2016年10月27日

完成しないメニュー

『最近はテレビで、
料理番組ばっかり見ているんだ』
 
秋になった空が涼しそうに晴れている。
背の高い窓から乾いた陽の光が
暖かく差し込んでくる。
 
『人気の店を特集するのはいいけど、
料理を食えない人間に、あんなうまそうな肉を見せるのはひどいな。』 
 
先日胃の手術をしたので、いま絶食中である。
点滴の瓶を下げる背の高いハンガーをこうして
談話室にまで連れてこないといけない。
 
邪魔だ。
 
 
 
 
 
『見なきゃいいじゃない。』
 
 
答えたのは亜利砂。俺の娘だ。
この古い病院に似つかわしくない、
新しくて明るいけど安物のテーブルの向こうで
斜めに座っている。
 
『でも、美味そうなんだよな、』
『・・・』
 
 
 
『うん。昨日見たステーキは特に美味そうだった。
分厚いステーキにナイフが入るだろう?
レアに焼けた肉に、たっぷりの肉汁をふくんだ
にんにくを絡めたソースが滴って、な、』
  
俺が熱弁を奮っても、亜利砂は窓の外を見て
顔もこちらに向けない。
 
南側の窓から差し込む午後の日差しが
濃い色に透き通っている木製の建具を
暖かく照らす。
 
 
 
 
『退院したら、ステーキが食べたいなあ』
『食べられるの?』
『だから量は要らないんだ。
その代わり、うんといい肉を少しだけ買う』
『・・・・・・』
 
 
『かんかんに熱したフライパンに牛脂をいれ、
にんにくを熱くして香りを移してやる。
常温に戻した分厚い牛のヒレステーキ肉を
片面は強火で焼き色がつくまで焼いて、
片面は弱火で熱を通す』
『食べらんないくせに』
『・・・ふむ。』
 
たしかにその通りだが、
だからこそ食欲はある。
食べられない料理の話の方が情熱的になれる。
 
 
 
 
  
平日の午後だから、それほど人はいない。
家族の面会は我々だけで、あとは
ベッドで寝ているのに飽きた患者が、
秋の陽ざしの中で本を眺めたり、
おしゃべりを楽しんだりしている。
 
 
 
一方、われわれの会話は、弾まない。
 
 
 
『ソースはな。豆を使おうと思うんだ』
『・・・豆?』亜理砂が頬をあげる。
『そう。最近、豆が万能だってことに
気がついたんだ』
『・・・ふーん 』
 
 
そんなことを言い出したのは、ここの病院の食事に、
やたらと豆が使ってあるからだ。
水菜と豆のお浸しとか、
ナッツとコーンをマヨネーズで和えたサラダとか。
それ以外にも、豆腐は毎食ついてくる。
少ない費用でカロリーとたんぱく質を摂るために、
こんな豆豆しいメニューになっているらしい。
 
しかし、毎食豆だと どうしても、
豆を使った料理のことを考える。
『俺ならこうする』って。
 
 
 
 
『ソースは2種類だ。まず、ひとつ目』
『ひとつ目?』
『カシューナッツを砕いてと生クリームで伸ばしながら
ミキサーでペーストになるまで練ってコンソメと塩胡椒』
『・・・』
 
『ふたつ目は、
適当に細かく切ったトマトをミキサーへ入れ
このペーストに赤ワインをいれて煮詰める。
これにも塩胡椒、ウスターソースに醤油でできあがり。
これで2種類のソースができた』
『・・・』
 
『さっきの手順でステーキ肉を焼いて
まず豆のソースをかける。そのまま
皿に置いてしばらく肉汁を落ち着かせる』
『・・・完成するまで長いなあ。』
 
『そうしている間にステーキを焼いたフライパンに
トマトソースを入れて肉汁とあわせてひと煮立ちさせる。
これを、豆のソースをかけたステーキに重ねて掛けて、
ローストしたアーモンドスライスを乗せて、ボナペティ』
『ボナペティ?』
『召し上がれ、ってことさ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『あたしに作れっていうの?』
 
 
しまった。
 
 
妻の裕子は、亜理砂が17歳の時に死んだ。
それ以来俺が引き取り、去年彼女が就職して
独りで暮らし始めるまで、二人暮らしをした。
彼女が高校の頃まで俺が料理したが、次第に
亜理砂が代わってやってくれるようになった。
 
食べたい料理のレシピの話なんかしたら、
催促しているみたいじゃないか。
 
 
『あ、いや。いらない。作らなくていい』
 
畜生、なんてセンスのない台詞だ。
亜利砂の料理が欲しくないみたいじゃないか。
 
 
 
『・・・・・・』
 
『うん、そうだ。それからな。
パンも豆でできないかと思って』
『・・・?』
 
『豆を練り込んで焼いたパンがあるだろう』
『・・・うん』
『あれもいいけど、なんかあたらしい、
たとえば、生地から豆にできないかな』
『豆パン?』
『そう!豆パン。
そうだな。きな粉ってのは大豆を
挽いて粉にしたもんだろう』
『そうなの?』
『あれにドライイーストを入れたら膨らまないか?
砂糖と一緒に練って、中に餅を入れたら
きな粉餅じゃないか。』
『・・・そうかなあ?』
 
『そうさ。きな粉餅のことを言うなら、
しるこだってあんこが小豆なんだから豆だ。
ずんだ餅、なんて枝豆のあんこもある。』
『緑色のあんこ?』
『金時豆、黒豆、えんどう豆にとうもろこし、
赤、黒、緑に黄色。色だって自由自在だ』
 
『豆腐も豆ね・・・』
『そう。豆腐も味噌も醤油も豆じゃないか』
『コーヒーも・・・』
『うん。バーボンウィスキーも豆だぜ?
バターで炒めたばかりのピーナツなんかで
飲ったら最高だ。どっちも豆だ』
『ふーん・・・』
『豆でフルコースができるんじゃないか』
 
 
 
 
『でも、豆ってなんか地味・・・』
 
む。言葉に詰まる・・・
 
『・・・うん。確かにメインディッシュで主役を張れる料理は
少ないかもしれない・・・』
『味噌とか醤油とか、下味ばっかり。』
『むう・・・』
『父さんみたいで、万年脇役って感じよね・・・』
『馬鹿だなあ、良い隠し味で主役を引き立てる。
有能で使いやすいバイプレーヤーじゃないか。』
『えー?』
『真の名優っていうのは
メインステージのスポットライトの中にはいないもんさ。
こんなことが分からないなんて、まだ子供だな。』
『・・・ふーん』
 
 
  
窓際で黄色い葉が増えた桜の樹を、
車椅子のお婆さんが見上げている。
点滴の袋がきらきら光る。
 
 
 
  
 
 
 
 
退院した日は晴れていて寒かった。
入院の時に着ていた薄い生地の服が場違いだ。
 
砂ぼこりで字が書けそうな玄関を開けて
こもったような空気が詰まった部屋に入る。
 
 
 
 
 
 
 
台所に入ってすぐ、料理する気がなくなった。
 
 
独り暮らしになってから、外食ばかりだ。
それでも去年までここで料理をしていた。
鍋釜や調理道具はひと通りある。食器もある。
やる気と食材さえあればいつでもできる。
 
そう思っていた。しかし、
 
シンクの下の物入れにあった、買い置きの
味醂と酢の大きな瓶を見ると、
未開封のまま賞味期限が切れていた。
 
米櫃は空っぽ。
パスタの袋はいつ封を切ったのかわからないし、
電源を抜いていったから冷蔵庫の中が
生ぬるく、かすかにかび臭い。
 
 
 
足りないものは一緒に食べる相手だったのだ。
 
 
 
 


 
 
 
 
『なあに、もう帰ってきてたの?』
玄関で声がする。
 
『亜利砂?会社は?』
『早退よ。今日退院でしょ?』
『あ、うん・・・』
 
靴を脱いで上がってくる亜里沙は、すこし太ったようだ。
 
『掃除くらいしてあげるわよ。』
『あ、うん。それじゃあ、ご飯は俺が作ろう。』
『いいから。ちゃんと「うんといい肉」を選んで
「すこしだけ」買ってきたから』
『あ、うん。』
『・・・へへへっ』
『・・・なんだ?気持ち悪い』
『あ、いやあ。孝行娘だなあ、と』
『言ってろ。』 
 
 
 
 
 
 
なんだろう。
しあわせじゃないか。
 
『彼氏にもこんなことしてあげてるのか?』
少し明るめの声で言う。
 
 
無言だ。
 
 
 
 
 
 
しまった、怒らせたか?
 
 
 
『こないだお父さんが言ってた豆のソース。
あれ、東京の有名なお店にあったわよ?』
『え?ああ』
 
テレビで見たのは、あれをバターチキンカレー
にしていたから
ステーキソースにするのは絶対に俺のオリジナルなんだが
 
 
 
 
『肉もねえ、牛のステーキ肉じゃなくて鳥の胸肉。
これをバターでソテーしてカレーにするの。』
 
 
 
なんだ。
 
 
 
 
 
 
『それから、豆の粉が膨らむわけないじゃない』
『そうか?』
 
『コーンの粉を練って焼いたら、トルティーヤよ?』
『あ』
『うまそうなステーキだけど、
これじゃあタコスにはならないなあ、って』
 
『ふーん』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『こんど、そいつを連れてこい』
『うん。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
掃除しなきゃいけないな。
もちろん亜里砂にやらせる。

 
  
  
 
 
 
 
 
 
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