
エッジで走れのテストが早めに終了したので、梨本塾に参加されている磯山選手のマシンを10分程拝借して試乗させてもらった。今年NSR250Rでタイムアタックをしたときから、改めて興味を持ったマシンだった。

梨本塾に参加中の磯山選手。当初ZX12Rで参加していたが、途中から3XVに乗り換え好調だ。
このTZRにはとても印象深い記憶がある。
1992年、国際A級250ccクラスの1年目。テストで菅生を走っていたとき、10%勾配を登っている最中にものの見事に抜かれたのだ。相手は東北の有力ショップチームだったがマシンはF3ではなくSP仕様(チューニングが軽い)であったはずで、こちらはIA250を走っているRS250だった。
いくら予選通過さえままならないプライベーターとはいっても、生粋のレーサーマシンである。現代に置き換えれば、モト2クラスを走るスッターが、筑波TTのNM600クラスにホームストレートで抜かれるようなものだ。つまりあってはならないオーバーテイクである。

レーサーのTZも速かったが、市販車であるこのTZRの速さも群を抜いていた。すでにホンダのエンジンが速い、というのはワークスに限った話になっていて、NA(国際B)以降のプライベーターはコーナーだけでなくストレートでもビハインドを負うようになっていた。完全に20年前のことだが、このTZRを見るたびに思い出す鮮明で苦い記憶だ。二年後に、RS250からTZ250に乗り換えるきっかけになったマシンでもある。
また幾度も書いているが、この時代のヤマハ車のハンドリングは神がかっていた。ホンダ車でレースするものには想像さえ出来ないようなラインワークは、原田哲也選手に限った話ではなかった。プライベーターでさえ、その「ライン」で走っていた。
「ウチらの内側から立ち上がって、さらにバイクを起こしているのに、曲がっていく………」
「どこからどんなスピードで入っても曲がっていく………」
RS250は、曲がらなかった。特に92年型は何をしてもまったく曲がらなかった。進入も立ち上がりもドアンダーだった。だからみんなハイサイドでぶっ飛んだ。コーナー進入では焼きついてぶっ飛び、立ち上がりでは曲がっていないままフルバンクでフルスロットルにするからぶっ飛んだ。あれほどハイサイドで吹き飛んだシーズンは、後にも先にもない。
当時の記憶を呼び戻しつつ、やはりその二年後、鈴鹿で初めてTZ125に乗っっときにマスターした「コーナーに勢いよく飛び込んですぐにアクセルを開け、たっぷりリヤ加重をかけてフォークリフトのように二次旋回させる」走りを思い出しながらの試乗となった。「リヤステア」という言葉は、ヤマハ系のライダーでない限り理解し得なかった感覚だということも、このTZ125に乗って初めて気づいたことだ。

磯山選手のTZR250はコンディションもよく、外観もきれいだ。エンジンはイメージよりもパワフルではなかったが、それでも未だ元気だった。ジャッカルチャンバーとの相性もよく、適度に下も残されていて上のパワー感もある。もっと突き詰めればパワーを搾り出すのはそれほど難しくないだろうが、発売から20年を経た上での安定的なランニングを考えればこれで充分ともいえる。今年試乗したフルレストアNSRとの差は、ほとんどないようにも感じられる。
但し車体は少々厳しかった。NSRを走らせたときも書いたことが、とにかくこの時代のマシンを今のタイヤで走らせた場合、車体が「低い」。特にリヤサスは抜け気味であることも多く、余計にベタシャコに感じられる。タイヤがグリップのいいディアブロコルサSC1を着用していただけに、余計にサスペンションは柔らかく感じられる。
どれくらい低いかといえばユニットで数センチ単位、4~50mmほどかち上げてもいいのではないかと感じるほどである。上の写真を見ても、まだアクセルを開いていないにも関わらずリヤサスは相当に沈み込んでいる。
しかし、それでも感心させられたのはやはり車体設計だ。リヤサスのストロークがほとんどないにも関わらず、アクセルを当てればマシンはしっかりと二次旋回しようとしていた。軽量級だからこそ実現できたものなのかもしれないが、残念ながらこの感覚を残す現代のマシンはほとんどない。倒立になる前のR6が最も近い感覚だった。
試乗時間は10分程度とプッシュする時間はなかったが、すぐに27秒7にまでは到達した。リヤサス換装も含めて車体のセットアップをしっかりと行えば、NSR同様26秒台にも入りそうだ。
興味深いのは、GPS計測したトミンモーターランドにおける最高速データである。
3月に走らせたフルレストアNSR250Rは111.4km/hがベストで、110km台を安定してマークしていた。今日走っていた限りでは体感的にTZRも同等以上のパワー感があったが、GPSを確認してみると、意外なことに105km/h程度だった。
季節的な問題(特に2サイクルは気温や湿度で大きくパワーが変わる)もあるとは思うが、短いサーキットだけにこの差はやや大きくも感じられた。ファイナルレシオはそれほど大きくズレてはいないので、最終コーナーの脱出スピードの違いか、もしくはフルレストア車との差ということだろうか。
ちなみに9月の梨本塾、K-RUN-Bクラスで走っていたCBR250RRの最高速は100km/h程度であった。このときは28秒台だったが、絶好調時には27秒台をマークしている。乗り手はもちろんアマチュアライダーである。

そう考えると3XVの潜在能力はもっと上にあるようにも思う。多少のセットアップを行えば、NSRと同等程度の最高速を出すのはそれほど難しくないかもしれない。
それにしてもひとつの時代を作り上げた2サイクルレプリカマシンでの走行は本当に気持ちよく楽しい。4サイクルマシンによって鈍化された感性を呼び起こしてくれる。昨今の250cc4サイクルマシンの運動性とは隔世の感がある。
それまで嫌悪し、けして乗らなかった小排気量クラスだが、94年発売と同時にチーム員が購入したTZ125に乗ったときのことはよく覚えている。鈴鹿の3コーナーアプローチで、アクセルを開けて入るほど内側にメリ込んでいく運動性に、それまでホンダに乗ってヤマハの後ろを走っていたときの疑問すべてが要約されていた。

あのTZ125での走りが、後のTZ250やNK4、SBK、JSBで東コースを走るときの指標となった。昨年久しぶりにこのクラス(4サイクル250)に鈴鹿で乗る機会があったが、NSFにもあのTZのようなハンドリングはない。そういう意味では軽量クラスのひとつの指標を示しているのが、この時代のヤマハ車ということになる。そのニュアンスは発売から20年を経た今でも、このTZRに色濃く残っていた。
サスの改良を行った上でセットアップを詰めれば26秒台はそんなに遠くないだろう。梨本塾でAクラスを走る2サイクルマシンがいても、けしておかしくない。それなりのチューニングを施せば筑波で2秒台を出すのも可能だろう。安定的に走らせるにはパーツの調達など大変な面も多いと思うが、この時代のマシンが現代のバイクと共走するシーンはとても楽しい。
ライダーが自分のマシンや走りに行き詰っているとき、何かしらのヒントを与えてくれるのが2サイクルマシンだ。
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