フィリアの日記

死ぬ前の一日でもいい。戦後を生きてみたい!沖縄はいつも戦中であり、新たな戦前でもあり続けている!

宜野座 ヘリ墜落現場周辺の放射線測定報告

2013年8月19日(月)、20日(火)
測定者;矢ケ崎克馬琉球大学名誉教授(20日のみ)、平良夏芽(両日)、匿名協力者(両日)、
測定機器:Safecast bGeigie nano(インスペクター同等機種)、como170、

目的:8月5日、キャンプ•ハンセン内に米空軍所属HH60が墜落炎上して、ほぼ二日間燃え続けた。沖縄国際大学へのヘリ墜落(CH-53D)時は、劣化ウラン弾の搭載が疑われたが、米軍はローターの破損検知器の部品としてストロンチウム90を搭載しており、6個の部品のうち、1個(1850万ベクレル)が無いことから焼失したであろうと発表した。
ウィキペディアの沖国大米軍ヘリ墜落事件

*ヘリのブレード(プロペラ)は軽量化のため中が空洞になっている。ブレードの片側にステンレス容器に入ったストロンチウム90を設置し、反対側に検知器を取り付けることによって、ブレードに亀裂が入り、中に空気が入った場合に放射線の飛び方が変わることを利用して、操縦席で亀裂の有無が確認できるようになっている。

このことから、今回のヘリ墜落においてもストロンチウム90による汚染が心配される(同系のH60ブラックホークには、ストロンチウム90の搭載が公けにされている)。
しかし、米軍はストロンチウム90の搭載を否定し、ヘリ前方の夜間飛行用赤外線監視装置のレンズにトリウム232を使用していたが、汚染の心配はないと発表。
宜野座村もHPにて、放射線に異常はないと発表しているがガンマ線しか測定していない。
宜野座村HP

ゆえにベータ線を発するストロンチウム90の計測は出来ていないと判断し、今回の測定に至った。

測定方法;空間線量と地表線量を測る線量計と、ベクレルを測る線量計の2種類を使用。各箇所で、地表1cmと1mの2箇所をそれぞれ30秒づつ、3回測定を行った(琉球大学物理学部名誉教授 矢ケ崎克馬先生の指示)

測定場所:キャンプ•ハンセン(沖縄県宜野座村)のヘリ墜落現場周辺の米軍ゲート付近(#103、#76、#77)
墜落現場から風下に 1キロ程の場所です。

#103ゲート付近 空間線量は、0.15〜0.21マイクロシーベルト/毎時
年間線量は、測定値(/h)の8760倍(24時間×365日)=1.314mSv〜1.839mSv
*国際基準は、年間1mSv(約0.11μSv/h 自然界由来のものを除く)
那覇市内や国頭の山林では、0.04μSv(これが普通)

ベクレル 測定反応無し 0.00ベクレル/cm2

#77ゲート付近
空間線量は、0.15〜0.25マイクロシーベルト/毎時(年間 1.314〜2.19mSv)
ベクレル ストロンチウム90 = 0.01ベクレル/cm2(42%の確率)
セシウム137=0.06ベクレル/cm2(35%の確率)
画像1

上の地図をクリックすると拡大します。緑のポイントが、0.1μSv/h以上を計測した地点。色が濃くなるほど、線量が高くなる。

この地図に記録された最高値は、0.23μSv/h CPM=75(地図左側に数値記載。時刻は、グリニッジ標準時なのでプラス9時間が日本時刻です)
下記リンクで、このマップを自由に拡大縮小して見ることができます。
SAFE CAST MAP

#76ゲート付近q
空間線量は、0.06〜0.12マイクロシーベルト
ベクレル 測定反応無し

留意点:北部地域には、千枚岩の地層が多数露出しており、自然界の放射線を放出している。ゆえに測定結果を自然界由来のものか精査する必要もある。しかし、今回の測定では、地面から1cmで計測した地表線量より、1mで測定した空間線量の方が高い数値を示す場所があるので、地層由来の放射線ではなく、上部から降ったものであることが十分に予想されると矢ケ崎教授は見ている。

結論:異常な数値が計測されたことは事実であり、世界基準(年間1mSv。日本は震災以降、緊急時のみに暫定的に許される基準の20mSvを3年間も示し続けている。)からすると居住不適切な地域と指定が必要な数値なので、沖縄県あるいは日本政府による精密な検査が必要だと思われる。
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 高江・通行妨害禁止訴訟の控訴審判決に対する声明(2013.6.25)

本日、福岡高等裁判所那覇支部は、東村高江のヘリパッド建設に関し、国が住民を被告に交通妨害禁止を求めていた訴訟で、住民1名の控訴を棄却し、住民敗訴の判決を言い渡した。
 本件において、住民らは、一方的にヘリパッド建設を進めようとする沖縄防衛局の職員やその関係者に対し、非暴力かつ平和的な方法で抗議・説得を行ったにすぎず、これが抗議の意思を表明する表現行為であることは明らかである。
 本訴訟は、基地のない平和な社会を実現するという信念に基づき住民らが行った反対運動を弾圧する目的で国が起こした訴訟(スラップ訴訟)に他ならない。
 そして、本訴訟が不当目的のスラップ訴訟であるにも拘わらず、あろうことか、本判決は住民の控訴を棄却し、国の姿勢を追認する判断をした。本判決が住民の平和的生存権や表現の自由、政治活動の自由といった憲法上の権利を踏みにじる、極めて不当かつ悪質な判決であることは言を俟たない。
 司法が政府による不当弾圧を追認する以上、今後も正当な表現活動を続ける住民らに対し、政治が同様の手法を用いて弾圧をするような事態を招きかねない。
 しかし、高江住民らをはじめとする我々は、本件のような不当判決や、政府による不当弾圧に臆することなく、正当な表現活動としての運動を今後も展開する所存である。本判決は、三権分立の根幹をも揺るがす不当判決であるが、我々は、このような不当判決には決して屈さず、沖縄から基地がなくなるその日まで、基地建設に断固反対し、そのための表現活動を継続することをここに決意する。
 現在、沖縄の過酷な基地負担を一刻も早く解消すること、新たな基地建設は絶対に許さないことが沖縄県民の総意となっている。国は、このような沖縄県民の意思を真摯に受け止め、直ちにヘリパッド建設を中止すべきである。

2013年6月25日
ヘリパッドいらない住民の会
ヘリパッドいらない弁護団
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平和祈念資料館のウソ

2000年のサミットに合わせて作り変えられた沖縄県立平和祈念資料館の2階(常設展示)は、
「かつて琉球の先人は平和をこよなく愛する民…」という言葉でスタートする。
琉球の民は、平和で争いを嫌い、武器もなく過ごしていたが、戦争がある日突然、外からやってきたという都市伝説を見学者に刷り込むためのしかけである。
琉球王朝は統一されるまで戦さが続いていたし、統一されてからも三重城の城壁には砲台があったことが記録に残っている。また、琉球王朝を頂点とした島差別も激しく、厳しい搾取により命を失ったものも少なくない。そして、決定的なのは薩摩の島津が目をつけるほどの貿易による富である。その貿易の中心になっていたのが奄美を基地とした硫黄の採取と中国への流通である。自らの戦さは、三山の統一で落ち着いた。しかし、他国で殺し合いをする火薬の原料である硫黄で琉球は潤っていたのだ。これを「死の商人」と呼ばないのだろうか。
私は、沖縄が嫌いで批判しているのではない。生まれ育った大切な島だ。だからこそ、都市伝説のような幻想で現実逃避することなく、現実の中から希望ある未来を模索したいと思うのだ。
県立平和祈念資料館が開館した当時、沖縄のメディアは「改ざん」問題で大騒ぎをした。沖縄戦の実態を伝える展示が改ざんされごまかされているという報道だった。
時は過ぎ、いつものように沖縄県民が忘れてしまったが、改ざんされた展示はそのままに運営されている。
もう一例だけ紹介する。「沖縄で捕虜になった防衛隊員と義勇隊員」という一人の老人と二人の子どもが映った写真が展示され、説明には「防衛集に該当しない青年学校生や中学校生徒も、男女をとわず義勇隊として各町村ごとに編成され、戦闘訓練をうけた。」と記されている。
戦闘訓練は日本全国で行われたのではなかったのか?ここにある事実は、戦闘訓練を受けたということではなく、兵士として最前線に送り込まれたし、兵士として捕虜収容所に入れられたという事実ではないのか。「戦闘訓練をうけた」という事実によって、最前線に送りこまれた事実を隠蔽する見事なトリックである。
私は、このウソとごまかしの展示を批判的に見つめるツアーを時々行っている(一回2時間ほど)が、展示は変わっていない。戦争の実態と責任をごまかし、「昔は大変だった、戦争は嫌だね。平和な時代に生まれて良かった」という感想を残して、平和学習完了!というシステム。
私は、思う。
あの資料館は、見ない方がいい。為政者たちが国民を騙すためにどのような手を使うかを学ぶ資料館としては非常に有益である。しかし、戦争や平和を学びたい。学ばせたいと思っているなら、あの資料館は行ってはならない。あんな展示を許してはならない。
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子どもたちを「平和」から遠ざける「平和学習」
本土から転校してきた知人の子どもが6月の平和学習を受けて帰宅して話し出したという。
「米軍は、殺しにくるの? 大丈夫?」
「怖かった。もう嫌だから、これから平和学習の時は休みたい」。
戦争の悲惨を伝える授業なのだから、「恐い」という感想が出るのは仕方のない部分なのかも知れない。しかし、子どもたちを脅したら本当に平和になるのだろうか。

公立学校に通うことが出来ずにアメラジアンスクールに通っている子どもたちの声を聞いたことがある。公立学校に通えなくなったきっかけは、「平和学習」だったという声が多かった。授業が終わり、休み時間になった途端、同級生たちから「ヤンキー ゴー ホーム」となじられたという。
沖縄では、戦後何十年も平和学習が繰り返されてきた。そして、その多くのが「沖縄戦の実態」を伝えることだったのだと思う。その結果、その子どもたちはどのような大人に成長したのだろうか。 子どもたちに恐怖を植え付け、「平和」と名のつくものを毛嫌いする体質を育み、同級生を罵る結果を生み出し続ける「平和学習」。そのあり方は、本当に正しかったのだろうか。
平和学習で模範的な感想とされるものは、「昔は大変だった。体験した人は、今でも苦しんでいる。平和な時代に生まれて良かった。この平和を維持したい」という類のものだ。
大虐殺部隊の発進基地であり、世界各地の人々から恐怖の象徴として「Okinawa」という名前が覚えられ、沖縄島の20%が軍事基地として奪われている状況の中で、「平和な時代に生まれて良かった」という感想を持たせる教育とは何なのだろうか。
私は考えてみた。
1、戦争の実態を伝える。
体験者の話しを聴くことも重要だが、それだけで終わると、その人を苦しめた存在が「悪者」という刷り込みで終わってしまう。戦争という状況に置かれると、どこの国の人でも、人は人の心を失ってしまうということを伝え、ゆえにどこの国の人が恐いではなく、戦争と戦争の準備は悪いと伝える。
2、現状を伝える。
あれだけつらい思いをした戦争なのに、世界中で戦争が続いている。自分たちの国(島)も関わっている。戦争をなくすのは、本当に難しいということを伝える。
3、なぜ、戦争が起きるのか? 新しい戦争を起こさないためにどうしたら良いのかをみんなで考える。その中で、どんな理由があっても人を殺してはならないということを学び、知らないということが恐怖と憎悪を生み出すシステムを学ぶ。また、目の前の命を守ることが平和な世界をつくる重要な一歩であると学ぶ。

上記が絶対に良いというつもりはない。しかし、今のままではまずいと強く思う。
何度も教育関係者と語り合ってきたが「平和学習」が変わらない。決められたカリキュラムをこなすだけの授業になってしまってはいないだろうか。
子たちに、夢のある平和学習を与えたい。
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(マガジン9に掲載)http://www.magazine9.jp/2013sanin/taira.php

 憲法9条が無くなっても、沖縄には何の損失もない

 参院選を前に「改憲」への動きが活発化してきている。これまでも何度も改憲の話は出ていたが、今回ほど具体的になったことはなかったのではないかと思う。自民党政権を中心とする改憲勢力は、表立っては憲法96条の改憲だけを主張している。96条によって現行憲法が縛られているがゆえに、憲法改定が困難であるだけでなく、国民が自らのものとして憲法を受け止め、議論することすら妨げているという趣旨の理由をこじつけ、結局、憲法9条の改定を目論んでいることは明らかだと思う。しかし、この卑劣な企みに国民の何割が気がついているのだろうか。96条改定に向けて、様々な発言がなされているが、今だからこそ、私は、変えられようとしている憲法について「私と憲法」という関係の中で考えてみようと思う。
 私は1962年に、現在は「沖縄県」と呼ばれている当時はどこだったのか分からない場所に生まれ育った。私と日本国憲法との出会いは、沖縄の「祖国復帰運動」の最中(実際には復帰でも何でもなかったのだが)だった。当時、小学生だった私は学校で「日本国憲法」、特に前文と9条についての授業を受けたことを記憶している(帝国憲法との違い、基本的人権等の説明もあった)。あまりにも素晴らしい文言に、子どもながら身震いしたことを鮮明に覚えている。
 しかし、私の住む沖縄では、今も昔も、この前文と9条が適用されたことは一秒たりともない。ただの一瞬もないのだ。したがって、憲法9条が無くなっても、沖縄には何の損失(変化)もないと思う。残念ながらそれが実態なのだ(変化は日本全土が軍事的に沖縄化するということ)。
 そもそも天皇制を護る代価としての憲法9条の制定なのだ。国体護持のために沖縄を米軍に売り渡し、自国の軍隊を捨てることまでを決断したというだけのこと。「平和主義」なる発想を第一に生まれた条文だとは考えにくい。最重要項目としていたのは国民の命や生活ではなく、軍隊でもなく、国体護持だったのだ。もちろん国民の多くが心から「平和」を希求したことは間違いのない事実だと思う。しかし、あの綺麗な文言は、その醜い実態をカモフラージュするための飾りだったのかもしれない。そして現在は、日米安保条約と自衛隊の容認によって憲法9 条の中身はほとんど無に帰している。カモフラージュとしての文言であったのなら不思議はないと思う。
 それゆえ、「憲法9条を守れ!」という発想にはどこかついていけない思いが残る。「守れ」と言われているものの実態は、中身のない平和主義と沖縄の売り渡しがセットになっているからである。
 さらに言うならば「守れ」の中には、いつまでも攻撃される側ではなく攻撃する側にいることを無意識のうちに望んでいる場合すらあるのだと思う。多くの日本人がそれを「平和」と呼んでいることからも、それを伺い知ることができる。もしそうであるなら、そんなものは守る価値がないという感情すら湧いてくる。
 第二次世界大戦後も、多くの戦争に加担し続け、出撃基地として様々な協力を惜しみなく提供し続け、戦争特需で豊かになり続ける日本。なのに平気で「戦後六十数年」と言い続ける。彼ら(彼女ら)にとって、戦争とは自分の頭上に爆弾がふることだけであって、他人が殺され続けることではないのか。たったの一人も戦後世代がいない現実の中で、あたかも戦争がはるか昔に絶えたかのように「戦後世代」なる言葉が普通に使われる。
 確かに憲法9条は、より悪い状態になることを抑止する力として機能している部分がある。これは見過ごせない力であり、そういう意味では9条も中身がまったく無いわけではない。それでも、米軍が日本国から出撃して侵略、殺りくを繰り返し、自衛隊も後方支援という名目でこれに加わり続けることを憲法は止めることができずにいる。
 そのような現実の中で「憲法9条を守れ」という言葉が私の中に虚しく響く。
 おそらく私が傲慢で頑ななのだろう。第二次世界大戦下でどれだけの難儀をしたのか。今、どれだけの想いで叫んでいるのかということに想いを馳せる想像力が足りないのかもしれない。それでも、一瞬も憲法9条の適用を受けていない地に生活していると、そのような感情が湧いてくるのも事実である。
 しかし、それでも現在の日本国憲法を守らなければならないと、私は思う。
 今は、実態のない条文だが、人類の希望を謳った条文だ。これほどに崇高な条文は世界に類を見ない。このことは多くの方が書くだろうし、周知の事実だから割愛する。
 実態のない条文だからこそ守らなければならないし、実現しなければならない。
 沖縄の辺野古で米軍の新基地建設の海上阻止行動を繰り返していた時に語り合った言葉がある。
「人類の数万年の歴史の中に、戦争が無かった時代はない。私たちがしているのは、人類が未だかつて経験したことのない状況を生み出そうとする行為だ。数万年もなし得なかったことが、数年、数十年、数百年で実現するはずがない。千年かかるかも知れない。一万年かかるかも知れない。しかし、今、私たちが一歩を踏み出さなければ、今後、何万年たっても戦争の歴史は絶えない。いつになるか分からないが、夢が実現するその日のために、今日、基地建設を止めるための一日を過ごしましょう」
 辺野古の非暴力実力阻止行動において、上記の言葉は繰り返された。さらに激しい暴力に晒されて救急搬送される仲間が出る中で、「殺されてもやり返さない」。何をされても、相手の尊厳を認め、抗議はしても非難はしない。言葉も暴力になり得ると、何度も何度も確認がなされた。
 ダメだったから批判したり諦めるというのでは何も変わらない。ダメだったのなら、今まで以上に努力しなければならない。
 憲法9条を守り、実現させていく上で、「殺されてもやり返さない」という考えを仲間とどれだけ共有できるか。それが非常に重要だと思う。核の傘に守られながら、攻撃されない前提で「平和」と叫ぶだけでは、そのような理念は、たった一発の銃弾で吹き飛んでしまう。
 「目には目を」というハムラビ法典は、目を潰された怒りで相手を殺していた時代に、目を潰された者はやり返すとしても相手の目を潰すだけに止めなさいという復讐の制限を謳った画期的な法令だった。それなのに復讐を奨励、義務化する法令であるかの如く曲解、利用されている。
 私たちが本気で憲法9条を守り、実現しようとするならばハムラビ法典以上の理念と覚悟を持たなければならない。
 ガンジーやキング牧師たちが何を語り、どのように闘ってきたのかを学び、自らのものにするということも大切だと思う。
 ガンジーは「銃を持つ勇気の無いものに非暴力を貫くことは出来ない」という激しい言葉を残している。もちろん、これは銃による暴力を肯定した言葉ではない。そうではなく、武装蜂起した人々を安易に批判する平和主義者たちに突きつけた言葉だ。イギリスの植民地として搾取され続けるインドにおいて、武装蜂起しようとする人々がいたが、自らは何もせずに、暴力反対と批判だけをする人々がいた。ガンジーは、このような人々にこの厳しい言葉を投げつけたのだと思う。銃を持つ人々は、現状を変えなければならないとまず決意し、その変化のために自分の責任において、自分の命をかけて行動することを決意した。非暴力で、現状を打破しようと試みる者たちは、それらの決意に敬意を示し、そして、それ以上の決意を持たなければならない、と。安易に、安全な地から武力を否定するだけの人々を批判したのだと思う。
 非武装、非暴力の決意と無抵抗を混同する人がいる。がそれは違う。
 酒やお茶を飲みながら、愚痴ったり批判だけで実際には何もしないのと、命をかけて暴力と抗することは天と地ほどの違いがある。実際には何もしないのは、実態を容認することですらある。害悪を認識しながら放置したのであれば、気がつかなかった人々よりも罪は重いのかも知れない。
 暴力は、新たな暴力を生み出すだけで問題解決の手段にはなり得ない。憎しみが新たな憎しみを生むだけではない。たとえ相手を殲滅して報復の連鎖を断ち切ったとしても、自分の子どもたちが「意見が異なれば殲滅すれば良い」と学習し、そこから新たな暴力が生まれる。凶悪犯罪の低年齢化が叫ばれるが、戦争を肯定し、死刑を肯定している国の子どもたちが殺し合いを始めることには何の矛盾もないのだ。
 選挙で頑張り、政治活動で護憲を主張することも重要である。96条改定などという卑劣なやり方をする為政者に対して、これまで以上に努力しなければならない。
 と同時に、武力を本気で放棄するということはどういうことか。どういう覚悟が必要か。世界情勢の中で、何をどう判断し、どう動くべきかを議論し、学ぶ必要がある。
 理想的な理念は、あくまも理念にすぎない。理念を繰り返して自分たちに刷り込むことも重要だが、それだけでは新たな時代は切り開けない。理念を具現化する手段を模索しなければならない。
 そのための世界情勢の分析や学習はまだまだ足りないと思う。戦争を否定する仲間たちで、戦争被害についてだけでなく、戦争そのもの(戦争が起きるシステム)についてもっと議論し、研究する必要を感じる。
 私は、9条を肯定する説得力を持つための学習を積み重ねたい。そして、すべての暴力を否定する姿勢を貫き、あらゆる場面で非暴力が貫けるように自他共にトレーニングしたいと思う。トレーニングなしには、人は案外簡単に、他人を罵り、暴力をふるう。無意識であったり、何らかの理由で正当化しつつ、暴力(含、言葉の暴力)をふるう。この現実を受け止め、その実態を変える努力なしには、憲法9条は実体化しない。自分と家族や仲間たちが暴力に晒される中であったとしても、非暴力で抵抗していく手段。それを模索し続けていこうと思う。
 憲法は、為政者を見張り、規制するための道具である。がしかし、この憲法を守るためには、自らの生き様を振り返り、変えていかなければならないのではないかと思う。憲法9条の実現、それは自分自身の変革なしにはあり得ない。
 私は、日本国憲法を守り、実現していくために行動しようと思う。まず闘わなければならないのは、「諦め」や「疲れ」、そして自らの内側にある暴力性。それらと闘いながら、憲法が実現される社会を生み出すために、今日を生きていこうと思う。
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潔癖性

今朝、テレビでカビの特集をしていた。名前は忘れたが、身体が弱っている人が侵されると肺が硬くなり、溶けて穴があいてしまう等の話しだった。朝の仕事をしながらだったので詳細には覚えていないが、あ〜、また必要以上にカビを気にする人が増えて、「防カビ」グッズが売れるんだろうなと思った。
巷には、カビや汚れ、ばい菌に至るまで、恐怖すら感じているのではないかと思うほどの潔癖性の人が増えている。それらが存在することはもちろん、存在するかも知れないということだけでも許せない潔癖性である。予備群を含めると、そのような感性の人々は「抗菌グッズ」の台頭と比例して増えているように思う。

ところが一向に増えないどころか減っているのではないかさえ思える潔癖性もある。
人が人を殺すことを拒絶する潔癖性である。
善良で、偏りなく、バランスのとれた中立的存在と自負する人々の中に、人殺しに対する拒絶感が驚くほどなくなっている。
人々が殺し合いを始めたというのではない。戦争にしろ、死刑にしろ、全面的賛成ではなくても、必要悪として容認してしまう体質の問題である。
つい最近までは、戦争に対してもハードルはもっと高かった。ゆえに為政者たちは、戦争を始めるために、敵が攻撃してきたのだから防衛のためにやり返さなければならないという状況を演出してきた。この姿勢が大きく変わって一線を超えたのは、アフガニスタンやイラクに対する侵略戦争だったと思う。9•11への報復と言いながら、米国への同時多発攻撃に直接関係のない国家を攻撃したのだ。イラクにいたっては、大量破壊兵器があるとの嘘をでっち上げての侵略戦争であった。一部の人々は、これらの不当性を訴えて検証作業を続けているが、ほとんどの人々は、あの戦争に賛成した(座視した)自分自身のあり方を振り返る必要性など感じてはいない。
大多数の人々は、「しかたがない」「やるべきだ」「反対するなんて、被害者や遺族の気持ちを考えたことがあるのか」という立場をとった。
戦争をしたい人々にとっては、大歓迎な状態が出来上がっていたわけだ。
「戦争をしたい人なんていない」という言葉がしばしば巷に飛び交うが、事実とは違う。まったく違う。戦争をしたい、否、戦争をさせたい人々の人数はそんなに少なくはないのである。戦争が起きないと経済が持たないと明言する人々(企業)がいることも事実である。さらには、戦争によって特需が回ってくることを歓迎し、心のどこかで期待する人は意外と多い。
日本における死刑判決と執行も増えている(犯罪の抑止にはまったくなっていない)。
この状況を甘受しておいて、「平和」や「命の大切さ」を語ることの害悪について考えたことがあるだろうか。意味がないという程度のことならば問題にしないが、人殺しを黙認(容認)しながら命の大切さを語る欺瞞に、子どもたちが気がつかないとでも思っているのだろうか。実態とは正反対のきれいごとを口にしながら、自分の思いと相入れない存在は抹殺しても構わないと、子どもたちは学んでいる。子どもは、大人の言葉ではなく、後ろ姿を見て学び、育っていくのである。

如何なる理由があっても、人殺しはいけない。許してはならない。殺しても、殺させてもならない。その準備もしてはならない。

なぜ、人々は、この単純なメッセージを宣言することができないのだろうか。
人殺しに、何らかの理由をこじ付けて「必要」あるいは「必要悪」とごまかしているうちは、命の尊厳など伝わるはずがない。
カビやばい菌も問題かもしれない。しかし、直接•具体的に人が殺されること、そのことにこそ、拒絶反応(アレルギー)を示し、潔癖性になる。自分がそのような思考を持つというレベルではなく、無意識のうちにも拒絶する体質をつくっていく必要を強く強く感じる。
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「沖縄差別」
突然使われはじめた言葉では決してないが、昨今はこれまでになく頻繁にこの言葉が使われるようになったように思う。
私は、中学を卒業後、「日本人になりたい」とかなり本気で考えて沖縄を一人で出て行った経験を持つ。日本人になるために、NHKのアナウンサー用のアクセント辞典で言葉を「整え」、バイトして腕時計を購入して時間通りの行動を自らに課し、早く歩く練習までして、「立派な日本人」になったつもりで沖縄を出て行った。
結果は惨憺たるもので、「お前は日本人ではない」とハッキリと言われ、拒絶され、蔑まれた。ここでは詳細は割愛するが明確な激しい差別を受けたのだ。
ゆえに、私は沖縄が差別されていることを否定するつもりはないし、構造的差別も加わって酷い有様であることを痛感している。そして、それらを無視・座視するつもりは毛頭ない。

そのことを前提として、それでも危惧することがある。
現状に対して、「これは沖縄差別だ!」と叫ぶことで何がうまれるのか。何が変わるのだろうかということである。
根本問題として念頭に置きつつ、解決を模索し続けることは継続しなければならない。これを軽視しては絶対にいけない。しかし、多くの「沖縄差別」という表現は、すべての問題の根元は差別であり、私たちはその被害者だというパターン化した思考へと私たちを追い詰めた後に、沖縄を思考停止へと誘導してはいないだろうか。
現在の沖縄において、「沖縄差別」という叫びが、「だから独立」とつながり、今の具体的な課題に具体的に向き合う思想とエネルギーを思考停止や現実逃避という状態へと奪われてしまっているような気がしてならない。

私にも叫びはある。爆発しそうなほどの怒りもある。しかし、私の目的は、叫びや怒りの爆発ではない。目的は、平和運動でもない。私が欲しているのは、現状を変えることそのものである。
現状を変えるために、「差別」という単語や「独立」という単語が役に立つなら何万回でも叫ぶ。
しかし、今、あくまでも今、私が危惧するのは、「差別」や「独立」という単語が、私たちが現実と対峙することを阻害するのではないかということだ。この危惧が杞憂であってくれればよいのだが。
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日米両政府は、嘉手納空軍基地以南の米軍基地返還計画なるものを仰々しく発表した。
この時期のこの発表をどう読み取るか。これは、今後の行動にとって重要なポイントとなる。

 まず第一にハッキリさせたいのは、今日の返還計画発表では事実上、何も発表されていないという事実である。日本政府が沖縄県の強い要請をかわすために日程を入れたのに対して、米政府がこれを拒否。結果、「◯◯年またはその後」という訳の分からない日本語になっている。那覇軍港返還計画が発表されて40年間近くも動いていないし、普天間も1996年に「5年ないし7年以内に返還」と発表されてから動いていない。同じことが繰り返されているだけである。
 しかし、県内世論は一喜一憂させられている。
 今回の発表で、明確なことが二つある。一つは、浦添軍港建設を日米両政府が諦めていないということと、辺野古新基地建設を強行する気だということである。
 県内世論を混乱させ、全国メディアによって「我がままを言い続ける沖縄のために日米両政府がここまで努力している」という幻想を流布し、その間に辺野古を強行しようという狙いなのだと思う。
 ここで私はあえて書く。
 辺野古新基地建設スタートへのタイミングは、そう先ではない。安倍政権は、勢いづいているうちに様々なことをどんどん強行している。その状況に鑑みても、「まだ時間はある」という余裕は非常に危険である。
 いざ埋立工事がはじまったら、これまで反対していた人々が駆けつけてきて、また止めるであろうという幻想をもっている人も少なからずいる。どこの誰が駆けつけるというのか?
 止めるためのチャンスは何度もあった。滑走路建設のためにキャンプ・シュワブ内の兵舎移設に伴う名護市による文化財調査もその一つであった。海上で阻止行動をし続けていた私たちは、文化財調査をも、基地建設に繋がる調査として阻止し続けた。しかし、「文化財を調査するのは、沖縄の文化を守るために必要」とか「調査しているのは市の職員でまじまな人たち」等々の理由をかかげて、阻止行動を続ける私たちへの批判は日増しに強まっていった。反対グループの対立を目ざとく見つけた為政者は、鋭く攻撃してきた。それが私の逮捕である。現行犯逮捕でありながら、事前に計画されていたことを名護署副所長が米メディアのインタビューに答えている。
 反対運動の主要グループは、文化財調査を阻止しないことを決定した。
 結果、滑走路建設に向けた兵舎の移設は完了している。つまり、陸上部分の準備はほとんど完了してしまっているのである。
 オスプレイ配備に伴う、普天間基地封鎖・閉鎖のチャンスをも沖縄県民は逸してしまった。集まったのは、200人足らずの人々。22時間、市民の手で米軍事基地が完全に閉鎖されたことは歴史的な出来事であったが、そのことで何も変わってはいない。もっと多くの人々が集まれる素地を準備できていれば、数週間、短くても数日の閉鎖を行うことができたはずだし、それは日米両政府にもっと強いメッセージとして発信されたはずである。
 辺野古埋立申請が出された時もそうである。情報を入手し、各方面に連絡した。集まれないのは仕方ない。しかし、集まろうとする人を「まだあり得ない」と止める力すら働いた。
 沖縄には怒りのマグマがあり、事が起きたらどこかのグループが止めてくれるという幻想に頼っていては、何も変えることは出来ない。
 早ければ年内にも埋立が始まるのではないかと、私は考えている。
 仲井真知事が受け入れれば、GOだし、断れば特措法で代執行である。
 いつ、どのように、誰が止めるのか?
 どこかの団体、誰かに頼って、待っていては止まるものも止まらない。
 私は、かなり焦っている。焦っては良い結論がでないのを知っているが、それでも焦りを止めることができない。今日の日米両政府の発表が、辺野古強行のサインに感じられて仕方がないからだ。
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 菅官房長官が沖縄を訪れた。
 1.公式訪問でありながらホテルでの面談。閣僚の沖縄知事への面談は、県庁の知事公室ですることが常識だった。しかし、この数ヶ月間、閣僚は県庁ではなく民間のホテルで知事との面談を行い始めた。道路に県民が集まって叫び続けている状況は、窓を閉め切った車で猛スピードで県庁に乗り付けることで対峙せずに回避できていた。しかし、最近は県庁内で待ち受けた県民たちから目の前で叫ばれるようになった。これを嫌って、閣僚たちは面談場所にホテルを使い始めた。警備という側面もあるだろうが、県民との直接対峙を避ける意図が強く働いていると私は確信している。
 2.官房長官は、嘉手納基地以南の米軍基地の返還をチラつかせた。しかし、知事が日程を明確にせよとの要求に「鋭意努力中」と言葉を濁した。那覇軍港の返還が1974年 1月の 第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付き全面返還で合意してから今日にいたるまで返還されていないことに鑑みると、絵に描いた餅をちらつかせているだけに思えて仕方がない。
 3.県内メディアを訪問。官房長官は、沖縄タイムス、琉球新報、琉球朝日放送、琉球放送、沖縄テレビの五社を各10分の予定でまわった。「県民の一番近くにいるのはメディアだと思ったから、県民の声を聞きたかった」との趣旨を述べているが、一方的に語り、メディア側の発言時間はほどんどない状況だったようだ。政府側から、「沖縄のメディアは、偏っている」との声がしばしば上がっている。県民の声を聴くためにメディアを訪問したのではなく、圧力または懐柔のために訪問したと言っても過言ではないだろう。その中で特筆すべきは、沖縄タイムス社と琉球新報の2社である。沖縄知事が「時間がかかる。困難」という趣旨の言葉を繰り返す中で、「沖縄県知事も含めて、県内首長等々、辺野古(移設に)反対している。地元の頭越し、地元の意向をほとんど聞いていただいていないと。上の方で勝手に声を無視する形で合意しているのではないか、というのが本音」とタイムスの責任者たちは官房長官に面と向かって抗議した。琉球放送では、「負担軽減」とジャブを打ちつつ、主権回復の日は、1972年5月15日にすべきと主張。報道された範囲では、琉球放送、琉球朝日放送と沖縄テレビは、残念なことに抗議することはなかったようだ。
 4.訪問後の記者会見で、菅官房長官は、「4・28」についてお祝いをするのではない。それを沖縄は誤解しているという趣旨のことを発言した。お祝いという趣旨で、話が始まったのは明らかであり、その時に沖縄のことなど絶対に念頭になかったであろう。米国の独立記念日を羨ましく思っていた輩が、真似をしようとしてやらかしているだけのことだと思う。
 ただ、ここで厳しく自己批判をしなければならないことがある。少なくない仲間たちの中に奄美も同時に切り捨てられた歴史を忘れている人々が多いという事実だ。日本は、27度線ではなく、29度線以南を切り捨てたのである。沖縄が沖縄を語る時、しばしば「沖縄島(本島と呼ばれている)」だけを念頭において思考してしまっている。
 4・28の意味と歴史を精査し、学ぶよいチャンスだと思う。
 
 沖縄の声は何度示されただろうか? しかし、ここで問題なのは沖縄の声ではないはずだ。
 日本国民の声はどうなのか?
 そのことが一番問われるべきなのに、沖縄県民の叫びを無視しつつ、立ち上がれず妥協した一部の県民のだけがクローズアップされて、県民が分断されている。
 問われるべきは、日本国民の声だ。
 
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非暴力には、学習と覚悟と訓練が必要だと話したら驚かれた。
非暴力には、そんなもの必要ない。ただ暴力が嫌いだったらそれで実行できるとの答えだった。

もしかしたら、そうなのかも知れない。そうであれば良いのにと心から願う。
しかし、実態はそうではない場合が多い。

命と生活を守るために立ちはだかると、激しい暴力が襲いかかってくる。嘲笑され、罵られながら、羽交い締めにされ、引きずられ、排除される。必死にしがみつくと、ボコボコにされる。

本気で覚悟したら、案外、ガマンは容易くなる。鉄パイプで殴られても、骨折しても、大量に分泌されるアドレナリンの効果か、痛みすらほとんど感じない。
しかし、大切な仲間が襲われると状況は一変する。封印していた怒りが爆発しかける。単なる反発、怒りを越えて、殺意すら感じる瞬間もある。ガマンして押さえ込んでいた分、そのエネルギーは激しく爆発しそうになる。

仲間への暴行が一時的なもので被害も大きくなければ怒りはコントロールされ、平常心を取り戻すことができるようになる。

しかし、暴行が繰り返され、被害が大きかった時、怒りや憎しみをコントロールすることは本当に困難になる。

その時に、「非暴力」を誓い合った仲間の存在と学習が機能する。
人は、強くない。一人では、自らの意思を貫くことは困難である。しかし、仲間がいることによって、その困難は、少し、ほんの少しかもしれないが楽になる。楽になるのは少しかもしれないが、そこに向き合うエネルギーは百万倍となる。

だからこそ、非暴力は学びが必要だし、その仲間が必要なのだと思う。
そう思うのは、心に激しい怒りを内在する私だけなのだろうか。そうならば良いのだが・・・

しかし、目の前で仲間が罵られ、殴られて平気な人がいるとしたら、その人にとって殴られている人は本当に「仲間」なのだろうか。
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