わたしが科学のことを、あんまり好きじゃなくなったのは、子どもの頃、あれはなに?これはどうして?と疑問に感じたことに、納得のいく答えのくれる大人や書物に出会えなかったからだ。
たとえば宇宙の果てはどうなっているのか。
なぜ、生き物は地球上にたくさんの種類があるのに、人間だけが衣服を着て、高度な道具を使うのはなぜ?
黒い土から、赤いカブや白い大根が出てきたり、花にはいろんな色があるのはどうして?
わたしは生まれる前は、どこにいたの?わたしが存在しないってどういうこと?
戦争すると人が死んじゃうのに、どうして戦争はなくならないの?
子どもの頃の自然な疑問は、科学ではなく、哲学や宗教や文学が取り扱う範疇のことも多いのだれど、そんなことをしるよしもないワタシは、この世の不思議や疑問を全て同列にいっしょくたんに並べ、その疑問への説明を図鑑や本に求めた。
子どもってほんとバカだよね。
わたしのような小さい子どもが知らないことは、専門に研究している大人はなんでも知っていて、そして本には、その説明がなんでも書いてある、と期待して生きていたのだ。
そしてがっかりした。
わたしが知りたいことは、本には書いていないんだなあ、と思った。
「サはサイエンスのサ」を読み終えて、真っ先に思ったのは、学校の勉強は続けていても、ほんとうに自分が疑問に思ったことには答えてくれないんだという絶望から、マンガやアニメに傾倒していった中学時代の自分に読ませたい!といういうことだった。
「現状では、ここまでしかわかっていない。けれどここまでのことはわかっている。つまりそれはこういうことなんだ」と、鹿野司さんは書き綴る。
「つまりそれはこういうことなんだ」のその部分が、わたしがガキの頃に疑問に思ったことの、直接ではないにしろ、まっすぐにその回答に続いていると思わせてくれた。
わたし自身は、かなりのまわり道をして、勉強と大人である自分とこの世界を信用している人間になったけれど、中学生の頃にこの本に出会っていれば、なんだかもう少しラクに勉強することやこの世の中のことを信用できたのでは?と思う。
高校生になったうちの長男(地頭はいいが学校の成績はワルイ)が、とり・みきさんの表紙に惹かれ手に取り、楽しそうに一気に読んでいる姿を見て、ちょっとはホッとしているのだけど、なぜか大人や勉強のことは信用できなくて、この年になってしまった!とか、世の中はこのままではどんどん悪くなる一方だし、明るい未来とか希望に気持ちが向かないという人は、ご一読をお勧めします。
ちなみに短絡長男は、読み終えてすぐ「こーゆーのを、教科書に載せろよ!」と叫んでました。
「教科はなに?」
「国語!長々読まなきゃならねーのに、くそつまらん文しか載ってない!」
‥だそうよ。
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鹿野さんのブログです。本文の試し読みができないのですが、ブログの文体で、おお、こんなかんじーというのが伝わると思います。
経済の話
ネルー値の話
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