2024年10月

2024年10月20日

ヨネックス パフォーマンス イノベーション センター

10月某日

東京駅

普段は東北新幹線に乗ることが

多いのですが

この日は

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上越新幹線です

(東海道新幹線は品川駅から乗ります)

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稲刈りも終えた頃ですね


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新潟県 長岡駅で下車

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駅のコンコースに

長岡市の名産品や名酒が飾ってある

ショーケースの中に


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ヨネックスのコーナーが・・

そう!

長岡といえば

ヨネックスさんの発祥地

ヨネックス創業者の米山稔氏は

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厳しい戦地から、命からがら

復員し


1946年 新潟県で 「米山木工所」を創業

当初は漁業用の木製浮きを製造していて

のちに漁業の技術革新により、

木製浮きは必要とされなくなったため

1957年(昭和32年)に バドミントンラケットの製造を開始


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    (創業当時の工場)著書より

21歳で創業後は、ピンチの連続だったようで

あるとき

工場が全焼し

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          (著書より)


それをなんとわずか3日後に操業を再開

するという凄まじいエピソードがあり

その後も

さまざまな困難や経営危機に陥ると



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「負けてたまるか!」

「”ピンチはチャンス”と言い聞かせてきた」

(本人談 著書より)

不屈の経営者精神で

世界のスポーツブランドに育て上げられました

9年前のブログで紹介しましたが

私にも

米山 稔 名誉会長とはこんなエピソードがあります

20年ほど前

スポーツショップオーナーと対談という

ヨネックス機関紙の企画で

当時名誉会長だった

米山稔氏が

我が家にいらっしゃることになった

その時の名誉会長のお話の中で

当時

軟式テニスラケットの革命的ラケットとなった

カーボネックスの発売後

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当時の2大メーカー

カワサキ・フタバヤ 支持の

選手、監督からの

「カーボネックスはフレームから

ガットがはみ出しているので切れやすい」

というクレームを受け

それを、米山稔氏は

テニスコートで

フレームを何度も擦り続け

ガットは切れないということを実証して

その風評被害をパワーに変えて

「絶対に軟式テニスでNO1になる!」と

意を決したという

とても興味深いものでした

緊張のうちに、取材終了。。

そして

記事向けに会長と並んで写真を撮るときになり

その時 ふと思ったことが

「我が家の子どもたちに

この偉人と会わせたい!」

子どもたちがが大人になった時 

「ヨネックスの創業者と会ったことがある」

これは人生の財産になる!

しかし 残念なことに 平日の昼間のため

子供たちは学校で、その夢のような記念撮影は

叶いませんでした

後日、米山 稔氏の長男で 当時専務だった 米山勉(べん)さん

にお会いする機会があって

取材のお礼と、子供に会わせたかったことをなんとなくお話しました

すると、数日たって 米山稔氏の秘書の方から

「ナロさん、お子さんたちは、いつ頃

自宅にいらっしゃいますか?」

との問い合わせがあり

そして、お伝えしたその日

なんと! 

会長はベンさんから

私の思いを訊いて

皆呂家の都合に合わせて

再びいらしてくださったのです!!
  

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それが

ヨネックス創業者の米山 稔氏と皆呂家とのこの写真

まさに!我が家の家宝です


米山 稔 氏は

2019年 11月 ご逝去

95歳でした




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長岡駅から

バスに乗り


着いたところが

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ここ!

すごい!大きい!

ヨネックスが

7月より運用を開始した

ヨネックスの最新施設

その名も


ヨネックス パフォーマンス 
イノベーション センター 



最新鋭の機器を導入して

テニス・バドミントン・ソフトテニスを

科学的に分析して、あらゆるプレーヤーを支える

モノ作りを目指すために作られました



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テニス4大大会で使用される

ハード・天然芝・レッドクレー

4種類のサーフェス


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施設がオープンして

バドミントン・テニス関係者の視察があり

この日は、ソフトテニス関係者が

招待されました


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選手のトレーニング施設

これからも少しずつ充実させていくそうです

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さらに進んでいくと


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国際規格の

インドアコートが2面

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今回の視察のメンバーは

日本連盟の偉い方々

高校ソフトテニス界の名監督

地元(新潟)の先生方

ソフトテニスマガジンの編集者

それに、あゆタロウさんやぉまみちゃんなどの

インフルエンサーと

ソフトテニスの主力店の方々です


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お!

船水颯人 プロ

そう、この日は

船水プロはじめ

上松選手

丸山選手

高橋乃綾選手

先日の世界大会で活躍した

日本代表選手たちも参加していました


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              ロッカールーム


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ベンチに

それに腰掛けていらっしゃるのが

三重高校 校長

神崎先生

(この方がどのような方かは後ほど・・・)

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左から

日本体育大学監督で男子日本代表監督の

篠原氏

(公財)日本ソフトテニス連盟 安道会長

三重高校校長 神埼公宏氏

(公財)日本ソフトテニス連盟 佐藤健司 専務理事 

そうそうたるメンバー

なんだか楽しそうです (笑)



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このコートでは

最新鋭の測定機器を揃え

選手のパフォーマンスを測定して、

ラケット作りに反映します

この施設の隣に

長岡工場が隣接しており

将来的には

その選手に合ったラケットを

最短24時間以内に作ることを

目標としているそうです。

すごい!




ちなみにこの日

サービスのスピードを測定した

上松選手の数字は

時速209km!!

はや!

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外のコートでは

日本代表選手たちが

地元の高校生と練習していました


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雨がポツポツ降ってきたので

インドアコートに移動します

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とりあえず

記念撮影

高校生たち

大ラッキーですね!

羨ましい!

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練習を終えて

上松選手から高校生にアドバイス


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ヨネックス新潟の実業団選手が

サポートしていました



圧巻の施設の視察を終えて

長岡駅前のホテルで

懇親会が開催されました

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進行、司会は

ヨネックス ソフトテニスチーム

高月選手

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ヨネックス ジャパン

米山修一 社長

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篠原監督


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尽誠学園 

塩田総監督

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米山修一社長・神崎先生と

自撮りしていたら

神崎先生が

「ナロさん 見せたいものあります!」と

わざわざ車まで取りに行ってくださったものが

これ!

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「昔、ヨネックスさんの

記念Tシャツのこのイラスト

私がモデルよ!」

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我々シニア世代は周知のことですが

神崎さんは

1980年代の

軟式テニス界のスーパースター

だったのです


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これは1987年 

韓国で開催された 世界大会を取り上げた

軟式テニスマガジン

(私の最初に行った国際大会です)



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ほら!この写真

よく見つけたでしょ!

実は、私が見つけたのではなく

フェイスブックでこのTシャツのエピソードを

アップしたところ

知人で、「軟式テニス」時代について

強烈に造詣が深い

新潟在住で元大手広告代理店のエリートだった

H氏(ペンネーム 冬のアナタ)が

この写真を探してくださました

すごい。。。

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1989年 高知インターハイでの

記念Tシャツですね

「ナロさん、これ持っていって!」

「え!こんなレアものいただけませんよ!」

「ワシが持っててもしょうがないねん」

といただいてしまいました。。。

お店にかざっておこうかと・・

恐縮です。。。



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パーティを終えて

超レアな

ツーショット

お疲れさまでした

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ちゃっかり

私は4人からサインをいただきました

年末年始 福袋やセールの

おまけにつけようかと思います


今回の


ヨネックス パフォーマンス 
イノベーション センター 視察



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米山稔氏のお母さんが

戦禍の中

このモーターを残したことから

始まった

ヨネックスさんが

いま、バドミントン界

テニス界

ソフトテニス界

を牽引しています


30年前ほどからラケットメーカーは

円高のため

生産拠点を海外(主に中国)にシフトしました

それを、ヨネックスは

あくまでも

「メイドイン ジャパン」にこだわった

ここ長岡で作り続けました

ヨネックスさん

ひいては

創業者

米山稔さんの

生まれ故郷

長岡への強い思いが

世界でも例をみない

ラケットスポーツ専用研究施設

ヨネックスパフォーマンス

イノベーションセンター

を生み出したのですね・・・



「我が家の子どもたちに

この偉人と会わせたい!」


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我が家のリビングには

緊張の皆呂家と

笑顔の米山稔さんが・・・




naro34 at 15:05|Permalink