☆この小説は「愛と官能の美学」のShyrockさんより投稿して頂いたものです。著作権はShyrockさんが持っておられます。

shyrock作 恵 一期一会
恵 一期一会



それは偶然のことだった
私の運転するタクシーがあの人を乗せたときから
めくるめく運命のぜんまいばねが回り始めた













第3話“悩める京女”

今日初めて乗せたお客さんから、突然『実は』と切り出された時、私は驚いてブレーキを踏みそうになりました。
 そして、思わずバックミラーに写った女性の顔を覗き込んでしまったのです。
 女性もこちらを見ていたので偶然目が合ってしまい、きまりが悪くなった私はこちらから先に目を逸らしてしまいました。
 目を逸らしはしましたが、はっとするようなその優美な顔立ちが脳裏から離れませんでした。
 透き通るように色が白く目鼻立ちがよく整っていて、まるで日本画から抜け出したような美女と言っても過言ではなかったと思います。

「うち……困ってますねん……」
「え?どのようなことで?」

 本来なら触れてはならないお客さんの私的なことに、つい首を突っ込みたくなりました。

「せやけどぉ……こないなこと、見ず知らずのお人に話してもええもんやろかぁ……」

 おっとりとした京都特有の口調は、関東出身の私には少々焦れったくもありましたが、それよりも色っぽい言葉遣いの京女と会話が出来ることを愉しんでいたように思います。

「無理に話さなくてもいいですよ。誰でもそっとしておいて欲しいことってありますからね」
「う~ん、そうやねぇ……運転手はんにもしゃべりたないことあるんどすやろなぁ……」
「ははははは、そりゃあ少しはねえ。はははははは~」
「そうなんどすか?あははは……」

 女性は笑顔に変わりました。
 ところが笑顔はほんの一瞬だけで、すぐに元の憂い顔に戻ってしまいました。

「せやけど生きていくのんて、ほんまに難しいもんどすなぁ……」
「そうですねえ。なかなか思うようにはいかないものだし」
「時々、死んでしまいとうなることあるんどす……」
「え……?」

 思いがけない言葉に私は驚きを隠しきれず、しばらくの間沈黙してしまいました。

(これはきっと何か深い訳があるんだ……)

「でも死んだらおしまいですよ」
「そのとおりどすなぁ……」
「せっかく授かった命なんだから、粗末にしてはいけないと思いますよ」
「うん、そやねぇ……」

 ちょうどその頃、クルマは嵐山に差し掛かっていました。
 土日は人出の多いところですが、さすがに平日は空いています。
 観光客もまばらです。

「この辺りでどこか行きたいお寺などはありますか?」
「いいえ……特に……」
「そうですか。それじゃ、どうでしょうか?趣を変えて、保津峡へいってみましょうか?」
「保津峡どすかぁ……」
「はい、保津峡は駅舎のある場所が亀岡市と京都市にまたがっていて、周囲には民家が一軒もなくて、山に囲まれて秘境めいたところが素晴らしい。いかがですか?」
「へぇ、駅が二つの市にまたがってるんどすかぁ、珍しおすなぁ。そやねぇ……なんとのぅ京都から離れとおすんや……」
「え……?京都から離れたいって?そうですか……」

 風光明媚な嵐山や保津峡に行っても女性の浮かない表情に変わりはなく、私ははたと困り果ててしまいました。

(それにしてもわがままな人だなあ。料金メーターもどんどんと上がっていくばかりだし……)

「でもお客さん、あちこち行ってたら料金がかなり嵩みますよ。いいのですか?」

 目的地がはっきりしないまま長距離を走行し、メーターが見る見るうちに加算していくことを心苦しく感じた私は思わず尋ねてしまいました。


続く→恵 一期一会 第4話“タクシー料金”

戻る→恵 一期一会 第2話“行き先不明”

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