男性が主人公の作品

2013年04月07日

『旅役者』のタイトルは市川崑!

1996年の東京国際映画祭のプログラムの切り抜きが出てきた。
市川崑監督が「ニッポン・シネマ・クラシック」を回想する、と題されたもので、談話を書き起こしたもの。

後半部分を以下に引用:
助監督時代は、映画のスタッフ・キャストのタイトル文字を書くのが得意で、『むかしの歌』(1939年、石田民三監督)をはじめ、ときどき書かせてもらっていた。
黒紙に、白いポスターカラーをつけた筆で、一気に書く。製作部から賃金が出るので、小遣い稼ぎにもなった。(笑)
で、僕が書いたものを成瀬巳喜男監督がどこかで見られたらしく、自作の『旅役者』(1940年)のタイトルを依頼してくれたんです。
「きつね馬」という小説の映画化で、たしか、鈴木信太郎画伯の描いた挿絵のトーンに合わせて文字を書いた覚えがあります。

ということで、『旅役者』のタイトルは市川崑によるものです!

旅役者タイトル1旅役者タイトル2旅役者タイトル3



naruse2005 at 23:12|Permalinkclip!

2009年12月19日

映画カラオケ

月刊誌『東京人』2009年11月号の特集「映画の中の東京」に『大瀧詠一の「映画カラオケ」のすすめ。』が載っています。

大瀧氏によると、
成瀬の『銀座化粧』と『秋立ちぬ』は「十年という時間を経て、レコードでいうならばA面とB面、続編でもあり姉妹編でもあり(中略)さまざまのところでシンメトリックになっている、
そうです。

例えば、
四谷生まれの成瀬は、大正七年から八年にかけて聖路加病院の南側にあった工手学校に通っていたが、勉強そっちのけで図書館に通っていたらしい。その図書館というのが京橋小学校の中の京橋図書館という可能性があり、『銀座化粧』の坊やも『秋立ちぬ』の秀男も京橋小学校に通わなければいけない。
とか。

大瀧詠一氏のプロフィール「現在では自らを「生活家」とし、働いてはいないが遊んではいない。引いてはいるが籠ってはいない、と語る。」が愉快でした。



naruse2005 at 14:13|PermalinkComments(2)clip!

2009年08月13日

『はたらく一家』(1939年)

“はたらく一家”は、父・徳川夢声、母・本間文子、長男・生方明、次男・伊藤薫、三男、四男、五男、長女、赤子、おじいちゃん、おばあちゃんの11人家族。
父&長男から三男までが外に働きに出ていて、母が封筒作りの内職をしている。
四男も中学に行かず小僧になることになっている。
近所の人からは、頼もしい働き手がたくさんいていいですねえ、と言われるが、「お父さんの給金は年々少なく」なっているらしく、母は家計のやりくりに苦労している。
鱈がお買い得となれば、鱈豆腐(タラドウフって一体?)にしたいところだけれども、豆腐が五銭もするので、煮つけにするしかない。

男衆三人によるでんぐり返しの華長男・生方がこのままでは貧しい生活から一生抜け出せない!結婚もできない!と一大決心をし、父・夢声に「5年間の暇をください。電気学校で勉強をして、いい給料をもらえるようになります」と願い出る。
父・夢声は長男の言うことはもっともだ、できるならばそのようにしてやりたい、と思うのであるが、「今でもきゅうきゅうの生活なのに、長男の収入が入らなくなると一か月ももたないだろう。それに、長男が家を出てゆけば、次男・三男と出てゆきたいと言い出すに違いない」と考え、返事を保留する。
長男・生方も父・夢声もそれぞれに悩んで、四男の先生である鷲尾先生(大日方伝)に相談するのだった。

『映画読本 成瀬巳喜男』の解説には、「視野が一家の貧困の現実に限られ、貧困の環境にまで及んでいない。、、、貧困の構造も見えず、曖昧で無意味な結末に終わってしまった、、、」とある。
「視野が貧困の環境にまで及んでいない」「貧困の構造が見えない」というのは、この一家が真面目に働いているのに、貧困からどうして抜け出せないのかがわからない、ということだろうか。
そもそも、成瀬はこの映画で“貧困の環境”や“貧困の構造”を描こうとしているだろうか。否。
貧しくとも、貧しいからこそ、お互いをおもいやり、貧しくとも楽しいことのある一家。それが“はたらく一家”。

“はたらく一家”の二階の子供部屋で、二男・三男・四男の三人が「頑張るぞ!」と言い合った後、部屋の真中に敷いた一枚の座布団の上に頭をつけて三人が四方からかわるがわるでんぐり返しを繰り返す。
そして、階下では父・母が「なんだろうねえ」といった風に上を見上げるというラストシーンは、「曖昧で無意味な結末」ではなく、私には微笑ましく気持ちよい結末だった。

『映画読本 成瀬巳喜男』の解説も最後は「安定した技術をもとに、久々の成瀬らしい作品となった」と結んでいる。

四男・栄作くんメモ1:四男(平田武)は『おかさん』(1952年)の久子を思わせて、男五人兄弟の中で一番のお気に入り。
二日酔いで横になっている父の枕もとに何気なく座って、父の様子をうかがう四男。
小僧にならずに勉強を続けたいのだが、父にそのことを強く訴えられないので、良い機会をねらうためのこの行動がかわいい。
自分のせっかくの貯金を母にねらわれる。家計の足しにされるのなら、自分で使ってしまおうと、お兄ちゃん二人に蕎麦屋でごちそうするところも純な男の子らしい。

メモ2:次男の伊藤薫は、『妻よ薔薇のように』(1935年)で千葉早智子の父のお妾さんの息子、『桃中軒雲右衛門』(1936年)では桃中軒雲右衛門の息子だった。

メモ3:長男の生方明は、『雪崩』(1937年)で佐伯秀男の幼なじみ・弥生の弟だった。『愉しい哉人生』(1944年)では本屋で出ているらしいが、覚えていなかった。

メモ4:徳川夢声にはたくさんの著作がある。この映画を観た帰り、おしゃれな古本屋にて偶然にも徳川夢声著『私の動物記』を発見する。



naruse2005 at 23:31|Permalinkclip!

2006年10月26日

『桃中軒雲右衛門』(1936年)

桃中軒雲右衛門の月形龍之助桃中軒雲右衛門は浪花節芸人。原作は「雲右衛門を単なる芸人という以上に、芸術家として創造した」青山青果という人の戯曲だそうである。

雲右衛門(演ずるのは月形龍之助という人)は一同を引き連れて東京に乗り込む車中にある。彼の眉間には深い2本の皺がきざまれている。隣に座る三味線弾きでお妻という名前の雲右衛門の妻(細川ちか子)も心配気だ。東京には嫌な過去があるらしい。
一旦、静岡で下車し、料亭で気分を紛らわせた雲右衛門は、古傷を一生抱え込んで生きていくんだ、と覚悟を決め、東京へ向かう。

東京でも雲右衛門の浪花節は評判となり、昔、他の女との間に出来た息子、泉太郎(伊藤薫)も呼び寄せて一緒に住む。
人間であるよりも芸人でありたい、俺はただ芸人でありたい、と言う雲右衛門は、やがて芸者、千鳥(千葉早智子)を愛人とし、新聞にスキャンダルとして書き立てられる。そのことで心を痛める泉太郎。お妻も口ではそれが芸のためになるならいいんだ、と言いながら、本当のところはやはりつらい。
そして、お妻が病気で入院し、様態がよくないと知らされる雲右衛門。しかし、見舞いに行かない。皆から不人情と思われるが、その心は、普通の女になってしまったお妻を見るのが淋しいから、芸に生きた女としてのお妻の姿を心の中に残しておきたいから、だった。
静かに息をひきとったお妻を前に雲右衛門は浪花節を語る。

『映画読本 成瀬巳喜男』の解説いわく、「孤高、不逞、佶屈の主人公に寄せた原作者のパトスを、成瀬は共有していない。月形龍之助の演技また然り。観念的な台詞が浮いてしまうばかり。夫婦の過去が説明不足で、“男と女”の映画としても不得要領」。
月形龍之助、細川ちか子は好きにはなれないが、泉太郎の伊藤薫のまっすぐな心に母性本能がくすぐられ、千鳥の千葉早智子はいつもながら自然で素敵で、脇の三島雅夫、御橋公も良いキャラを出している。



naruse2005 at 11:03|Permalinkclip!

2006年06月27日

『俺もお前も』(1946年)

主人公の横山エンタツと花菱アチャコ「成瀬自身のオリジナル・シナリオ。薄給会社員を主人公に、喜劇的展開の中に小市民の悲哀を浮かび上がらすのは、往年松竹蒲田時代に彼が得意としたところ。だが、ここではその主人公を演じるのがエンタツ、アチャコのコンビである。彼らの掛け合い漫才芸が戦後世相現実と無縁に自己完結してしまうのは、当然といえば当然。それに二人は動けないから、ますます喜劇的要素と現実的要素は水と油。成瀬の不振を印象づけるだけに終わる。」これは、毎度お馴染み『映画読本 成瀬巳喜男』(フィルムアート社)の解説全文である。
これを書いた人は、エンタツ、アチャコをあまり好きでない人のようである。二人は動けない、とは何を指して言っているのか???

妻に先立たれたエンタツには、3人の娘と1人の息子がある。長女とエンタツの出勤前の会話。
エンタツ:安子(次女のこと)はいくつになったんだっけなあ?
長女:やだわ、二十になったんじゃありませんか。
エンタツ:ほー、驚いたね。そうすると、お前が二十二だね。
長女:お父さんが四十八。
エンタツ:ふーん。
(後略)
引き続いてエンタツ出勤途中、歩きながら
エンタツ:二十に二十二か、、、
同じく出勤途中のアチャコに会う。
アチャコ:おはよう。
エンタツ:あ、おはよう。
アチャコ:いい天気が続いて結構やな。
エンタツ:困ったもんだねえ。
アチャコ:何が、君、困ってんねん。天気が続いたら君、結構やないか。
エンタツ:ああ、お天気か。お天気は結構だな。
アチャコ:うーん、君は今日はどうかしてるで。
エンタツ:あ、ありがと。
アチャコ:いや、ありがとうじゃないわい、君。
エンタツ:あ、君の−細君ね。あの有名なでしゃばり。
アチャコ:でしゃばりー!?
エンタツ:いや、ほら、あの−、顔が広いんで有名だろ。
アチャコ:まあ、それ程でもないけれどもな。
エンタツ:どこかお嫁が欲しいと言う人、ないかなー。
(後略)
とまあ、こんな具合に、脱力系の漫才が楽しめる。
解説にある戦後世相現実とは、企業の上層部が利益をむさぼり、サラリーマンをいい様に使い放題、経営が危なくなると整理(今のリストラ)することを言っている。
エンタツとアチャコは、そのサラリーマン当事者であるのだが、社長に都合よく使われていることに気づかず、ひたすら二人の漫才世界を繰り広げるので、上記解説のように言われるのである。

それはそうとして、私は結構、好きである。
エンタツ、アチャコのそれぞれの家庭がいい。
エンタツには二十と二十二の娘の下は、まだ小学校の娘と息子で、この息子が典型的な子ども!なかなか起きないお父さんの足の裏をくすぐったり、安子姉さんに結婚を申し込んだ人がやってくると、チャップリンのような変装をして顔を見に来るし、大きいお姉さんに注意されると、でんぐり返って、その足で、机に向かっているチビ姉さんの背中をアターック!
エンタツ父さんは、子どもたちに会社であったことも何でも話す。
一方、アチャコ家。妻は健在、息子がひとりある。
その息子は、大学で劇のサークルに入っているものだから、しばしば部屋に仲間が集まって、舞台の練習。帰宅したアチャコは皆に挨拶。居間と息子の部屋はふすま1枚で隣同士なので、何でもツーカー。
エンタツがアチャコの家に来た時は、息子が部屋の片隅で二人の話を聞いている。
エンタツの家では次女が父の肩を揉み、アチャコ家では妻が夫の肩を揉む。
なごみの『貧しいながらも楽しい我が家』である。



naruse2005 at 10:41|Permalinkclip!

2006年05月30日

『愉しき哉人生』(1944年)

子役の中村メイコと雨の粒の精たちの踊り
出演者の中に『石中先生行状記』で名前を覚えた渡辺篤を見つけたので、期待して観直したのであったが、時計屋の渡辺篤は悪くないものの、
「この作品は、戦況が悪化する状況の下、銃後の庶民生活の暗い側面に対し、何事もものの見方、心の持ち方次第で、明るく楽しくもなると、喜劇的展開の中で、銃後の結束を固めることを意図した企画」であり、
「とにかく仕方なく手がけた題材で凡調に終始」と
『映画読本 成瀬巳喜男』の解説にあるように、その意図があまりに直接的に表されているのと、何と言っても挿入される歌や踊りがつまらないので、苦しい。

ある町に相馬太郎(柳家金語楼)一家がやって来た。
「よろず工夫店」を開店し、ジャガイモの皮やにんじんのしっぽを捨てずに、いためたり、味噌汁にいれたりして、ドイツ語で名づければ、レストランのメニューのように思える、と言ったり、
自分の家の前だけでなく、隣近所まで通りの掃除をしたり、
うるさいと苦情が出ている桶屋のトントンという音に合わせて、長女が楽しく歌いだしたりして、
町の人々に注目される。
その主義に感心したり、面白がったりする人がいる一方で、変な奴らだ、と反発する人もいたが、徐々にその影響が浸透し、やがて、いがみ合っていた夫婦は仲良くなり、桶屋の音も気にならなくなり、人々は通りの掃除を隣近所までお互いにするようになる。

金語楼のまだ幼い次女が中村メイコ。童謡『虫の声』を歌ったり、剣舞を披露したり、時計屋の息子に「喜びごっこ」を教えたりする。年若いのに子供らしくなくて不思議な気分になる。
「喜びごっこ」での時計屋の息子の質問とそれに対する中村メイコの答え:
・「お友だちが手にけがしたらどうするの?」「どっちの手?」「右の手」−−>
     「そうねえ、両方の手でなくてよかったなあって思うのよ」
・「腰の曲がったおじいさんが苦しい、苦しいって言ってたらどうするの?」−−>
     「そうねえ、落ちてるものを拾うのに便利でしょうって言ったらいいのよ」
・「僕、病気になちゃった。どうしたら喜びごっこができる?」−−>
     「病気になったらねえ、病気でない時は楽しいなあって思うでしょう」

「水溜りの上で雨粒が踊っているように見えるでしょう」のメイコの台詞の後に展開される雨粒の精の踊りは観るのがつらい。。。



naruse2005 at 11:19|Permalinkclip!

2006年05月09日

『君と行く路』(1936年)

兄・朝次と弟・夕次の会話『映画読本 成瀬巳喜男』の解説に、「夭逝した女流劇作家三宅由岐子の遺作『春愁記』の映画化だが、例によってPCL的な無意味な改題。舞台で好評だった清川玉枝が同じ役を演じている。」とある。
確かに“無意味な改題”である。
“例によって”とあるのは、中野実の新派の舞台『二人妻』1部の映画化にあたり、『妻よ薔薇のように』と“意味不明”に改題したことを指しているのだろう。
無意味で意味不明であるが、笑える。この調子でどんどん突き進んでほしいとさえ思える。

この映画の主人公は、鎌倉に住む天沼兄弟。
兄・朝次(大川平八郎)・会社員、弟・夕次(佐伯秀男)・大学生。この名前の付け方も笑える。

二人の会話
夕次:クラス中だって、学校中だって、一番の美男子は僕たち兄弟だって言われたじゃないか。
朝次:バカ!
夕次:なぜ?
朝次:顔で世の中が渡れると思うか?
夕次:渡れる。僕は渡れると思う。そんなこと言うけど兄さん、僕たちがとても醜い兄弟だったら、霞さんだって本当に好きにはならなかったかも知れないよ。
朝次:俺だって、おまえみたいに思ってた時もあったさ。ロマンチックな運命だなんて。だから、霞ちゃんにも平気で会えたんだ。けど、俺たちが考えてるような世の中なら、なぜ、霞ちゃんの親たちがこんなに頼むのをきいてくれないんだ。

霞ちゃんとは、朝次と相思相愛の尾上家の娘。霞の両親は家のために、霞を北海道の金持ちの爺さんのところへ嫁に行かせようとし、朝次との結婚を願い出た霞に「どんな貧乏なところにやっても、妾の息子のところにはやれない」と言ったらしい。
そのことで、朝次は、自分が妾の息子であるということ、そして、妾である母親のことを嫌に思っているのだ。

続く二人の会話(母親がレターペーパーのことを間違えてラブレターと言ったことを指して)
夕次:あのマザーなかなかユーモアがあっていいじゃないか。
朝次:僕は、僕がデクスと言ったら、デスクだよ、と直してくれる母親がほしいんだ。

と、ところどころに笑える台詞がある。しかし、これはもちろんコメディーではなく、お話はどんどん深刻な方向に進んでゆく。

朝次と霞は、霞の両親の強硬手段によって会うこともままならない。ついに、尾上家から手切れ金同様のアメリカ留学資金を持った使者が天沼家にやって来る。朝次はひどく傷つく。
霞からの手紙をやっとのこと届けてくれた霞の女友だちに「すぐ帰ってきますから、待っていてください」と言い残し車を出した朝次だが、帰ってくるつもりはなかった。
朝次が亡くなったことを聞いた霞は行方をくらまし、翌朝、家の庭の池に浮かんでいるのを発見される。

天沼兄弟の母(清川玉枝)は決して悪い人ではない。しかし、朝次の死を事故だと思い、霞の死の知らせに一時、涙を流しはするが、「霞ちゃんはね、親の言うことを聞かないからこんなことになっちまったんじゃないか。黙って言うことを聞きゃ、いい奥様になれたのに。」とのたまうにいたっては、兄よりも楽天的な夕次も「バカ!お母さんのバカ!」と叫ぶほかないであろう。

前作『朝の並木路』もそうであったが、冒頭タイトルに続いて、出演者がひとりひとり映像で紹介されて一興。バックグランドミュージックが騒がしいところあり。



naruse2005 at 11:25|Permalinkclip!

2006年04月20日

『旅役者』〈1940年〉

馬の前脚の俵六と後脚の仙平主人公は、六代目菊五郎一座で馬の前脚を勤める俵六(藤原釜足)と後脚の仙平(柳谷寛)。
菊五郎と言っても尾上ではなく、中村菊五郎。わざとまぎらわしくして客集め。
馬の脚は後脚5年、前脚10年、俵六は今もって機会あらば馬の脚の研究に励む。


巡業初日の前夜、酔っ払った町の床屋(中村是好)が、俵六たちがかぶる馬の頭をつぶしてしまう。提灯屋が急いで直したが、まるできつね。
こんな頭で馬の脚はできないと、俵六は出演拒否。
仕方なく、菊五郎は曲芸団にいたという本物の馬を使って舞台に立つ。それが、意外にも観客に受け、俵六と仙平は仕事にあぶれてしまう。

憂さ晴らしに二人で酒を飲んでいると、歓迎の席で見知った芸者二人がやってきて、馬の脚を披露することになる。
きつね馬の頭をかぶって出てきた俵六と仙平。馬を演じているうちに、酒の勢いも手伝ったのか、鼻息荒くなり、自分たちの職を奪った本物の馬を小屋から追い出し、前脚の俵六は後足の仙平の制止の言葉など意に介さず、狂ったように本物の馬をどこまでも追っていくのだった。

という、なんということもない、のどかな話。


お金がない二人、、、
仙平:兄貴、腹減ったなあ。
俵六:うん、そうだな、蕎麦でも食いにいこうか!
仙平:そうしようよ。
俵六:おまえ、いくら持ってる?
仙平:八十銭くらいあるよ。
俵六:じゃあ、俺より持ってら。こんなことと知ってら、昨日、あんなに飲むんじゃなかったなあ、、、あっ、おい、仙平。なっ、こうなったら蕎麦我慢して、床屋に行こうか?
仙平:床屋って、頭刈にか?
俵六:そうよ、俺とケンカしたあの床屋に行くんだ。
仙平:そりゃ、面白くねえよ。
俵六:ところがそうじゃねえんだ。いいか、頭刈りに行くんだから、こっちがお客様だあね。まず、行くだろ。「おい、器用なところひとつやってくんねえ、えっ!」そう、言やあ、あいつ、お客だもの、仕方がねえから刈らあね、えっ。そしたらよ、途中で痛くなくたってかまわねえ「あっ、痛っ!何しやがるんだ!ひどいじゃねえか!本当に下手だなあ。何年床屋やってるんだか知らねえが、、、(云々)」そう言ってさんざんやっつけてやるんだ。胸がスーッとするぜ。どうだ、やってやろうじゃないか。
仙平:そりゃないよ、兄貴。そりゃあ、胸もスッとなるかも知れないけれど、腹の方もスーッとなっちゃうじゃないか。蕎麦でも食った方がいいよ。
俵六:そうだな、もう少し金があったらな。仕方がねえ、蕎麦でも食いに行こうか。

何ともゆるい。
藤原釜足にぴったり。
しかし、『妻よ薔薇のように』『噂の娘』『秀子の車掌さん』『お国と五平』など、脇役としてこのキャラが出てくると、ホッとして非常に効果的なのであるが、主役となるといささかパンチに欠けるようである。

宇井無愁のユーモア小説『きつね馬』を成瀬が脚色。



naruse2005 at 11:13|Permalinkclip!

2006年02月20日

『秋立ちぬ』(1960年)

『秋立ちぬ』の順子と秀男勉強好きな秀男(大沢健三郎)は六年生。父が結核で亡くなり、東京出身の母(乙羽信子)に連れられ信州から東京に出てくる。ふたりは八百屋を営む叔父(藤原釜足)のところにやっかいになる。

乙羽・母はほどなく近くの料亭に住込みの働き口を見つけ、秀男はひとりに。
「そうずら」「寂しくないじゃん。かあちゃんがいるけ」と、かなり耳にひっかかる田舎言葉を話す秀男は、転校生の例にもれず、同級生からいじめられる。
飼っているカブト虫のリキが友だち。

「もう、感ずかれちゃったみたいなんですよ。何だか居づらくって。(ここで働き始めてから)10日もしないうちにコウキュウ取ったりしたから、、、」と、真珠売りの客(加東大介)に言う乙羽・母。
そのコウキュウはこの男のために取ったのであった。
一方、秀男が店のトマトを料亭に届けに行った時、「今度のコウキュウに海に連れてってよ、おかあさん!」と言っても、しぶしぶ顔の乙羽・母。

料亭おかみの一人娘、順子ちゃんと仲良くなった秀男は、カブト虫のリキをあげると約束したが、リキがいなくなる。
八百屋の長男(夏木陽介)が「カブト虫くらい何だよ。東京にだっているさ。今度のコウキュウに一緒に取りに行ってやるよ」と言って、秀男を元気づけるが、カブト虫は見つからない。
そこへ、信州のおばあちゃんから大きな木箱で林檎が届けられる。
釜足・叔父が「秀男、おまえこんなに食べられないだろ?少し、店で売ろうか」と箱を開けると、「なんだ、こりゃ!」林檎の間からカブト虫が!
それを持って、秀男は一目散に順子ちゃんのところへ走るのだったが、、、

コウキュウは公休であるが、今では全く耳にしない言葉である。
ちなみに、『杏っ子』のしょうのない夫となる亮吉が飼っていたのは、こおろぎ。



naruse2005 at 12:34|Permalinkclip!

2006年01月31日

『三十三間堂通し矢物語』(1945年)

お絹とカラツ・カンベエ

生誕百年シンポジウムで山中貞夫氏が推薦された作品。

京都の三十三間堂廊下の端から矢を放ち、反対側の端に置かれた的に何本当てられるかの競い合いで、大八郎の父は、8千本当てた星野勘左衛門に敗れ、割腹した。
5年たち、そのリベンジをいよいよ果たそうとする大八郎。しかし、まだ年若い彼には、精神的プレッシャーは耐え難く、また、記録を破られまいとする勘左衛門の実弟、数馬の妨害工作もあり、悩ましい日々を送っていた。
そこへ現われたるはカラツ・カンベエ(唐津勘兵衛)(長谷川一夫)。苦悶する大八郎を勇気付け、自信を取り戻させ、卑怯な浪人どもを追い払う。
大八郎を自分の宿屋に引き取り育ててきたお絹(田中絹代)の「あなたは誰ですの?」の繰り返しの問いに、ただ「カラツ・カンベエ」と答えるその人は、実は星野勘左衛門だった。

どうも、私にはあまり面白く思われなかったのだが、それは、
1)三十三間堂の廊下の端から端への弓当て8千本が、どれだけ凄いことかを、全く実感できなかったから、
2)そのせいもあるだろう、弓当て競争に家の名誉や命までもかける、という考えがこちらに迫ってこなかったから、
3)カラツ・カンベエが大八郎を助ける、その心が今一こちらに伝わってこないから、
ではないかと分析してみた。

お絹の宿屋に入り込んで大八郎につきっきりのカラツ・カンベエを訪ねて、弟・数馬がやって来る。その正体がお絹、大八郎にすんなりと明かされてしまう。数馬は兄に「母君がいらっしゃいました」と告げ、カンベエは「母君がいらしたのなら、帰らねばな」と静かに答え、言い訳は全くせずに、沈んだ様子で立ち去って行く。そして、屋敷で母が勘左衛門に茶をたてる場面になるのだが、その母の表情がまた悲しげで、印象的であった。

『映画読本 成瀬巳喜男』の解説によると「成瀬の最初の時代劇。、、、本来の成瀬調ではないが、戦争末期の拾い物」とある。個人的には、時代劇なら、成瀬自身が“失敗作”としているせいか、フィルモグラフィーから黙殺されているという『お国と五平』の方がずっと好きである。



naruse2005 at 12:08|Permalinkclip!