2017年01月26日

レンズの彼方

小学校の朝は早い。
今日はさらに早い。
       
今日は運動会なのだ。
従って『場所取り』のお父さんが並んでいる。






    
    
    
          
      
   
ちなみに、まだ朝の8時だ。
運動会の開会式が10時なのにすでに長蛇の列である。
        
みんな心得ていて折りたたみ式の椅子を持参して
長期戦の構えだ。
これだけは、俺も持ってきた。
        
去年、『朝一番のカメラ位置取り』を担当した
お義父さんからさんざんに聞かされていたのだ。
       
畜生、逃げやがって。












カメラがビデオのハンディカムからデジカムになっても
結局は場所取りがすべてである。


いや、被写体の子どもは、できあがった映像など
一度見たら飽きてしまうのだし
画角がどうの、露出がどうの、ズームのタイミングがどうのといったことは
正直どうでもいいと思うのだが
それ以降、その画像は、実家、義実家、そして嫁、と
果てしなくリフレインされるのである。


そしてうまく撮れていなければ『下手くそ。』、と。
そして、結局は機材が大がかりなことは
昔も今も変わりない。


俺でさえ、スチール用の一眼レフと
動画用の、ちょっといいデジカメを持ってきている。
いや、一眼レフで動画も撮れるんだが
静止画と、動画を同時に録画することに
なんの意味があるんだろう。













しかし、まだ2時間ある。
開門まででも1時間だ。
       
この時間でも日差しは強く、気温は低いが、とても眩しい。

       
       



律子の奴、このことを知っていて俺に席取りをやらせたのだ。

『こどもたちにご飯食べさせなくちゃいけないでしょー?』
と、いいつつ、
奴がお稚児さんのように日焼け止めを塗り込むのに
30分以上かけているのを知っている。












腕時計を見て、舌打ちしてそして
胸ポケットに手を伸ばしてから気がついた。

『ああ、そうか。小学校じゃタバコは吸えないよな…』

そんな風にもぞもぞしていると、隣にいるおっさんが
『あのー…』といって声をかけてきた。


すごいカメラを持っている。
俺だってカメラマンをやらされるくらいだから
素人以上の知識はあると思うが
このおっさんの持っているカメラは、ボディとレンズで
軽く俺の機材の倍はする。












『タバコをお吸いになるんですか?』というから

『はい…』と答えると、

『学校の周りじゃ吸えないでしょう。
少し歩いたところのコンビニに喫煙所がありますから
行ってらっしゃい。』という。






        
        
ありがたい話だが、こっちのカメラだって、
普通の会社員の初任給以上はするのだ。

もじもじしていると、
『荷物は見ていてあげますよ。
ご心配ならカメラとレンズは持っていらっしゃい。』という。

そこまで言われたらもう、断れない。
『じゃあ、すいません。』と
間抜けなあいさつをして、カメラを提げてコンビニに歩いた。














コンビニの入口に置かれた灰皿の前で
素晴らしくいい天気の青空を見上げながら、
そういえば、あの人は誰だったんだろう、と思った。

最近の小学校は、第三者の侵入に神経質で
俺も、首からIDカードのようなものを下げている。


当然学校から配布されるのだから本名で
俺の名札には『山村』と書いてある。


品質的にはIDカードとしては役にたたず、
言い訳のようについているバーコードに意味はない。














あのおっさんの名札にはなんと書いてあったかな。と
思いつつ、そのままでは悪いような気がして
ペットボトルのお茶を2本買って、学校に帰った。

例のおっさんは、黙然と素寒貧な青空を眺めていた。


『ありがとうございました。』といいながら
ペットボトルを差し出すと、

すごく意外そうな顔をして
『ありがとう。』といった。












彼の名札を改めてみると『咲川』とある。
『何年の方ですか?』と聞いてみた。

各学年1クラスで、全校生徒でも200人いないから
こういう質問が出来る。







彼は、思い出したように自分の名札を見ると
『…3年の咲川理恵の叔父です。』と言った。
      
一瞬『叔父さん?』と思ったのだが、
『実は弟に頼まれて、席取りに駆り出されてるんです。
義父母を連れてくるために車を出さないといけない。
だから兄貴に、席取り要員になって欲しい、と。』









3年1組の咲川さんといえば、可愛いいことで有名だ。
なんとかという、雑誌にもたまに出てるのよー、と
律子が言っていた。



『たまに』の部分を強調して。



そうか、あの子か、と俺も思い当たった。
なにしろ200人だから有名な子は顔くらい知っている。











『へー、それは…』といいつつ、
『うらやましいですね、』と言いかけて
さすがにその言葉は飲み込んだ。

うちの子が可哀想じゃないか。



しかし、隣のおっさんは、お世辞にも
あの可愛い子の血縁だとは思えない。
安っぽいジャンパーにジーンズ。

休日だから、この時間でも存在が許され、
高級カメラを持っているから通報されないだけで、
シルエットだけ見れば、好意的に見ても失業者、
普通に見れば不審者だ。


そこまで言うのは悪し様にすぎるか、
と思ってみるが彼が立派なのは
カメラ機材だけである。


そうはいっても、席取りに来たにしては、
あまりに立派な機材なので、お世辞がてら
『すごいカメラですね…』と言うと、
『いやあ、席取りだけじゃなく、カメラマンも任されてますから。』と言う。












まあ、そういうこともあるかな、
と思いつつ空を眺める。

8月までの濃い青い空とはすっきりと変わって
10月も近い空は薄く、高くなり、朝のこの時間なら
空気が乾いていて、襟の内側が涼しい。

茫然と空を眺める。




最近のトレンドは『ポータブル脚立』だ。
それこそむかしのベータカムの時代には
本気脚立を持ち込む奴がいたらしいが
さすがにいまは禁止されて、
だからザックに入るような小型の脚立だ。


そして、それだから『場所取り』が、圧倒的に重要な意味を持つ。
俺を含めた数十人のおっさんが、
首から怪しげなIDカードを提げて
これもポータブルの椅子に座っているのだ。


なんだろう、この週末。









こんなに晴れた秋の休日の朝、
海にでも行って、もちろん泳げる季節ではないけれど
浜辺で寝そべっているだけで最高ではないか。


運動会の天気としても、最高なんだろうが。










隣の咲川さんの叔父さんとの間とは、
その後、特に話をすることもない。
   
彼は、カメラの点検に余念がなく、
時折、投校中の子どもにレンズを向けて
シャッターを切っていた。


本気だ。













『開門しまーす。』という声が聞こえた。
西門のところに4年生の担任の田中先生が立っている。


各学年1クラスなんだから、先生の数は、
音楽や図工、保健といった専門科から管理職まで
20人ちょっとしかいない。
だから、俺でも先生の全員の顔を知っている。

彼は、いつもよれよれのジャージを着ているはずだが
今日はブルーグレーのポロシャツと
生成りのチノパンを穿いている。


ブランドには詳しくないが、あのシャツは確かすごく高いぞ?









一人ずつ校門を入る。
みんなえらい機材を持っているし、脚立やお茶その他が入った
下手をしたら、
インド横断くらい出来そうな大荷物を抱えているので
進行が遅い。

咲川さんの叔父さんも、
俺よりも大きな荷物を抱えて立ち上がった。




『大丈夫ですか?』と、思わず聞くと、

『勝負は校門を入ってからですよ。
ダッシュしないと、いいポジションは取れませんよ。』



なるほど、と納得して
俺はカメラのホルダーとザックを握りなおした。

























結局、咲川さんは来なかった。

あの『叔父さん』も、児童当人も、だ。





ほとんど意味のないIDカードだが、
田中先生はポロシャツの襟を立てながら、
一応は本人確認をしていた。


そうしたら、欠席届が出ていた咲川さんの
『叔父さん』と称する人物が現れたので
警察に突き出されたらしい。












俺も、きれいな女の娘を撮りたい。












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2017年01月08日

山極氏の転職

山極氏は悩んでいた。 
義父から、
家業の電器屋を継いでほしいといわれているのだ。
 
 
 
 
 
山極氏は銀行員だ。
 
高校を卒業して、当時は相互銀行といった
地元の銀行に就職した。
諸事情があって大学に進学できなかったからだが
就職先が銀行、ということで親は喜んでくれた。
 
その後、
世界を舞台に大企業相手のマネーゲームをするような
エリートコースとは無縁の
『地域の銀行屋さん』として、銀行というより、
どちらかというと信用金庫に近いような仕事をしてきた。
 
 
 
 
 
 
就職して10年経って、見合いをして結婚した。
交際しているときは、
『おとなしい人だな。』くらいに思っていたが
結婚したら、その暗さに驚いた。
 
ものすごくネガティブなのである。 
 
話をしていると、がっつり疲れる。
ママ友からも敬遠されているらしく、
それが余計に彼女の暗さを加速させているのだが
自業自得だから、なにもアドバイスできない。
 
 
それでも子供には恵まれた。
なぜか義父さんだけ『きい君』と呼ぶ、その男の子は
嫁にそっくりで真っ暗に暗い。
 
 
うちに帰りたくないな。
 
 
 
 
 
 
 
家がそんな具合だから、
嫁も実家によく行っているようだ。
 
それでも、まあ盆暮れだけの付き合いなら構わない。
嫁が、時々きい君を義父さんに預けているらしいが
それで嫁の機嫌が晴れるんなら、
それでいい、と思っていた。
 
 
 
 
ところが、年末から急に義父さんからの
『店を継いでくれ』コールがひどくなったのだ。
 
 
 
 
なぜだ?
 
 
 
 
どうも義父の店も、流行っていないらしいのだ。
いまや、家電電器は量販店や、ネットで買う時代。
街の電器屋さんに生き残る余地は少ない。
 
山極氏も銀行員だからそういう大状況は読める。
 
 
 
だから、義父の『店を継いでくれコール』に
応える気は起きない。
 
地元では名門の『銀行員』の地位を捨てるには
あまりにもバランスが悪い。
 
だから、それに対しての返事は曖昧にしていた。
 

 
 
さらに、仕事も忙しくなった。
 
12月に山極氏は一つのプロジェクトを立ち上げた。
というとかっこいいが、
倒産間際の地元の不動産会社に自ら参加して
店を作ったのだ。
 
 
 
 
 
 
実をいうと、山極氏には
銀行員以外にやりたい仕事があった。
 
 
うどん屋だ。
 
 
祖父が香川の出身で遊びに行くと、
自分で打ったうどんをご馳走してくれる。
 
あまりおいしいので何回も作り方を訊き、
自分で出汁を引き、
実際にうどん玉を足で踏んだりもしたから、
いまでも、水準以上のうどんを作る自信がある。
 
 
 
しかし、銀行員という
世間的に固くて安定した職業に就いてしまうと、
なかなか『うどん屋になりたい』とは言い出しにくい。
 
あの暗い嫁が、世界が終わるような顔をして
義父に泣きつくか、と思うと『見果てぬ夢』であった。
 
 
 
 
 
 
そこに、市内で不動産業を行っている古田氏の会社の
立て直しの案件が来た。
 
古田氏は市の中心部にある、といっても
今はすっかりさびれた地区にある、
戦前からのビルを所有している。
そうしてそこは、
中規模の証券会社の支店が、ビル一棟ごと借りていた。
 
安定した会社である、として
たいした金額ではないが山極氏の銀行も融資をしていた。
 
だから緊急の運転資金というわけではない。
 
 
 
 
ところが証券会社の本店が
支店の整理、統合ということで、
このビルの賃貸契約を解除することになった。
 
古田氏の不動産会社の収入は、
ほとんどこのビルの賃料だったから、
契約を打ち切られたら大変だ。
 
 
貸出残高は大したことはないが、
この危機を機会に、山極氏の銀行がそれを引き上げたら
おそらく耐えられまい。
 
 
『だから、助けてやれ。』
 
 
という支店長の命令を聞きながら、
『人間味のある銀行でよかったなあ』と、思う反面、
『こんなことやっているから、
一流の都市銀行になれないんだよな。』とも思う。
 
 
 

 
 
 
 
さて、どうしよう。
 
支店がなくなるくらいだから
にぎやかに華やかな通りではない。
 
世間的には『シャッター商店街』である。
 
しかし、とにかくテナントを入れなくてはいけない。
『一棟丸ごと』というのは、もはや不可能なので
2階から上はオフィス以外にも、学習塾、ネイルサロンなど
いろいろな業種から募集してはどうか、と提案した。 
 
1階は商業施設、店舗でも飲食店でもいいのだが
高い賃料が期待される1階には、客が来る店に来て欲しい。
 
 
 
 
2階から上のテナントは、フロアを小分けにしたら
意外に早く埋まった。
 
こまったのが1階で、
JAがATMコーナーを作ってくれることになったが
全部のフロアはいらない、と。
 
50㎡ほどのスペースが余ってしまう。
 
 
ビル全体の収益を考えたら、
そのくらい空きフロアがあっても
もはや大差ないのだが
やっぱり、『ビルの顔』である1階、
商店街に面した一角が空きスペースになっているのは
印象が悪い。
オーナーの古田氏に、何とかしてくれと泣きつかれた。
 
 
 
 
銀行としては、再建計画を作って
それを資金面からサポートすればいいのであって、
テナントの募集まで責任を負う必要はないのだが、
ここで山極氏に、ちいさな欲がおこった。
 
 
『自分のうどん屋を開きたい』  
 
 
そのことを古田氏に伝えると、
とにかくテナントを入れたい氏は、
飲食店に改装するために必要な、
ガスや水道の容量の拡大をするための
費用を持ってくれることになった。
 
そこまでしてくれたら、引くに引けない。
 
 
 
 
といっても銀行員をやめる決断もつかないので、
『昼休みだけうどん屋に出勤するオーナー』になった。
 
接客もするが昼の12時から2時までの間に
麺を作っておく。
  
いまは頼りないバイトの子も、あと1年もしたら
麵を踏むくらいはできるようになるだろう。
 
 
 
 
 
そんなわけで、
うどん屋の店頭に立つときはネクタイ姿である。
さすがに場違いだと、自分でも思うのだが
昼休みの後に、銀行に帰らないといけないのだ。
 
古田氏のビルの再建計画については当然、
支店長に報告しているが
そのテナントの一つにうどん屋があって、
そこでうどんを作っているのが自分である、ということは
報告していない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山極氏のうどんの特徴は出汁にある。
かつおの風味を際立たせるために、
注文のたびに出汁を引く。
注文が重なる時など泣きそうになるが、
ここだけは譲らない。
 
午前中や昼過ぎなど、山極氏がいない時間帯に
出汁が引けるよう、
手伝ってくれる、古田氏のお母さんを特訓した。
 
開店から2か月経って、
ようやく合格点をあげられる出汁を引けるようになった。
 
 
 
麺は、夜のうちに山際氏が自宅で踏んでおく。
練って踏んだ麵玉は、
少し時間をおいて熟成してやらないといけないからだ。
 
本業の銀行員としては、残業したことがないのに、
うどんを作るとなると残業もいとわない。
 
山極氏は自分で自分がおかしかった。
 
 
 
具は、ごく控えめ。
鶏肉と、なぜかナルトが入る。
 
祖父のうどんがそうだったからだ。
古田氏のお母さんには笑われるが
これも山極氏は譲らない。
 
 
こうやって書き出してみると、
意外に頑固な山極氏のこだわりもあって、
うどん屋は地味に人気を集めるようになっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
そうやって目立つようになれば、
義父さんに見つかる、とは思わないのかというと、
外食は滅多にしない人だからそこはノーガードだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それが、来た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『やあ』といって入ってきたのは芹沢さん。
うちのうどんをひいきにしてくれて、
週に1回くらい食べに来てくれる。
 
 
 
『今日は新しいお客を連れてきたよ。』
という声とともに入ってきたのがお義父さんだった。
 
しまった、この二人は
暇なとき時々つるんでいるんだった。
 
 
 
 
 
俺と義父さんと、二人して固まった。
 
 
 
 
 
芹沢さんが
『ここのうどんはうまいんだよ。
マスターがいつもネクタイ姿だから、「変な店だな」
くらいに思ってたんだが、食ってみると実にうまい。
お前も食ってみろ。』と、いってくれる。
 
  
 
しかしお義父さんは、
『安男君、銀行は辞めたのかね?』
と訊くから、
『いや、これは業務の一環で』と説明しかかると
 
『うどんを打つ銀行なんてあるのかよ』と、
真っ当なことをいう。
 
 
 
返事に詰まっていると、芹沢さんが
『何だ、知り合いだったのか?
そういえば二人とも名字が山極だったな。』
といって笑うが、、俺も義父さんも無言だったので、
 
『まあ、とりあえず食ってみようぜ。うまいから。』
と言ってくれて救われた。
 
 
 
 
うどんの鉢をふたつ調えて二人の前に出して、
なにか審判を受けるような緊張感に耐える。
 
芹沢さんは、
『いやあ、相変わらずうまかったよ。』と言ってくれたが
義父さんは、黙ったまま食べ終え、
やはり無言で会計をして、先に店を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あの日以来、義父から
『電器屋を改装してうどん屋にするから、
後を継いでくれ』という電話が
しょっちゅうかかってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
改装しちゃったら、継ぐべき『跡』もなくなるんだけど、
それはいいのか。

 
 
 
 
 


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2016年12月29日

山下さんの退院

海に向いたこの病院の談話室。
南側の背の高い窓の前、
冬とは思えない暖かい日差しの中で、
山下さんが座っている。 
 
彼の前には、中学生くらいの男の子が座っている。
山下さんの子供だろうか。
見舞いらしい。
 
テーブルの上には、小さな紙袋。
なんだろう。
ケーキか?
    
缶コーヒーを買って、
談話室の少し離れたテーブルに座ると、しかし
少年はすぐに立ち上がって、
固い表情のまま談話室を出ていった。
 
 
 
 
 
 
続けて立ち上がる山下さんに、
俺は声をかけた。
 
『山下さん。』
『ああ、野村さんか。』
『息子さんですか?』
『うん。』
 
山下さんは、俺と同じ病室の入院患者だ。
どこが悪いんだっけ?このひと。
 
入院で俺のとなりのベッドに入るとき、
付き添いに来ていた
彼の奥さんに丁寧な挨拶をされて、彼女の誘導のままに
身の回りのことをしゃべらされた。
お返し、ということで奥さんが
山下さんのことをしゃべったため、初対面ながら
言葉を交わした。
 
やがて談話室などで会うと世間話をするようになった。
 
もっともよくしゃべる奥さんの話のあいだ、
山下さんは憮然としていた。
 
そういえば最近、あの奥さん見ないな。
 
 
 
 
『その袋は、見舞いですか?』
『いや、着替え』
 
なんだ。
 
『息子に着替えを持ってこさせるなんて、
親父失格だなあ。』
 
そう言って、山下さんは複雑に笑った。
 
 
 
 
 
窓の外を見ると、
1階の玄関から出たらしい、さっきの少年が、
女の子と話をしている。
いかにも乾いた空が、景色を黄色く染める。
 
『息子さん、何年生です?』
『中三さ。年が明けたら高校入試だよ。』
『大変ですね。』
『なに。親がやることなんかなにもないさ。』
『・・・』
『まして、入院してちゃね。』 
 
 
『入院の時、最初にお会いした奥さんは?』
『うん?うちを出てったよ。』
 
しまった。

 
  
 
 
せっかく立ち上がったのに、しりもちをつくように
椅子に座り直した山下さんが、
葉っぱを落とした桜の樹の枝が鈍色に光っているのを
見上げる。
 
寒そうだな。
 
 
 
 
 
 
『転院しようかと思ってね。』
『退院ですか。おめでとうございます。』
 
『違う、違う。
お袋がいる僕の田舎の病院に移ろうかと思ってね。』
『・・・どうして?』
 
『どうも長期戦になりそうなんだよね、僕の病気。』
『・・・』
『勤めの方も、これ以上休むなら、
一度籍を抜いてくれ、と言われているし・・・』
『・・・』
『なにしろ身の回りのことができないからね。
親子共々田舎のお袋の世話になるよ。』
『でも、息子君はこれから入試でしょう。
いきなり転校させるんですか?』
 
『・・・』
山下さんは黙ってしまう。
 
しまった。
他人が踏み込んでいいラインを超えてしまった。
 
 
『・・・すいません。』
山下さんは無言で立ち上がって病室に帰っていった。
さっきの少年の固い表情の理由は、こういうことか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つぎの日ベッドで午睡していると、肩をたたかれた。
『野村さんすまない。一緒に来てくれるか。』
『なんですか?』寝ぼけながら聞くと、
『一人で聞くのが耐えられそうにないんだ。』
 
なんのことだ?と思って
山下さんと一緒に談話室に行くと
息子君と、そのとなりに女の子がいる。
きのう、病院の外で息子君を待っていた子だ。
 


きれいな子だなあ。
姿勢よく椅子に座って、
ショートカットの下の大きな瞳で、
山下さんをまっすぐに見つめる。
 
なるほど、この視線は一人では耐えられまい。
 
俺が口火を切るのはおかしいから、
遠く、窓のそとに見える海を見ていると、
山下さんが喋り出した。
 
『昨日も言ったように、お前の入試が終わったら、
ばあちゃんのところに行こうと思う。』
『・・・』
『お前は、ばあちゃんのところから通える高校の中で、
行きたいところを選んでおいてくれ。』
『転校の手続きは一時外出の許可をもらって俺がやる。
これでも一応親だからな。』
 
 
 
『親父。』
『うん?』
『おれ、やっぱりこの街を離れたくない。』
『だから俺は家のことができないんだよ。』
『俺がやるよ。』
『おまえが?』
『ああ。』
『食事の仕度。掃除、洗濯。
うちのことばっかりじゃない、入院中のおれの世話も見てもらわないと困る。』 
『・・・』
『誰かに頼らないと、できないよ。』
『・・・』
『志望校に合格できてもすぐに転校、っていうのは、
申し訳ないけど。』
 
明るく差してくる陽のひかりが、壁の白いペンキに
乾いた影を落とす。
しばらくみんな無口になる。
 
 
 
『あたしがやります。』
 
 
 
よく通る声で女の子が答えた。
『君が?どうして・・・』
 
 
 
 
 
 
 
『山下くんが好きだからです。』
 
 
 
 
 
 
 
大きな瞳でまっすぐ山下さんを見据えて彼女は答えた。
驚いて彼女を見直すと、
ほんの微かに微笑んでいるようにも見える。
 
 
 
無垢な母性がいた。
 
 
 
音をたてないように立ち上がって
彼らのいるテーブルから離れた。
自販機でコーヒーを買っていると
隣に山下さんが立った。
 
『いいんですか?』
『恥ずかしくて見てられんよ。』
 
二人とも熱いコーヒー缶を親指と中指でつまみながら
病棟への渡り廊下を歩く。
遠く海が見える、大きな窓の前でコーヒーを開けながら
『まっすぐな子ですね。』と言うと、
山下さんもコーヒーの缶を開けながら
なにも言わずに大きく笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
遠くに見えている海が、金色に光っている。
 
 
 
 
 
 


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2016年11月14日

鬢の毛が跳ねる

 
髪の毛が跳ねた。
 
 
ちくしょう、今からプレゼンなのに。
 
 
 
 
 
 
さっきトイレで
ネクタイが曲がってないかのチェックまでしたのに。
 
 
 
トイレから出てきた時、廊下ですれ違った山下君に
『広瀬さん、髪の毛跳ねてる』と、呼び止められた。
 
彼女も、今回のプロジェクトのメンバーだ。
珍しく化粧しているらしいが、目元が黒い。
最近、終電続きだったからな。わるい。
 
 
 
『え?どこ?』
 
『ほら、』と言って、手で教えてくれようとしたが、
今日のプレゼンのレジュメを持っていたために
落としそうになっっている。
 
『あー、もう。口で言って』
自分の手のひらで触っても、
押さえてしまうらしくてわからないからイライラする。
 
『だから ほら、左の鬢のとこ。』
 
『びん?』
 
『ここです』と言って、彼女は資料を床に置いて
俺の左耳の上をはたいた。
そこらへんが『鬢』らしい。
 
呆然としていると、彼女は床のレジュメを拾って
『早く来てくださいね』と言いながら、
実際に急いでいるのだろう、
プレゼンでスクリーンを指し示すために、
俺が持っていたレーザーポインタだけ
奪い取るように手のひらから取って、
会議室に向かって行った。
 
俺たちがいるフロアよりも毛足が長い
タイルカーペットの廊下を急ぐ、彼女のふくらはぎが
細くて白い。
 
 
 
 
レーザーポインタだけ持って行ってどうするんだ?
 
 
 
 
しかし、急いでトイレに入って洗面台の鏡を見た。
確かに左の耳の上の髪の毛が跳ねている。
手のひらを水で濡らして
跳ねているところを押さえてみる。
 
手を放すとぴょんと跳ねる。
 
こんちくしょう、と思って手のひらに水をすくって
跳ねている場所にその水を掛ける。
 
ぴょんと跳ねる。
 
しかも水を掛けすぎて、
クリーニングしたばかりのスーツに掛かってしまった。
あー、もう。と思ってハンカチで濡れたところを拭く。
しかし、もう時間がない。
結局、髪の毛が跳ねたまま、
プレゼンに臨むことになった。
 
 
  
 
 
 
プレゼンは大失敗だった。
 
髪の毛が気になるから、
つい左手をこめかみに持って行ってしまう。
 
気が付いてプレゼンに集中しようとすると、
レーザーポインタがない。
 
慌てて山下君のほうを見ると、
彼女もあたふた、持ってきた資料を探している。
 
 
 
 
あいつ、失くしたな。
 
 
 
 
 
こっちも落ち着かなく、昔の林家三平みたいに、
こめかみに手を当てて、右手を振り回していると、
バサアッ、という大きな音がする。
 
レーザーポインタを探すために
山下君が開けようとしていた、資料の分厚いファイルが
彼女の机から落ちた。
 
慌てて立ち上がる彼女が、スーツのスカートを
デスクに引っ掛けたりしているから、
拾ってやろうと俺が向かいかけると、
重役席から咳払いが聞こえた。
 
慌てて立ち止まって振り返ると、
『君たち』と声がする。

『いいから、落ち着いてやりなさい』
社内報でしか顔を見たことのない社長が、
動いて、しゃべっていた。
目は笑っていた。
 
 
 
 
 
プレゼンが終わって
パソコンや、プロジェクターなどを片づけていると、
山下君が近寄ってきて、
レーザーポインタを差し出しながら、
『すいません』と謝った。
 
『どこに入れてたんだ?』
なるべく笑いながら訊いたら、それには答えず
『広瀬さんが課長になれなかったらどうしよう』と
泣きそうな顔をしている。
 
うちの部には、重役プレゼンに合格すると昇進できる、
という都市伝説がある。
『気にしなくていいよ』、部長などはそう言ってくれるが
逆に言えば部長も知っているわけだ。
40過ぎて課長になれない人が確かにいるが、その人には
『すごい失敗をしたらしい』という噂があることは確かだ。
何をしたかについては『それは、すごかったらしい』と
誰も具体的なことを知らないが。
 
『まあ、いいよ。それよりどこにあったの?』
ポインタを受け取りながら訊くと、
『スカートのポケットに・・・スーツなんか着るの久しぶりで』
 
ああ、まあな。
俺も昨日はクリーニングしたスーツを
取りに行くためだけに、8時前に家に帰った。
すぐ、会社に戻ったけど。
 
しかし、それよりも気になることがある。
 
 
 
 
 
『鬢なんて言葉、何で知ってたの?』
 
『うちのばあちゃんが髪結いだったんです。』
 
『髪結い?いまでも?』
 
『いまはやってません。
大学の卒業式や成人式なんかでも
女の人はもう日本髪にしないでしょう』
 
『和服の人はいるけどね。
あとは結婚式くらいか?』
 
『結婚式でも日本髪を結う人は減りました。
だから今は、依頼があった時だけ髪を作ってるみたい』
 
『ふーん』
 
『ばあちゃんのばあちゃんの時代には、
女の人は普段でも髪を結いましたから、
仕事になったんです』
 
『あ、そうか』
 
『そのまた前の時代だったら、
男の人も髷を載せてたでしょう』
 
『うん』
 
『いま、男の人で髷を載せてるのは
お相撲さんだけですけどね
お相撲さんの髪を結うのに使うのが・・・』
 
『あ、鬢付け油。』
 
『そう、そうです。』
 
『ふーん』
 
『鬢付け油は鬢のところだけに
つけるわけじゃないですが・・・』
 
『鬢って言葉は、いまでも生きてるのか』
 
『あはは、「鬢」が生きているのは、
その単語くらいですけどね』
 
 
 
そんな話をしていると、神谷部長が後ろを通りながら、
『お、社長公認のカップルが何やっている』というから
『今日のプレゼン、すいませんでした』と言った。
『うん?よかったよ。あれで』と言いながら
歩く時に肩を揺らす独特のスタイルで歩いて行った。
 
 
その時彼女から返してもらったレーザーポインタは、
結局壊れていた。
 
 
 
 
 
 
 
プレゼン以降、変わったことといえば、
山下君が俺のことを『鬢さん』と呼ぶようになったことだ。
 
訳が分からないからやめてくれ、と何回も頼んだが
くすくす笑って、言うことを聞いてくれない。
 
そのうち、ほかの連中もそう呼ぶようになり、やがて
『鬢さん』が『ビンちゃん』になり、
『Mr.ビーン』と呼ばれるようになった。 
 
 
 
 
 
 
プレゼン自体は失敗した。
俺がプレゼンしたコンペ案は、社内では採用されたが
相手先に不採用を出されて実施案件にならなかった。
 
 
 
 
 
昇進も、まあ、すこしお預けになったらしい。
 
 
 

 
『ばあちゃんが、あたしの髪の毛結ってくれるって』
山下君だ。
 
結局、彼女と結婚することになった。
結婚式での彼女の髪の毛を作ってくれるという。
 
鬢の縁だ。
 
 
 
 
ふーん、文金高島田だけでもたくさんあるんだな。
『ビンさんもばあちゃんに髪を作ってもらいます?』
 
男で日本髪、と言ったらちょんまげだろう。
俺は月代なんか剃らねえぞ、と言ったら
『今どきちょんまげなんかしないですよ。
男性がやるかっこいい日本髪はあります、って』
 
写真を見せてもらったが、
全部総髪で髪を下すだけだった。
 
 
『いや、いいよ』と言いながら、
この幸せボケした女になんて言ってやろうか、と
思っていると、
『よう、幸せカップル』と、声がする。
神谷部長だ。
 
『幸せそうだな、Mr.ビーン』
 
『その名前はやめてくださいって』

『仲人に何を言うか』と言われてしまった。
 
あはははは、と山下が笑っているので、
『結婚したら、おまえはMrs.ビーンだからな』と
言ってやると、
『え?それは嫌だな』って、なに言ってやがる。
 
『あはは、なかよしなかよし』と
神谷部長が笑いながらむこうに歩いていく。
 
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うん、そうかもしんない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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natsu_0117 at 21:29|PermalinkComments(0)

2016年10月27日

完成しないメニュー

『最近はテレビで、
料理番組ばっかり見ているんだ』
 
秋になった空が涼しそうに晴れている。
背の高い窓から乾いた陽の光が
暖かく差し込んでくる。
 
『人気の店を特集するのはいいけど、
料理を食えない人間に、あんなうまそうな肉を見せるのはひどいな。』 
 
先日胃の手術をしたので、いま絶食中である。
点滴の瓶を下げる背の高いハンガーをこうして
談話室にまで連れてこないといけない。
 
邪魔だ。
 
 
 
 
 
『見なきゃいいじゃない。』
 
 
答えたのは亜利砂。俺の娘だ。
この古い病院に似つかわしくない、
新しくて明るいけど安物のテーブルの向こうで
斜めに座っている。
 
『でも、美味そうなんだよな、』
『・・・』
 
 
 
『うん。昨日見たステーキは特に美味そうだった。
分厚いステーキにナイフが入るだろう?
レアに焼けた肉に、たっぷりの肉汁をふくんだ
にんにくを絡めたソースが滴って、な、』
  
俺が熱弁を奮っても、亜利砂は窓の外を見て
顔もこちらに向けない。
 
南側の窓から差し込む午後の日差しが
濃い色に透き通っている木製の建具を
暖かく照らす。
 
 
 
 
『退院したら、ステーキが食べたいなあ』
『食べられるの?』
『だから量は要らないんだ。
その代わり、うんといい肉を少しだけ買う』
『・・・・・・』
 
 
『かんかんに熱したフライパンに牛脂をいれ、
にんにくを熱くして香りを移してやる。
常温に戻した分厚い牛のヒレステーキ肉を
片面は強火で焼き色がつくまで焼いて、
片面は弱火で熱を通す』
『食べらんないくせに』
『・・・ふむ。』
 
たしかにその通りだが、
だからこそ食欲はある。
食べられない料理の話の方が情熱的になれる。
 
 
 
 
  
平日の午後だから、それほど人はいない。
家族の面会は我々だけで、あとは
ベッドで寝ているのに飽きた患者が、
秋の陽ざしの中で本を眺めたり、
おしゃべりを楽しんだりしている。
 
 
 
一方、われわれの会話は、弾まない。
 
 
 
『ソースはな。豆を使おうと思うんだ』
『・・・豆?』亜理砂が頬をあげる。
『そう。最近、豆が万能だってことに
気がついたんだ』
『・・・ふーん 』
 
 
そんなことを言い出したのは、ここの病院の食事に、
やたらと豆が使ってあるからだ。
水菜と豆のお浸しとか、
ナッツとコーンをマヨネーズで和えたサラダとか。
それ以外にも、豆腐は毎食ついてくる。
少ない費用でカロリーとたんぱく質を摂るために、
こんな豆豆しいメニューになっているらしい。
 
しかし、毎食豆だと どうしても、
豆を使った料理のことを考える。
『俺ならこうする』って。
 
 
 
 
『ソースは2種類だ。まず、ひとつ目』
『ひとつ目?』
『カシューナッツを砕いてと生クリームで伸ばしながら
ミキサーでペーストになるまで練ってコンソメと塩胡椒』
『・・・』
 
『ふたつ目は、
適当に細かく切ったトマトをミキサーへ入れ
このペーストに赤ワインをいれて煮詰める。
これにも塩胡椒、ウスターソースに醤油でできあがり。
これで2種類のソースができた』
『・・・』
 
『さっきの手順でステーキ肉を焼いて
まず豆のソースをかける。そのまま
皿に置いてしばらく肉汁を落ち着かせる』
『・・・完成するまで長いなあ。』
 
『そうしている間にステーキを焼いたフライパンに
トマトソースを入れて肉汁とあわせてひと煮立ちさせる。
これを、豆のソースをかけたステーキに重ねて掛けて、
ローストしたアーモンドスライスを乗せて、ボナペティ』
『ボナペティ?』
『召し上がれ、ってことさ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『あたしに作れっていうの?』
 
 
しまった。
 
 
妻の裕子は、亜理砂が17歳の時に死んだ。
それ以来俺が引き取り、去年彼女が就職して
独りで暮らし始めるまで、二人暮らしをした。
彼女が高校の頃まで俺が料理したが、次第に
亜理砂が代わってやってくれるようになった。
 
食べたい料理のレシピの話なんかしたら、
催促しているみたいじゃないか。
 
 
『あ、いや。いらない。作らなくていい』
 
畜生、なんてセンスのない台詞だ。
亜利砂の料理が欲しくないみたいじゃないか。
 
 
 
『・・・・・・』
 
『うん、そうだ。それからな。
パンも豆でできないかと思って』
『・・・?』
 
『豆を練り込んで焼いたパンがあるだろう』
『・・・うん』
『あれもいいけど、なんかあたらしい、
たとえば、生地から豆にできないかな』
『豆パン?』
『そう!豆パン。
そうだな。きな粉ってのは大豆を
挽いて粉にしたもんだろう』
『そうなの?』
『あれにドライイーストを入れたら膨らまないか?
砂糖と一緒に練って、中に餅を入れたら
きな粉餅じゃないか。』
『・・・そうかなあ?』
 
『そうさ。きな粉餅のことを言うなら、
しるこだってあんこが小豆なんだから豆だ。
ずんだ餅、なんて枝豆のあんこもある。』
『緑色のあんこ?』
『金時豆、黒豆、えんどう豆にとうもろこし、
赤、黒、緑に黄色。色だって自由自在だ』
 
『豆腐も豆ね・・・』
『そう。豆腐も味噌も醤油も豆じゃないか』
『コーヒーも・・・』
『うん。バーボンウィスキーも豆だぜ?
バターで炒めたばかりのピーナツなんかで
飲ったら最高だ。どっちも豆だ』
『ふーん・・・』
『豆でフルコースができるんじゃないか』
 
 
 
 
『でも、豆ってなんか地味・・・』
 
む。言葉に詰まる・・・
 
『・・・うん。確かにメインディッシュで主役を張れる料理は
少ないかもしれない・・・』
『味噌とか醤油とか、下味ばっかり。』
『むう・・・』
『父さんみたいで、万年脇役って感じよね・・・』
『馬鹿だなあ、良い隠し味で主役を引き立てる。
有能で使いやすいバイプレーヤーじゃないか。』
『えー?』
『真の名優っていうのは
メインステージのスポットライトの中にはいないもんさ。
こんなことが分からないなんて、まだ子供だな。』
『・・・ふーん』
 
 
  
窓際で黄色い葉が増えた桜の樹を、
車椅子のお婆さんが見上げている。
点滴の袋がきらきら光る。
 
 
 
  
 
 
 
 
退院した日は晴れていて寒かった。
入院の時に着ていた薄い生地の服が場違いだ。
 
砂ぼこりで字が書けそうな玄関を開けて
こもったような空気が詰まった部屋に入る。
 
 
 
 
 
 
 
台所に入ってすぐ、料理する気がなくなった。
 
 
独り暮らしになってから、外食ばかりだ。
それでも去年までここで料理をしていた。
鍋釜や調理道具はひと通りある。食器もある。
やる気と食材さえあればいつでもできる。
 
そう思っていた。しかし、
 
シンクの下の物入れにあった、買い置きの
味醂と酢の大きな瓶を見ると、
未開封のまま賞味期限が切れていた。
 
米櫃は空っぽ。
パスタの袋はいつ封を切ったのかわからないし、
電源を抜いていったから冷蔵庫の中が
生ぬるく、かすかにかび臭い。
 
 
 
足りないものは一緒に食べる相手だったのだ。
 
 
 
 


 
 
 
 
『なあに、もう帰ってきてたの?』
玄関で声がする。
 
『亜利砂?会社は?』
『早退よ。今日退院でしょ?』
『あ、うん・・・』
 
靴を脱いで上がってくる亜里沙は、すこし太ったようだ。
 
『掃除くらいしてあげるわよ。』
『あ、うん。それじゃあ、ご飯は俺が作ろう。』
『いいから。ちゃんと「うんといい肉」を選んで
「すこしだけ」買ってきたから』
『あ、うん。』
『・・・へへへっ』
『・・・なんだ?気持ち悪い』
『あ、いやあ。孝行娘だなあ、と』
『言ってろ。』 
 
 
 
 
 
 
なんだろう。
しあわせじゃないか。
 
『彼氏にもこんなことしてあげてるのか?』
少し明るめの声で言う。
 
 
無言だ。
 
 
 
 
 
 
しまった、怒らせたか?
 
 
 
『こないだお父さんが言ってた豆のソース。
あれ、東京の有名なお店にあったわよ?』
『え?ああ』
 
テレビで見たのは、あれをバターチキンカレー
にしていたから
ステーキソースにするのは絶対に俺のオリジナルなんだが
 
 
 
 
『肉もねえ、牛のステーキ肉じゃなくて鳥の胸肉。
これをバターでソテーしてカレーにするの。』
 
 
 
なんだ。
 
 
 
 
 
 
『それから、豆の粉が膨らむわけないじゃない』
『そうか?』
 
『コーンの粉を練って焼いたら、トルティーヤよ?』
『あ』
『うまそうなステーキだけど、
これじゃあタコスにはならないなあ、って』
 
『ふーん』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『こんど、そいつを連れてこい』
『うん。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
掃除しなきゃいけないな。
もちろん亜里砂にやらせる。

 
  
  
 
 
 
 
 
 
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natsu_0117 at 22:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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