2016年12月29日

山下さんの退院

海に向いたこの病院の談話室。
南側の背の高い窓の前、
冬とは思えない暖かい日差しの中で、
山下さんが座っている。 
 
彼の前には、中学生くらいの男の子が座っている。
山下さんの子供だろうか。
見舞いらしい。
 
テーブルの上には、小さな紙袋。
なんだろう。
ケーキか?
    
缶コーヒーを買って、
談話室の少し離れたテーブルに座ると、しかし
少年はすぐに立ち上がって、
固い表情のまま談話室を出ていった。
 
 
 
 
 
 
続けて立ち上がる山下さんに、
俺は声をかけた。
 
『山下さん。』
『ああ、野村さんか。』
『息子さんですか?』
『うん。』
 
山下さんは、俺と同じ病室の入院患者だ。
どこが悪いんだっけ?このひと。
 
入院で俺のとなりのベッドに入るとき、
付き添いに来ていた
彼の奥さんに丁寧な挨拶をされて、彼女の誘導のままに
身の回りのことをしゃべらされた。
お返し、ということで奥さんが
山下さんのことをしゃべったため、初対面ながら
言葉を交わした。
 
やがて談話室などで会うと世間話をするようになった。
 
もっともよくしゃべる奥さんの話のあいだ、
山下さんは憮然としていた。
 
そういえば最近、あの奥さん見ないな。
 
 
 
 
『その袋は、見舞いですか?』
『いや、着替え』
 
なんだ。
 
『息子に着替えを持ってこさせるなんて、
親父失格だなあ。』
 
そう言って、山下さんは複雑に笑った。
 
 
 
 
 
窓の外を見ると、
1階の玄関から出たらしい、さっきの少年が、
女の子と話をしている。
いかにも乾いた空が、景色を黄色く染める。
 
『息子さん、何年生です?』
『中三さ。年が明けたら高校入試だよ。』
『大変ですね。』
『なに。親がやることなんかなにもないさ。』
『・・・』
『まして、入院してちゃね。』 
 
 
『入院の時、最初にお会いした奥さんは?』
『うん?うちを出てったよ。』
 
しまった。

 
  
 
 
せっかく立ち上がったのに、しりもちをつくように
椅子に座り直した山下さんが、
葉っぱを落とした桜の樹の枝が鈍色に光っているのを
見上げる。
 
寒そうだな。
 
 
 
 
 
 
『転院しようかと思ってね。』
『退院ですか。おめでとうございます。』
 
『違う、違う。
お袋がいる僕の田舎の病院に移ろうかと思ってね。』
『・・・どうして?』
 
『どうも長期戦になりそうなんだよね、僕の病気。』
『・・・』
『勤めの方も、これ以上休むなら、
一度籍を抜いてくれ、と言われているし・・・』
『・・・』
『なにしろ身の回りのことができないからね。
親子共々田舎のお袋の世話になるよ。』
『でも、息子君はこれから入試でしょう。
いきなり転校させるんですか?』
 
『・・・』
山下さんは黙ってしまう。
 
しまった。
他人が踏み込んでいいラインを超えてしまった。
 
 
『・・・すいません。』
山下さんは無言で立ち上がって病室に帰っていった。
さっきの少年の固い表情の理由は、こういうことか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
つぎの日ベッドで午睡していると、肩をたたかれた。
『野村さんすまない。一緒に来てくれるか。』
『なんですか?』寝ぼけながら聞くと、
『一人で聞くのが耐えられそうにないんだ。』
 
なんのことだ?と思って
山下さんと一緒に談話室に行くと
息子君と、そのとなりに女の子がいる。
きのう、病院の外で息子君を待っていた子だ。
 


きれいな子だなあ。
姿勢よく椅子に座って、
ショートカットの下の大きな瞳で、
山下さんをまっすぐに見つめる。
 
なるほど、この視線は一人では耐えられまい。
 
俺が口火を切るのはおかしいから、
遠く、窓のそとに見える海を見ていると、
山下さんが喋り出した。
 
『昨日も言ったように、お前の入試が終わったら、
ばあちゃんのところに行こうと思う。』
『・・・』
『お前は、ばあちゃんのところから通える高校の中で、
行きたいところを選んでおいてくれ。』
『転校の手続きは一時外出の許可をもらって俺がやる。
これでも一応親だからな。』
 
 
 
『親父。』
『うん?』
『おれ、やっぱりこの街を離れたくない。』
『だから俺は家のことができないんだよ。』
『俺がやるよ。』
『おまえが?』
『ああ。』
『食事の仕度。掃除、洗濯。
うちのことばっかりじゃない、入院中のおれの世話も見てもらわないと困る。』 
『・・・』
『誰かに頼らないと、できないよ。』
『・・・』
『志望校に合格できてもすぐに転校、っていうのは、
申し訳ないけど。』
 
明るく差してくる陽のひかりが、壁の白いペンキに
乾いた影を落とす。
しばらくみんな無口になる。
 
 
 
『あたしがやります。』
 
 
 
よく通る声で女の子が答えた。
『君が?どうして・・・』
 
 
 
 
 
 
 
『山下くんが好きだからです。』
 
 
 
 
 
 
 
大きな瞳でまっすぐ山下さんを見据えて彼女は答えた。
驚いて彼女を見直すと、
ほんの微かに微笑んでいるようにも見える。
 
 
 
無垢な母性がいた。
 
 
 
音をたてないように立ち上がって
彼らのいるテーブルから離れた。
自販機でコーヒーを買っていると
隣に山下さんが立った。
 
『いいんですか?』
『恥ずかしくて見てられんよ。』
 
二人とも熱いコーヒー缶を親指と中指でつまみながら
病棟への渡り廊下を歩く。
遠く海が見える、大きな窓の前でコーヒーを開けながら
『まっすぐな子ですね。』と言うと、
山下さんもコーヒーの缶を開けながら
なにも言わずに大きく笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
遠くに見えている海が、金色に光っている。
 
 
 
 
 
 


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natsu_0117 at 04:09│Comments(0)

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