昨日の伝授で出た話ですが、神社等へ出かけて祈る時、無意識に日常の愚痴を心で語って仕舞う事ってないでしょうか。
日常の報告をするのとは、似て非なるものですね。
普通の人間同士の会話でも、愚痴など聞いて楽しい筈もなく、人の愚痴に興味を持っても全く意味がありません。
どうせなら楽しい時間を過したいですし、ポジティブな話をしたいですよね。
神も何かを目標にして頑張る人や努力している人、そう云う人には興味を持ち、聞いてやろうと云う思いにもなるでしょう。
ですが、愚痴を祈りの時に思っても、神はそんな事に興味もなければ、聞く気もありません。
祈りは純粋なものであり、願い事をしたり、頼ったり、愚痴を云う為のものではありません。
神仏と意識を一にする。
神人合一、入我我入と云いますが、神仏を身体に降ろす降霊とは違います。
大いなる存在と共鳴し合って同調して行く。
その中で、自分の中にあるネガティブやグレーやブラックな部分を自然と分解して霧散させて行く。
大切なのはしっかり深い呼吸をする事。
呼吸を全身に行き渡らせ、また吐き出して行けば、雑念など出て来ません。
出て来たとしても、表面の事であり、自然と流れて消えて行きます。
内弟子が持って来た水晶に入魂しましたが、横で見ていた内弟子が、それが解った様です。
水晶に神が降りて来て入るのではなく、私を通じて入って行く。

供養であれ、祈願であれ、日常の祈りであれ、要は心です。
心と身体と意識を一致させる。
それを繋ぐのが呼吸。

 何れにしろ、愚痴や不満、自慢ばかり話す様な人は、神仏からも人からも好かれないですね。
自分がどう云う生き方をするのも自分次第。
何を大切にするのか、何をやらないのか、それも自分次第。
頭の表面だけで考えないで、しっかり肚を決めて深い所で心を定めて行くべきでしょうね。

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