天王星と土星のオポジションは、どう解釈しても「不景気アスペクト」なので、
そんな時期でなんでお店なんか始めたのか、さっぱりわからないという意見も
当然あるにはあるのです。
けれどわたしはお給料というものをもらって生活したことがなく、あるのはただひとつ、自営で酒屋を営んでいた祖父の「お金の流れているところに立てば食いはぐれることはない」という、ぼんやりとしたつぶやきみたいな教えだけだったりするので、不景気のときは、不景気なりのお金の使い方をみんなするよなあ、と、なんとなく思ってお店を始めたわけです。
家業だった酒屋は、小売ではなく卸が主でした。メーカーに商品をまとめて注文して、近隣の小売店や飲食店に卸すという商売です。今は、大型店などがメーカーさんと直接取引するので、卸商売というのは絶滅業種なんですが、メーカーと小売の間に入って、双方のリスクを引き受ける(メーカーは大きい単位でないと出荷コストの割が合わない。小売は小さい単位でないと仕入れできない)という商売は、まさに「お金の流れているところに立てば食いはぐれない」を絵に書いたような商売だったわけです。
まあ、ようするに「働けば食いはぐれない」ということをいいたかった祖父だと思うのですが、「商品を作る(メーカー)」と「商品を売る(小売)」以外に「商品を流通させる」という仕事があるということを、わりと早いうちに気がついたのは、家業のおかげですね。(小売店舗もあったので、うんと小さい頃は、単に酒屋だと思っていましたが)
で、自営の家庭で育った子どもはみんなそうなんだと思うのですが、
仕事は与えられるものじゃなくて、自分で作るもんなんだという感覚が多少あります。
夏にどっかの駐車場借りてビアホールやるとか、日本酒のなんたらという銘柄をまとめて注文いただくと、こちらとこちらがお徳になるフェアをやっています、とか、なんかよくわからないんですが、おとなたちは常になんかやっている。
冷夏だと、ビールの売り上げが落ちるので、その年はうちビンボウだ、とか、
自分ではどうにもコントロールできない外界の環境がストレートに影響するようなムードだったので、
「まじめに働く」の内側には、ちょっとは自分で考えろ、という世界が
もれなくついていたような。
外界の条件が刺激になって、なにかするという育ち方すると
100年に1度の不景気→どんな商売ならいいんだろう、
という発想になるんじゃないかと思います。
一番働き盛りのときは、バブル経済でわたしのようになんのとりえも
能力もない人間でも、なにかかにか仕事はまわってきていました。
でも年を取ったら、そんな働き方は、もうダメだろうとも思っていたし、
偶然、世間からお呼びがかからなくなる年齢になって不景気はやってきました。
手持ちの資金をじーっと見て、なにもやらずにこれを食いつぶして数年か、
収支トントンか赤字になっても、なにかやったほうがいいのか
というのは、当然一瞬は考えたのですが、数年後にわたしがもっと年を取るのは
逃れられない現実だし、金銭的には赤字になっても「経験値」が手に入った状態で
年齢を重ねないと、新しく手に入れられる技能や技術だけでは、もうたちゆかないというのもはっきりしている。
成功しても、失敗しても「こういう経験をした」という事実しか、
自分を動かしていく原動力ってないような気がするんですね。
年を取るって、相手を説得するよりも、自分を説得させるほうが
うんと骨が折れるし、たいへんだ。
結局、不景気だろうがなんだろうが、「世間」の流れに巻き込まれていくことが
「働く」ということで、
そんなに悪いことはないような気がすると、あんまり心配しすぎないことも
自分を守るためには、必要な要素のような気がするのです。
そんな時期でなんでお店なんか始めたのか、さっぱりわからないという意見も
当然あるにはあるのです。
けれどわたしはお給料というものをもらって生活したことがなく、あるのはただひとつ、自営で酒屋を営んでいた祖父の「お金の流れているところに立てば食いはぐれることはない」という、ぼんやりとしたつぶやきみたいな教えだけだったりするので、不景気のときは、不景気なりのお金の使い方をみんなするよなあ、と、なんとなく思ってお店を始めたわけです。
家業だった酒屋は、小売ではなく卸が主でした。メーカーに商品をまとめて注文して、近隣の小売店や飲食店に卸すという商売です。今は、大型店などがメーカーさんと直接取引するので、卸商売というのは絶滅業種なんですが、メーカーと小売の間に入って、双方のリスクを引き受ける(メーカーは大きい単位でないと出荷コストの割が合わない。小売は小さい単位でないと仕入れできない)という商売は、まさに「お金の流れているところに立てば食いはぐれない」を絵に書いたような商売だったわけです。
まあ、ようするに「働けば食いはぐれない」ということをいいたかった祖父だと思うのですが、「商品を作る(メーカー)」と「商品を売る(小売)」以外に「商品を流通させる」という仕事があるということを、わりと早いうちに気がついたのは、家業のおかげですね。(小売店舗もあったので、うんと小さい頃は、単に酒屋だと思っていましたが)
で、自営の家庭で育った子どもはみんなそうなんだと思うのですが、
仕事は与えられるものじゃなくて、自分で作るもんなんだという感覚が多少あります。
夏にどっかの駐車場借りてビアホールやるとか、日本酒のなんたらという銘柄をまとめて注文いただくと、こちらとこちらがお徳になるフェアをやっています、とか、なんかよくわからないんですが、おとなたちは常になんかやっている。
冷夏だと、ビールの売り上げが落ちるので、その年はうちビンボウだ、とか、
自分ではどうにもコントロールできない外界の環境がストレートに影響するようなムードだったので、
「まじめに働く」の内側には、ちょっとは自分で考えろ、という世界が
もれなくついていたような。
外界の条件が刺激になって、なにかするという育ち方すると
100年に1度の不景気→どんな商売ならいいんだろう、
という発想になるんじゃないかと思います。
一番働き盛りのときは、バブル経済でわたしのようになんのとりえも
能力もない人間でも、なにかかにか仕事はまわってきていました。
でも年を取ったら、そんな働き方は、もうダメだろうとも思っていたし、
偶然、世間からお呼びがかからなくなる年齢になって不景気はやってきました。
手持ちの資金をじーっと見て、なにもやらずにこれを食いつぶして数年か、
収支トントンか赤字になっても、なにかやったほうがいいのか
というのは、当然一瞬は考えたのですが、数年後にわたしがもっと年を取るのは
逃れられない現実だし、金銭的には赤字になっても「経験値」が手に入った状態で
年齢を重ねないと、新しく手に入れられる技能や技術だけでは、もうたちゆかないというのもはっきりしている。
成功しても、失敗しても「こういう経験をした」という事実しか、
自分を動かしていく原動力ってないような気がするんですね。
年を取るって、相手を説得するよりも、自分を説得させるほうが
うんと骨が折れるし、たいへんだ。
結局、不景気だろうがなんだろうが、「世間」の流れに巻き込まれていくことが
「働く」ということで、
そんなに悪いことはないような気がすると、あんまり心配しすぎないことも
自分を守るためには、必要な要素のような気がするのです。

