2014年04月

2014年04月29日

45℃の浴槽

東京の銭湯では、浴槽に温度計が刺さっている。

東京の銭湯は熱い。
これは有名だろう。
『てやんでいべらぼうめ。ぬるい風呂にはへえれねえっ。』
っていうのが、江戸っ子の心意気、らしい。






東京の風呂にはペンキ絵がある。
これも有名だろう。
富士山の下に白砂青松の海岸があって、
帆掛け舟が走ってる、なんての。

これが脱衣場から入ると正面にあって
ペンキ絵の壁面を前に、浴槽がある。

浴槽は2種類あって、『熱い湯』と『ぬるい湯』

ボイラーで沸かしてきた湯が
真っ先に回ってくるのが『熱い湯』
ここから湯を融通してもらうのが、『ぬるい湯』


明治時代に、薬湯と、白湯の風呂を分けたことが
流行った名残らしいのだが、
『ぬるい湯』だって結構熱い。

『熱い湯』に至っては本気で熱くて、
ここに、誇るがごとく、ひっそりと温度計が刺さっている。













久しぶりの出張で、東京に来た。


俺は、いまから、自分の人生、40年間史上
最高に熱かった銭湯に入りに行く。

3年前、やはり出張で、
なぜかターミナル駅のビジネスホテルが取れず
投げやりに、場末の町の小さなホテルの部屋を取った。

しかし、部屋のかび臭いユニットバスが、どうにも嫌で、
晩飯と晩酌を物色しながら、小さな下町を歩くと
その銭湯はあったのだ。








45度だった。








誇らしげに浴槽に刺さった、その温度計は、
そんな非常識な数字を示したまま、じっとしている。

そこに、富士山を背にするようにして
『熱いほうの湯』に入っている爺さんがいる。

ハゲ頭と顔を真っ赤にしてじっと浸かっている。
『はあ、こんな人もいるのだな。』と思いつつ
湯に入ろうとすると、痛い。

もうなんか、『熱い』とか『温かい』という感覚が通じない。
足先をつけただけで動きが止まる。

平然と入っている爺さんの手前、
こっちも、颯爽と入りたいのだが
痛い。






よく考えてほしい、45度、と言えば
日本脳炎ウィルスも梅毒スピロヘータも死ぬのである。

慎重に足先をつけ、さて、と重心を移そうとしたら
すでに入っている右足の感覚がない。

爺さんは、見ているかのごとく、
見ていないのかのごとく
薄眼を空けて、彼方を見ている。

くやしい。







と、








俺が左足もつけて、本気で体重を移動しようか、という時に
小学生たちが雪崩れ込んできた。

彼らは、『ぬるい湯』にだけ許された給水栓を
全力で開けた。
そこで、お湯をかける、水をかける、と
狼藉の限りをつくし始めた。

俺は子供たちの狼藉よりも
あの、『風呂場の主』のようになっていた
あの爺さんがどうするのかが気になった。

爺さんはゆらりと立ち上がって洗い場に降りた。
子供たちに何か怒鳴りつけるのか、と思いきや
それはしなかった。

ゆらり、と浴槽を出ただけだ。





子供たちが水でうめた一画はなんとなく
冷たくなっていたが、そこにちんまり座っては
江戸っ子の名折れだ。

ごめん、兵庫生まれだけど。

だけど、俺は爺さんが座っていた場所に座った。
熱い、というか皮膚が閉じる。

ものすごく熱い湯に入った人ならわかるだろう。
たぶん、冷たい水でも同じだ。
皮膚が感じることを止めて、外界に無関心になる。





45℃だもん。
あと30分入っていたら、軽く人間の下茹でができるだろう。
仕方なく、ぬるい湯のほうに移った。

俺は、湯船と直交して並ぶ、すなわち非常に見通しのいい
洗い場を眺めながら、客を眺めた。

午後7時のこの時間帯は
昔の銭湯では最も混雑したはずだが
いまは、1/4も客がいるか、という状況。




これではしょうがないなあ、と洗い場の上の看板を見る。
東京の銭湯は、洗い場の鏡の上に看板がある。

それは町内の洋裁屋であったり。
なんだろう、風呂で体形を見直して服を注文しろ、
ということなのだろうか。

ほかにも、八百屋、魚屋、歯医者…
ばらばらなのだが、東京の銭湯はこれがある。




実はこれが大事で、東京の銭湯は看板屋がペンキ絵を描いた。




なんのことだ?というと
町内の人間が3日と空けずにくる
銭湯の広告の効果は絶大であり、
したがってそれを扱える看板屋には
大変な利益が入った。

富士山のペンキ絵は看板屋のサービスだったのだ。
いまでこそ、プラスチックの板に印刷してあるが、
むかしは看板自体もベニヤ板にペンキ地で
さらに筆で描かれていた。
だから、その延長で看板屋がペンキ絵を描いたのだ。

延長にしてはでかいが、それだけのサービスをしても
十分お釣りがきたんだろう。



洗い場だけではなく、ペンキ絵の下にも看板を掲げている。
そりゃそうだろう。
本来見てほしいのは富士山のペンキ絵じゃなく、
店の看板なのだ。

だから、東京の銭湯は、
そういった広告看板を眺めさせることに装置されており、
そこは徹底している。



しかし、いまの風呂屋に掛かっている看板は、
町内であることは間違いないんだろうが
都内なのに、電話番号の局番が二桁だったりして
いまや広告の機能を果たしているとは思えない。

そういった時を超越した看板
なんで肉屋の隣に外科医の看板を掲げるのかな、
いかにも混乱した配列の下に浴槽がある。





しかし3年前、そこに、あの爺さんがいたのだ。
顔中を皺にして、うつむきながら、
眠るがごとく湯に浸かっていた。





熱かった、という話だ。
あの時の爺さんはどうしたのか
いまでも、悶えるような熱湯に身をゆだねているのか?

そんな興味もあって、
3年後の今回はわざわざあの町にホテルを取って
再びかつての45度の銭湯に行った。











爺さんは、いた。

3年前からそこに入ってるんじゃねえか?という風情で
額を真っ赤にしながら、富士山を背にしている。



俺も入る。

掛かり湯をして、ったって
ケロリンの桶に入れたお湯だって熱いぞ。

しかしまあ、目の前に風呂の魔人のような
じいさんがいるのである。
掛かり湯なしで入って怒鳴られたらつまらない。


すぐ隣に座るのは嫌なので、
一人分くらい離れたところに入った。

しかしまあ、浴槽を横断するだけで熱い。
思わず、『おひょう』とか意味不明の言葉をだして
小走りになったら、爺さんに思い切り睨まれた。


いちおう会釈はしたが、もうこちらを見てはいない。
そもそも、顔にしぶきをかける程の事はしなかったはずだが。



爺さんが富士山の真下に座っているので、
俺は御殿場のあたりに座った。

爺さんは、はるか浜松のほうに顔を向けながら
でも、何にも見てないんだろうなあ。



熱い湯だって慣れてくればそうは熱くない。
サウナに入っているようなもので、
誇らしげな温度計は、今日も45度だけど
そんなに熱いかなあ、という感じだ。

あと、体温で『冷やされた』お湯が
膜のようになって体表を覆ってくれているのだろう。
『36度の膜』だ。

なるほど、
これなら、爺さんのように長時間入ることも可能かもしれない。











と、












3年前と同じく小学生が雪崩れ込んできた。
やつらは当然かかり湯などせず、
浴槽に飛び込んでくる。

3年前の連中よりも乱暴だ。

俺の皮膚に、薄く作られた『36度の膜』は
あっという間に破られて、45度の波がかみついて来た。

俺は、思わず『おひょう』と言って立ち上がった。


爺さんも『おひょう』と言って立ち上がった。





















やっぱり熱かったんだ。




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2014年04月20日

魔法の銀玉

『雅やん、勝ってるか?』


声をかけてきたのは久本さん、通称『久やん』と呼ばれる
おっさんである。
俺は失業者だから
平日の昼間にパチンコ屋にいるわけだが
うん、それもどうかと思うが、久やんをはじめとした
常連の皆さんは、一体何なんだろう。

夜勤の人もいるだろうし、若く見えるが年金生活、
という人もいるんだろう。

それでも繁華街のパチンコ屋なんてのは
平日の昼間でも結構な混雑だ。
朝の10時の開店の前に行列ができる、なんてのは
有名なドーナツ屋か、パチンコ屋だけだ。

ドーナツ屋のほうはすぐにすたれて
半年もたつと並ばなくてもよくなるが
パチンコ屋は違う。

正直、俺も『並ぶ』ことの御利益が今もってわからない。
別に開店の時に『この台、今日は大サービス。』とか
札が下がってる訳じゃないんだ。

でも、みんな並ぶ。そして開店すると走る。
みんな、わかるのか?

本日の当たり台。







『雅やん、そんな打ち方してたらあかん。』
『なんやの、もう。』
『そんな百円玉をちまちま入れるなんて打ち方、
いまどき誰もせえへんで。』

それは確かにその通りだ。
パチンコ、というのは建前上お金を払って『玉を借りる』。

大体1つ4円で、だから100円だと25個にしかならず、
いまのハンドルで流す台なら一瞬で終わってしまう。
1000円札でも250個で、これだって一瞬だ。

『カードを使うたらええないか。』







そうなのだ。

『マルサの女。』という映画を知っているだろうか。
あれの冒頭に、『売り上げを除外するパチンコ店主』の
話が出てくる。

なにが『除外』かというと、伊藤四郎演じるパチンコ屋は、
貸し玉料の現金を、自分の個人所得として抜いていたのだ。
現金決済でみんな熱くなって領収書とか言わないから
パチンコ屋は、脱税事業所の代名詞のように言われた。

これに対抗してできたのが『プリペイドカード』。
登場したときは、P-vayカードとも呼ばれた。
売り上げの詳細を押さえるわけだから
透明性は大いに高まる。


ついでに言えばこのP‐vayカードは警察官僚OBの全遊協の
巨大利権であり、つまり現在までそういうことだ。







とにかく俺は、パチンコは毎週3000円、と決めている。
それなのに、カードだったら
一瞬で終わってしまうではないか。

というか、額面が5000円とか、10000円だったら
それがなくなるまで使ってしまう。
いまは、ICカードの時代で再チャージができてしまうから
もっと使ってしまう。

これは、批判を受けるようなことじゃないだろう。
射幸心をあおるのがパチンコ場であり
事前に抑制力を取っ払ってしまうのが
カードの恐ろしいところである。





プリペイドカードが登場した時、
『CR○○』という機種が増えた。
つまりカードリーダー機ですぞ、と。

それでも硬貨投入口は残っていた。
最近は、そういう機種すらなくなってきているので
何か意地になって古い機種を探して打っている。

だから久やんにも会うのだ。
やつは、もっと古い台、
『羽根台』と呼ばれる機種しか打たない。
はっきりいって、こんな台を置いているのはこの街でも
もう三軒もないのだが、従って、同じ店で会う。




パチンコ台の横に100円玉を30枚積み
手汗のにじんだ、その100円玉を次々に挿入しながら、
300円に一回くらいかかるリーチにどきどきし、
じりじりする。
これが楽しい。

もちろん、当たるわけはないので、
3000円は毎週使い捨てになるわけだが。





『あーあっ。』と、その日もすった俺が席を立とうとしたら
実に怪しげな紳士が声をかけてきた。
『いやあ、すばらしいうち方だ。』

だって、怪しいだろう、シルクハットに、
ほら、眼の窩みにはめ込む眼鏡。
よく、その格好で街が歩けたな。

『そういう風に気持ち良く、かつ粘り強く打ってくれる人を
探していたのです。』
『はあ。』
『あなたにプレゼントを差し上げます。』

紳士は一つのパチンコ玉をくれた。

『なんでっか?これ。っていうか、おたく、どなた?』
『説明がめんどくさいんで
パチンコの神様、とでも思って貰えればいいです。』
『はあ?』

『とにかく、その球を入れると、必ずフィーバーします。』
『え?』
『やってみましょう。』

紳士は、その玉を無造作に投げ入れるとハンドルを回した。
玉は、普通なら狙いもしないようなところの釘にあたるのだが
みるみる盤を伝わって降りて、チャッカーに入った。


ぴるぴるぴるー、


とカウンターが回ると、すぐにリーチになって
666という悪魔の数字で止まった。





『ほら、雅やん、ドル箱や。』と、久やんも乗り出している。
『はい333番さん、おめでとうございます。』と
店員が飛んできてドル箱を差し出す。

『わかっていただけましたかな?』
俺はまだ、あふれる玉をドル箱に排出しながら
それでもすっかり見なおして、この、こいつやっぱり怪しいな、
まあ紳士の顔を見た。

『さっきの玉は、投入すると必ず当たるんです。』
『おい、すごいな雅やん。
ドル箱一つなら5000円分のチョコレートやぞ。』
うんまあ、そんな大人の表現をしてくれなくてもいいが。


そんなに食えないし。








『その玉を僕にくれた、ってことでっか?』
『そうですとも、あなたのように硬貨や玉を舐めるように
愛してくださる人を探していました。』


『…でも、その玉の御利益は
さっきの一発だけだったんでしょう。』
『いいえ。』
『え?…』
『そのドル箱の5000円分の玉の中に帰ってきています。』
『え?…』
さっぱり見分けがつかない。


『運が良ければ一発目がそれで、連チャンであたります。
ただしさっきもご覧になったように、777とかの
「次も当たり」っていう確変の数字は出ません。』
『単発だけっすか?。』
『しかも、最初の一発目で出ればいいですが
箱の底の最後の一発がその玉かもしれません。』

パチンコ玉の換金率、というのは都道府県によって違うが
大体6割以下になる。
つまり4円で借りた玉は2.3円くらいで
ドル箱いっぱいの玉、というのは2000個以上ある。

『じゃあ、その玉を見つけたら、誰かに売りつけますよっ。』
『あなたが想像しているような使い方だったら、
5000円以上の値打ちはありませんけどね。』



くそっ。





















以来、俺は、久やんに見つめられながら、
『負けないけど、決して勝てないパチンコ』を
舐めるようにやっている。


たまにちょっと勝つと、二人で飲みに行く。

負けないんだからいいだろう。








働けよ、という気もする。






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2014年04月11日

味を教えろ。

2泊3日で旦那の両親がうちの街に来る。
これはもう、仕方がない。
旅行だもん。
年金生活になって、暇らしい。
毎日案内しろ、とか言わないだけでも上出来だ。


あたしも腹を決めた。






だけど1日はうちに泊って、うちでご飯を食べるという。
『由美子さんの手料理が食べたいなあ。』だなんて


…どうしたらいいんだろう。


料理に自信がないわけじゃない。
むしろ得意だ。
クックパッドに載せたあたしのレシピが
『話題のメニュー』に取り上げられたこともある。

でも、あたし流の手料理でいいのか、
そこがわからない。
せっかくここまでは猫を被りまくって、『いい嫁』の地位を
キープしてるんだ。











大体、あの人たちの味の好みがわからない。
出身地が違う、味噌の味が違う、
醤油のラベルが見たこともないブランドだ。


婚約する、っていうことになって
あたしだって、スーツを着てあいさつに行ったわよ。



そこで、
『ごはんでも食べていらっしゃい。』ということで
夕ご飯を頂いた。




しかしこれがなんとも気合が抜けた、というか
化学調味料をたくさん使ってるのはわかるんだけど
味が、まるんとしてぼんやりして特徴がない。

普通、料理って、しょっぱいとか、甘いとか辛いとか
濃いとか、薄いとか、ソースだとか、醤油だとか
美味いかまずいか以前に、何か一本、柱があるでしょう。

例えまずくても、
そこに力強いまずさの根本があるはずじゃない。








それがない。











だから、美味しいのか、不味いのかさえわからない。




帰りに婚約者、っていうか今の旦那なんだけど
『ねえ、あんたんちのご飯って、いつもあんな味なの?』
って聞いた。

『ああ、今日の飯は味が薄かったかな…』っていう。
『じゃあ、なんで?』って聞くと、
『お前が来るからよそいきの味にしたんじゃねえ?』
『普段はどんな味なの?』
『えー?もうちょっと濃いっていうか…』









どこだよ。










あんたんちの母さんが味を抑えてくれたのはわかった。
でも、話はそこで終っちゃったから、
その突出してたはずのベクトルが、
塩か砂糖か味噌か醤油か、ソースか
何なのかわかんねえんだよ。


1年前のあたしと、旦那に蹴りを入れてやりたい。







あああ、わかんない。





















さんざん迷ったあげく、あたしは記憶を頼りに1年前の、
まるんとしてぼんやりとした味を再現した料理を作った。

『由美子さんは料理が上手ねえ。』とほめてくれた。






























うそだ。





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2014年04月09日

かめはめ波の朝

『…足を大きく広げて腰を落とし、
両手のこぶしを腰にためて、掌を開きながら前に突き出し、
かめはめ波をだす運動…』


『かーめーはーめーーー』


『はっ。』














『ラジオ体操第6にしてから少し人が増えたな。』と、
町内会長の原さん。

『第5がひどかったですもん。』

『ああ、最後の「ケムール人ランニング」で石屋川さんが
太ももの筋を切っちゃって救急車騒ぎになったもんなあ。』

『朝の6時半に救急車が来たから大騒ぎになったでしょう』

『うーん。』










というわけで、われわれはラジオ体操の世話係をしている。
自治会でやるところは減ってきているらしいが、
ここは近所に小学校もあって、
休みのたびに子どもが来るので続けている。

俺は会長の原さんと一緒に準備や清掃などをする。
もちろん体操もして、
ときどきかめはめ波を出そうとしてみたりする。




当り前だけど、ラジオ体操に『第5』も『第6』もない。
原さんが飲み屋で飲んでいたら
近所にある大学の寮生と一緒になって
その時のノリで、彼らに依頼したらしい。

だから実際には『ラジオ放送』なんてしてはいないので、
曲と体操のガイダンスは、
彼らがそれらしく録音してきたものだ。
そのCDをかける。

いま『第8』まである。
大学生なんて素敵に馬鹿だ。

振付の指導に来る、と言っていたらしいが、
やつらは、もれなく朝寝坊なので、一度も来たことはない。
CDと一緒に『振付説明図』がついてくる。

寮では、このラジオ体操の作詞・作曲がイベントになっていて
特に、今年の担当者は『第9』なので
髪の毛を掻きむしっているという。

今年担当の『作曲者』なる人物が送ってきた写真が、
ロン毛のかつらをかぶってサングラスをしていたので、
その頭の悪さに、ちょっと、ぐっときた。












『向かい側の家、引っ越ししてきたんですかね。』

『ああ、先週の水曜日だったかな?
トラックが来てたから。』

『どんな人です?』

『さあ…、会ってないし。』




『しかし、この辺も住宅やマンションが増えましたね。』

『昔は社宅ばっかりっだけどねえ。』

『騒音の苦情とかありませんか?』

『うーん、ないこともないけど…』

っていうことは、あるんだ。

『それよりも、誰かが「かめはめ波」を会得して
向かいの家を壊しちゃうほうが心配だなあ…』

そういう冗談を言う原さんの横顔は無口だ。
『社宅』に入る年齢の世帯であれば子供がいる。

背の高い時計だけが立っているこの公園のむかしの朝は
いまよりも、もっと、賑やかだったのだろう。















と、

件の向かいの家から、
ガラスの食器か何かが割れる音がした。

そして、夫婦の言い争い。





『もう、ちょっと。あんた、文句言ってきてよ。』

『でも、おまえ…』

『毎朝6時半にかめはめ波でたたき起こされるのよ?
あたしの身にも、なってちょうだいよ。』

『でも、公園の前なら環境は抜群よね。って
ここの購入を決めたのはお前だし。』

『公園がこんなにうるさいなんて思ってなかったのよ。』

『え?そう。』

『そうよ。朝の6時半にラジオ体操。
午前中にはママ友のおしゃべりと子供のキーキー声。
午後になれば、保育園児、3時になれば小学生。
子供の声がこんなにうるさいなんて知らなかったわよっ。』

『でも…』

『それが日曜日にはエンドレスなのよっ。
これで夏休みにでもなってみなさい。もう…』







もう一度ガラスが割れる音がした。
室内の会話が、これほど手に取れるように聞こえる、
ということは
外の音もよく聞こえるのだろう。

っていうか、どんだけ安いサッシだ?







さて、いかなることになるか、と見ていると
件の家の玄関から、男性が出てきた。旦那らしい。

グレーのスウェットは寝間着のままだ。
ジーパンを穿いているが、
これもひょっとしたら寝間着かもしれない。

年齢は、さあ30代後半。
その年齢で戸建の住宅を持てるなら大した甲斐性だが
およそ貧相な男である。
痩せていて眼鏡、というだけでは説明できない『残念感』が、
確実に彼にはあるのだ。








『あの…むかいに住んでおります、加藤といいます。』

『はい…』と、原さん。
こちらは待ち構えているわけだから余裕である。

『ラジオ体操の音、もう少し小さくしていただけないですかね。』

『こちらもご連絡する機会がなくて申し訳ありませんでした。』

なかなか嫌味だ。





『せめてあの、「はっ」っという発声さえやめていただけたら。』

『しかしね加藤さん。』
ここで、いきなり原さんが加藤氏に体を近づけてがぶりよる。

『音量については低くすることをお約束します。』

『はあ…』
加藤さんは、もはやガブリエル原の前ではなにもできない。

『しかし御覧のように、
このラジオ体操に来るのは年寄りばかりでね。
耳の遠い連中もいます。
それに、さっき奥さんが言っておられたように
夏休みになると子供であふれますんでね。』

『さっき…?奥さん…?』

『あ、いやあ、とにかくですね。』

『…はい。』

『公園、ってのはうるさいもんなんです。
人のいない公園、のほうが怖いでしょう。』

まあ、昼間アル中の親父がベンチに座ってる公園なんてのは
誰も寄り付かない。
人がいない公園、っていうのは、何か理由があるのだ。

『あの、それじゃあ、どうすれば…』

『あなたたちのような、「窓の外の鑑賞者」を
なくしてしまうことです。』

『…はい?』















『だから、あなたもこちら側にいらっしゃい。』

『は?』

『申し訳ないが、加藤さんとお会いするのは初めてです。』

『あ、すみません。御挨拶が遅れて。』

『いえ、仁義を切れ、とかそういうことじゃないんです。
加藤さんもご夫婦でラジオ体操に参加されませんか?』

へえ、これは予想外だ。

『近隣の方とお知り合いになれ、とか、そんなこともいいません。
体操だけして帰ってくれていいんです。』

『準備とかの当番があるんじゃあ…』

『そんなもんこいつにやらせます。』と俺を指差す。
ひどいじいさんだ。



『騒音、っていうのは外から聞くとうるさいけど
中から出す分には案外気になりませんよ。』





















以来、加藤夫妻はラジオ体操に参加している。
体操後に、周辺のじいさんと談笑したりしているから
ガブリエルの狙いはここにあったのだろう。

そして、奥さんの気合の込め方を見ると
真っ先にかめはめ波を会得するのは彼女かもしれない。






















会得しちゃっても壊れるのは彼女の家なんだけど。


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