に飛行機で行っていた手塚さんが、ロスでの用事がすんだ頃会いに間に合うように、ワシはサンフランからロスに車を飛ばし、5時間ほどでロスに着いて待機した。


手塚さんの宿泊のホテルの前に行くと、手塚さんが来られ、ワシのボロ車に乗り込もうとされる。

「成田くん、よろしくお願いしますよ」

あの先生独特のニヤリとしたラブピースくちびるでおっしゃる。
手には大作「火の鳥」のフィルム2本を携えて。

ワシはそのフィルムと先生の大きなバッグを後席に置くと、

「あのー、先生、私のこんな車でホントにいいんですか?」


「ああ、いいですよ」

 

あの漫画の神様の手塚治虫さんが、ワシのボロ車の助手席にドッカとお座りになられた。

ワシは車をサンディゴに向けて走らせた。


ワシ、夢の中にいるかのよう。

 

(ほんまに、このとなりにいるオッサン、手塚治虫やろか??)

 

しばらく走ると、意外な事をおっしゃった・・・


次回へ続きます。

手塚さんのお人柄がよくわかる事件が次から次へと出てまいります。

お見逃しなきよう。

成田アキラの“実録”です。

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その42 アメリカでの車の話

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その42


アメリカでの車の話


アメリカでの車の話をいたしましょう。ご存知の通りアメリカは車社会、

どこへ行ってもあのバカでかいガソリンを食うアメ車がワンワン走っていた。

ワシがアメリカに行った1980年代は、まだガス大食いのデカイ車がかなり走っていた。

ちょうど日産サニーとかトヨタカローラの小型車が売れて、自動車貿易摩擦が生じているその前後だと思う。

ワシはアメリカに着いたらまずは車を購入する。

中古車を物色していて、よくわかったのは、日本車は故障をしないというアメリカ人たちの声だった。

驚いたのは中古市場で日本車がよく売れていたことだ。

あるアメリカ人が日本のサニーを購入した。
そのサニ―、5年落ちの車体でキズだらけの車だ。

なんでこんなボロ車を、と聞くと、アメ車に比べたらガスは食わないし、故障はしないし、修理費を考えたらかなり経済的だという。

われわれ日本人は故障しない車が普通なので、ワシはそんなことを言うアメリカ人を「ふ~~ん」と鼻で笑った。

ワシはせっかくアメリカに来たんだから、日本車に乗る気はなかった。

いろいろ検討した結果、フォードのピントにした。
2年落ちで外観もきれいなホワイトで形も気に入ったからだ。

46万円だった。


売買は簡単だ。フォードピントの持ち主に会い、金を払って、黄色のオ―ナ―カ―ド(車の所有カード)を貰い、車を受け取るだけ。

アメリカには車検制度はない。

もちろん、売る時も簡単だ。
書類の類を一切書かなくていい。10分で売買成立()

ちなみに免許証も自分の車を試験場に持ち込んで、教官と試験場を1周すればたった1時間でもらえる。国際免許は持っていたが、保険申請の時アメリカの免許が必要だった。

それもうる覚えだが2800円しか、かからなかった。


さあ、アメリカ1周だ。快調に飛ばす。ある日、砂漠の真ん中、道路脇で地図を見ていたら、デッカイコンボイトラックが急停車。

コンボイのオッサンが降りてこっちに向かってくる。
ワシはなんの用事だろうと怪訝な思い。

大きな声で

「ヘイ、ホワッツトラブル?」


ああ、故障車だと思ったんだ。
近づいてきてワシの顔を見て、

「ホワッツ?ユー、ノットガール、ハハハハ・・・・」

と笑ってすぐに去って行った。

あとで知ったのだが、このフォードピントは女性に人気のほとんど女性専用の車だったのだ。

彼は女だと思っていたのだ()




2年落ちの程度のいい車だったので、アメリカ1周をしている時は、故障は1回もなかった。

サンフランに住みついてから高速を走っていて、突如ボンネットの脇から下から白い煙が爆発したかのように噴き出した。

慌てて止めて、ボンネットを開けると、なんと、エンジンからラジエータに繋がるパイプが破裂して大きな穴が開いていた。

レッカー車で引いてもらい修理してもらった。

次にきた故障が、エンジンからの異音だ。エンジン内部のトラブルだった。

次にきた一番怖い故障がガソリン漏れだ。

ワシはカナダのバンフまでスキ―をするために行った。
車で3日ほどかかる。

カナダで不凍液を入れてもらいに車の修理工場に行った。

すると、スタッフがアンタこんな状態でアメリカから来たんかい?

と、ワシの顔を覗きこみながら言う。

ちょっとエンジンをかけるから、ここのパイプの部分を見てくれ。

見ると、なんとフューエルポンプから来る金属のパイプに小さな穴が開いていて、そこから高さ3センチほどガソリンの噴水が見えたのだ。

ここカナダに来るまでの間、3日間、ずーっとガソリンが漏れていたのだ。いや、もっと前からかもしれない。

そう言われて気が付いたのが、僅かにガソリンくさいなと感じていたことだった(ピントは電子噴射式だが、この時代のエンジンは霧吹き式キャブレター仕様が多かった。なのでどの車もある程度はガソリン臭かった)

さらに気が付いたのは、この時、ワシはかなりきつい風邪の症状をきたしていたのだ。頭痛もするし。

これが、絶えずガソリンを吸っていたことが原因だと、この時、分かったのだ。

日本人の彼女と二人で行ったのだが、彼女は平気だった。
ガソリンの流れがワシの方に来ていたのだと思う。

走行している時は漏れたガソリンは拡散されて、希薄になっているが、

もし、アイドリング中にガソリンンが充満してそこに火がついていたら、おそらく爆発していただろうとここのスタッフが言う。

「アンタは煙草を吸わないのか?そりゃよかった。ライタ―点けていたらアンタは死んでいたね。運がいい男だよアハハハハ・・」


まったく、冗談じゃないよな。アメ車さんよぉ~~~。


ワシはこのガソリン風邪のためカナダのホテルで2日間寝込んだ。

3日後に何とか回復して、バンフの広大なスキ―場で思いっ切りスキ―を楽しんだ。

彼女は見ているだけだった。


思えば、雪道をノーマルタイヤに駆動輪にワイヤチェーンをつけただけで走ったっけ。

直径5ミリほどのワイヤで掻いて進まなければならず、後輪をブンブン高速回転させ、滑らせながら走る。

カーブでは車体はまっすぐ向かず、斜めに走った。

ほんとムチャしたもんだよ()

彼女本当に怖がっていた。

 

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カナダに行く途中、バンクーバーに寄った。

まだ、体調は悪くなかった。


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トーテムポール


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雪道を走るフォードピント。

向うに野性の動物が見える。


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バンフ・サンシャインスキ―場

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まあ、恰好だけは様になっている。


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広大なスキ―エリア。素晴らしい!


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ハシャグ若かりし頃の、後のスケベ大王(笑)



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 な、なんじゃ、この髪型は(大笑)

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その41 成田アキラのヒーリングスパ

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その41


成田アキラのヒーリングスパ


サンフランシスコの夜のお遊びで面白いと思ったのは、その施設の名前は忘れてしまったが、スパの一種になるだろう。

ヒーリングスパと一応呼んでおこう。

建物の屋上が板張りのフローリングになっていて、その中心に木のデッカイ桶のようなウッディバスタブがある。

湯が張ってあって、そこに湯客は入る。
桶を背にして、丸く円陣になって入る。

せいぜい10人ほどのスペースだ。

湯客は男も女も水着着用だ。

カリフォルニアの天気はいつも晴れているから、星が眺められる。外の空気も入ってくる。適当に木を配してある。

みんな静かに瞑想する。

あるいは瞑想に適したヒーリング音楽が流れる。

そんな癒しの空間。

なんだ、ただの混浴スパじゃないか?
ここまでの話ではそうなる()

なにも、夜のお遊びらしきものがない。

ここから先がこのスパのユニークなところなのだ。

この板張りの広いスぺ―スにバスタブを中心とした放射線状にやはり木で作った小さなロッジが10棟ある。

中はベッドが中心だが、シャワールームもあり、飲み物などもある。

これでお分かりだろう。

ここに集まる湯客は、気に入った人と、意気投合すればこのミニロッジに入る。

当然セックスをする。

初めからロッジをキープしておいて、気に入った人を入れ換わり立ち替わり誘い、セックスすることもできる。

お風呂と出会いパブとラブホテルをミックスにしたような設備なのだ。


さて、ここまではこの施設の面白さだが、この先の話はここサンフランならではのユニークな運営方法。

週の内、日にちによって、客層を違えている。

たとえば

月曜日はノーマルな客。

火曜日はゲイオール。

水曜日はレズ。

木曜日はヤングゲイ。

金曜日はオールドゲイ。

日曜日はファミリー。

こんな具合だ。

ここまで述べてきて、それでは成田はどの日のバスタブに入ったのかと問われれば、

実は申し訳ないけど、ワシはこのヒーリングスパには一度も足を運んでいない。

新聞や雑誌の広告を見て話しているのだ。

前にも言ったように、この年から、例のエイズがアメリカで流行り出した。

F氏の厳重な忠告もあり、男女共、不特定な者とのセックスは危険だと。

なので、その病気さえなかったら、ワシのことだ、入り浸っていただろう。

しかし、エイズの危険性が無くなった(死の病気では無くなった)現代では、こんなアダルトスパがあってもいいかなと最近では思っている。


「成田アキラのヒーリングスパ」なんて開湯してみたいなぁ。

女性はタダだ。
それどころか簡単な食事や飲み物を無料で提供。

「婚活ヒーリングスパ」なんてのを、日にちに組み込むのも面白いかも()

お風呂、裸のお見合い、婚前セックスのパッケージ()

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、 その40、アメリカ人はホームパーティ好き

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、

その40、アメリカ人はホームパーティ好き




サンフランの夜の街を散策した。

ネオン街があるでもなく、日本のような呑み屋街があるわけでもない。

もちろんフーゾクもない。

キリスト教国だからか夜は9時になると誰もいなくなり、みんな家庭に帰っていく。

まったく、つまらん街だ。
総じてアメリカはつまらんん!

日本だったら居酒屋でみんなワイワイ酒を飲み深夜まで飲み明かす。

新橋のガ―ド下なんて最高!博多の屋台も最高!


今、ふと思ったんだが、日本人はその当時、一億総中流意識でとりあえず、みんな飲み食いの金はあって、次の給料日まではほとんど消費していた。

何か大きい物を購入するときはローンを使っていた。

ともかく、宵越しの金は持たねえと言わんばかりに金を使っていた。

その大盛な消費がその頃の経済をグングン成長路線に押し上げていたんだと今になってわかる。

1980年代、日本の経済システムは世界最強の経済エンジンだったのだ。

それを、橋龍、小泉、ケケ中は壊しやがった。

ひどい奴らだ。

消費は経済成長の機関車なのだ。

国においての消費は節約するものではないものなのだ。

家計と国計をごっちゃにするからおかしくなるのだ。

消費税は絶対に上げてはならない!



ではアメリカ人はどこで親しい人や飲み友達と飲んでいるのだろうか。

実は彼らはホームパーティをよくやる。
ワシもいろんな人から誘われて飲み会に行った。

食い物や酒はみんなが持ち寄る。
楽器を弾ける人は楽器を持ちこんで、すぐに即席バンドが出来、ワイワイと宴が始まる。

実に経済的で女も安心して楽しめる。
ちなみにアメリカでは女が夜8時以降にひとりで歩いていると危険だ。

暗いところをひとりで歩く女はかっさらって犯してもいいことになっている――というのは冗談だが、そう言う事件は引きも切らない。


なんせピストルを持った人が大勢いるので怖いったらありゃしない()


そんな、ワシがつまらんつまらんと言っているサンフランの夜の中で、素晴らしい夜を提供している唯一の場所があった。


それについては、次回。


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オカマになったワシ(笑)


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小さなパーティはよくやった

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アングラ漫画家たちのパーティ。
後ろの背の高い方がレオナルド氏。



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有名な漫画家たちもいらっしゃるのだが、ワシ。
英語ができなくて、だれがだれだか・・・


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中央ギターがF氏


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みんな漫画家


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 サンフランではよく音楽フェッシバルが

開催される。なんとなく、モアモア、フアフア

人が集まってくる。 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その39 ②ゲイの誘いに乗ってみた

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その39

②ゲイの誘いに乗ってみた



夜のゲイパブでイタリア系ハンサム男に誘われ、彼のアパートに行く。

ソファで彼、ワシに寄りかかってきた。
興奮してハアハアいっている。

ワシはと言えば、好奇心が満たされるといったくらいでさほど興奮しなかった。

彼、抱きついてくる。キスを求める。

この男ならワシ嫌じゃない。キスを受け入れた。

唾液がタラタラこぼれる。
飲み込むのが嫌で、離れて、ティッシュで拭き取った。

彼、不満そう。

そのうちワシのペニスをズボンの上から握ってきた。
不覚にも
()ワシのペニス、起った。

彼の目が光る。彼、立ち上がり、服を脱ぎ始め、パンツひとつに。

ワシにも脱ぐように催促する。

ワシ、パンツ一丁になる。ベッドに誘われる。
ハグをする。

そのままでいると、

「カム、カム!」。

と言われても、ワシ、彼を攻める気はまったくない。
ケツを掘る気もない
()

むしろ、ワシの立ち位置は「受け」だ。
ワシはおっぱいが感じる、なのでウケなのだ。

といって、彼からしてもらおうとはまったく思っていなかった。


彼は、後ろを向き、黙り込んでいる。
時間が経つ。


明らかに興奮が冷めた真面目な顔をして

「私は眠たくなった、悪いが、寝させてくれ」


「では、期待に添えなくてごめんなさい。また、どこかで会いましょう」

と言って、ワシは服を急いで来て、イタリア系ゲイさんの家を出た。

時刻は夜中の2時頃。

彼は車で送ってはくれず、ワシはサンフランのきれいに整理された街を、勘を頼りに我がアパートまで歩くことになった。

タクシーが走っているわけでもなく、携帯も当時なく、歩くしかなかった。

ひとり寂しくとぼとぼと歩く。
なんでこんな深夜、ワシ、こんなところを歩いてンや?などと思いながら、

まあ、いい勉強になったわなと自己フォロ―しながら、なんとか帰り着いた。

1時間ほどかかった。

その後、ゲイパブにはまったく行かなかった。

その理由は、当時、あの正体不明のエイズが流行りつつあったからだ。

特になぜかゲイにそれが多かった。

F氏の厳重な忠告に従ったのだ。
そうでなければ、もしかしたら、その手の経験をして、エイズにかかっていたかもしれない。

家にたどり着いて、口をゆすぎ、歯ブラシでゴシゴシ磨いた
()


後に、日本から来た確か名が知られた女性カメラマンと、彼女の取材だったか忘れたが、レズパブにママの許可のもと、入った事がある。

ここも異次元だ。女同士が抱き合い、キスをしている。

まあ、誰にも憚ることなく同姓であれ、公然と好きな相手を求める。このような環境は、イイ事なんでしょう


ワシの現在の、ゲイへの見解は、人間だれしも男の要素と女の要素を持っているということ。

男であれば、男の中に確実に女が棲んでいる。

女であれば、女の中に確実に男が棲んでいる。

実は、肉体的にも、男の中に女の性感がある。
女の中にも男の性感がある。

男がゲイになるのは、女としての心と肉体的快感を知った、あるいは開発した、たったそれだけの差でしかない。

もともと、男と女の性差はないからだ。

ノーマルだと思っている貴方が、ゲイになるのは簡単だ。   

貴方がアナル快感を知ったら、即、ゲイになる。
前立腺快感はそのまま、女が感じる性感と同じだからだ。


さて、そこから先だ。

それでも、男として女を攻め、愛したほうがトータルの快感として、こっちがいいと言う男性は、男として生きる。


いや、掘られて感じる、心も性的に愛されたいと言う男性は、ゲイとして生きる。

そんな、ややこしい世界には足を踏み入れたくない男性は、初めから、今のままでいるのが無難でいいかもしれないね。

江戸時代は、ゲイは普通のことだったしね。

昔、鹿児島で会った80代の明治のオンナ、女将が言っていた、「昔の武将は女とまぐあうのは汚らわしいと言ってな、男としていたんだよ」

まあ、お互い愛があるのならどっちでもいいと思うよ。

詳しくは、ワシの漫画快楽大全に出ていますので、よろしければ読んでください。

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その38 ② ゲイの誘いに乗ってみた。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その38

 
①ゲイの誘いに乗ってみた。


サンフランシスコに落ち着いて、もう、この観光都市がワシの目には観光には映らなくなって、

表面的な観光ではなく、人間観光、裏道観光、夜の観光、こんなことにワシの好奇心は向かった。

表面的な観光、つまり、ビクトリア調のレトロな建物、坂の多い街、ケーブルカー、名所旧跡、魚市場とフイッシャマンズワーフ、レストランなどなど、

これらをいったん見てしまうと、ワシの当時の印象だと、

「なんだ、こんなもんかサンフランシスコは」

という感じだった。

特にワシは車があるので、アッと言う間に観光スポットは制覇していた()

 


しかし、ある街に行った時、この街がただならぬ街だと知った事がある。

その街とは、ほとんどサンフランの中心部に当たる所にキャストロストリートという地域がある。

カフェやレストラン、公園、通り、なんか違う風景なのだ。

ジーンズの後ポケットにレインボウハンカチ(虹色のハンカチはゲイのしるし)を垂らしヒラヒラさせた、男と男が手を繋ぎ、抱き合って歩き、

カフェやレストランでは男女のそれと全く同じ熱い目線のゲイカップルが向き合っている。

これには、ワシ、軽いどころか完全に強力なショックを受けたね。

「な、なんじゃあああ・・・ここはぁ~~~?!」って感じ。


サンフランシスコのゲイ・レズ・バイ(GLB)の人口は9万4000人である。

総人口がサンフランは80万人だから12%がGLBの比率になる。

9人に1人がGLBなのだ。

ワシがいた当時は7万人だと聞いていた。

サンフラン市長はゲイだった。ゲイ票は偉大なのだ()

ちなみに全米主要都市のGLB人口比率ランキングは

1. サンフランシスコ15.4%)

2. シアトル12.9%)

3. アトランタ12.8%)

4. ミネアポリス12.5%)

5. ボストン12.3%)

6. サクラメント9.8%)

7. ポートランド8.8%)

8. デンバー8.2%)

9. ワシントンD.C.8.1%)

10. オーランド7.7%)

ダントツにサンフランが多いのだ。


ちなみにゲイが進出してくると、ショップの経営者もゲイだから、センスもよく、街がきれいになり、客が入る。

よってその地域の土地の価値が上がり、もともと、そこに住んでいた貧乏な人が家賃を払えなくなって追い立てられるのだとか。

 

 

今、ワシは成田アキラのブログをやっているが、こんなブログをやるとは思ってもいなかったので、

その当時、取材意識もなく、写真も僅かしか撮っていないし、今、思えば残念で仕方がない。


本当に、キャストロストリートはワシから見たら異次元の街だった。


その当時、ゲイ、レズ、バイなどの知識も乏しく、好奇心だけはいっぱいだった。


夜、この街のパブに行ってみた。

面白いのは、レズのパブもあるのだ。
男性入店禁止のパブだ。

どのパブもゲイで入口まで溢れている。
勇気を出して()ワシ、入ってみた。

すぐに黒人のゲイがワシの前に来て

Can we talk?


ワシは日本から来た。こういうところは初めてだ。とか何とか、片言の英語で間を繋いだ。


そうこうするうちに、

「ユー、キュート!」と言いながら抱きついてきた。

と同時にワシの尻をわし掴みにする。

ほっぺにキス、口にキスされそうになった、それはワシ反射的に避けた。

「ユーノットライクミー?」

「ノ―、ノ―、アイ、ファーストタイム、ヒア、アイ、アメージング、ナウ。」

などと言ったと思う。

すぐにその男、他の男のところに行った。
ここはいわゆる発展場。今夜のお相手を、みんな探しているのだ。


すぐに他の黒人がやってきて、誘ってくる。ワシは要領を得て、

「ソーリー、ノ―サンキュー」とはっきりと意思表示できるようになった。

なぜか黒人には日本人はモテる。太った白人も来た。もちろんノ―だ。


彼らはセックス目的で口説いて来るのだ。なんかヘンな感じだ。女の立場というか、女がどういう存在かということがわかる(笑)。

イタリア系だろうか、小柄だが顔立ちがいい男が来た。
この男は悪くはない。

好奇心の旺盛なワシは、この男となんかやらかしてみようと思った。

誘いに乗った。

彼の車で、彼の家に行くことになった。
年齢は30歳くらい。

酒を飲んでいてもアメリカは緩いのか、みんな平気で運転をする。

サンフランから南の、ちょうどワシがハングライダーをしていた、あのフライトエリアに近いところに彼のアパートがあった。

一軒家を二つに仕切ったアパートだった。

彼の部屋に入った。
幅の広いソファに並んで座る。

コーヒーを入れてくれる。

こういう未知の接触なので、ワシはドキドキ興奮するんじゃないかと思っていたが、意外と冷静だった。

あきらかに彼は興奮している。彼がワシに寄りかかってきた。


続きは次回。

 

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典型的な仲良しゲイカップル


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サンフラン名物、ゲイパレード。世界中からゲイが集まってくる。


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 ゲイ、レズのバイク仲間。

パレードの最後にプラカードを掲げたお年寄りの400人くらいの集団が歩く。この時ギャラリーの歓声が割われるような一段と激しい拍手で迎えられる。


何だろうと思ったら、プラカードの文句が「私たちはゲイの親です」と書いてある。
いや、なんと言ったらいいのか、言葉が出ない。感動はするが、こんな感動は異質だから、なんとも言えない気持ちでいた(笑)。

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。その7、映子さんのたっての願いとは? ワシ、びっくり!

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。

 


週刊アサヒ芸能で7回7週に渡って(毎週火曜日・地方は水曜日発売)、「龍棲みの人妻」を連載して行きます。


このブログでも並行して彼女の摩訶不思議な名器ぶりと彼女の魅力をアップしていきます。

アサヒ芸能では書き切れなかった部分を補完し、さらに、なんと彼女とその旦那様の許可を得て、彼女の写真をもアップしていきます。

 


その7、映子さんのたっての願いとは? ワシ、びっくり!

 


ワシは女が悦ぶことなら、大抵のことは受け入れられる性格だ。


な、なんと、コーモンに指を入れて、前立腺攻めをしたいというのだ。

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彼女の性格もワシに似たところがあって、自分の行為で、男が感じると、その姿を見ることで興奮し、快感が生じるのだと言う。

 

まあ、ほとんどの男は前立腺を微妙な指使いで攻められると気持ち良くなって、上手な女にかかれば、射精までいかされる。


事が事だけに、ワシとんでもない恰好にさせられ、彼女の異常な興奮ぶりで攻められた。


このあたりのエゲツなさ
()は、ワシもハズカシイ・・・、ブログでアップはキビシイ・・かな。
アサヒ芸能の漫画で見ていただける方がいいかも。

 

そして、昨夜ワシらが交わっていたとき、隣から「ドン!」「イテッ」と聞えてきた訳がわかった。

その、いきさつは漫画を見ていただくとして、
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つまりは、ワシの正体を知った団体客のみんなが隣で聞き耳を立てていたのだ。

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チェックアウトをして、帰る車の中で、

「先生、もう一回、お尻攻めさせてほしいの」

ワシは快諾
()

途中の川沿いの空き地に停め、車の中、彼女の絶妙なアナル前立腺攻めで、ワシは轟沈した。

メチャ気持ち良かった。この方面でも彼女は達人の域にある。

 


映子さんのご主人から、奥さんのアソコの鑑定を仰せつかっていたので、きちんとした名器鑑定書をお作り致しました。


実際にお渡しする鑑定書には、ご本人の本名を記載させていただきます。


それに、手描きのワシの顔とサインを入れます。


合わせて、ワシのサイン入り単行本をお送り致します。

 

 映子さんの鑑定書だ

 
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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その37 ②オリビア・ハッセーさんとワシ、2人で街を歩く。

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その37


②オリビア・ハッセーさんとワシ、2人で街を歩く。


バイト2日目。

布施明さんがロケ撮影している間、ハッセーさんが買い物をしたいと言うので、サンフランの街を30分ほどお伴した。

ハッセーさんは35歳くらいだったと思うが、たいへんな美人である。

その時の姿は紺のTシャツに短めの白のカーディガン、ジーンズだ。

顔はスッピンだ。
スッピンでもきれいだ。

その世界的な美人スターと短い時間だが、ワシと一緒に街を歩く。

ワシは舞いあがり、街ゆく人は彼女に気付き、その連れのワシに視線が来るだろう。

そう思って二人で歩いたが。誰もハッセーだとは気がつかない。
僅かに二人ほどちらと彼女に目がいったくらいで通り過ぎていく。

ワシひとりでそう言う妄想をしていただけで、よくよく考えてみたら、どんなに美人であっても、

派手な格好していれば別だけれど、彼女のように逆に目立たない格好をすれば、まず、人は気付かないのが普通だ。

しかし、ワシの心の中では、

「あのオリビア・ハッセーとサンフランを歩いた」

というだけで幸せだし、突出した思い出として残っている。


布施さんのロケ撮影が終わり、ハッセーさんとお二人を宿泊ホテルに、ワシの豪華バカデカアメ車レンタカーでお送りする。

車の中では、もう忘れたが、いろんな話をさせてもらった。

結婚ほやほやのハッセーさんはウオークマンでなにか音楽を聞いていることが多かった。

布施さんは、メチャハンサムで気持ちも優しく、ワシみたいな男にも気さくに話しかけてくれて、いつも恥ずかしそうにお話するのが印象的で、ワシはそんな布施さんが好きだ。


車は、サンフランの中心部に入った。

と、豪華デカアメ車、ボンネットから、突然、白い煙を吐き出した。

ま、まずい!もしかしたら、火を吹くかもしれない。

「布施さん、危険なので、外に出てください、燃え上がるかもしれない!」


「大丈夫でしょう、オーバーヒートで煙が出ているんでしょう」


さすが、スター、悠然としておられる。


そうか、この夏の暑さでオーバーヒートしたんだ。アメ車はダメだねぇ~、なんて言いながら、煙を吐きながら、走る。

ところが、もうすぐ5分ほどでホテルに着くという段になって、

煙どころか、モウモウと恐ろしい勢いでどす黒い煙が噴き出してきた。

この時点でこの黒い煙の様子から、単なるオーバーヒートではなく、明らかにオイルが漏れて、

それがもうすぐ発火点に達するところだと、遅ればせながらカ―基地のワシでも察知した。

今度は、明らかに命にかかわる。


「布施さん!すぐに外に出てください!火が出ます」


「わ、わかった。出よう」


布施さんら二人、外に出る。


ワシ、エンジンを止めて、ボンネットを開け、エンジンを冷やす。

煙はモウモウと湧き上がっているが、ワシは用心して、お二人を車から離れるように言った。

エンジンを止めてフアンがストップした時が一番、エンジンが熱くなり火を吹くかもしれないからだ。

こんなに、もうもうと煙が上がっているのに、道行く人は関心なさそうに歩いている。

さすがアメリカ。

こういうことは珍しい風景ではないのだ。


布施さんはここからタクシーで帰るから、大丈夫だと言って帰って行った。

 


ワシは、最寄りの電話ボックスから(この頃は携帯がなかった)レンタカー会社に電話。

場所はどこかと言うので通り名と、近くの建物の看板名を言ったら、

「オーケー、アンタは帰ってもいい」

このままエンジンキーをつけて帰ってくれと、追って電話するからと。


たったこれだけのことらしい。

ワシは、煙履く車をほったらかしにして帰った。

 


この当時のアメ車は、故障するのが当たり前。

ワシの車、フォード・ピントも酷い故障に見舞われた。

詳しくはその当時の事情と共に、後に書くが、

二つあって、ひとつはラジエータへの大きなパイプが破裂した。

もう、白い水蒸気がモノスゴイ勢いで噴出した。

もうひとつは、なんと、キャブレターにガソリンを供給するフューエルポンプからの、金属のパイプに小さな穴が開いていて、

走っている間中、そこから噴水のごとく噴出していたのだ。
信じられんよホンマ(笑)

これなんか、完全に、気づかなかったら、本物の爆発を起こして、命に関わる事件だった。

アメ車は人気がなく、日本車に信頼の目がいっていたのは、

体験を通してよ~~~~くわかった()

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その36 布施明さんとオリビア・ハッセーさんと会う


アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その36


サントリーのCM撮影で布施明さんとオリビア・ハッセーさんと会う


F氏の紹介で、サントリーのCM撮影のアルバイトをすることになった。

撮影場所は、サンフランシスコの名所旧跡や老舗高級ホテル。
2日だけのアルバイト。


ワシは布施明さんとオリビア・ハッセーさんの運転手をした。

まずレンタカーを借りに行くことから始まる。
なるべく高級感のあるでかいアメ車をレントする。

お二人が泊まっているホテルに出向き、うやうやしくドアを開け、お二人をお車にご乗車させる。

という手筈だったのだが、

お二人はレストランで軽いお食事中。

この日の撮影は、老舗高級ホテルのレストランラウンジで沈みゆく夕日を背景に「美しい手の女性から」注がれたサントリ―のウイスキーを布施明さんが飲むと言うシーン。

そのラウンジではカメラマン、照明、スタッフ、ディレクター達10人ほどがスタンバイ。

ワシは、夕日が最高の時刻の30分前に、彼らお二人さんをお連れしなければならない。

「布施さん、もう時間が迫っています。お食事を済ませて、車の方へ来てください」


しかし、あわてるそぶりもなく、ゆっくりとお食べになっている。


ワシ、焦る。

「今度の撮影は、夕日のシーンです。日が落ちたらオジャンです。お急ぎください」


やっと、腰を上げてくださって、ワシの車に乗車。


サンフランの丘の上にある由緒ある高級ホテル。
ワシはそこに向かって行った。

ところが方向は合っているが、本来行くべき道をわずか一列ずれて、隣の道を走ってしまった。


しばらくするとトンネルを入っていく。
出ると、ワシがまったく通ったことがない街に出た。

ワシ、ツツーと超焦りの汗が。
もうすぐ、夕日の撮影タイミングが来る。

ここでパニックになって、右や左に行くのは、かえって迷宮に入り込む。

とにかく、よく知っているメインストリートに遠回りしてもいいから行くことだと判断。

見覚えのある大きな道路に出て、布施さんが泊まっているホテルにいったん戻り、そこから、再び今度は間違えないように、慎重に道を見ながら、その高級ホテルに向かって行った。

布施さん、「あれ?私らの泊まっているホテルじゃないの?」


ワシ、スットボケて「あれ?そうですかぁ」

 

ともかく、老舗高級ホテルに着いた。
ワシ、お二人を後ろから急かせるように、エレベーターにお乗せした。


撮影現場に着くと、超焦ったディレクターが苦虫をつぶしたような顔で、布施さんの前では言えないので、ワシに「遅いじゃないかっ!!!」と顔の表情がそう送ってきた。

 

まさに、日が沈むところ。
リハーサルなしでぶっつけ本番。

撮影はいいも悪いも、日が落ちるたった一回のチャンス。

手だけしか映らない美女が布施さんのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。

こうしてなんとか撮影は無事終了した。

手だけしか映らない美女は、スタッフが前日、サンフランの中心部にある「デパート・メイシーの化粧品売り場」で、手の綺麗な女性を探して、彼女をスカウトしたんだと。


ワシは、他の撮影のとき、その手タレさんとすこし話をした。

「メイシーデパートにいるんだって?会いに行ってもいい?」

「オーケー、ウエルカムよ」


「本当にいいの?」

「シュア」


バイトが終わった次の日、ワシはチョコレートを買って、メイシーデパートの化粧品売り場に行った。

手タレ美女は確かにいた。

「やあ、こんにちは」

I  recognize you when shooting


ワシはこの頃、さっぱり英語ができなかった。

recognize
は認める。

shooting
銃を撃つ。

なので、
「私は貴方を認めます。銃で撃つ時」なんのことやら?


「撮影の時会ったわね、私、貴方を覚えているわ」が正解なのだが
()

 

たどたどしい英語で「今日の夕方、貴方とお茶を飲みたいが如何ですか?」


「ごめんなさい。私は、その時間がありません」


まったく、彼女の心がこっちに来ていないことがわかり、バッグに忍ばせたチョコはそのままにして、

「ワシはシ-ユ-アゲイン」と小さな声で言って、その場を去った。

 



さて、布施明夫妻の二日目の運転手バイト。

この日はもう忘れたがどこか名所だったような気がするが、そんなことはどうでもよく、

布施さん単独で撮影中、ワシは、あのオリビア・ハッセーさんと街を二人で歩く機会に恵まれたのだ。

あの有名な映画「ロメオとジュリエット」のあの絶世の美女と!

 

これについては次回。

 

 

 昨日は、アサヒ芸能のワシの漫画、成田アキラの性感マン遊・女体の旅GTRの連載400回記念として、ワシがAV女優とグラビア撮影、400回の号(2月10日発売)でカラーグラビアに載ることになった。女優さんは今売れっ子の美巨乳の秋野千尋さんだ。お椀型の完ぺきな巨乳美人、ワシ、終始目尻が下がりっ放しで温泉湯船で絡んだぞ。

 

 

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その35 アメリカで描いた漫画とTシャツ用イラスト

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その35


アメリカで描いた漫画とTシャツ用イラスト



ワシはアメリカ滞在中、漫画を2ページとイラストを4枚描いている。

漫画2ページはちゃんとギャラをもらった。イラスト4枚は渡しっぱなしでもらっていない。


漫画のほうは、アメリカのコミック会社から、農薬の害についてのデータと原案があるから、それを2ページにまとめてくれという注文。

公害についての漫画は日本で劇画にしたことがあるので、絵のほうはさほど難しくなかった。
(実は劇画も描いた事がある)

問題はワシが描いたフキダシを英語にする作業だ。これはF氏に手伝ってもらった。おかげで、ネイティブなわかりやすいネームが出来上がった。

 

もうひとつのイラストの方は、あのハンググライダースクールから、

「キミは漫画家だと言っていたね。ハンググライダーをモチーフにしたTシャツを考えているんだ。原画を描いてくれないか」

というオファーが来た。

4枚描いて渡したのだが、そのこと自体をすっかり忘れていて、実はTシャツになったのか、ならなかったのか、いまでもわからない。

まあ、相手から電話らしいこともなかったから、不採用、ボツになったんだろう。

 

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レオナルド氏のコミック出版社からのオファーで描いた漫画「ソクラテスが飲むと誰もが飲む」
「When Socrates drinks,everybody drinks!






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このコミック本には、あの有名な「フリッツ・ザ・キャッツ」のロバート・クラムも描いている。




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現代人は知らず知らずの内に農薬や有害な物質に汚染され、害虫は農薬に耐性ができていく―――という

主旨の漫画。

毒杯を自分の生様を全うするために飲んだソクラテス。

そのソクラテスに引っ掛けて、
皮肉をこめて、この漫画のタイトルとなったのだろう。

このタイトルは、レオナルド氏のアイデアだが、

しかし、漠然と直訳のままに取っていたのだが、
改めて、意味を考えると、このタイトル、わけがわからなくなっちまった(笑)。

「When Socrates drinks,everybody drinks!」

「ソクラテスが飲むと、誰もが毒を飲む」
「ソクラテスが飲んだら、みんなが飲んだ。毒を」
「ソクラテスが飲んだように、誰もが毒を飲むだろう」
「ソクラテスも毒を飲んだ、現代人もみんな毒を飲んでいる」

「ソクラテスが毒を飲むと、みんなもつられて毒を飲む」

いろんな、訳ができるけど、ワシ、この英語は難しい~~!

 

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アメリカの漫画原稿用紙はこんなにデカイ。

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これがTシャツのための原画。





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ワシのシュミが出過ぎてる()

Tシャツに、ワシが、マーカーで描いたもの。

鳥の象形文字もTシャツの原画。

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コミカルなイラスト。


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 若かったなぁ~~

壁に他の原画が貼られている。







 

 

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。その6、龍の正体は想像を絶するメカニズムが作用していた!

龍の棲む名器を持つ人妻・映子さん(51)仮名。


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週刊アサヒ芸能で7回7週に渡って(毎週火曜日・地方は水曜日発売)、「龍棲みの人妻」を連載して行きます。


このブログでも並行して彼女の摩訶不思議な名器ぶりと彼女の魅力をアップしていきます。

アサヒ芸能では書き切れなかった部分を補完し、さらに、なんと彼女とその旦那様の許可を得て、彼女の写真をもアップしていきます。

 

その6、龍の正体は想像を絶するメカニズムが作用していた!


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これから龍と対戦・・・


なぜか、龍はいったん、去っていった。その間に、ワシは指を使って、アソコの内部構造を調べた。

 

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内部はこんなかんじ。取り立てて凄いという感じでは
ない。しかし・・・・

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龍が再び現れた!こうなると、様相ががらりと変わる

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この大蛇がのたうちまわる、このメカニズムはアサヒ芸能の漫画で解説します。

読むとびっくり仰天します。こんなことがホントにあるんだと。

ワシ本人がこんなメカを持っている女性に会ったのは初めてだった。


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映子さん、龍と共に昇天!!!


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と、隣から(笑)


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映子さん、不敵な笑みを浮かべて、ワシにこんなことを催促してきたのだ。


こんなこととは、男にとってはタマンナイこと・・・
ワシ、タジタジ・・・・

次回も凄い。

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アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その34、 その34、⑤ハンググライダーで鳥になる

アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その34、

 

その34、⑤ハンググライダーで鳥になる

 


そんなとき、スクールの校長はじめフライヤー達が

「アキラ、キミもだいぶ慣れてきたようだから、ロッキー山脈の山岳フライトにあんたも参加しないか、すごいぜ、高さ1000メートルの高空を飛ぶんだ。」

ワシはすぐに参加の返事をした。


ロッキー山脈と言っても、その南のほうでカリフォルニアのロッキーの山々だ。

四輪駆動車、フライヤー8人とカイトを載せて、その車は道のないところの20度くらいの傾斜をほとんど真っすぐに登って行く。

やはり、アメリカは何でも桁が違う。


頂上はたった15メートル四方のスペースしかなく、

ここから、はるか彼方の「あの河原に着地する」のだと指示が出る。

ほんまかいな。そこまで届かなかったら、森林の中に宙刷りという悲惨な目に合うんではないかと思ったが、

みんなはなんということもなく、テイクオフの準備をしている。

こんなところも、実にアメリカらしい。ここらか次々と飛び立っていく。

ワシの番が来た。風がぴたりと止んだ。ワシは風を待つ。


しかし、この無風の中でも助走を最大限にして飛び立つ者がいる。

とうとう。ワシが最後になった。

ワシは決心した。思い切り走ればなんとかなるだろうと。

走った。全力で走った。


テイクオフ!

と、崖から飛び立ったら、そのまま、崖下に墜落。

10メートルくらい下の崖に辛うじて引っ掛かった。

カイトの真ん中に通っているキールというパイプがクの字に折れ曲がった。

折れ曲がったのが衝撃を緩和してくれて、幸いにもワシは岩に叩きつけられなかった。

しかし、ヘルメットをかぶっているものの、頭を強く打ち、脳震とうを起こし3分ほど意識を失ってしまった。


気が付いたら、ワシの左手の手首にガムテープがぐるぐると巻かれている。

シャツに血が飛んでいる。

カイトの内側が血だらけ。

手首の動脈を鋭い岩先で切ってしまったのだと。

ブシュ―と血が飛んでいたらしい。

校長とインストラクターが、ワシが真っ青になっている前で、ニタニタしている。

何を言い出すかと思いきや、

「アキ―ラ、あんたはこれでワシらの仲間になったな。(いっちょ前のフライヤーになったな)」

といいつつ、アバラ骨の大きな傷跡を見せる。
インストラクターも脚の傷を見せる。
「アハハハハハ・・・・」


ワシのその時の「勲章」はワシの左手の手首にわずかに1センチほどの傷跡として残っている(笑)

こうして、ワシは山から降りた。


サンフランシスコのアパートに戻って、ワシはある落ち込みの中にいた。

「このハンググライダーという遊びというか、スポーツは下手すると死ぬな。今回は運よく助かったけど。

人間って案外こんなことであっさりと死んで行くのかもしれない。

それにこのアメリカって国は本当に自分のことは自分で守らないととんでもないことになるな。自己責任の最たる国だよ。」


ワシは死にたくはない。考えに考えた末、ハンググライダーは止めることにした。

後で、つらつら考えるに、このハンググライダーを始めたのはまるで夢遊病者みたいに深く考えることなくスクールに入会して、

ただ、気持いいからと動機は、そんなかんじだった。


つまり、ワシは、ハンググライダーの危険性について、その時、判断力が鈍っていた。

“うつ”の状態だった。

しかも、山岳フライトに行ったフライヤーの中で、
緊急用のパラシュートを装着していなかったのはワシ一人だった。

「おう、さすが、死を恐れないジャパンサムライ!!」

なんてアメリカンフライヤーは思っていたかもしれない、
ただ単にそこまで気が回らなかったに過ぎないのに(笑)


ハンググライダーで“うつ”は超えられなかった。

しかし、この事故のおかげで死ぬことの自分への身近な関連性、実感を知ることにはなったと思っている。

 

とういわけで、この後、ハンググライダーで本格的に高空を飛ぶことは止めた。

 

もし高空を飛ぶと再び決心したなら、死の覚悟が必要になる。

 

そこまでワシは人生をかけたくなかった。

 

それに、もうひとつ、止めた理由の半分は、パラシュートを購入しなければならなかったことだ。


パラシュートは確か15万円以上した。パラシュートを買ってまでして、命張って飛ぶか?

ワシはそんなことまでして飛ぼうとは思わなかったのだ。

 

と言って、まったくハンググライダーから離れたわけではない。


サンフランの北、ディロンビーチの安全な砂山でせいぜい高さ50メートルのところで、一人で飛んだ。

 

これでワシは十分だった。

 

このディロンビーチでは、ワシの弟コ―ジが来た時、彼にハーネスをつけて、簡単な講習をしたあと、風のあるとき、無理やり()、フライトさせた。

 

さらに、ワシのオヤジがサンフランに来た時も、ここに連れてきて、なんと当時68歳(現在のワシの歳69歳に近い)のオヤジにもハーネスを着せて、

地上練習をたっぷりとして、砂丘のてっぺんから、いい風が来た時テイクオフさせた。

オヤジは恐る恐る飛び立った。高さ10メートルくらいを滑空していった。

基本をちゃんと押さえていれば、砂山だったら、誰だって飛べるのだ。

オヤジは生まれて初めて飛んだ。

その時の写真がどこに行ったのか見つからない
()

風上にターンしてハンドバーを前に突き出しフレアをかけて無事砂地に着地した。


こんな感じで、時々ピクニック気分で、ここで飛んだ。

プロフィール

  成田アキラのツイッター
スケベ漫画家成田アキラでございます。 もともと子供向けの科学漫画を描いていたワシが、テレクラ(テレフォンクラブ)にハマり込み、会った女性との艶事を漫画に描いたら、これが大ヒット。根がスケベだったせいもありエッチ体験漫画を以来延々と描き続けることになった。 女と車と温泉、この三点セットでのめり込んでいく。女との体験を重ねるにつれ、必然的に性のテクニックも上達し、ハウツーセックスものも手がけていくことになる。 ご存知「V筋攻め」なる必殺技も編み出した。 1945年生まれの現在74歳。まだナニも現役のバリバリ(笑) ワシのことは当ブログで、すべて出ています。末永いお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
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人はエッチ大好き、スケベである。これを共通認識・基盤として、ワシは様々な情報発信、活動をしていきたい。これをもって、世界平和を実現できればとの夢を描いています。
日本スケベ党総裁 成田アキラ





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