ワシは漫画家ではあるが、このトシ70歳になって、狙っているものがある。
それは、作家デビューだ。
そのために、ブログを始めたと言ってもいい。
ブログでは、自分が興味のあることを、書き綴っていけばいい。
小説となると、漫然と書いて行くわけにはいかない。それなりの知識と作法も必要だ。
ワシは漫画家としての構成や文章、フキダシの書き方は、これまで、やってきたが、小説を書く勉強は、まったくしていない。
なので、一人称で書いていけばいいのか、はたまた二人称、三人称がいいのか、「です」「だ」「ある」のどれがいいのか、基礎的なこともおぼつかない。
実を言うと、そんなことをまったく考えずに書いている。
読者が分かり易ければ良いだろうと言うその一心で書いているのだ。
しかし、ワシは小説作法も、書きながら勉強していこうと思っている。
もし、読者の皆様が、読み辛いところがあったとしたら、申し訳ない。
ブログを初めて、ちょうど一年が過ぎた。
それなりに文章にも慣れて、書きたいことを書いていると、いつの間にか自然に小説仕立てに移行して行ったのが
「実写に限りなく近づくリアルバーチャルゲームの行先はどうなるか?」なのだ。
で、途中からこれを、意識して小説を書くんだとして書き始めたというのが本当のところなのだ。
バーチャル世界とリアル世界。この二つの世界にアバアキラとアバ美希、リアルアキラとリアル美希、こんな設定。
この設定を使えば、小説として新たな分野を開拓できると思い、自分でも乗って、ワクワクしながら話を進めてきた。
真言密教の理趣経、 初段 大楽の法門 金剛薩埵(サッタ)の巻にある
妙適 淸淨句 是菩薩位、
一切自在主 淸淨句 是菩薩位 、
味 淸淨句 是菩薩位 、
何以故 一切法自 性淸淨故 般若波羅蜜多 淸淨
―――――つまり「この世に不浄なものは一切ない」という真理。
これにワシは以前から、関心があって、いつかは書いてやろうと思っていたところ、
このバーチャル・リアル世界という設定に、これを組み込めば面白い小説ができる。
そう思い「実写に限りなく近づくリアルバーチャルゲームの行先はどうなるか?」を書き進めてきた。
この小説を読んでいただいた友人や読者から
「なんで、食糞とかラビアソーイングなんだ?」
という指摘がきた。
「汚くて生理的にも、成田さん悪いが読む気がしない」
そう言って拒絶反応を示されるかたが大勢いらっしゃった。
実はこの反応は想定していた。
というか、この忌み嫌うテーマを意図的に入れることも、
インパクトを計り世に問う意味でも、
これを書いたのだ。
理趣経、「この世に不浄なものは一切ない」・・・不浄なもの・・・一番の汚いもの――それはウンコだ。
わざと強力な、相反するものを持ってくることで、なにが不浄なのかを、より明確にしていきたかったのだ。
ところで、このウンコを好む人がいることも、スケベ業界に籍を置くワシはよく知っている。
彼らは性感のなかでも最高位の至福の快感をもたらすアイテムがウンコであり、
その食糞がこの上なく幸せな食卓なのだ。
この現象?をどうとらえればいいのだろうか。
ワシがブログで何度も言っていることで、
「人間活動はすべて自らの想い込みで成り立っている」
がある。
ウンチが汚いと言うのも、想い込みである。
これに関しては剥がせないほどの強力な先入観が入っているのは確かだ。
ラビアソーイングも同じで、あの痛さが快感として受け取る人間もいる。
ラビアソーイングされた女は、人生最高の幸福感を得たとワシに言う。
ここでもなにが常識でなにが非常識だかが問われる。
昔、禅の問答集を読んでいたら、弟子八人ほどと宴をしているシーンがあって、
弟子の一人が酒に酔い、膳の上に吐いてしまった。
――この先、ワシの記憶は定かではないが――、
その時、師がすぐに公案を出した。
「この世に不浄なものはあるか?」
だったのではないかとワシ勝手に推測するのだが、
師がこの公案を提示する、弟子達は答えられずにいる。すると、
一人の弟子が無言で先ほど食台の上に吐いた他人の汚物を掻き集め食べてしまった。
それを見た師は、
「お前さんは、悟りの境地に達している」と褒めたという。
こんな話に、昔、ワシは感動した記憶がある。
ワシはやっぱ、ヘンな男だったんだよなぁ(笑)。
さて、話を元に戻して、そういうわけで、ワシは作家デビューを目指しているのだ。
第二部の「実写に限りなく近づくリアルバーチャルゲームの行先はどうなるか?」は、
眉を顰める不浄なものは一切出ず、
人生において切実な問題を取り上げて行こうかと思っています。
もちろん、バーチャルとリアルの世界があってこその話の展開となっていきます。
今、準備中です。
乞う、ご期待。