ナロ杯 もろもろ650名のメガ合宿

2011年08月18日

ソフトテニスマガジンの祖先。。。


この雑誌。。。


テニスマガジン 表紙 

現在のこれ。

テニスマガジン今の

硬式テニスの雑誌です。

でも、もう一度、さっきの表紙みてください。。。

よーくみてみると

なぜか、表紙を飾っているプレーヤーの手には

ソフトテニスのラケット。


なにかの間違い?????


実は 「テニスマガジン」の創刊当時(1970年前半)は

記事の内容は、軟式テニスと硬式テニスの二本立て。


また、割合は

軟式テニス関連 8割、硬式テニス関連2割 という

軟式テニスのほうの情報が多く、硬式テニスは、おまけ程度の内容でした。

だから、あの表紙は間違いではなく、軟式プレーヤーだったのです。


ページをめくってみると

テニスマガジン 1

右ページと左ページの上が 軟式

左ページ下の写真が 硬式

いずれも インカレの様子です


テニスマガジン 2

これは、軟式のインターハイ



そして、この方々も

テニスマガジン 4

都市対抗での

西田(現日体大監督)・時安(ソフマガの「極みの基礎技術」でおなじみ)ペア。

私たち年代の名選手で、本当に強かったです。。。

いまでいうと、中堀・高川ペア、篠原・小林ペアに匹敵するか

それ以上の強さだったかも知れません。。


広告も

興味深いものが・・

テニスマガジン 3

オニツカ タイガー  ってメーカーしっていますか?

「アシックス」 さんの前身です。。 

定価 ¥1,100だって。。

今と一ケタ違いますね。。



テニスマガジン 5

ヨネヤマ ラケットは

そう 「ヨネックス」さん

ウッド全盛時代にアルミ製のラケットの広告。。。

今では想像できないほど

トップ選手や強豪校などは見向きもしない

知名度ゼロの弱小メーカーでした。。。。



創業の米山 稔 氏の努力と才覚で

今や  世界のヨネックス 




テニスマガジン6

こんな、コラムもありました。。

ざっと内容は

①連盟役員の若返りの提唱

②マスコミへのアピール不足

③ウエアのカラー化(このころはすべて白でなければならなかった)
 
④ルールの厳守化(審判、役員いったん決めたルールはきちんと守らせる)


①②は永遠の課題なのかな。。

③はいまではインナーウエアの自由化にもつながる

④は今にあてはまめると、イエローカードを出せない審判 のようなものかな。。

40年前のコラムです。。これ。。



こんなページも

テニスマガジン 8


「エースをねらえ!」そっくりな タッチ、内容。。。

ひょっとして、これがモデルになっているのかも。。。



県の中体連優勝を目指す姉妹が町のコートを借りて
猛特訓中、その練習を、コートサイドの観覧席で
ジィーとみている青年がいた。。


テニスマガジン11


夕方になっても、その青年はその場から動かず、、
姉妹は気味悪がっていた。。

妹のミコがミスをすると、その青年は、退屈そうな
しぐさをするので、ミコは「ちょっとあなた!そこから
みているようにはいかないのよ!
なんだったら、私とお手合わせ願えて!!」

とその青年をコートに引っ張りだし、
ミコはその青年に向けて、思い切りサーブをすると

その青年は、目が覚めるようなレシーブ・・・・・

テニスマガジン13


その後、青年にコーチを受けることに・・・・・・

姉妹は、それぞれその青年に思いをよせるようになる

あの人は何者??・・・・・



テニスマガジン16

そんな思いをよぎらせているとき

テレビで「全日本庭球選手権」の中継・・・・

その画面には、あの 青年・・・・・・・   つづく。。


とても ベタ なストーリー。。。。。



この 軟式・硬式同居 雑誌はあまりうまくまとめられなかったのか

5年後には

このように 

ソフトテニスマガジン 創刊号

独立して

その後

今の「ソフトテニスマガジン」へと つながってくるのです。



































naro34 at 19:19│Comments(0)TrackBack(0)

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