成田アキラのオンナは女神さま

オトナ専用のブログです。 刺激的な表現もありますが、制限を加えておりません。 ★18才未満立入禁止(笑)

2015年08月

シャワー温灸

シャワー温灸


ワシはシャワー温灸なるものを、風呂に入るたんびにやっている。

シャワーの温度は、通常、カチッと高温部で止まるところがあって、

止まったところが、人体にほどよい高温部であることになっている。

これより高温に回すと、火傷はしないものの、飛び上がるほど熱い。

カチッと止まる高温部より、すこし回して、やや、アチチ・・と言うくらいの湯温にしたヤツを、約1分くらい、全身にかける。

アチ、アチ、アチ、というかんじだ。


これをやり始めたのは、温灸というのがあるんだから、シャワーを熱めにしてかけても、同じ効果があるんじゃないかと言う発想。

シャワー温灸をしたあと、肌と心が、シャキッとしたかんじがあって、気持ちいい。

健康が向上したかどうか、はっきりとした効果が調べられないが、感じとしては効果があるように思う。

だだ、つい最近、1回だけ、失敗してしまった。

湯温をふだんより相当熱めにして、全身にかけて、熱いのを楽しんでいたら、1分以上も流していて、

終わった後は、どうってことはなく、いつものようにシャキッとした肌と気持ちになっていい気分だった。

ところが次の日、両脚の膝から下、特に向う脛あたりが、かゆいのだ。赤くなっているわけではない。

なぜ痒くなったのか、その時はさっぱりわからない。

両脚の同じ部分がかゆいので、虫さされではないことは確かだ。

考えた末、わかった。

昨夜の高温シャワーだと。


高温のシャワー湯は上から流れて、両脚の膝から下あたりに、高温の湯が常に集中する。

つまり、一番長い間、膝下に高温の湯が刺激を与えるのだ。

つまり軽い火傷をしたのだ。

低温やけどかもしれない。

軽い火傷が翌日、かゆみでわかったということだ。

そのかゆみはその日1日中していた。

翌日には軽いかゆみはあったがほとんど消えて行った。


というわけで、シャワー温灸をなさる方、くれぐれも、極度に熱い湯を1分以上かけないでください。

また、シャワー温灸が本当に効くかどうかは確実なところはわかっていませんので、湯温の自己管理に自信のない方はなさらないほうがいいでしょう。

ためしてガッテンのところでもあったように「人体は危機感があると、それに対処するように体が働く」

このことから、推測すると、熱い湯は、人体が危険にさらされていると察知して、免疫力が大きく働いて、

その免疫が体を守ってくれるんではないかという、ワシ独自の判断。

なので、責任は負いかねますので、自己責任でお願い致します。

いわゆる温灸は今言ったような理由で、免疫力のアップをはかるわけですから。

ワシはこのシャワー温灸を続けていますがね。

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作家たちに答えをもとめていたのだが・・・・

作家たちに答えをもとめていたのだが・・・・


悩み多き20代後半、うつ気味のワシは、なにか人生の意義、目的、存在理由など答えを求めていた。

当然、様々な作家たちの著作に答えがあるのではないかと、読んでみた。

しかし、答えは見つからなかった。

わかったのは、作家たちが、それらを模索し、苦悩している姿だ。


芥川龍之介、 太宰治、 中島敦、 三島由紀夫、 
二葉亭四迷

尾崎紅葉
、 森鷗外、 北村透谷、 国木田独歩、 島崎藤村、 

田山花袋
、 夏目漱石、 谷崎潤一郎、 志賀直哉、 

江戸川乱歩
、 室生犀星、 高村光太郎、 宮沢賢治、 

川端康成
、 梶井基次郎、 井伏鱒二、 堀辰雄、 島崎藤村、 

安部公房
 小島信夫、 

石原慎太郎、 開高健 
夢野久作、 北杜夫、などなど、  

こんなかんじの作者の本を読んでいた。

まあ、誰でも読む定番の本だ。

ワシは外国の本はあまり読んでいないから、よくわからないが、日本の作家たちの内容は総じて暗い。

“うつ”だった20代後半のころ、こんな暗い本を読まされると、なおさら、心は暗くなっていく。

どの作家がとは言わないが、気が滅入るものばかり。

しかも、ワシの求める答えがない。

まあ、暗い精神世界が作家それぞれ、いっぱいあるなぁ――と言った思いが残っている。


結局、個々の作家たちが、個々のテーマのもと、模索し苦悩する、それそのものが小説と言うことにワシは結論付けた。

30代40代・・・・と、その後、次のような作家たちの本を読んでいった。


永井荷風、 
瀬戸内晴美、 村上龍、 村上春樹、 宮本輝、 

檀一雄
、 吉行淳之介、 遠藤周作 唐十郎、 井上ひさし、 

筒井康隆
、 松本清張、 星新一、 夢枕獏、 五木寛之、 

島田雅彦
、 山田詠美、 吉本ばなな、 寺山修司、などなど。


ここに来ても、答えは出ない。


この中で、
遠藤周作が宗教的な意味で答えを出してくれそうな気がしたので、

彼の著作をおっかけていったが、結局は、答えは出ずじまい。


なんでもいい、玉ねぎさんだっていい、祈れば救われる―――だって! いい加減にしてよな。

まあ、その通りだけどね(笑)。



五木寛之にも期待したがうまくかわされた。

人生後半は登山における、下山のようなもの、ゆっくりと周りを楽しみながら下山しましょう――だって! バカにしている。

何事も諦めが肝心といっとるのね(笑)。


だんだん、小説家を、いろいろ調べていると、小説家なるものが、カネや名声欲しさに書いている人も当然ながらいて、

まあ、聖人君子ではないのだから、金儲けに走る人がいても、ちっともおかしくはないが。


自分の小説が売れるには、どんなテーマでどんな書き方で人を引きつけていくか。これも、当然、プロだったら当たり前のこと。

故、藤本儀一さんとお会いして、お話したことがあるが、彼は、エッセイの中で、はっきりとこうおっしゃっている。

「小説家なんて、詐欺師みたいなもんだよ。ウソをいかに本当らしく書けるかだ」

まあ、小説家なんてもともと、戯作と言っていて、戯れに作ったもの。

高尚なもんじゃないのだ。



誰とは言わないが、超有名な作家が呆れかえることをしているものもいる。

(この小説家の本を数ページ読んで、アホくさくて、コミ箱に捨ててしまった。

ワシはつまらないと新品なのに、即、ゴミ箱にすてるクセがある。何本の本が捨てられたことか(笑))


そんなこんなで、今のワシは、その小説をそのまま、心に入れるのは、ちょっとマズイぞ、というスタンスをとっている。


答えを求めていたが、この世に答えを求めることが、どだいナンセンスなんだということもわかってきた。



今、答えに近いものとして、ワシが信じられるものは、般若心経の「色即是空、空即是色」だ。

これ1本に絞られてきた。

ワシはこれを追求することに今、ほとんどの時間を費やしている。スケベ事をしながらも(笑)。

これからのワシの人生は、色即是空に関わるエッセイや小説に全力をあげて挑んでいこうと思っている。

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地球は10億年後に気温が1000度になって、生物は当然死に絶える。

地球は10億年後に気温が1000度になって、生物は当然死に絶える。

 


ある本の見出しに、「地球は10億年後に気温が1000度になって、生物は当然死に絶える」と言うようなことを書いてあった。

まあ、10度上がったところで、気候はめちゃくちゃになり、30度も上がれば、たぶん、生物は、微生物以外は滅亡するだろうな。


ワシは非風揺葉人、この文章を読んだ時、まず、最初に心に浮かんだことは、

「10億年後は、地球には人類は住んでいない。火星や他の星に移住しているだろう」


1000度になる理由は、太陽の核融合の材料水素が尽きて、太陽が膨張するからだ。

地球は膨張した太陽に飲み込まれていく。


そうなると、火星にも住めない。

もし、他の星に行くことが出来なかったら、宇宙に巨大な住居空間コロニ―を作って住んでいることだろう。



さらに、想像すると、その頃の人類は、空界原理(非風揺葉理論)を知り、

その原理を使い、空(空界原理)を色(物質)に、色を空に変換できる機械を完成させれば、

空界と色界を自在に行き来できているかもしれない。

まあ、SF的な言い方をすると、物質瞬間移動ができる世界ということになる。

瞬間移動ができるようになると、はるか彼方の星にも人類は、途中、食事と言う厄介な行為をせず、移動できるということになる。

ただし、瞬間移動と言えども、光速を超えることはできないが、光速で移動できる。

それでも20光年先の星まで、光速で飛んで20年はかかる。

しかし、その間、食事をする必要がないので、眠っていれば(というか瞬間移動中は、意識はない)、20年なんて、そんな時間、無いようなものだ。


今日の人類は、空・色を自在に操れる未来の人類から見れば、古代人の位置づけになるだろう。



ワシは非風揺葉人だ。そうなったワシは、いま述べて来たことが、未来において、“絶対に”そうなると確信を持っている。

夢物語やいわゆるSFではない、現実的な未来と見ているのだ。


とは言うものの、一般常識の世間から見たら、頭のおかしな変人空想家、トンデモ理論をひっさげた漫画家成田アキラと言われるのも承知している(笑)。

 
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ミトコンドリアを増やして元気になろう。

ミトコンドリアを増やして元気になろう。


テレビ「ためしてガッテン」で、面白いことを言っていた。


人間は細胞内のミトコンドリアが運動に関わるエネルギーを生産している。

そのエネルギーの元の物質をATPと言う。

ATPがたくさん出ると、元気に動き回れる。

ミトコンドリアは運動している時、セッセセッセとATPを作っているのだ。


40代を過ぎてくると、ATPの生産量が少なくなってくる。
それが、バテる原因だ。

 

ATPを増やして元気になる方法があるのだ。


意外と簡単な方法だったから、驚いた。

1分から3分早歩きをすればいいのだという。


ちょいキツめの運動をすると、ミトコンドリアが作りだすATPでは間に合わなくなる。

そうなると、ミトコンドリアは細胞内にミトコンドリア自体を細胞分裂して、たくさんの自分を作って行く。

たくさんのミトコンドリアがATPをつくるから、十分にエネルギーが供給される。

つまり、「エネルギー不足状態を故意に作る」のだ。

ここがこのやり方の肝心な要諦なのだ。

人間の体はうまくできている。



早歩きでなくてもいいのだ。
ちょい息切れするくらいの運動を1~3分すればいいのだ。


スクワット10回とか、階段を駆け上がるとか、その場で脚をあげて運動するとかでも、その効果がある。


もっと強化したい人は、3分早歩き、3分通常の歩き、3分早歩き・・・・・・、

これを30分すれば、相当、体力がついたという結果が出ている。

 


運動が苦手の人には、運動以外で、ミトコンドリアを増やす方法がある。


普段の食事量を25パーセント減らせばいい。


これも「エネルギー不足状態を故意に作る」ことになり、

細胞は“さあ、たいへんだ”とミトコンドリアを増やすのだ。


あれれ、このやり方は、あの一日一食の提唱者である、南雲さんの健康法ではないか。


お腹がグウグウいうほど腹ペコにする、そうすると、細胞は危機感を感じて、ミトコンドリアを増やす方向に働く。

長寿遺伝子・サ―チュイン遺伝子が活性化して人を元気にする。  

 


「ためしてガッテン」を観終わって、ワシのことを考えてみたら、

なんのことはない、実はワシはこの通りのことを普段やっていたのだ。


ワシは、一日二食だし、早歩きは毎日行っている。

夕食をスーパーに買いに行く時、長い坂道を早歩きで、7分ほど、すこし汗ばむほどのスピ―ドで登っていく。

この坂道がワシの健康に良かったのだ。



ワシの仕事場は4階だから、これも、早歩きで一気に駆け上がる。

しかも、一日何回も、一階に住む母の介護のために往復している。


一日一万歩を実行している人より、断続的な早歩きを一日30分やっていた人のほうが、はるかに体力がついたという実証結果が出ていた。いや、驚いたね。


あ、それから、セックスすることも、ミトコンドリアを増やすことになりますわなぁ。大いに腰を振ってゼイゼイ、ハアハアしましょう。


学んだことは、「人間の体は、もともと、危機管理機能が備わっている。

この機能を知って、これを上手に健康に生かせばいい。

体を甘やかすことは、最もしてはならないことである」

 

 
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インターネットは本当に世界を変える世紀の発明だ。

インターネットは本当に世界を変える世紀の発明だ。


インターネットの発展はすさまじいものがある。

ワシは今から1年4カ月前の2014年4月から、このブログを始めた。

ブログを始める4カ月ほど前から、文章を打ち込むためのタイピングの練習から始まって、

ブラインドタッチでやれるようになり、今では、毎日、ブログをアップできるようになった。

写真を加工したり、イラストを描いたり、それらをブログに貼りつけたり、リンク付きの写真や絵を添付したり、

ブログを作成することは、難なくできるようになった。

ブログの中に、様々な機能があり、それらにも慣れて、今は、ワシの生活の一部となっている。

特にアクセス数や訪問者数などを毎日見て、多い日は有頂天になり、少ない日は落ち込んだりする。

いまでは、ちゃんと一定のユーザーさんが見てくれているので、大いに張り合いになっている。

ありがとうございます。


ブログを始めて、インターネットというものがどんなものか、実感できるようになった。

これが、たいへんなワシの収穫である。イメージができるようになった。

 


ブログの文章の中にリンクを貼ることをするが、このリンク、素晴らしい機能だ。

文字にでも、写真にでも、絵にもリンクを付けられる。

クリックすると、他のサイトや、他の文章に飛ぶ。

たくさん貼り付けられるのをスーパーリンクといい、その機能をスーパーテキストと言うのだそうで、

ネットにスーパーリンクがなければネットにあらずと言えるほどの機能だ。

ワシもそのリンクのことを考えるに、ワシのブログに、世界中の、あらゆるサイト、ウエブとリンクさせることができるのだ。

ツイッターにも、フェイスブックにも、ラインにも、なんにでもだ。

やろうと思えば、数万のウエブとワシのブログをリンクさせることもできる。

これは、本当にすごいことだ。

検索のウエブを貼り付けることもできるわけだから、そんなことをやっていたら、無限にリンクを繋げていけることになるのだ。

そんな想像をしていたら、突然、もしかしたら、インターネットの行きつく究極の姿は、「スーパー人工頭脳」なのではないか。

しかし、知識だけ無限に記憶したというだけで、人間のような考える頭脳にはならない。

そう考えてみたが、記憶が無限に堆積して行く途中で、何らかの作用があって、

記憶を統合、系統立て、ネットワーク化して、ついには考えることのできる「頭脳」なってしまった!!

・・・などと言うことはないか?

これはSFチックか? 

あるいは、我々人間が、記憶をネットワーク化して、考えることができるアプリケーションをポンと放り込むと、

たちまち、人間そっくりの心を持った「人工頭脳」が出来上がってしまうということはないのか。

 


脳科学者の前野隆司・慶応大学教授の人間の「脳」・「こころ」についての記述を読むと、

脳の中にある「ニューラル・ネットワーク」は、とんでもない働きをしている。

コンピュータは直列思考しか出来ないのに、
脳の中のニューラル・ネットワークは多数の並列思考ができるのだ。

パターン認識もできる。

改めて人間の脳の偉大さを知った。

 


それにしても、インターネットの原理である、パケット通信――情報を小さなパケットに細分して、

このパケットにヘッダーを付け、ネット上の最短距離を伝送させるという
仕組み、

なんと素晴らしいことだろう。

人間の頭脳はスゴイ!


なんでも、インターネットは、数年後に、次のステップ、インターネット2に移るらしい。

ワシは楽しみにしている。


 
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植物は偉大だ

植物は偉大だ。


雲は偉大だ、の次が、植物は偉大だ、だ。偉大だシリーズでも始めるかな(笑)。

 

植物は偉大だ。

なんたって動物以前にこの地球に出現したんだから。

植物を食って動物は栄えて行ったんだから。 


おっと、食うだけではなかった。呼吸させてもらっているんだったっけ。

酸素を製造してくれているのだ。

酸素がなければ呼吸なんてできない。
つまり、呼吸させてもらっている。


動物は酸素が必要だ。
動物は植物には頭が上がらない。

当然人間も植物にはひれ伏さなければならないのだ。

それにしても、光合成なんて、酸素製造機能を、植物はよくぞ発明したものだ。

最初の植物は海の中で発生した藻である。

その藻が光合成を始めた。

海中から酸素をぷくぷくと空中に発散していった。

この藻の名前は失念してしまったが、最初にこの藻が酸素をこの地上に作り上げていったのだ。

この藻がなければ、人間はこの世に出現できなかったということになる。

「藻」ですよ、「藻」!

人間はこの「藻」にひれ伏さなければならないのだ(笑)。

地球が緑の美しい姿になれたのはこの「藻」のお陰なのだ。

ああ、なんちゅうことだ、こんな思いもしないちっぽけな存在の「藻」が始まりなんて。



植物も動物も同じ共通するDNAをもっている。

このことだけでも驚かされるが、その生きざまがまったく違ってしまったことも驚く。

すなわち、植物は地上の一点に根付くと一生その場で生きていく。

動物はいろんな場所に移動できる。

植物は動かずその場で成長して行く。

草のように、1年で生を終えるものもあるが、巨大な大木になるものもいる。

何千年もかけて。

山に行くと、時々、巨大な老木に会う。

ワシはそんなとき、畏敬の念を持って心の中で手を合わせる。

実際に手を合わせ拝むこともある。

こういうことは小学5~6年のときも、山の中で格別大きな木に出会った時は、なんだか、心を持った大木に思えて、心臓がドキドキしたものだ。


いまでも、山のなかで老木や大木に会うと、なぜか人格をもった存在に思うことがある。



屋久島の縄文杉に会いに行きたい。


いつか、会いに行こうと思っている。


 
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ワシは飛行機に乗ったら必ず窓際に乗る人。

ワシは飛行機に乗ったら必ず窓際に乗る人。



国内便でも国際便でも窓際族だ(笑)。


窓から地上を見るのが楽しいのだ。何度乗っても飽きない。


できたら夜より昼間の飛行のほうがいい。


窓際でいつまでも下をジ――ツと見ている。


ほとんどの客は、窓を見ていない。ワシだけである。


なにが楽しいかと言ったら、まず、子供のような気持ちになる。

地上を見ているだけで、ワクワクする。

空中を移動している感覚が素晴らしい。

飛行機なる機械を人間が作り上げたことに、なんと言ったらいいか、

優越感のような・・・誰に対しての優越感だかわからないが、とにかく気分がいいのだ。


地上を隈なく、仔細に見る。

上から見て初めてわかることもかなりある。

工場の煙のたなびく様子、風下の遥かかなたまで汚染されているのが良くわかる。

ワシは中国には行ったことはないが、高空からみた、空気の汚れと海の汚染は、おそらく、すさまじいものがあるだろう。


日本はやはり田んぼの国だ。コメの国だ。

コメと言う食源が住んでいる近くにあることは、人を安心させ、豊かな気分にさせてくれる。

周りに食源がないと、気持ちも荒廃してくるような気がする。

日本は素晴らしい国なのだ。

砂漠の上を通ったらなんだか生きる気力もなくなる。

ワシはおそらく、コメのご飯がなかったら、生きていけないだろう。

それほどごはんが好きだ。

パンはクルミパン以外、一切食べない。

トーストにバターなんて、27歳くらいまでは食べていたが、

それ以降はまったくいわゆる「食パン」は食べていない。

なんで、あの頃、食パントーストにバターが現代的生活かのように感じていたんだろう。アホらし。


ちっちゃなミニチュアのようなクルマや電車が走っている様子もズーッと見ていても飽きない。

ノロノロと走っているように見えるが、高速では120キロくらい出ているのだ。


アメリカの高級住宅街を高空からみたら、プールのある邸宅がよく目につく。

しかし、日本はほとんどと言ってない。

ましてや、クルーザーやヨットを停泊させる桟橋付き邸宅は皆無だ。

タイ、バンコックに近づくと、エビの養殖場が目立つ。

 


昔の映画、2001年宇宙の旅。2001年には宇宙に浮かぶ宇宙ステーションが建設されていた・・・・はずなのに、

今、2015年、

いまだに、一般の客が泊まれるステーションはない。

ワシは残念だ。

もし、今あったら、大枚はたいても宿泊するのに。

そして、一睡もせず、窓に張り付いているだろう。


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雲は偉大だ。

雲は偉大だ。


この前、海岸でなにげなく、大空に広がる雲を見ていたら、

「地平線から上が雲の在る空間だな」と思い、

反対に「地平線から下が我々の住む世界だな」と思った。


そんな住み分けみたいな感覚で見ていると、よく考えれば雲って、あれは水のカタマリなんだ。

大きな入道雲は何百トンだかの巨大な水のカタマリなんだ。と、

そんな感慨が浮かんでくると、あの雲の偉大さが突然わかった。

雲は水蒸気のかたちで空間に浮いている。

水蒸気のかたちだから浮き上がっていられるのだ。

人にこんな質問をしたくなった。

「水100トンを空中に持ち上げてふわりと浮かせる方法を考えてください」

すぐに答えられる人は頭がいい。

ワシだって、急に言われると、なんかデッカイ気球を持ち出し、それで浮かせる方法を考えるかもしれない。

 


答えは、水100トンを熱い夏の盛りに、熱い、滑走路のようなコンクリート表面に撒けばいい。

水はどんどん蒸発して空中にすべて浮かび上がることになる。

風が吹いたりして、空中に拡散されるかもしれないが、

ともかく、どんなに広がろうと、100トンの水は空中に浮いたことになる。


何千万トンだか、何兆トンだかわからないが、その膨大なる空中に浮いた水が地上に降って来て、

我々地上の環境を最適にしてくれているのだ。

 


それから、雲の形は、すべて同じものがない。

何億年もの間に同じ雲の形はひとつもない。これも、考えてみればスゴイことだ。


雲の命は短い。しかも、雲は見ている間に、変化していく。

なんか、人間から見たら、「自由」そうだ。

雲を見ていると心が癒される。

雲クンを擬人化してみると、地上から上が、彼らが住んでいる真の自由な世界。

下の人間界は、まあ、なんとも言えない、混沌とした良いも悪いもごった煮の世界(笑)。



さらに想いを馳せると、氷を浮かせ、雪を降らせる。

高山に積もった雪は、植物を生育させ、美味しいコメの元になっている。美味しい酒にもなる。


美酒に酔った気分になっていると、

ああ、台風も雲クンのせいだよなあ。

あれはイカンなあ。

しかし、被害に遭う人には気の毒だが、

ワシは台風は何だかワクワクさせるんだよなあ。


 
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「移人称小説」広がる―――1人称いつの間にか3人称に――

今日の新聞に、「移人称小説」広がる―――1人称いつの間にか3人称に――、と出ていた。


移人称?

なんのことだろう?

そう思って読んでみると、小説というのは1人称なら最後まで1人称で話が進む。

3人称なら最後まで3人称で語られていくというのが常道だ。

ところが最初は1人称だった進め方が途中で突然3人称になる。

あるいは途中のエピソードだけ3人称になる。

こんな書き方を「移人称小説」と言うのだとか。

こんな「移人称小説家」が最近、増えているのだとか。

賞を取った小説家にもいると、名前をあげて実例をあげて記事に書いてあった。



こんな記事を読んで、さて、ワシの小説は何に当たるんだろうと考えた。


なんせ、ワシはいままで、ちゃんとした小説など書いたことがない。

「イキナリステーキならぬイキナリ小説」だ(笑)。


ワシの小説は、とにかく読者に解り易ければという視点で書いている。

まあ、ワシがわかりやすくと自己満足で書いているだけかもしれないが(笑)。

とにかく、いい加減なことは確かだろう。

まずもって、ワシの小説作法は、自分自身が緊張感を持って書いていない。

リラックスして書いている。

よって、何人称だなんて、ワシの頭にはまったくない。

めちゃくちゃかもしれない。

ワシの小説は「移人称小説」の範疇に入った小説であることは確かだ。

移人称どころか、現実世界とバーチャル世界とを股にかけて、飛び交う話なので、さらにややこしい人称構成になっている。

時々、作者のワシ自身も混乱する。いや、している(笑)。

まあ、ワシの小説は「異人称小説」と呼んでほしいかな。


それに、何人かの人物が次々と会話をしていくシーンは、仕方なく、

戯曲のように、人の名を頭に付け、

例えばリアルアキラ「○○○○・・・・」
アバアキラ「○○○・・・・」

リアル美希「○○○○・・・・」
アバ美希「○○○・・・・」

ソ―メイ所長「○○○・・・・」

カジュラ「○○○・・・・」

精鋭A「○○○・・・・」

と言った具合に、書いていくしかない。

ほんとうに、ワシは小説ビギナー。その場その場でいろんな変形式を使って書き進めてきた。


そして、ワシの小説はあちらの世界とこちらの世界との並列進行なので、一番ワシを悩ませるのが時系列の問題だ。

あちらの世界の中でも未来と過去があって、うまく噛み合せて行くのが、ものすごく厄介だ。

なんちゅう小説をワシは書き始めたんだろうと、頭が痛くなることがある。

さらにさらに、厄介なのが、あちらのバーチャル世界のほうが文化文明の進歩がこちらの現実世界より、早いのだ。

例えば、あちらでは5年後に大阪―東京間のリニア新幹線が完成、開通するのだ。


ワシの小説、第三部は心の奥深くを追求し、人間存在の問題まで書き記して行こうとしているのだから、さらに、厄介な小説になりそうだ。

もちろん、ワシの「非風揺葉観」を基底にして小説を構成して行くつもりだ。


どんな小説になるか、ワクワクしながら、今、頭の中で構想を練っている。


 
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ワシはアズキものが大好きだ。

ワシはアズキものが大好きだ。


ぜんざい、粒あんオハギ、たいやき、きんつば、あずきバー、などだ。

最近、よく食べるのが井村屋のあずきバーだ。

ヘタすると二日置きに1本食べている。

この、あずきバーの美味しさは、程よく固く、歯で噛んだときのホクホクとした、噛み砕く時のあの感触だ。

あれがタマラナイ。

程よい甘みもいい。甘ったるくもなく、ちょうどいい甘みなのだ。

あずきの粒が程よく混じっているのもいい。

量的にも、1本が丁度いいかんじだ。

最初、このあずきバーを発見したとき、アズキものが大好きなワシ、8本入りだったか、箱にパックしてあるものを買った。

冷蔵庫に入れて、時々、取り出しては食べるのだが、なんと、一日で8本、夕方には箱に残っていない。

一時期は毎日、一パック食べていた。

なんとなく、お腹が出てきたようなかんじがしたので、健康オタクのワシのこと(笑)、

「これはイカン」と思い、ある日、すっぱりとあずきバーから手を引いた。

しかし、数日すると、スーパーに買いに行く自分がいた。

箱に手が届きそうになる。

いや、やめよう!

 このとき、一日1本なら、なんとか大丈夫だろうと1本を求めた。

スーパーにはバラ売りはなかった。

コンビニに行ってみた。

このバ―があるところとないところがあって、なんとか、1本、買ってみた。


禁断症状の出ていたワシ、この、ホクホクとした歯触り、この絶妙な甘さ加減、そして、あずきのアズキらしい味、もうタマラン! 

ワシはこんなことで、幸せを感じるのだ。

温泉など旅に出た時は、一日3本は食べていいことに決めている。

運転しながらあずきバーをホクホクと齧る。

至福の時間だ。



もし、このあずきバーが“こしあん”だったら、ワシは見向きもしなかったであろう。

同じアズキでも、“こしあん”は好きではないのだ。

思うに、アズキの粒の皮にそのうまさの秘密があるんだと思う。



最近、よく食べ始めるようになったのが“くるみパン”だ。

これも、三日置きにひとつずつ食している。

こちらは、好物とまでいかないが、クルミは体にいいと、以前聞いていたので、

パンを食べたい時は、必ずこの“くるみパン”を食べているのだ。



ワシが欠かさず飲んでいるものは、カゴメの“一日の野菜”だ。

見事に一日分の野菜という、ネーミングにワシ惹きつけられているのだろう。


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その4、非風揺葉人間になる方法をお教えいたします。 「存在力」とは?

その4、非風揺葉人間になる方法をお教えいたします。

「存在力」とは?



非風揺葉観を持つと、周りがまるで絵画を見ているような感覚になる。

景色、人の動き、どこを切り取っても、絵のように美しい。

そういうとき、周りと自分がより濃い存在としてあることに気付かせてくれる。

周りが美しく見えたり、濃い存在感を得たりするのは、自分の感覚である。

つまり、自分が生き生きとした感受性があるからだ。

結局はこの世を美しくみたり、エキサイティングに見たり、面白いと感じたり、それらは、自分がそうしているのだ。

それらの見え方の奥底には、周りの対象物や自分をしっかりと鮮明に捉える「何か」を感じる。

その「何か」は、ワシはわからないが、「そこに本当に在るんだ」という、存在感覚の強力なヤツだろうと思われる。

この存在感覚の強力なヤツをワシは「存在力」と名付けたい。

あいつは「存在力」があると言った場合、周りをいつも生き生きと捉え、そのことによって、自分が幸福感を得、元気になっているということになる。

こういう「存在力」は子供の頃は自然に備わっていたように思う。

周りのことを、敏感に感じ、瞬間瞬間、自分に取り入れ、周りと交流していた。

大人になると、それが無くなってくる。

生活に頭を使ったり、金儲けに走ったり、存在力とは関係ないことに心が占められるからだ。


ワシは子供のときのような感性の「存在力」を持つようになった。

だから、風景を見たり、歩く人々を見たり、そんな、なんと言うことのないことに、

まるで絵画を見ているように感じ、楽しく、「幸福感」すら感じるのだ。


ワシは自宅から仕事場まで、30分ほどクルマで通っている。

朝は通勤に急ぐ人々が駅に吸い込まれていく。

今日は雨なので、みんな傘を差している。

女も男もいろんな服装で、色の異なる傘を差して歩いている。

その様が、最高の絵になっている。うっとりするほどだ。

「存在力」が高まっている時は、なんと言うことのない光景の一断面を見ているだけでメチャ楽しいのだ。

ワシはいつも、この車での移動中の外の光景が楽しくて仕方がない。


傘を差し、歩いている一団を見ていて、ふと、笑みがこぼれた。

なにが面白かったかというと、

「みんな傘を差していること」

だった。

みんなが一人残らず傘を差して歩いているのが、おかしかったのだ。

んん?と思われるでしょう。

そして、駅に入って行く時、まるで流れ作業のように駅の入り口で傘が閉じられていく。

いとおかし。

ワシは非風揺葉人間である。


非風揺葉観を持つようになると、こんな楽しみが味わえるのだ。

非風揺葉についてもっと詳しく知りたい方は 「色即是空への道」から、さかのぼって読んでいただければと思います。


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ワシは70歳、しかし、体感年齢?は45歳。

ワシは70歳、しかし、体感年齢?は45歳。

 


ワシは70歳だが、体感年齢は40~45歳くらいではないかと思っている。


たいへん元気だ。

普通70歳というと、見てくれはおじいさんだ。

ワシの場合は、髪はふさふさだし、しっかり染めているからシラガもない。

顔のシワはほとんどない。髭も染めている。

すこし、トシが出たなと思えるところは、ほっぺたのタルミと老眼と目の斜視気味な部分だ。

歯は差し歯がほとんどだが、完璧な自慢の歯だ。入れ歯にはならないで済むだろう。

アッチのほうも現役バリバリだ。衰え知らず(笑)。



ワシが実年齢を言うと、大抵の人が、悲鳴のような声を上げ、「ウソー!」「見えないー!」という反応が返って来る。

ワシは嬉しい。

まあ、髪が多いという、遺伝的なものがそれに貢献しているのだが、

ワシは精神的にも、自分で言うのもナンだが、相当若い。


精神的体感年齢は、さらに若く、36~40歳くらいだと思っている。

つまり、心はトシをほとんど取っていない。

ワシは若い時は“うつ”だったので、そのころのほうが精神的には老けていたと思う。

今は好奇心も旺盛だし、学習意欲もますます上がっている。難解な問題に挑戦してもいる。

若い人に言っておきたい(この言い方が年寄り臭いか(笑))。

普通に健康であれば、心の若さはいつまでも保っていける。

ワシ本人が、若い時「70過ぎたら、ジジさん臭くなるんだろうなぁ」と、思っていた。

ところが、70になったワシ、ちっとも老けていない。

心というものは、トシを取らないのだ。

一般的に、外見がジジさんなので、内面も老けたように外から見たら思われるが、心は実のところトシを取らない。


だだし、不健康なことをしてきた人は、外見のみならず心もボケてくる。

そういう人を見ているとわかる。

大酒呑みの人は、心は大抵、反応が鈍く老けている。

できれば煙草もすわないほうがいい。

煙草を吸っている人と吸わない人とでは、トシを取って来てはじめて歴然と差がでてくる。

ワシは当然吸わない。



さて、手前みそになるが、ワシが最大にアンチエイジに貢献していることは、ワシが「非風揺葉観」を持ったからだ。


ワシは非風揺葉人なのだ。

これまた、話しだすと止まらなくなるので、ワシのブログに書いた「色即是空への道」を読んでくださいね。


あと、ワシの健康法を読んでいただければと思います。


まあ、こういう自慢げなチョイ説教くさいことを言うのが、老けていると言われそうかな(笑)。

 
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プロフィール

  成田アキラのツイッター
スケベ漫画家成田アキラでございます。 もともと子供向けの科学漫画を描いていたワシが、テレクラ(テレフォンクラブ)にハマり込み、会った女性との艶事を漫画に描いたら、これが大ヒット。根がスケベだったせいもありエッチ体験漫画を以来延々と描き続けることになった。 女と車と温泉、この三点セットでのめり込んでいく。女との体験を重ねるにつれ、必然的に性のテクニックも上達し、ハウツーセックスものも手がけていくことになる。 ご存知「V筋攻め」なる必殺技も編み出した。 1945年生まれの現在74歳。まだナニも現役のバリバリ(笑) ワシのことは当ブログで、すべて出ています。末永いお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
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人はエッチ大好き、スケベである。これを共通認識・基盤として、ワシは様々な情報発信、活動をしていきたい。これをもって、世界平和を実現できればとの夢を描いています。
日本スケベ党総裁 成田アキラ





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