2016年05月31日

占いの使い方。未来は自分で切り開くものです!!

占いと一言で云っても多種多様、物凄い種類がありますね。
月例会でもプロでお仕事されている占師さんも来ていますし、面接やメールでの相談にもお出でになります。
一般の方が占いを頼る時や使う時、未来を読んで貰いたいと云うのが殆どでしょうね。
占いと云うものは、東洋の占いの多くは元々は古代の国家が他国との戦いの時に有利に働く戦略、兵法から出ていて、また自然の流れを見て自然災害等から身を護る為のものでした。
西洋のものについては、自然の声を聞くとか、神の声を聞くとかと云う為に使われてきたものが多いと思います。
占いは、長い歴史の中で生まれ培われた神や自然、宇宙との関わりを知り、声を聞く為の学問として確立されています。
単に未来を見る為の道具ではありません。
占いの結果を参考にして、戦略を立て、勝ち抜き生き抜く為のツールであり、また世界の成り立ちを知る為の学問でもあります。
密教でも陰陽道でも神道でも占いは使われて来ました。
しかし、それは未来を知る為ではなく、物事の本質を見抜く為や、何かの問題の原因を追求する為です。
未来を決定するのはあくまでも自らの意思と行動です。
占いによってある程度の未来は確かに知る事が出来ます。
が、考え方や行動が変わったり、意識の方向が変わった瞬間から、未来は変化します。
占いによって出て来た結果が全てではありません。
これからやるべき、進むべきものを決める時に意思決定の為の一つのツールとして利用して行くのは、大変に有益だと思います。
しかし、頼り過ぎて、占いで全部決めて行くなんて事になってはなりません。
町で売られている占いの本には、表面的な部分しか書いてありません。
その精度を上げて行くには、本には書かれていない口伝や秘伝が必要になります。
遊び感覚やファッション感覚で占いと付き合って行くのは、別に否定はしませんが、出来れば占いの本質、物事の原因や本質を見抜く為に使うと云う様にして戴ければと思います。
同様に、霊能者や特殊な能力を持つ人も同じです。
未来を見る為に頼るのではなく、因縁を知り原因を突き止める為であると良いですね。
その上で、これからどうするか良く良く考えて意思決定するのは、最終的には自分自身です。
自分の未来は自分の力で切り開き、掴み取って行って欲しいですね。

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2016年05月30日

御先祖の供養、やってみたら・・・。甘さが甘さを呼ぶ。

 今日は以前より御依頼されていた御先祖様の御供養をしました。
中々に深い因縁のある一族なので気合いを入れて内弟子共々御供養に入りました。
が、思いの他、御先祖様達は潔く、また高潔であり、スムーズに進みました。
中々剛毅な御先祖様で、その分、こちらの思いが伝わると覚悟を決めて行くべき所へ嵐の様に進んで行かれました。

 ちょっとした問題の話を数日前に耳にしました。
その問題自体は何があろうと当事者間の問題であり、間に入るつもりもありませんし、注意するつもりもありません。
大人同士の話ですから。
表面だけ見ていると一方が悪くて、一方は悪くないと見えて仕舞います。
そんな状況の中で、誰しも常識的な目線で見て正しい間違いを決めつけて仕舞います。
でも、人と人が関わる中で、一方だけに原因があると云う事はありません。
精神世界やスピリチュアルの観点から見れば、どっちもどっち。
甘さが甘さを引き寄せて、それが結果的に心地良くない結論に繋がったと云う事ですね。
自分が苦しい時に安易に人に甘え、それをまた安易に善意のつもりで手助けして甘やかせて仕舞って、片方にしてみればやってあげたのに・・・と。
本当の優しさではなく、甘やかしてその場を凌がせただけ。
人として本当にその相手を思うなら、厳しく叱責したり、道を指し示す事も出来る筈ですね。
甘える方も、人に簡単に甘える前に、自分で決意し肚を括ってやるべき事をやれば、人に甘える必要などないし、自力で抜け出してこそ自分も成長し、経験も積んで行けて強くも大きくもなる事が出来ます。
問題の本質から目を背けて、逃げ根性でその場をやり過ごしても、所詮は繰り返しです。
根本的な部分を変えて行かないと、また同じ事が起きて仕舞います。
どっちも未熟。
甘さと甘さが互いの信頼(そもそもそんなものがあったかどうかですが)を壊しただけ。

 困った時に人に頼ったり、逃げ出したりする事が悪い事ではありません。
でも、まず自分がやるべき事、やらねばならない事から目を背けていたら、その問題の本質や原因が見えません。
また甘やかす方も、安易な援助は自己満足でしかなく、物事の本質的な解決に繋がりません。
甘さは甘さを生み、負のスパイラルを生むだけです。
意味のない、その場凌ぎのボランティアと同様、自己満足では本質的な救いや癒しに繋がりません。
綺麗事だけでは生き抜いて行けません。
が、失ってはいけない、違えてはいけない筋や原則もあります。
どちらもそこに気付いて成長してくれたら良いですね。


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2016年05月29日

不動明の御縁日でした

 28日は不動明王の御縁日と云う事で沢山の方が参加されて、気合いの籠った読経で皆で祈りました。
何を願う訳でもなく、ひたすらに不動明王の炎の中での浄化。
今の時期、何故か色々な人に浄化の現象が起きている様です。
千座行をやる事によって起きている洗い出し現象、過去のトラウマや因縁の解消の為、精神的にも肉体的にも隠れていた事が表面化して消えて行く。
洗い出しが出ている間はちょっと辛いですが、出て綺麗になって仕舞えばスッキリ軽くなります。
神の行を続けている人が、自分の隠された自分と向き合う事でハードな思いをしながらも段々と浄化されて軽くなって行く。
心身潔斎と決意を込めて神の行をしている人が、心の中に溜め込んでいた事を吐き出して軽くなる。
頭では解っていても、中々心まで変えて行くのは難しいものですが、視野を広げて価値観を柔軟にして行く為に楽しく厳しく皆からアドバイスを受ける。
そんな人が色々な話をして、読経もあって、お茶を飲み菓子をつまみながら何時間も話し、癒されながら解放され、また学んで行く。
とっても充実して、良い空気に包まれている時間でした。
ありがたいですね。

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島津成晃naruaki_shimazu at 05:02│祈り 

2016年05月28日

尊敬に値する心意気

 流水さんの漫画が出た影響でしょうか、最近プロでやっておられる方からの読者申請やFacebookの友達申請、フォロー等が増えています。
弟子達の所にも相談者やクライアントが増えて来ている様で、嬉しい限りです。
今日もプロで占いをやり、パワーストーンの作成もしておられる方がお出でになりましたが、既にプロとしてやっていて、更に上を目指してスキルアップの為に相談にお出でになったり、ブログを読んで下さったり、そう云うのって凄いなと思います。
プライドもあるでしょうし、人から何だかんだと云われたくないと思うのですが、アドバイスを聞いたり、習ったりしようとするその心意気と向上心、尊敬に値します。
大体、能力者なんて人種は、人に頭を下げるのが嫌いな人が多いものですが。
人に頭など下げたくないものですよね。
私も礼儀上、頭を下げる事を厭うものではありませんが、認めた相手以外の人の言葉は完全スルーしますね。
能力者である以前に、人としての品格を大切にしたいと思うので、礼儀を重んじたいと思っています。
心に誇りを持って、頭を下げる余裕と自信を持ちたいですね。

 占師さん、占いを教えている先生、アロマの学校をやっておられる先生、セラピスト、ヒーラー、色々な方がお出でなっていて、またお問い合せ戴きます。
本当に有難い事です。
お互いに良い協力関係が出来てネットワークが出来たら良いなと思っています。
人それぞれ価値観も違えば、好みも違い、相性もあります。
それぞれ、自分に合った先生の所へ相談に行かれるのが良いと思います。
能力者と云っても色々なスタイルもあればジャンルもあります。
ライトなものから、ファッショナブルなものもあれば、ディープなもの、一人一人違います。
どれが正しいと云うじゃなく、自分に合った先生を見つけて相談されるのが良いと思います。
私も御相談を受けた時に、私の所へ来ているヒーラーさんや占師さん、弟子達を御紹介する事もあります。

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島津成晃naruaki_shimazu at 03:34│仕事 

2016年05月27日

簡単なものほど難しい、毎日の御供養を千日続ける事

 今日、千座行を始めたいと、いつも通って来ているお嬢さんが夜にやって来ました。
彼女はどちらかと云うと神系で、神の言葉を聞いたり、コンタクトする事も出来るのですが、最近御先祖様からの御供養の要求が出始めている様子もあり、自分で読経してみると楽になると云う事で、千座行の必要性を感じた様です。
神と繋がる事の出来る位のレベルの魂を持っていても、御先祖様は肉体由来ですし、それとこれは別にしてしっかり御供養して行けば、肉体由来の因縁も解消されて行って、心身共にもっと楽になって自由になって行くと思います。

千座行は、毎日一座、つまり一日に一回御先祖の御供養を自分でやり、それを千日間、ほぼ3年間やり続けると云うものです。
一日も欠かさずやると云うのは中々難しいもので、途中で旅行や病気や他の用事が入ったりして、どうしても邪魔が入ります。
それでも頑張って千日間やり続けると云うのが、ただの御供養でありながらも、修行です。
それをやって何が得られるか、それは人それぞれですが、明らかに精神的にも肉体的にも変化します。
また、日々の御供養の習慣が出来て、朝に顔を洗う様に一日に一度の御供養が当り前になります。
一番大切なのは、一日に一度必ず手を合して心を鎮めて御先祖と向き合い、心身をフラットに戻すと云う事ですね。

他の修行では、百座でも二十一座でも、一日に数座行なう事で日数を短縮出来ます。
礼拝行等は、百八回の五体投地を一座として二十一座やりますから、一日に一座で二十一日間、一日に三座やれば一週間で終ります。
でも、千座行だけは一日一座、必ず千日やるのが決まり。
人が意識も身体も変えて行く為には、それ位の時間が必要です。
逆に急激な変化は自分自身にショックを与えて仕舞います。
ゆっくり時間をかけて変化して行くのが自然ですね。
細胞の一つが生まれて死んで行くまで、同じ位の時間がかかると云います。
千座行をやり終える頃には、始めた時に生まれた細胞が全て生まれ変わっていると云う事でしょうか。
ただ、途中で止まったら、その時からまた一からやり直し。
九百九十九日目に行が止まる、破れたらまた一日からやり直しです。
後一日と云う所で破れたら泣くに泣けないですが、それが修行と云うものです。
簡単な行ですが、簡単なものほど難しい。
修行とはそんなものですね。

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島津成晃naruaki_shimazu at 01:49│祈り 

2016年05月25日

今日の道場

 今日は火曜日ですから道場へ行きました。
その前に、数日前から歯の調子が良くなくて、昼前に歯医者さんへ。
昨日、思い立って歯医者さんへ予約を取ろうと思って行きましたが、入ったら顔を覚えていられて、あら?予約ですか?と聞かれて、お願いしました。
と思ったら、昨日仕事で出かけていた妻が同じく歯の調子が悪くて、急遽お願いして今日の夕方に歯医者へ。
同じタイミングで調子悪いって何でしょうね(苦笑)
その後、道場へ向かいましたが、てっきり間に合わないと思っていたので、遅れて参加しますと師範に連絡していたのですが、向かってみると案外スムーズに着いて、いつもより少し遅いものの、練習前に着いて仕舞いました。

外は日が沈んでから少しずつ涼しくなっているのですが、道場の中はいつも通りの暑さ。
日々暑くなっている気がするので、いつも通りと云うより、いつもより暑いと云った方が良い位でしたが(笑)

 暑さのせいか、かなり今日は披露しました。
少し前から、肩や仙骨辺りが原因が良く解らないで痛んでいて、ずっと以前にハワイから帰った時になった急激な気の増量、パワーアップした時に身体が悲鳴をあげた時に似ている様な気も・・・。
傷めた覚えもないし、仕方ないので様子を見ています。
ですから、道場でも思う通りに身体が動かない感覚があって、疲れました。
絶対的な体力の低下は否めないですが、その内、復調するでしょう。

練習後はスッキリ感はしっかりあります。
ただ、いつもより疲労感が強いと云うだけの事です。

 練習前に道場のウェイトスペースで待っていたら、こっそり妻に写真を撮られていました。(苦笑)

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島津成晃naruaki_shimazu at 03:43│空手 

2016年05月24日

被りなど恐れるに足りません

 被りと云うのは、場所や人からのネガティブな波動や意識と同調して共鳴して起きて仕舞います。
悩んでいる人や暗い人と話していると自分まで暗くなったりするのと同じです。
無意識に残った一種の記憶の様なものです。
ですから、その記憶を塗り替えたり、消して仕舞う様な強い刺激やポジティブなエネルギーで打ち消して仕舞う事が出来ます。
感覚が上るとどうしても被りに対して敏感になって仕舞います。
気持ちが沈んだり体調が悪くなって仕舞う事があるから当然ではあります。
しかし、被りに対して過剰な恐怖心や拒否感を持って仕舞うと、どこにも行けなくなりますし、誰とも話す事も出来なくなって仕舞います。

護身法は、読んで字の如く、身を護る為の法です。
が、同時に自己浄化の法でもあります。
身を護る為にガードを自分の周囲に張る前に浄化しておかないと、閉ざされたガードの中にネガティブなものを閉じこめて仕舞う事になります。
きちんと作法通りに、完全に護身法を切る事が出来るなら、その時点で自己浄化も出来ている筈です。
それでも被るなら、護身法に甘さがあるか、被りを受け入れて仕舞う何かの要素があるからです。
それは、情だったり、自分の好奇心だったり、妄想だったり、色々ありますね。

護身法を学んでいる方でも、新しく参加して来た人に対して被りを感じて拒否感を持って仕舞ったり、距離を取ろうとする方もおられます。
が、そう云う自分も以前は先の人にそう思われていたと云う事を忘れておられるのかもしれませんね。
被りを恐れるより、被りに負けて仕舞う未熟さを恐れるべきですね。
きちんと護身法を切って自己浄化すれば何と云う事はない、恐れる必要もありません。
また、被りに強くなる為には、何度も被って浄化してを繰り返して経験を積んで行く事で強くなります。
痛い思いを何度もしなければ強くなりません。
恐れるよりも闘えです。
被り如きで気持ちも身体も負けていては、高いレベルの強いパワーには耐えられません。
強い意志を持って、被りに打ち勝ち、完全な護身法を身につけて戴きたいですね。


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2016年05月23日

遠方からも参加して戴き、楽しい月例会でした

 今日は毎月恒例の月例会でした。
いつも通り、護身法から始めました。
初級では印契と呼吸、身体の動きなどを学んで戴きます。
中級では観想を重視して行ないます。
上級では、初級中級で学んで身につけて来た気をパワーアップさせる為に密教体操を指導し、更に発展させて九字法等、そこから更に発展させて気療も学んで戴きます。
中級、上級の人達の進歩が目覚ましかったです。

 その後は、太極拳と気功です。
内弟子の指導で行なっていますが、月に一度なのでどんどん進歩すると云う訳には行きませんが、皆さん楽しんで戴いている様です。

そして、休憩の後、今日は突然ですが、九星術を基本とした密教占星術の触りを教えました。
たんなる占いではなく、スピリチュアルのセンスや感覚を磨く為の基礎トレーニングとしてもとても良いものですし、的中率も相当高いものです。
陰陽五行、九星を組み合わせ、そこから秘伝の手法を用いて占断して行きます。
私が40年位前に学び、良く使用したものですが、妻と内弟子に伝授してありますので、二人をメインにして指導して貰いました。
また、参加した方の何名かをモデルにして相談して貰い、それを占断する事でやり方の一旦を公開しました。
これから毎月、少しずつ公開しながら学んで戴きたいと思います。

 その後は色々なテーマで話したり、体調の悪い方に気療したり、被りを祓ったり、特別に個別相談をしたり、皆さんが神社で引いて来た御神籤の解読をしたり、またお札の入魂等も必要に応じて行なったりします。
今日は守護神がついた事で急激な変化に辛い思いをしている方に、特殊な秘法を施しました。
一般の方には何をしているか分らなかったと思いますが、内弟子達は流石に何が起きているか何をしているのか解った様ですね。
いつもながらバラエティに富んで楽しい一日でした。

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2016年05月22日

新しいものと古いもの

 今日は、明日が月例会なので、また暑くなって窓を明ける可能性があるので、網戸の貼り替えをしました。
そろそろ庭にヤブ蚊も出て来始めている様ですし、ヒキガエルも時々顔を出してくれます。
嫌なゴキブリの季節でもありますね。
窓を明けた時に虫が入って来ない様に網戸を直しておかなければと思って、今日やりました。
雨露のせいでどうしても劣化して来ますから仕方ないですが、破れたまま放っておくのも宜しくないですしね。
終ってホッとしていると、二階にある自室、事務仕事をPCでしていますが、その部屋の天井の電気のスイッチが駄目になり、もう寿命だと云う事で、急遽新しいものを注文しました。
数日で来ると思いますが、物は年数が経てば必ず劣化します。
気に入ったものはずっと使っていたいのが人情ですが、あまり固執するのも非現実的ですね。
と云いながら、愛車はもうすぐ車検ですが、20年以上経つ古い車です。
この車種の特徴ですが、部品を新しくしたりメンテナンスをしっかりやっていると、かなりのレベルまで復帰出来るので、私も若くないですし、部品がある限りは乗り続けて行きたいと思っています。

 古い物が全て良いとは限りませんし、新しい物が良いとも限りません。
古い物が持つ良さもあれば、新しい物が持つ良くない所もあります。
何でもかんでも新しくすれば良いと云うものではなく、と云って古いものにずっと固執しているのも宜しくないですね。
柔軟に、その時々に合せて取捨選択して行くのが良いでしょうね。
物以外でもそう云うものはありますね。
作法や礼儀にしても、古いものが全て良いと云う訳でもなく、でも何でも新しいやり方が正しい訳でもない。
そこに心がちゃんと乗るか乗らないか、思いが乗るか乗らないかが大切だと思います。

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2016年05月21日

軽い気持ちで関わっては危険です

 昔からおまじないやコックリさん、占い、パワースポット等々、どこか遊び感覚やファッション感覚でやって仕舞い勝ちな、実はスピリチュアルそのものであるものがありますね。
その中には知識も経験もない素人がやっても問題ないものもあれば、そう云う人達が軽い気持ちでやって仕舞うと大変に危険なものもあります。
昔から良く心霊の番組などでも取り上げられる事が多い心霊写真ですが、これもたまたま撮れて仕舞う事もあります。
点が三つあって、そこに線が含まれていると、霊などいないのに顔に見えて仕舞うと云う事もあります。
そう云う写真が撮れたからと云って騒ぐ必要もありませんしが、写ったからと云って喜ぶ人がいます。
高次元の意識やエネルギーが写真に写るなんて事は滅多にありません。
大抵、そう云うものが本当に写った場合、殆どは低次元のものであって写真に写っただけで何事も悪い事が起きないで帰って来る事が出来て幸運だったと思うべきですね。
やれオーブが写ったとか、何かが写ったとか、写真を撮る度に気にして探し、写っていたら喜んだり、まるで自慢するかの様な人もいますが、オーブでも良いものもあればそうでないものもあります。
知識も経験も浅い人は、あまり興味を持つのはお勧めしません。
少なくとも、写ったものの正体を見抜く目をしっかり持っていないと真贋は見分けられません。
また、そう云う場所に出入りするには、自分の身を守り、浄化出来る力を持つべきです。
興味本位で出かけて、何かが起きて仕舞った時に専門家の力を借りなければいけない様な人は、そう云う事はするべきではありません。
自分で責任を持つ事が出来ない人が、遊び半分でスピリチュアルに関わるべきではありませんね。
生兵法は大怪我の元です。

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