2016年09月

2016年09月16日

ガラス瓶の部屋

亡くなった祖父の店には、
ガラス瓶の部屋がある。
茶色い瓶が多いが、透明な瓶もある。
青い瓶もある。
広口の瓶で蓋もガラス。
大きさはいろいろあるが、
大体10cmくらいの高さだ。
そうした瓶が数十個、
透明なガラスの棚に5段ほど並んでいる。

ひさしぶりに店に来て、
そんな部屋でひとりで座っている。
かわいた瓶が
外の信号のひかりを映して
窓辺で鈍く光って動かない。
 
部屋は、扉に面して西側に
大きな引違い窓があり、
その外には、かつては店が並んでいた通りが
いまは静かに走っている。
 
大きな窓は通りを歩く人の目の高さにあり
歩く人達へのショーウィンドウでもあった。
それを前にして、部屋の間口一杯に
奥行450くらいの広いカウンターがある。
通りの窓の左側にガラスの広い引戸扉があり、
右側に本棚と、瓶がならんだ棚がある。
広さは6畳くらい。
 
 
祖父はここを調剤室として使っていた。
 

 
 
 
うちは薬局だった。
過去形で書いたのは、おれが大学生の時に
じいちゃんが死んだからだ。
 
おれや両親は、同じ建物に住んでいた。
だからこどもの頃は薬局、特に
ガラス瓶の部屋を遊び場にしていた。

 
調剤室のとなり、ガラス戸の向こうには
薬店がある。
ごく普通に風邪薬などが並ぶ。
うちの人気商品はリポビタンDだった。
買ってその場で開けて飲んで行く人が多い。
客が置いていく空き瓶は
店の隅に積んであったので
うちの店はいつも、
独特の薬臭くて甘ったるい匂いがしていた。
おれは、あの瓶は嫌いだった。
 
そして、そのほかに調剤薬局もやっていた。
客が処方箋を持ってくると
ガラスの棚からいろいろな薬をとってきて
カウンターで調剤する。
 
おれがこどもの頃、
じいちゃんがこの部屋で
ガラス瓶から薬品を取り出して
天秤はかりで量ったり、
乳鉢ですりつぶしたり、
できあがったクスリを匙ですくって、
薬包紙に丁寧に包んだりしていたのを
覚えている。
 
薬局だからそういう風景は当たり前なのだが、
子ども心には、
「じいちゃん、かっこいい」と思っていた。
 
調剤室に入るじいちゃんが
「お客さんが来たら教えてくれな」と
店で遊んでいたおれに言って来たりした。
そうやって頼まれた店番があった日は
その後もしばらく、店で遊んでいた。
 
あの調剤室を、尊敬とひそかな畏れをもって
眺めていた。
 
友達が遊びに来ても
だから、あの部屋に連れていくのは
よほど仲のいい奴だけにしていた。
 
 
 
 
 
 
瓶の中身は、粉薬。
 
乾燥した薬草が入っている瓶もあったが、
ほとんどが白い粉薬だった。
 
おれが高校生くらいまでは、
じいちゃんもほぼ毎日、粉薬を作っていたから
瓶が空になることはあまりなかった気がする。
 
 
 
中身が入った瓶を開けることだけは
何となくしなかった。
 
じいちゃんになにか言われた訳じゃない。
おれ自身のけじめだ。
はいっている薬が何なのか
わからなかったからでもある。
 
 
 
 
 
だから空瓶を見つけると開けてみる。
特に匂いはなかった。
 
底にまだ少しだけ薬が残ってることもあった。
小麦粉のような質感のものが多かったが、
ちいさな結晶になっているものもあって
きれいだった。
 
瓶を陽にかざしてみる。
瓶に色がついているのは太陽のひかりで
薬が変質しない為だから、茶色や青の瓶を
陽にかざしても中は見えないが、
透明やそれに近い薄い色の瓶もある。
 
そういうのを、車の通りが絶えた通りに射す、
飽いたように褪色した陽のひかりに
繰り返しかざして見た。
 
 
 
 
 
 
おれが高校の二年になった頃から、
じいちゃんの体が悪くなってきた。
 
店に毎日出てこられなくなり、
出てきても、調剤の仕事を
余り引き受けなくなった。
 
使い切ったのを補充しなくなったのか、
中身を廃棄している瓶が増えたのか、
空の瓶が増えてきた。
 
 
 
 
その中でひとつ、とても綺麗な瓶を見つけた。
 
透明だがわずかに青く、
瓶も蓋もガラスが分厚く
わずかに残る薬の結晶は、少しだけ緑色で
陽にかざすと、キラキラした。
 
 
それを彼女にプレゼントしようと思ったのだ。
 
2年生で文系理系に別れる時、
放課後に告白されて付き合うようになった。
 
背が小さく、身の回りを気にしないタイプで、
それまで気に留めてもいなかったのだが、
話をしてみると、とても賢くて面白く、
一緒にいるのが楽しくなってきていたんだ。
 
だから、恥ずかしいけどプレゼントを
あげようと思った。
 
もちろん瓶だけをプレゼントするのではなく、
なにか買って、この瓶のなかにいれるんだ。
来週誕生日だと言っていたし。
 
 
 
放課後の帰り道に、瓶のまま手渡した。いや、
手のひらのなかに押し込んだ。
怪訝そうな顔をして驚いているので、
 
「プレゼント」
 
とだけ言って先に歩くと、
彼女はもう一度
自分の手のひらの中のものを見て
それから、いっぱいに笑った。
 
 
  
 
瓶に入ることが前提だから、
大きなものは買えない。
迷ったけれど指輪にした。
 
これを例の、薄く青い瓶のなかに入れた。
高い指輪は買えないし、好みがわからないから
石はなしにした。
サイズもよくわからなかったから、
少し大きかったかもしれない。
でもそれが薄く青く、
厚みのあるガラスの瓶の中に入ると、
互いが互いを引き立てあって、
とてもきれいだ。
 
 
 
 
指輪の入った瓶が
とても大切なものに思えてきたから、
彼女がいっぱいに笑ってくれて嬉しかった。
 
「この瓶はどうしたの?」と、
当然聞かれたから、素直に話した。
  
「ふーん」とだけ言っていた。
 
ガラス瓶の部屋に誘ったが、
大きな窓があるなら
外から見られるから嫌だと言った。
 
今度はおれが「ふーん」と言った。
 
 
 
 
 
 
つぎの日の朝、
登校の途中に待っていたらしい彼女から、
泣きはらした目で、瓶と指輪を返された。
 
驚いて話を聞くと彼女は夕べ、
にこにこと笑いながら
指輪と俺のことを両親に話したそうだ。
 
最初は一緒に
にこにこ笑っていた親、特に父親が、
瓶の由来を聞くとしかし、一転して
猛然と怒りだしたのだという。
 
「なんの薬が入っていたかわからない、
いや、まだ入っている瓶を娘にプレゼント
するとは何事か。」と。 
 
しまったと思ったが、
今さらもう、どうしようもない。
彼女は、俺の手のひらのなかに
瓶を押し込むようにして、また泣きながら
ひとりで学校に歩いていった。
 
 
 
 
 
 
そんな朝から5年後にじいちゃんが死んだ。
 
親父に「店はどうするんだ?」と聞いたら
もう、商売はごめんだ。と言う。
自分でやるのも人に貸すのもいやだ、と。
俺も大学に入ってから家を出ているし、
老夫婦だけの家に、大金を掛けての建て替えも
リフォームも考えていない、と。
 
だからおれ自身、婚約者を連れて帰るまで、
あのガラス瓶の部屋のことは忘れていた。
  
 
 
 
あの部屋はそのままにあった。
親父は、言葉通り店を再開しなかった。
在庫の商品や薬の棚、リポビタンDのケースなど
一切を廃棄し、土間の部分に床を張って、
外との出入り口を塞いだ。
 
そうして調剤室だけは、
ガラス瓶ごと残された。
 
 
おれと婚約者は、
かつて店だったところに寝かされた。
出入口を塞いだだけで
前からある調剤室の窓の外は月が出ていたが、
新しく窓を作っていないから暗くて暑かった。
 
婚約者にガラス瓶の部屋のことを話した。
実物を見せながら、
薄く青い瓶を
プレゼントしようとしたことも話した。
婚約者は、
「その娘可哀想。」とだけ言った。
 
「そうかなあ。」と俺は言って、
月の光に青い瓶を透かした。
 
婚約者は、
「その娘可哀想。」もう一度言った。
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
おれの結婚は2年しか続かなかった。
理由はおれの浮気だ。
 
毎日の喧嘩に疲れて、
酔いつぶれて帰ってみると、テーブルの上に
サインした離婚届と、
別れた嫁の結婚指輪が置いてあった。
 
 
 
おれはその夜のうちに、
タクシーで区役所に行って
夜間受付に離婚届を預けた。
 
そしてつぎの週の休みの日に実家に行った。
連絡もしていないから誰もいなかったが、
勝手に調剤室に入って、
小雨が降る、秋の通りに面した窓の、
弱々しい光だけで、ガラスの棚から、
あの薄く青い瓶を探し出して、
あいつの指輪を入れた。
 
親父たちが帰ってくるのも待たずに、
今日からは誰も待っていないアパートに
帰った。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
次に連絡が入ったのは、
それからまた2年後のことだった。
 
いわく、
体が利かなくなってきたからこの家を売って、
介護付きの有料老人ホームに入るという。
家財はできるだけ売るか、
人にあげるかしてしまう。
残りは廃棄するつもりだ、と。
呼び出しの理由は
「大事なものがあるなら取りに来い」と。
 
別に大事なものなどないが、
あの薄く青い瓶は、回収しようと思った。
指輪も入ったままだし。
 
実家に帰ると、お袋が掃除していた。
なるほど室内がだいぶスッキリしている。
 
 
 
荷物を置くと、挨拶もそこそこに、
かつて店だったところまで行った。
 
なにもなかった。
 
店にもなにもなかったが、
かつての調剤室はもっとなにもなかった。
驚いて親父を問い質すと一緒に店まで来た。
 
「店に残ってたものは真先に棄てたぞ?」と、
不思議そうに言う。

瓶はもとよりガラスの棚さえなくなっていた。
いまや、ただのペンキの壁となった瓶の棚、
かつてガラス瓶が並んでいた空間を、
窓の外の通りの信号がゆっくりと点滅して
鈍く照らすのを、見上げていた。
 
呆然とヘタリ込んでいたら、
 
 
「きょうは飯を食べて
泊まっていくんだろう?」と
親父が無神経に声を掛けてきた。
  
その日は、なにも言わずに帰った。
自分だけが、こどもの頃から
大事にしていたつもりの空間が
なくなっただけだ。
 
大人げない、と思うようにした。
 
 
 
しかしあの日、
アパートに帰って来てから気がついた。
   
「あのガラス瓶の部屋からは、
大切なものを奪われてばかりだ」と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
親父たちが家を売ってホームに入ったら、
あの街に行くことは、もう二度とないだろう。
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
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