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2011 梨本塾 GOHOKU TOUR レポート


2011年3月11日、東日本を襲った未曾有の大震災。

これを受けて梨本塾としても募金活動以外に何か出来ることはないかと模索した結果「東北へ行こう」と提案させていただき、その結果梨本塾参加者の皆さんの賛同を得て、決行することになりました。

目的地は宮城県、松島。

まずは東北道佐野サービスエリアに午前8時集合。

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すでに帰省ラッシュが始まりつつありましたが、遅れる人はひとりもなく、トミンモーターランドコースレコードホルダー、及び梨本塾ポイントリーダー、さらには2011鈴鹿8耐5位入賞者含む14名全員(福山りこさんは米沢より合流予定、すでに前日米沢入り済み)が集合、記念撮影と給油、参加賞配布を済ませて8時30分前に早速出発。


グループ組み合わせ


A~Dグループまでの4クラス編成での走行。

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1時間ほどで那須高原サービスエリアに到着。すでに気温が高くなってきているため、飲み物を補給してすぐに出発。

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さらに1時間足らず、10時30分頃には高速降地である猪苗代磐梯高原ICに到着。すでに相当な暑さです。ここも恐らくは罹災証明通行の方々が多く、ETCではない一般レーンで激渋滞。トミンモーターランド最速の石川さんがゲートでトラブってしまい最後尾で出てきました。ここからはひたすら下道で米沢を目指します。

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塾長の大先輩であるツーリング旅路の達人、広瀬達也氏にご推薦いただいたルート、国道115号から459号を経て一度給油。ここではすでに軽井沢のような空気です。皆藤さんもご満悦。

その先の裏磐梯剣が峰から県道2号へ入り、桧原湖を左手にしながら心地よいワインディングを駆け上がります。

下界はすでに35℃近い酷暑でしたが、山の上は別世界で風が涼しく感じます。東鉢山から湯元へと抜ける峠道を楽しみました。

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思いのほか快調にマシンを進め、あっという間に米沢駅前に到着。12時半でした。ここでは「まるぶん」という郷土料理屋さんへ。目的はもちろん米沢牛です。

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ここまですでに250km近く走っており、さらに米沢もかなりの酷暑とあって「ビール飲みたいナア…」という声がそこかしこで上がりましたが、そこはぐっと堪えて合流した福山りこさんと一緒にみんなで牛を堪能しました。

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前日入りした福山さんは超のつくほどの雨女とのことで、前の日も福島に入ってから豪雨にたたられ、この日もまだ乾いていないジャケットを身につけておりました。米沢牛を楽しんだ後、まるぶんさんを出たのが午後2時前でした。

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ワインディングは走れないという福山さんとはここで再度お別れし、他一同はグループ編成をしなおして、今度は国道13号から『故立松和平氏が愛したとされる風光明媚な七が宿町を抜けるルート(広瀬氏)』という、113号へ。裏磐梯とは違った緩やかなワインディングを楽しみつつ、七が宿の道の駅で休憩。ソフトクリームなどを堪能します。

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その後はそのまま113号で白石を抜けて東北道を跨ぎ、角田市へ。国道349号線に入ってから再度給油を行い、少し先のデイリーマートで休憩、その後はひたすら交通量の多い4号線を北上し、仙台市内で国道45号線に乗りました。ここで景色が一変します。海岸沿いは明らかに被災の爪痕が色濃く残っており、津波の影響も見て取れました。

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夕暮れ浮かぶ松島に入ってからも、やはり景色はどこか異なるようでしたが、我々もすでに疲れはピークに達しており、宿の位置が少々分かりにくかったこともあって最後に全員で迷走しつつ、無事にブリーズベイシーサイドリゾートに到着。

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そこには福山さん、そして林さん(かつての梨本塾メンバーで仙台在住、地震時は被災したものの、軽度で済んだ。HNはシャイン)も到着していて我々を労ってくれました。

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午後7時半からのディナーは花火とともに始まりました。海鮮BBQにバイキングという組み合わせ。皆藤さん、八木さんらが先頭に立って料理長を務め、皆さんに食材を調理して配って下さいました。

待ちに待ったビールで疲れを癒し、さらにここではおたのしみ抽選会も開催。「当った人は絶対にそれを使わなければいけない」というルールで行うことになりました。

ちなみに抽選券は以下のようなものです。

抽選券

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まず①の券をゲットしたのは栃木スピード総裁、この日はZZR1400で参加の海老沼さん。

「都内ではなく栃木に招待します!いいですか?」と嬉しそうでした。

②の○○を○れちゃう券はスカし文字になってます。これを当てたのがこの日DRZ400で参加の中尾さん。一体一緒にナニが出来るのでしょうか。詳細はぜひご本人にお尋ね下さい。

③は文字通り、その場で三人に一杯奢らなくてはいけないという逆お楽しみ券。これを当てたのはこの日ゴールドウィングで参加の篠塚さん。三人はビールと焼酎ボトルをご馳走になりました。

④は9月開催時の割引券。これを当てたのはCBR600RRで参加の山内さんでした。

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かなり盛り上がった宴会も3時間ほど経過するとすでに参加者の中には限界を迎える人もチラホラ………。

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その後は部屋に上がり、篠塚さんや皆藤さんルームに集合して二次会開始。基本的にダブルベッドがふたつという間取りですが、ここに10人以上が入り込んでの座談会が始まりました。テーマはもちろん梨本塾、トミンモーターランド、バイク、果ては結婚相談所までと多岐に渡り、普段杯を酌み交わすことのないメンバーだけに話は尽きず、結局宴は深夜まで続きました。

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翌朝は8時半にホテルを出発、気軽に立ち寄ることはしたくなかったので参加者の皆さんの意見を募ったところ「被災地へ行こう」という声が多数となり、意を決して移動することになりました。

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国道45号線を北上してブルーインパルスの本拠地である航空自衛隊松島基地すぐそばのファミリーマートで一服してから、石巻を目指します。ちなみにこのすぐ北東側の大曲という場所も、津波によってかなりの被害が見受けられましたが、この後目にする光景からすれば、このときはまだ被災規模を認識できていなかったということになります。

ここで福山りこさんと別れ、その他一行で石巻港へ。大潮のときには未だ水に浸かってしまうという国道398号線で大街道を通過し、県道240号で門脇町へ出ました。

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ここで目にした光景は、生涯忘れることがないと思われます。門脇から南浜に至るまでの1km四方も及ぶ一帯が、津波による被害で壊滅的な状態にありました。私たちはほとんど何も喋ることも出来ないまま、辺りを見渡すしかありませんでした。

建造物はほとんど流され、残った建物も火災などによって直視出来ぬほどの状態であり、これまで教科書でしか知ることのなかった戦中戦後の日本のような状態が、そのまま広がってました。

歴史ある門脇小学校の現況に関しては、本当に言葉を失うしかありませんでした。ここで被害に遭った小学生達がいなかったということが何よりの救いでした。見渡す限り倒壊家屋や錆び切った車、子供の遊具から墓石までが混在しており、下水とお線香の臭いが混じった風が吹き、彼方の海岸線には、見たこともないほど堆く積み上げられた途方もない量の瓦礫の山、土手が取り囲んでいました。

旧市街でも多くの建物は傾ぎ、流された船も入り込んでいて、商店街が立ち並ぶ石巻街道へと戻っても未だ通電しておらず、交差点では警察官が手信号で交通誘導を行っておりました。道路には、未だ砂塵が降り積もっていました。

その中を私たちは何も話すこともできないまま、来た道を引き返し、石巻港インターから三陸自動車道に乗り、もう少し被災地を回ってくるという星野さんと別れ、矢本のパーキングでようやく一息入れました。

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「………厳しいですね」

参加者の篠塚さんのこの一言に、私たちの気持ちすべてが要約されていました。それぞれの想いはそのまま胸にしまいこみ、沈んだ気持ちを吹っ切るように何度目かの全員ジュースジャンケンをして(負けたのは西村さん)、今度は一路東北道菅生PAを目指しました。

仙台松島道路からすでに渋滞は始まっており、しかも外気温はまだ11時過ぎだというのに37度。エアコンのないバイク、しかも大型が多い中での三重苦に喘ぎながら、それぞれのペースで走ります。

利府JCTから仙台北部道路を北西に向かい、富谷JCTで東北道へ合流。ここでも断続的な渋滞の中を30kmほど走って菅生PAに到着。塾長が一番乗りしましたが、その先頭塾長が給油を終えてから、最後着の篠塚さんが給油を終えるまでになんと40分以上もかかりました。

車の渋滞はエアコンが効いた車内で待機すればいいだけですが、バイクの場合には炎天下の中でずっと待ち続けなければならず、これはかなり堪えました。

結局この渋滞給油が堪え、高速を降りてのワインディングルートは却下となり、約100km先の二本松インターを目指します。この途中も酷暑と渋滞が重なりましたが、全員無事に二本松インター着。高速のPAは混雑がひどく昼食も摂れない状況でたので、一旦高速を降り、すぐそばのデニーズにて全員で遅めのランチとなりました。

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この先関東方面に帰るには東北道ルートと磐越~常磐ルートがあります。当初は最初の集合地である佐野SAにて解散予定でしたが、時間も押していることから、ここ二本松で一旦解散、その後はそれぞれの方面で適時休憩を取りつつ自宅を目指すことになりました。

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東北道ルートは海老沼さんや石川さんなど。

磐越ルートは塾長はじめ芹沢さん、篠塚さん、皆藤さん、西村さんなど。

山内さんは日光巡りルートを選択。

ここからほとんどソロで走った塾長は一気に友部SAまで駆け抜け4時半過ぎに到着。ちょっとしたマシントラブルがありそれを修復して出発すると、谷和原付近で芹沢さんと合流、そのまま外環入り口まで一緒に走り、その後はそれぞれ自宅へ。塾長は午後5時30分、家に到着。芹沢さんも6時過ぎには自宅着。一人仙台を巡った福山さんも同じ頃自宅着。ちなみに福山さんは初日(すなわち我々出発前日)に雨、二日目、米沢牛後に大雨、そして最終日も雨と三日間連続で雨に祟られたようです。塾長と芹沢さんはカッパを切ることはただの一度もなかったんですが………。一人だけズブ濡れのGOHOKU TOURとなりました。お疲れ様でした。

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その頃篠塚さん、皆藤さん、西村さん、中尾さんらはちょうど友部SAに到着した様子。途中雨にも振られて坂さんが離脱。東北道ルートで駆け抜けた海老沼さんも自宅着。

常磐道組もそれぞれ夜8~9時くらいには自宅着。

日光を巡った山内さんは夜10時過ぎに自宅へ。一人被災地を巡ってきた星野さんは日付の変わった午前0時30分には自宅へ。

2日間、およその総走行距離は1000km超、市街地からワインディング、高速道路をくまなく走ってのルートとなりました。ただツーリングしたのみならず、被災地を巡ったことで、少なからず今後何かを考えるきっかけになったような気がします。梨本塾としても、また何かやれることを考えていきたいと思います。

このツーリングに参加していただいた塾生の皆さん、そして多大なる協力をしていただいた広瀬達也様、また快くゲスト参加していただいた芹沢太麻樹様、福山理子様に改めて御礼を申し上げます。

新しい梨本塾の夏のイベントとして、今後もチャリティを兼ねてこういったツーリングを行ってまいりたいと思いますので、そのときはぜひまた皆さんで一緒に走りましょう。本当にお疲れ様でした。

最後に非常に印象的な水彩画を紹介いたします。これは画家であり梨本塾にも参加してくれている吉川龍さんが、昨年バイクで東北を2000kmほど旅したときに描いたという上杉神社と松島のスケッチです。福山さんは上杉神社参りもしたといってましたね。今回のレポート掲載にあたり提供していただきました。吉川龍さん、ありがとうございます。

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いつかまた、東北の地がこの絵のように穏やかな台地となることを信じて。

2011 梨本塾 GOHOKU TOUR 完