アメリカ漫遊思い出話(1980年、35歳)、その43
アメリカで漫画の神様、手塚治虫のカバン持ちをした。
①サンフランシスコでの手塚さん。
ワシが1980年、サンフランシスコにアパートを借り住んでいた時、手塚治虫さんが、
先生の大作アニメ「火の鳥」の売り込みにアメリカに1週間ほど滞在した。
ワシはその当時も今も手塚プロの社長である松谷孝征と知り合いだ。
ワシが漫画サンデーに「フリフリダムダム」を連載中、彼は実業の日本社の社員で、一番きつい手塚担当だった。
後に手塚さんに引き抜かれて、社長となる。
松谷氏とは、その当時、ワシの担当の中村氏と漫画家の草原タカオ氏と4人で山梨の甲府のすぐ北の、湯村温泉と南アルプスの夜叉神の桃の木温泉に二泊の旅に出たことがある。
そんな松谷氏と、手塚さんのアメリカでの通訳のF氏のツテでワシは何かと手塚さんと接近させていただいた。
サンフランでは、手塚さん、それに仕事関係や取り巻きと食事をするだけでワシは光栄で嬉しかった。
手塚さんを訪ねて来た、有名アニメーターのフルカワタクさんや漫画家さんお二人をワシの車でサンフラン観光にお連れしたこともある。もちろん手塚さんの持ち出しで。
滞在後半はロスに行かれ、たぶん、ハリウッドの映画スタジオなどに手塚さんは行かれたのだと思う。
アニメ制作に情熱を抱いていらしたから。
日本の松谷氏から電話が来た。
「成田くん、暇だったら、手塚をロスからサンディェゴまでキミの車で乗せて行ってくれないか?」
「はぁ?あの手塚先生を?」
「手塚が車で行きたいと言っている。サンディゴで国際漫画フェッシバル(コミコン)が開催される。
“火の鳥”の売り込みだ。
キミの車があれば、なにかと動き易い。3日ほど、カバン持ちやってくれないか」
「わかりました。その日にちに僕、ロスに行きます」
というわけで、一足先に飛行機で行っていた手塚さんが、ロスでの用事がすんだ頃会いに間に合うように、ワシはサンフランからロスに車を飛ばし、5時間ほどでロスに着いて待機した。
手塚さんの宿泊のホテルの前に行くと、手塚さんが来られ、ワシのボロ車に乗り込もうとされる。
「成田くん、よろしくお願いしますよ」
あの先生独特のニヤリとしたラブピースくちびるでおっしゃる。
手には大作「火の鳥」のフィルム2本を携えて。
ワシはそのフィルムと先生の大きなバッグを後席に置くと、
「あのー、先生、私のこんな車でホントにいいんですか?」
「ああ、いいですよ」
あの漫画の神様の手塚治虫さんが、ワシのボロ車の助手席にドッカとお座りになられた。
ワシは車をサンディゴに向けて走らせた。
ワシ、夢の中にいるかのよう。
(ほんまに、このとなりにいるオッサン、手塚治虫やろか??)
しばらく走ると、意外な事をおっしゃった・・・
次回へ続きます。
手塚さんのお人柄がよくわかる事件が次から次へと出てまいります。
お見逃しなきよう。
成田アキラの“実録”です。