スケベ道奥義・人生スケベに楽しくいきましょう。
その116、SM編8 ⑥マゾ快感絶頂<マゾ快感―――自己崩壊から生じる陶酔快感>
ワシはA子さんをベッドに腰掛けさせた。
「お茶でも飲んで冷静になってもらってさ、M快感について、いろいろ答えてくれよ」
「先生、言葉にするのはすごく難しいけどなんとか・・」
「きみの口からふっと出てきた“直快感”“直幸せ”って言葉、これすごく興味ある。どういう意味?」
「先生、それを説明するには、ムチで打たれた直後の現象から言わないと十分ではないと思うの」
「ほほう、そうか、どんな現象かな?」
「ムチで打たれると、突然、体も心も違う状態になるの。表現しづらいんだけど、頭の後頭部を重くて大きなカナヅチでガ――ンと殴られたような感じになるの」
「このショックで怖くなってしまうところなんだけど、この直後から頭の中も体もジンジンするような強烈な快感が押し寄せて来るの。こんな快感、生まれて初めての経験なの」
「んん・・・、変な言い方だけど、ガ――ンと自分が壊されて、なにがどうなって、なんだかわからない世界にポンと入れられて、あるのは強烈な快感だけ」
「お―――、そうか、ガ――ンと自己破壊」
「そうか、M快感っていうのは、自己破壊、自己喪失から生じる快感かもしれないな。自分が無になる陶酔感というか。
Sが他者を破壊、他者のMは自己破壊。SMってのは、他者破壊・自己破壊なんだなァ。そう思うと、なんだか怖いような気もするよね」
「そうね、死ぬかも知れないという、怖さと快感は紙一重。わたしは自分が無になる感覚を楽しむ方向に行ったから快感だった」
「先生、そのときあるのは、快感だけ。体の全細胞の数ほどの快感の粒子が走り回っているって感じなの」
「すごい!自分が快感のかたまりになっているんだ!だから“直”快感なんだね」
「そう、それとね、愛撫されたわけでもセックスしたわけでもない、愛をもらったわけでもない。むしろ逆で、痛めつけられたわけでしょう。
たとえば、アソコを愛撫されての快感みたいなものじゃなくて、突然、湧き上がってきた快感なの、だから直快感!」
「心も快感なの。これもなんの前提も、理由もなく、無条件に快感なの。天から降ってきたような解放された快感って、即幸せに繋がる。そう感じる。」
「面白いなぁ、そこんところ、神から与えられた幸せと想い込めば、こりゃ宗教だよな―――」
「そうですね、その状態のとき、そう暗示をかけられれば、そうなると思う。幸せだと思ったら幸せな気分になって・・・、わたし涙が出てきたもの」
「それとね、先生が単に手の平でお尻打ったときよりも、ムチやロープ、十字架を使ったときのほうが、わたしのマゾ快感は、うんと高まるの」
「それらの道具や装置を、最初見ただけで、それだけで、わたし変になる」
「おお―――――っ! そうか、SMには、儀式が重要な役割を果すわけか!」
<M快感そのものは人間の体と脳の中に生じるもの。あるいは脳の中にあるものである。
その快感を強力に脳に刻み込ませ、しかも、その快感の記憶を蘇らせる作用を及ぼすのが、SMをやったときの装置や振る舞い―――つまり、儀式なのだ。
儀式は脳の中に記憶を焼き付け、記憶された快感を呼び起こす“頭出し”の役割をしているのだ。
世間を見回せば、冠婚葬祭でも修学旅行でも、卒業式でもありとあらゆるところに儀式がある。つまり、記憶を蘇らせる装置・行ないなのだ。
神社仏閣にお参りに行くのだって、日本のいにしえを想うため。五穀豊穣を願うため。幸せを願うため。国体の安泰を想うため。亡き人を偲ぶため。正月気分を味わうため。
いずれにしても人間というのは記憶や想いの“頭出し”をできるところが必要なのだ。
神社、仏閣がこの世に存在しなかったら、なんと殺伐とした世界であろうか。まあ、SMからこんなところに想いが飛んでしまった・・・ハハハ>
ワシはSMには儀式が大切だと知って、さらに発展していく。それは次回!
次回、スケベ道奥義・人生スケベに楽しくいきましょう。
その117、SM編9 SMには演出(儀式)が不可欠なのだ。だよ。
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新機軸小説 第一弾
「ラビア・ソーイング」
新機軸小説・第二弾
「宇宙ユーカク」
新機軸小説 第三弾
「不死鳥・アバ美希」