『みんなに奇跡を。』

―プロローグ―

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 モリワキ在籍時代の98年、第一回もて耐に出場した梨本圭。当時は日本のトッププライベーターも数多く参加し、草レースといいながらも非常に高いレベルのライダーがシノギを削りあう中で、宮城光とペアを組んでモリワキCBR900RRファイヤーブレードで参戦したものの、マシントラブルによって結果は残らなかった。

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 その後2000年にも別の大手チームからも同じくもて耐に参戦、モリワキの一人息子である森脇尚護、そしてもう一人のライダーを牽引して二位表彰台を獲得する。99年に立ち上げたHP、そして梨本塾というスクールを運営し始めたことにより、多くの応援団から大声援を送られてのお立ち台だったが、本人は一切、納得できなかったという。

「この程度のレースだったら、メーカーやチームのしがらみに左右されずに、自分でやった方が絶対に楽しいはずだ」

 そう確信する。その後大手チームを離れ、走る場所を失っていた頃、梨本塾に参加している地元の友人達から、面白いレース参戦の話を聞くことになるのだった。

 これはその2001年に書かれた、本人手記である。




01.ひと月ほど前



 ひと月ほど前だろうか。

「土方さんが日光で耐久レースがあるから出ようっていうんだけど」

とカイが言った。ふーん、誰と?

「わきち、俺、まんじろう、ワタンベ、伊藤、土方の6人で」

 面白ろそうだな。いいじゃん、やってみなよ。

「去年はペースカーが導入されてそのタイミングが悪くて勝てなかった、と土方さんが言ってたからさ…」

 【土方さんが言ってたからさ…】という言葉の裏には《俺たちでも勝てそうなレースなんだよ》という無言の訴えがあった。

 土方ダイスケ(通称ダイちゃん)と梨本塾において何度も走りを重ねている梅島組は、ある部分で彼を尊敬しつつも、ハッキリ言って舐めている。つまりダイスケで勝てるなら俺らにはもっとチャンスがあるだろうと、多分に思い込んだわけだ。

 で、組み合わせはどうするんだよ?

「わきち、マンジのR6最強コンビ、俺(カイ)、ワタンベのCBR600F4コンビ、ダークホースとしてダイちゃん伊藤のFZ750大改&CBR600F2(?)って感じかな」

 ちなみに伊藤とは今月号のモーターサイクリスト梨本塾ページKーRUNーGPにおいて優勝した、最近速くなってきた足立梅島組。

 へええ、面白そうだな、じゃあ俺も応援に行くよ。

「うん、たのむね」




02.居酒屋


  それからしばらくした足立区梅島駅近辺、いつもの居酒屋。

「まあさ、わかんねえけど、勝ち狙いかな」

 梅島組の大将わきち(板金屋30歳)はK-RUNの常勝男で伊藤やマンジの師匠でもある。愛機はモリワキ仕様のVTR-Fだが、日光で乗る予定のR6ならばさらに速く走れるのは間違いない。もちろん土浦ではダイちゃんよりも全然速く、また知り合ってから20数年来のライバル関係にあるカイに対してもここのところ完全にリードを奪っている。つまり身内には、敵ナシなのだ。ちなみにわきちのもてぎフルコースのベストタイムは、2分9秒台である。

「俺たちも勝ち狙いだっつーの」

 ライバルだと思い込んでいるカイが噛み付く。

「自分のバイク買ってからからモノ言えよ、ボク?」

 わきちは噛み付かせない。
 カイのバイクは親父名義のCB-400SFという、己の速さを誇示するにはなんとも説得力のないイージーバイクだ。

「わかんねーじゃん、レースなんだから、やってみなくちゃよ?」

 おまえにゃ負けねえよ。
 吐き捨てるように言い放ったわきちの目はいつも通り酒で黄色く濁っていたが、自信に満ち溢れていた。

「ナンシーも来てくれるんでしょ?」

 ああ、監督として応援しに行くよ。

「よろしくたのむね、勝つからさ」

 おう。同級生のわきちは、深みのある表情で同級生のオレに静かにそう言ってのけた。いい顔をしている、そう思った。

 その夜は、当然いつもより酒の量が多くなった。






03.エントリー


  「皆エントリーしたよ、まあ面白いレースになると思う」

 開催日の一週間ほど前にカイから電話。
 昨年のエントリーは30台ほどで、ダイちゃんは2位だったそうだ。
 そっかー、わきちなんかはどうしてるの?

「完全に、勝つ気でいるよ」

へええ。じゃあ、俺も頑張って応援しなくちゃだな。

「え?ああ、うん」

……3人でも、いいんだろ?

「へ?」

だからさ……その日光のなんちゃらって耐久レース……3人で出場してもいいんだろっての……?

「え?えええ!?あ、たぶん、いいんじゃ、でも、ええええ!?もしかして!!??」

 おう。ハナから応援するっていってたじゃんか。

「そっかあ、そうだよなあ、明日ソッコーで事務局に電話してみるわ

次の日の昼過ぎ、梨本圭への伝言BBSには

「昨日の件OKだってさ by いか」

という、非常に短いが的を射たメッセージが残されていた。
俺はゴルゴサーティーンが賛美歌13番をラジオで聞くのと同じような気分で、そのメッセージをゆっくりと眺めた。

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[ワタンベ選手]

「ナンシー、ワタンベがさあ、今日〇〇一人で行ってタイヤの皮剥いてきたってよ、わはは」

 コンフェデレーションカップ第2戦、日本が信じられない動きでカメルーンに圧勝した夜、その貴重な2得点を挙げたスズキタカユキと同じ名前のワタンベ(ワタナベタカユキ)のF4に、日光耐久レース用として先日装着したばかりの新品のD208GPは、なぜか表面が溶けていた。それを見てわきちが問いただしたのだという。通常土曜日、ワタンベは仕事であり、また彼のスタンス上これまで一人でコッソリ練習に行くことなど、あり得なかったのだ。

「いいねえいいいねえ、みんなヤル気だねえ」

 わきちの舌が回る。もちろんその回り加減は彼の自信を象徴したものだ。
 わかんねーぞ、今日だってベツのタカユキが超大活躍したんだからさ、明日も活躍すっかもしんねーぞ?
 俺がほんの少しだけ、クサビを打つ。

「まーね、そうかもね、あはは」

 しかしわきちはまったく俺の言葉に耳を貸さなかった。
 その後梅島組はゼッケン貼りや保安部品取り外しなどレース準備を終え、トランポにマシンを積み込んで、前祝にとラーメン屋で一杯やりながら、次の日の決勝を見据えた会議を遅くまで続けた。







04.決勝日



 決勝日。

 梅雨直前の超快晴。すごく暑くなりそうな予感がする。

 STDSPEED(スタンダードスピード)及び梨本塾としての応援団は以下のとおり。シャイン、ゆみ、アッキー、たま、あらり、トリノ、ふな、たつ、さち、ぺぺ、おーちゃん、知らない女の子四人、プラスなぜか梨母。

 それぞれのチームにそれぞれサポートとして、サインマンやタイムキーパーをしてもらう。

 さて日光というコースは土浦のトミンモーターランドよりは高速だが、原チャリマシンと単車のタイム差はあまりない。メチャクチャに気合いの入ったNSR50のレコードが42秒後半(これは見ていても本当に速かった)、NSR250SP仕様のタイムも似たようなものだ。つまりアクセルを大きく開けていられる区間が少ないテクニカルコースである。

 練習走行はわずか10分。それを半分に切って第1第2ライダーで走行する。

 耐久にエントリーしている車種人種はバラバラだが、まさしくそれは草レースの雰囲気だ。鮮やかなタトゥーを彫ったカワサキ乗りやバリ伝系のCB750F、もちろん常勝マシンR1や9Rや12R、そして全日本のST600クラスに参加しているGSXR600を持ちこんだチームなど。

 ダイちゃん以外、つまり梅島組は全員がはじめて走るコースだった。わきち、カイはともかく、マンジ、ワタンベ、伊藤は明らかに戸惑っていた。ただ全体のレベルはけして高くなく、あくまで遊び然とした雰囲気なため見劣りするようなことはない。ただし、レースは勝たなければ意味がない。勝つためには、間違いなく足りない何かがあると、レーサーとして、また監督として直感する。

 ちなみに交代予定はわきちマンジ組とカイわたんべ組が40分x3本、土方伊藤組は30分x4本という感じでいくことにした。2回ピットがレギュレーションで義務付けられている。ということは、勝ちを狙うならその2回で行うのが当然である。

 スタートライダーはわきちゼッケン[4]、カイ[5]、ダイちゃん[14]、それぞれゼッケン順のルマン式グリッド。俺はカイのバイクを持っている係となった。

 鈴鹿8耐で自分がよくやっているように、おい、何回か走ってこいよ、とカイに告げ、スタートダッシュを練習させる。グリッドまで走りこむルマン式スタートでは脚力がモノを言う。緊張に包まれたスタートシーンでは自分の足が固まってしまい、まったく動かないことが多い。このダッシュ練習を2~3度やるだけで、心身ともにほぐれるものなのだ。

「ゼーハーゼーハーぜーはーぜーはー」

 昨年悪性リンパ腫という深刻な病で死にかけたカイは、そのダッシュで体力不足をモロに露呈した。但し奇跡的にもヘラヘラと一命を取り留めたその運のよさといいかげんさは健在だ。

 混乱においてもっとも重要なのは適度な緊張感と、あとはいいかげんさなのである。

 たぶんスタートはいけるはずだと、またまた直感する。






05.スタート



 12時10分、日光2時間耐久レース、スタート。

 やはりカイがダッシュを決め、なんとホールショット(1番手)で1コーナーに進入、そのまま1LAP目を消化する。

 大歓声のピット。異様にうるさい俺とシャインの声が23台の爆音に負けない音量で日光サーキットに木霊する。うおーーーーいけーーーぶっころせーーー!注目する他のチームのヘルパーたち。まったく気にせず黄色い声のSTD組が盛り上がる。わきちも3~4番手あたりにつける。これは面白いレースになりそうだ。

 一方、昨年2位の実績を持つダイちゃんは、なんとR1000のフロント回りにミクニキャブ、そして片持ち仕様というスペシャルなFZ750(‘85)にまたがるものの、致命的な欠点=押しがけ式始動(わははは、スペシャルサスよりノーマルセルつけてくれ)によりスタートで順位を落とす。しかしそこから徐々に追い上げて、6番手まで難なく浮上した。

 トップを走るカイ。しかしそのポジションを守れないことは本人も分かっているのか無理はせず、後続から凄まじいスピードで追い上げてきたST仕様GSXR600ゼッケン[10]に簡単にインを譲る。

 バカヤロー少しでもいいからブロックしやがれ。俺が叫ぶ。その後ろからきた9R、そしてわきちもあっさりカイを抜き去る。ライバル対決は簡単にケリがついたように見える。

 みんなの期待はカイからわきちへと移行。わきちはステディーかつ鋭い走りで淡々とラップタイムを縮め、43秒~45秒台で周回。トップ[10]との差は広がるものの、9Rとの差はつかず離れず。そして周回遅れが出始めたあたりでうまくそれらを利用し、2位に浮上。さらにタレてきた[10]との差をもつめはじめ、ホームストレートをかけぬけるたびにピットレーンでサイン出しをする俺たちSTDのメンツが大歓声を送る。





 

06.ペースカー


  しばらくして転倒者が出たためペースカーが入り、必然的にトップとの差がつまる。20数台が一列に並んでスロー走行。またまたホームストレートを通過する際に「[10]がトップだ、抜けるぞ!行け!ぶっころせ!」と俺がカツを入れる。そしてコースクリア。うまく周回遅れをかわしたわきちは、トップ[10]の真後ろにまでせまり、そして抜き去る。

「うおーーーーーーーーーわきちさああああああん、トップだあああああああ」

 恒例シャインの絶叫。他の皆も狂ったように叫びだす。

 ただ誰にも言わなかったが、その[10]ST仕様に乗っているライダーは、実は4年前に全日本SBクラスに出場していたライダーなのだった。俺がモリワキで走っていた時代にお客さんでVTR-Fに乗っていた人物である。

 仮にそういうことを告げると《あの人はレーサーだから》といういい訳を人は簡単に作るものなので、気付いていたが俺はそれを言わなかった。結果、わきちはR6でまさしく水を得た魚のようにトップに浮上するのである。

 しかしさすがにその人物も意地をかけてペースアップ。再度わきちを抜き去って、トップに返り咲く。わきちは少々バテた様子で、2位キープへとペースダウン。ベストで44秒台、周回遅れに絡んで46秒台というペースで周回する。

 一方カイはこともあろうか、ふるーいVF1000(かな?)と本気バトル。せっつかれ、抜かれてしまう。ポジションは4位。トップ[10]との差は半周以上ありこのままでは勝ちを狙うにはかなり厳しい。

 ダイちゃんは6位あたりを走行している。カイとの差はつかず離れずでポジションキープペース。

 スタートから約40分が経過。一回目のライダーチェンジの時間だ。しかしここでまた転倒者出たためトップとの差が一気になくなる。つまり、チャンスが訪れる。

「ナンシー、そろそろピットサイン出さないと?」


 サインマントリノが不安げに言う。いやいや待て。このままトップがピットインしてわきちが頭に出るまで引っ張ろう。あの[10]のR600は速いけど、燃費は悪いだろうし、たぶん3人の中で一番速いのは今走ってる人間だからさ、そいつを先にピットインさせちゃえば、一気にアタマだぜ?

「ナンシー!カイさんがバテテまーす!」


 遠くのピットから今度はシャインの大声。トリノに説明したことと同じ内容をこちらもまた大声で説明する。

 予測どおり[10]がピットイン。しばらくして[4]わきち[5]カイが1位2位という理想のポジションに。そのまま[10]との差が少し開くまで走らせてから、よし、入れようと告げ、同時に2台ピットイン。給油し、[4]わきち→マンジ[5]カイ→ワタンベへとライダーチェンジ。2台ともトップのままコースに戻る。

「あいつ速えわ、でも、もう少しいけばなんとかなる」

 [10]を追いかけつづけたわきちがマシンを降りて語る。多少疲労の色は見えるがまだ疲れきってはなさそうだ。

「結構ズリズリきてる、いくとコケそう」

とVFに負けて言い訳に等しいコメントを残したカイ。しかし、カイには奇跡がある。あるかも知れない、のではない。ある、のだ。

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[カイ選手]

 交代したマンジ、ワタンベはほぼ同じ49秒台ほどのペースで周回。

 それなりにいい走りをしているのだが、どんどん[10]に差を詰められ、残念ながら抜かれてしまう。

 一方ダイちゃんと組んだ伊藤は一人気をはいて、なんと44秒台という素人にしては異常に速いペースで周回し、ライバルであるマンジR6をいとも簡単に抜き去り、ピットのタイミングなどで一時はトップに立ってしまう。走りにも迷いがなくきれいだ。ダイちゃんがほんの少しだけ見えた「勝利」の2文字に、ほくそえんでいる。スタートしてから1時間が過ぎようとしていた。







07.狂気


 さて。

 梨本圭の監督業レポートは、ここまでである。

 この後の、1時間経過~1時間15分までの経緯を、俺は一切知らない。

 何故か?

 着替えに行っていたからだ。

 この日は非常に暑く、着ていた短パン半袖ですら暑いので、水着に着替えに行った、

のではない。

 さらに暑い衣装、皮ツナギを、着込みにいったのだ。

 なぜ?

 応援するから。

 奇跡を起こすから

 誰を?

 梨本塾のみんなを。

 どうやって?

 監督として、ヘルパーとして、そしてもちろん………

 やっぱりレーサーとして。


 さっき、監督として直感した勝つために足りない何か、それはコイツらには勝つために必要な狂気がない、ということだった。それを、今度はレーサーとして応援する立場から徹底的に示そうと思った。わはは。




08.いっちゃって下さい



  ツラツラッと着替えてしれっとピットに戻った。

 それに一番初めに気がついたのは、たつかさちかその辺だった。信じられない、という表情だった。

 カイはヘラヘラとビデオを回している。いっちゃって下さい。そんな表情。
 
 わきちは次の順番待ちでソワソワしながらヘルメットを磨き、ピットに現れた俺に一瞬だけ目をやって、またヘルメット磨きに戻り、そして何か重大なことに気付いてあわててもう一度顔を上げ、俺を見た。そして

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお


と唸った。

「なんだよう!!!!!出るの!?走るの!?」

 俺、応援するっていったじゃん。

 なんだよそれよう。

 わきちは、タハハと脱力気味に笑った。

 俺はあの梅島の居酒屋で自信に満ち溢れていたわきちの表情を思い出しながら、微笑み返した。

 この日俺が走ることを知っていたのはカイとワタンベしかいない。

 ちなみにワタンベがコソコソ練習したのは一人ではなく俺と一緒で、タイヤの皮がむけていたのはF4のセッティング出しをするために走りこんだからだ。

「まさか今日走らないですよねえ?」

 MC読者や俺を知っている人間たちがサーキットで出会うたび、そう聞いた。

「応援です」

俺はことごとくそう応えた。しかし

「まさかナンシー走らないよね?」

そう聞いてきた母親にだけは嘘を見抜かれるような気がしたので

「いやあ、走りたいけどさ、大人気ないないなんてまた投書されても困るしね」

と苦しい嘘をついた。ふーん、といった母親の顔には、まったく信用している感じがなかった。

 ピットレーンでヘルパーをしているSTDのみんなが俺の身なりに気付く。またしても歓声があがる。

「うおおおおおおおおおおおおお、なんしいいいがああああああああああ」

 例によって非常にわかりやすいシャインの絶叫。トリノがなんだそりゃと苦笑いし、ま~は何が起こったんだと目を丸くしている。ゆみは言葉にならない驚きの表情。たまは目をパチクリパチクリ。

 そんな彼らに愛してるぞと手を振り、監督業務一切をアタマから追い払った。

 俺は、勝つためだけにここへきた。楽しむのはその後なのだ。なんと言われようと関係ない。勝つためでしかレースはしない。現役レーサーはファール?バカいうな!俺が最後にレーシングマシンでサーキットを走ったのは去年のもて耐が最後だ。MFJのライセンスだってまだ更新してないから、厳密な肩書きで言えば素人と一緒だ。

 ワタンベがピットに入ってきた。残り45分、順位は4位とか5位とかそのへんだ。絶対に勝つ。奇跡を起こす。
そう決めてバトンを受け取り、F4のセルを回した。






09.全開


  当然練習走行もしていなければ走行経験もないコース。今コースインするまで、一周も走っていない。

 しかし昨年からヨーロッパの様々なコースで一発勝負のニューモデルタイムアタック試乗を繰り返しているうちに、驚くほどはじめてのコースをマスターするスピードが速くなった。

「細かいコーナーが走りにくい」

とカイが言っていたが、1周まわれば気にならなくなった。2周目から完全に全開。とにかく[10]のR600だけを探し、追い掛け回すことにする。

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[梨本圭選手]

 ラップはアベレージで42~43秒台、コース上アクシデント発生で44秒台。走り出してすぐにマンジをコース上で見つけた。マンジはピットにいなかったため、俺が走っていることをまったく知らない。1コーナーの左でインに飛び込んだ。一体どんな顔をしてるだろうか?考えるだけで笑えた。

「マジかよ、悪魔が来やがったって思いました」後でマンジはそんなことを語った。

 その後すぐに[10]を抜くが、リーダーボード(順位電光掲示板)のトップは俺ではなく、その[10]だった。マジかよ?ラップされてたわけか?[10]のマシンはさすがST仕様というだけあって本当に速く、また乗っているライダーはこのレースの中で俺の次のベストラップをマークした人物だった。追いつけるだろうか?とにかく効率よく周回遅れとペースカーを利用するしかない、そう思いつつ、ワタンベのF4にムチを入れまくりエッジを使いまくった。






10.頑張れよー



 ダイちゃん所有のCBR600で気持ち良さそうに走る伊藤を見つけた。

 うん、たしかにスムースで速い。バイバーイ頑張れよーと手を振りながら抜く。

 そしてR6に乗るわきちも見つける。このR6は‘01モデルで俺がマンジにすすめたものだが、後ろから走りを見ていると手にとるようにそのレースマシンとしてのポテンシャルの高さが伺える。 高速コーナーなどではわきちのほうが速いくらいだった。ストレートエンドの突っ込みで抜く。ついてこいよと思うが、しかし俺にも遊んでるヒマはない。 とにかくもう一度[10]に追いつかなければ、奇跡ではなく、俺は化石と呼ばれるだろう。






11.残り20分


 残り20分。

 ついに[10]を見つけた。しかし、見つけた瞬間に転倒者が出てまたペースカーが導入される。ちなみにこれは赤旗(レース中断)にさせないための措置で、ペースカーにくっついて皆がゆっくり走っている間にオフィシャルがコース処理するというもの。 そのため結構な時間が消費される。

 残り時間が少ない。ペースカーのすぐ後ろに[10]、そこから俺までの間に6台ほどの周回遅れ。コースクリアになった瞬間にペースカーはどいて、周回遅れがいないクリアなコースをあの[10]は逃げるだろう。俺はあそこに追いつくまでに6台を処理しなければいけない。しかもその間はペースが落ちるから[10]との距離は開いてしまう。時間も少ない。チャンスも非常に少ない。

 コースクリア。

 ペースカーがどき、一斉に各車が全開になる。

 1コーナー突込みで3台を抜く。しかしまだ前に3台。そこから次のコーナーまでは狭くて抜けない。[10]が離れる。無理矢理2台をパスし、裏ストレートエンド突っ込みで1台をパス。[10]との差、約100メートル。

 また転倒者が出てペースカーが入ればチャンスはない。なんとしても早く追いつかなければ。

 真後ろにつくまで2周を要した。このレース全体でのベストラップ、41秒4をマーク。しかし[10]のマシンが速く、ノーマルのCBR600F4では簡単に抜くことはできない。残り時間は10分もない。どうする?

 最終コーナーで周回遅れに[10]と2台して絡んだ。[10]は焦り、早く前にでようとその周回遅れの真後ろにつけてアクセルをひねろうとする。しかしその周回遅れは [10]が思うよりもさらに遅く、結果的に開けたアクセルを閉じた。俺はそれを読んでいたため、若干前の2台と間を開けて最終コーナーに進入していた。

 そのため、アクセルを開けるポイントが、2台よりも完全に早かった。

 それまで離されるしかなかったホームストレート。

 [10]は周回遅れをパスするためインによる。

  驚いた周回遅れはアウトにマシンを振る。

 そのさらにアウトにいた俺は行き場を失ったが、コースを仕切っているラインのさらに外側、雨流しの逆カントがついている部分を全開でかけぬけて、[10]と並んだ。

 迷うことなく1コーナーの飛び込みでアウトから[10]を抜き去った。さらにペースを上げて一気に引き離そうと試みる。すると……。

 恐ろしいことにその[10]を抜いた周に転倒者が続出。(ここに伊藤も含まれた=怪我はなし)そこでペースカーが導入される。

 残り5分。

 ここで、実質的なレースが終了した。
 
 コースクリア後、たったワンラップでチェッカーとなったのだ。

 まさしくギリギリの勝負だったが、もちろんトップでそれをくぐりぬけた。

 我ながら、奇跡的だったと思った。






12.みんなに奇跡を


レース結果表

優勝 梨本海 渡辺崇行 梨本圭 CBR600F4 141LAP ベスト 41”47
4位  渡辺知士(わきち)長谷川(マンジ)R6    139LAP ベスト 42”72
11位 土方 伊藤組 FZ750 & CBR600F      131LAP ベスト 44”24

 今回のレース、個人的には「みんなに奇跡を」というのがメインテーマだったが、レースはあくまで流動的なものであり、起こすと言って起こせるかどうか、正直分からなかった。

 ただこの奇跡の意味をレース前に知っていたのはカイとワタンベだけで、それを実行しようとすることが、そもそも面白くてしょうがなかった。

 またタカユキ(ワタンベ)がコンフェデレイションに引き続いて活躍したことと、カイとわきちのライバル対決を終わらせなかったことも、個人的には愉快だ(レースに勝ち勝負に負けたカイ、レースに負け、勝負に勝ったわきち、その達成感の深さや価値は、人それぞれだ)。

 そして久しぶりに立った表彰台のてっぺんは、やはりどんなレースでも気持ちのいいものだ。

 この日、時を同じくしてイタリアムジェロで同じ歳の原田哲也が久しぶりに勝利した。

 まったく違うレースだが、そこで得た感情は似たようなもののはずで、何しろ応援してくれるみんなとそういう時間を作れたことがすごくよかったと思う。

 帰りに立ち寄った栃木でふなが用意してくれた酒宴の席もまた、最高だった。

 20人からの大の大人がああいう風に本当に和らぐためには、その手前でそれに相反する状況が必要だと思う。

 手伝ってくれたみんな、応援してくれたみんな、そしてレースを走ったみんな、最高だった。

 ありがとう。

 後の感想文はみんなに任せます。





                         ゲリラ出場日光二時間耐久レース記 完

2001-6-4 梨本 圭



【追記】

この2001年の日光二時間耐久レースがきっかけとなって、その後の梨本塾レーシングが本格的に始動することになる。まだこのときは誰も想像さえしていなかったが、しかし翌2002年、なんと梨本塾レーシングでは3チームもの大所帯を結成し、もて耐に全力チャレンジすることになる。

続きは2002もて耐チャレンジへ