長野県上伊那郡小学生ソフトテニス連絡協議会講習会へ

2025年03月11日

震災からもう14年、まだ14年

3月11日

東日本大震災発生から14年目


今日の朝刊

250311_1


岩手県陸前高田市で

震災のがれきのなかから見つかった

持ち主不明の遺留品が多くある

その保管に苦慮している記事が掲載されいました

その写真の中に

250311_2

ソフトテニスのラケットがあります

これは、ミズノのXYST Tー1です

この画像をさらに拡大すると

スロート部分をみると

うっすらと

当店のステンシルシール

見える気がします

250311_4

ステンシルシールとはこれ。。

250311_3

シールの透明フィルムがはがれている?

当時、陸前高田の方々も

当店の通販を利用してくださっていたので

可能性はあります・・

震災から14年経って、思いがけないところから

「あの惨事を忘れないで・・」と

突きつけられました


そこで、思い出しました

地震直後の、我が家は

台所

キッチンが・・

書斎

書斎が・・・

めちゃくちゃになりました

遠く離れた東京でこの状況

震源地の東北で暮らしていた方々の受けた

恐怖は計り知れません・・・



このブログを始めたきっかけも、震災でした。

震災でお店は閑古鳥がなく状況

「何かしなくては」

「何が出来るのか」

それがブログでした



最初の記事は
2011314日、

震災発生からわずか
3日後。


第1回目の投稿と、

その数日後のブログでの

福島県のS先生(女性)とのやり取りを

ご覧ください


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私のブログ第一回目

2011年

3月14日



当然のことですが、

お店は、とても閑散としています。

通常、この時期は、入試や期末試験が終わり、

シーズンインに備えて、

ガット張りの学生さんたちで、

お店の中がいっぱいになるのですが、

都内では、高校は、登校禁止、

公立の中学校は、部活自粛中です。。。。

人間は

「衣・食・住」 足りて、

趣味やスポーツを楽しむ事ができるのです。。

しばらくはお店は、静かだと思います。

さきほど、電車を乗り継いで、

シニアのお客さまがいらしてくださいました。

その方の第一声は

「ナロさん、お店は大丈夫でしたか?」

「確かに、この状況だと、

テニスどころじゃないけど、こうやってモノを

買って、お金を動かさないと、

これからの日本がるが立ち行かなくなる。

ここしばらく商売をやっている人は

大変かもしれないけど、ナロさん

頑張ってね。」

胸が詰まりました。

ありがたい。です。

それでも、通信販売では、注文数は普段より少ないですが、

ご注文をいただいています。

ありがたいです。

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S先生からのメール


3月20日 7:11

ご無沙汰しています。

地震、津波、原発でこちらは凄く大変です。


生活が一変しました。

私は地震があったときに近くの学校に3時から


出張でそこで地震にあいました。  

 
(自宅の)アパートは海沿いでその日から帰れずに、


部活の保護者のお家でお世話になってました。


(略)

私の実家も原発がある大熊町、最悪です。


いつ戻れるかなわからない状況です。

 
今月は、仙台の大会や三重の大会も

保護者が楽しみにしてみんなで行く予定だったのに、


すべてだめになりました。

私ももちろんショックですが、


生徒も保護者もみんなのことを思うと

心が痛いです。


4月の修学旅行も二学期以降にとなりました。

それもどうなることか不明です。


せっかくナロさんのとこに行く予定でしたのに
すみません。また行けることになったらよろしくお願いします。


一日でもはやく元の生活に戻りたいです。


また笑顔で会える日を楽しみにしています。


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私が、先生にブログ掲載の

承諾のため、メールを送り

その後もう一度やり取りがこちら

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3月21日 11:48


わざわざ返事を頂き、ありがとうございます。

ブログの件、全然かまわないです。

今の現状を少しでも多くの方にしってもらえるほうが嬉しいです。

命がある限り、なんとしてでも生き残らないと。

家があって、仕事があるなんて、

被災した方々に比べれば幸せなことだと思います。

自分の両親も原発の近くに家があるから、

いつ帰れるか分かりません。

しかし、こういうときだからこそ家族でささえあってやっていく

ことの大切さも痛感しました。

南相馬市に入院していたおばあちゃんは昨日、

埼玉のⅠ大学病院に搬送され無事です。

母はあさっていってくるそうです。

Ⅰ町で合流し両親と一日だけは一緒にいれました。

その後、群馬に避難しましたが、

また召集がされ、原発にもどるようです。

電話もずっとつながらず安否がわからなかったのですが、

なんとか無事だったのは安心しましたが、

またいつ連絡がとれるようになるかわかり
ません。

でもみんな一日も早い復興にむけて

頑張ってくれることを見守りたいです。

必ずまた笑顔で会いたいです。

いわき市は屋内退避なので、

生徒たちもストレスがたまりだしています。

仙台での東北大会、三重の全国大会などことごとく中止になり、

それを伝えるのもとてもつらいです。

でも今はたえてもらうしかありません。

きっとまたテニスもできるようになるはずだと信じています。

避難するときもきっとラケットはもっていくような生徒たちです。

もちろん避難バッグはラケットバッグですから。

生きる励みです。


ナロさんからのメールでバワーを充分にもらいましたよ。

ありがとうございます。
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S 先生は今も県大会優勝に導くほどの

名顧問
として活躍し、

プライベートでもマラソンに挑戦するほど

パワフルな日々を送っています。


(先週の東京マラソンの完走写真が

Facebookに投稿されていましたよ)

 


3.11

被害を受けていない私は、所詮「他人事」です。

でも、何度も足を運んだ

福島県相双地区の風景、食、

そして温かい人々は、私にとってかけがえのない存在です。

 

あの日を思い出し、震災からの歩みを振り返る。


ブログを書いておいてよかったです。


もう14年

まだ14年




naro34 at 10:29
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