平和祈念資料館のウソ

2000年のサミットに合わせて作り変えられた沖縄県立平和祈念資料館の2階(常設展示)は、
「かつて琉球の先人は平和をこよなく愛する民…」という言葉でスタートする。
琉球の民は、平和で争いを嫌い、武器もなく過ごしていたが、戦争がある日突然、外からやってきたという都市伝説を見学者に刷り込むためのしかけである。
琉球王朝は統一されるまで戦さが続いていたし、統一されてからも三重城の城壁には砲台があったことが記録に残っている。また、琉球王朝を頂点とした島差別も激しく、厳しい搾取により命を失ったものも少なくない。そして、決定的なのは薩摩の島津が目をつけるほどの貿易による富である。その貿易の中心になっていたのが奄美を基地とした硫黄の採取と中国への流通である。自らの戦さは、三山の統一で落ち着いた。しかし、他国で殺し合いをする火薬の原料である硫黄で琉球は潤っていたのだ。これを「死の商人」と呼ばないのだろうか。
私は、沖縄が嫌いで批判しているのではない。生まれ育った大切な島だ。だからこそ、都市伝説のような幻想で現実逃避することなく、現実の中から希望ある未来を模索したいと思うのだ。
県立平和祈念資料館が開館した当時、沖縄のメディアは「改ざん」問題で大騒ぎをした。沖縄戦の実態を伝える展示が改ざんされごまかされているという報道だった。
時は過ぎ、いつものように沖縄県民が忘れてしまったが、改ざんされた展示はそのままに運営されている。
もう一例だけ紹介する。「沖縄で捕虜になった防衛隊員と義勇隊員」という一人の老人と二人の子どもが映った写真が展示され、説明には「防衛集に該当しない青年学校生や中学校生徒も、男女をとわず義勇隊として各町村ごとに編成され、戦闘訓練をうけた。」と記されている。
戦闘訓練は日本全国で行われたのではなかったのか?ここにある事実は、戦闘訓練を受けたということではなく、兵士として最前線に送り込まれたし、兵士として捕虜収容所に入れられたという事実ではないのか。「戦闘訓練をうけた」という事実によって、最前線に送りこまれた事実を隠蔽する見事なトリックである。
私は、このウソとごまかしの展示を批判的に見つめるツアーを時々行っている(一回2時間ほど)が、展示は変わっていない。戦争の実態と責任をごまかし、「昔は大変だった、戦争は嫌だね。平和な時代に生まれて良かった」という感想を残して、平和学習完了!というシステム。
私は、思う。
あの資料館は、見ない方がいい。為政者たちが国民を騙すためにどのような手を使うかを学ぶ資料館としては非常に有益である。しかし、戦争や平和を学びたい。学ばせたいと思っているなら、あの資料館は行ってはならない。あんな展示を許してはならない。